第22章 遺跡の守護神

 ヤシュナギール族の族長だというヌルシキという少女の言葉に、ブルシモンは不敵ふてきみを浮かべて応じた。

「族長があんたのような美少女とは恐れ入ったな。が、おれは夜伽よとぎはせぬし、相棒をわれるのも困る。普通に話がしたいだけだ」

 ヌルシキは鼻を鳴らしたが、「良かろう」とうなずいた。

「おぬしの豪胆ごうたんさにめんじて話を聞いてやろう。ついて参れ」

 クルリと背中を向けたヌルシキのあと足早あしばやに追うブルシモンに少し遅れ、シンディーソ軍曹ぐんそうは肩で息をいてから歩き出した。

「……ったく。おれだって晩飯のネタにする云々うんぬんは悪い冗談だと思うが、あんまり気味は良くねえよ。ましてこいつが……」

 愚痴ぐちこぼしながら、シンディーソは横目で怪物マセリを見た。

 良くしつけられているらしく、ヌルシキにめいじられたまま動かないが、こまかな産毛うぶげえた白い皮膚ひふを通して、グネグネとうごめく内臓がけて見える。

 シンディーソは軽く身震みぶるいすると、なるべく足音を立てぬようにしながらマセリの横をすり抜けた。

 途中、族長のヌルシキ以外のヤシュナギール族は一切姿を見せず、シンディーソは時折物陰ものかげなどから刺すような視線を感じ、そのたびにハッとしてそちらを見たが、ついに相手を発見することはできなかった。

「ここがわらわ座所ざしょじゃ。中の安全は保障するゆえ、遠慮のう入ってたもれ」

 そう言ってヌルシキがしたのは、動物の皮のようなものでおおわれた天幕てんまくであった。

「……これって、まさか……」

 思わずつぶやいたシンディーソの言葉が聞こえたらしく、ヌルシキは真っ赤な口を開いて笑った。

 改めて近くで見ると、ヌルシキの歯が赤いのはべにのようなものでめているようだ。

「そうじゃ。おぬしが想像したとおり、この天幕の素材は人間の皮じゃ。人間の体というものは、ほとんど捨てるところがない。有難ありがたいことじゃのう。ささ、話は中でしようぞ」

 れ幕を上げて先に入ったヌルシキに続き、ブルシモンも無言で大きな体を折り曲げるようにして入ったが、シンディーソは二三度にさんど深呼吸してから、息をめて天幕にもぐり込んだ。

 中には太い蝋燭ろうそくともっていたが、シンディーソもさすがにもう原料を聞かなかった。

 ヌルシキは「ずは乾杯じゃ」と何故なぜかいそいそと酒器を出して来て、変わった形のさかずき三つに酒を満たした。

 その楕円形の盃を見たブルシモンは、「ほう」と声を上げた。

「話には聞いたことがあるが、本物は初めて目にした。髑髏杯どくろはいだな?」

 ヌルシキはうれしそうに「そうじゃ」と答えたが、シンディーソは「うっ」と自分の口を押えた。

 髑髏杯とは、人間の頭蓋骨を加工して盃にしたものである。

 ヌルシキは相手をためすような表情で、「さあ、飲め」とすすめた。

「心配せずとも、普通の酒じゃ。ふむ。ならば、妾が先に飲んでみしょう」

 ヌルシキは自分の髑髏杯を手に取ると、クイッと一気に飲みしてみせた。

 ブルシモンは「毒ではないようだが」と苦笑した。

「民族の慣習かんしゅうを批判するつもりはないが、子供が酒を飲むのは感心せぬな」

 が、逆にヌルシキが鼻でわらった。

め言葉と思った故、えて訂正もせなんだが、妾は子供ではないぞえ。いくつじゃと思う?」

 横で聞いているシンディーソも改めてヌルシキに目を向けたが、どう見ても十代前半ぐらいの美少女である。

 ブルシモンも太い首をかしげていたが、「ふむ」とうなずいた。

「見た目にまどわされず、声や話の内容を勘案かんあんして失礼をかえりみずに言えば、そうさなあ、三十路みそじぐらいであろうか?」

 ヌルシキは大きく口を開けて笑った。

「思い切ったのう。が、まだ半分にもりぬ。妾は来月、よわい七十三になるぞえ」

「そ、そんな馬鹿ばかな!」

 大きな声を上げたのはシンディーソの方である。

 スッと笑顔を消してそちらをギロリとにらむと、ヌルシキは「南方人め!」とき捨てた。

「あまりくだらぬことをほざくと、酒のつまみにするぞえ。が、まあ、ブルシモンにめんじてゆるしてやるわさ。さあ、早う飲め、ブルシモン」

 ブルシモンは唇をゆがめて笑い、「おれの名は覚えてくれたらしい。では、いただこう」と、髑髏杯を取り上げて一気に飲んだ。

「ふう。うまいな」

「じゃろう? まあ、この際じゃから、南方人も飲むが良い」

 シンディーソは躊躇ためらったが、ここで断ってせっかくの交渉の機会をブチこわしにするわけにもいかず、目をつむって酒をのどに流し込んだ。

「あれ? 旨いじゃねえか」

 驚くシンディーソには構わず、早速さっそくブルシモンが切り出した。

「いきなりたずねて来てすまなかったが、おれたちの頼みを聞いてもらえぬか?」

 ヌルシキはずるそうに笑った。

「これこれ、そうくな。まだ一杯目ではないか。が、まあ、おぬしらの望みはわかっておる。古代ツェウィナ人の秘宝の手掛てがかりが欲しいのであろう?」

 あからさまに言われ、かえってブルシモンは開きなおったように微笑ほほえんだ。

「まあ、そういうことだ。あんたらの廟所びょうしょになってる遺跡に手掛かりがあるらしいとは聞いている。そこを見せてもらえると助かる」

 ヌルシキの笑みが深くなった。

随分ずいぶんとムシのいい話よのう。何の手土産てみやげもなしに、先祖伝来せんぞでんらいの廟所をけて見せよと申すのかえ?」

 黙って成り行きを見ていたシンディーソが「あ」と声を出してしまい、あわてて自分の口を手でふさいだ。

 断っているかのようによそおいながら、ヌルシキは対価たいかの交渉を始めているのだ。

 ブルシモンも表情を改めた。

成程なるほど。これはおれが悪かった。今回は先行きが見えぬ中での渡航であったから、特に金銀等の用意はして来なかったが、そちらの条件を提示してもらえれば、それに見合った財宝を調達することを約束しよう。言ってみてくれ」

 鼻にしわを寄せるようにして、ヌルシキは不気味ぶきみに笑った。

「何の、ちゃんと土産を持って来ておるではないか。この先の草原にのう」

 ブルシモンは薄い灰色の目をいぶかしげに細めた。

「いや、最低限の水と食料しか持って来て……。ああっ、駄目だめだ駄目だ!」

 急に大声を出して立ち上がったブルシモンに、追いちを掛けるようにヌルシキがいた。

「何が駄目じゃ? 百人もおるのじゃから、三分の一ぐらい生贄いけにえに差し出しても問題はなかろう?」

 二人が何の交渉をしているのか気づいたシンディーソが、「げっ」ときそうな声を出した。

 ブルシモンもごつい額に汗をにじませ、相手の言葉を聞くまいとするかのように首を振った。

「あんたたちの慣習は知っているが、おれたちにはおれたちの風俗習慣がある。人間は喰い物じゃない」

 真っ赤な歯を見せて、ヌルシキは嘲笑あざわらった。

「いいや、人間は喰いものさね。ああ、無論、妾たちも同族は喰わぬさ。が、ヤシュナギール族以外の人間は、牛や豚と変わらぬ食料じゃ。考えてもみよ。世の中には、牛や豚が可哀想かわいそうじゃからと、喰わぬ民族もある。そやつらは、わりに蔬菜そさいや豆を喰うが、蔬菜や豆とて生き物ぞえ。ようは、喰い物か喰い物でないかの線引きをどこでするかだけのこと。妾たちにとって、同族以外の人間はすべて喰い物よ」

 立ち上がったまま歯を喰いしばっていたブルシモンは、しかし、席をって帰ることはせず、逆にドカリと座りなおした。

「言いたいことはわかった。が、それは絶対できぬ。ほかの条件を出してくれ」

 ヌルシキの少女のような美しい顔に、一瞬だけ老婆のような妄執もうしゅうが浮き出たが、すぐに消えた。

「いいじゃろう。先日馬で乗り付けたやからに、同じような条件を突き付けたら、おこって攻め掛かろうとしおった。おのれらの武力に自信があったのであろうのう。が、マセリの敵ではなく、あっというもなく全滅したわい。馬は全部マセリに喰わせたがの、人間は皆で美味おいしゅういただいた。一度に喰い切れなかった首や手足の一部は、ほれ、門のかざりに使わせてもろうたぞえ。おぬしらは百人もおるから、もし攻めて来るようなら、さぞや喰いでがあろうと期待しておったが、まあ、良いわさ。別の条件を思いついたでのう」

 ヌルシキは美しく長い銀髪をかき上げ、銀色の瞳でブルシモンの目を見据みすえて告げた。

「おぬしが妾の婿むことなれ。それ以外の条件は一切いっさいつけぬ。どうじゃ?」

 意外にも、ブルシモンは即答した。

「それで百名の命が助かるなら、その条件をもう。ただし、今すぐは無理だ。そこはわかってくれ」

 ヌルシキはブルシモンの真意を読み取ろうとするかのように、自然の岩石のような顔を穴がくほど凝視ぎょうししていたが、フッと表情をゆるめた。

「良い面構つらがまえよのう。れた弱みじゃ、信じてやろう。が、うそとわかった時には、おぬしの体を毎日一寸刻いっすんきざみにして喰らうぞえ」

承知しょうちした」

 横でホーッと長い息をいたのは、シンディーソである。


 さらにもう一杯ずつ髑髏杯で酒を飲んだ後、「酔う前に案内してくれ」というブルシモンの頼みを素直すなおに聞き、ヌルシキは「一先ひとまず廟所へ案内あないしようかの」と先に立って天幕を出た。

 続いて出ようとするブルシモンのそでつかみ、シンディーソがささやいた。

「いいのか?」

「仕方あるまい。あのマセリという怪物相手では、百名でもかなわぬだろう。それに、こんな見てくれでもおれとて人間。明日あすどうなるかもわからぬ。一度結婚してみるのも悪くはない」

 冗談とも本気ともつかぬ笑顔で答えると、ブルシモンは「あやしまれる前に行くぞ」とうながした。

「密談かえ?」

 ヌルシキの声が予想外に高い位置から聞こえたため二人が驚いて顔を上げると、怪物マセリの背中にまたがっている姿が見えた。

「本当は歩く方が速いのじゃが、マセリがさみしがるでの。ついて参れ」

 確かに、蠕動ぜんどうしつつ腹部のいぼのような多数のあしで地面を押しやって進むマセリは、お世辞にもはやいとは言えなかった。

 しかも、そのブヨブヨした白い皮膚ひふは柔らかそうであり、巨大であるという以外、一見いっけん何の戦闘力もありそうにない。

 横をついて歩きながら、ブルシモンは率直そっちょくたずねた。

「マセリはどうやって戦う?」

 ヌルシキは声を上げて笑った。

「疑問はもっともじゃ。そうさの、あそこに大きな岩が見えるであろう? あれを敵と仮定しよう。マセリ、あの岩をらえよ!」

 すると、金属をこするような耳障みみざわりな返事が聞こえ、こちらから見えないマセリの口のあたりから白いものがビュッと飛び出した。

 白いものは空中で網のように広がり、岩をスッポリとおおった。

 ヌルシキは「おお、良い子じゃ」とマセリの背中をでながら説明した。

「マセリのく糸はねばがある上、剣でもれぬほど丈夫じょうぶなのじゃ。普通はこれを細く伸ばしてり合わせ、り糸に加工するのじゃが、こうして武器としても使える。敵が身動きできなくなったところで、やりで串刺しにしてもよし、弓矢で針鼠はりねずみにしてもよし、たぎった油をびせてもよし、何ならなまのままかじってもよしじゃ。どうじゃ、たのしそうじゃろう?」

 うんざりした顔で黙り込んでしまったブルシモンの代わりに、シンディーソが無遠慮ぶえんりょたずねた。

「随分とおそろしいもんだが、所詮しょせんむしたぐいだろ? 敵か味方かわからずに、あんたらが襲われることはねえのか?」

 ヌルシキの顔から笑みが消え、氷のごとく冷たい銀色の瞳が、刺すようにシンディーソを見つめている。

 あわててそうと口を開きかけたブルシモンだったが、物陰からわらわらとあふれるようにあられた武器を手にした群衆に気づき、一旦いったん口を閉じた。

 群衆はヤシュナギール族の戦士であるらしく、ブルシモンとシンディーソを威嚇いかくするように声を出しておどりながら、武器をかざして近づいて来た。

「やめぬか!」

 ヌルシキが戦士たちに命じると、全員の足がピタリと止まった。

 族長であり、最高位の巫術師ふじゅつしであるというヌルシキには絶対服従なのだろうが、立ち止まったまま憤懣ふんまんやるかたないという表情で一人の戦士が声を上げた。

如何いかにヌルシキさまのご命令といえど、われらの守護神たるマセリそんを南方人にしざまに言われては、黙っておられませぬ!」

 他の戦士からも「そうだ!」「そうだ!」と応ずる声があり、ヌルシキは軽く舌打ちしたが、声を張って告げた。

「家畜以下の南方人の戯言ざれごとなど気にするでない! いずれむくいは受けさせる故、今は下がっておれ!」

 戦士たちはなおも不服そうであったが、渋々しぶしぶ引き下がり、またしても物陰にかくれるように消えた。

 いつでも戦えるようふところの短剣に手を掛けて身構えているシンディーソに、ブルシモンは「少しは口をつつしめ」とたしなめると、ヌルシキに頭を下げた。

「すまぬ。無礼の段はおれが重々じゅうじゅうびるから、どうか相棒をゆるしてやってくれ」

 ヌルシキはフッと笑い「案ずるな」とうなずいた。

「婿どのを悲しませるようなことはせぬ。おお、それに、疑問を感じたのはおぬしも同じであろう? が、心配は無用じゃ。マセリが妾を裏切るようなことはない。何故なぜなら、妾はマセリの母じゃからのう。おぬしもいずれ義父となるのじゃから、知っておいた方が良い」

「どういう意味だ?」

 聞いたのはシンディーソであったが、ヌルシキはブルシモンに向かって答えた。

「マセリは六十年に一度成虫となり、人間の女子おなごまぐわってし、その直後に死ぬ。そして、相手となった女子は、出産時の見かけのままとしを取らぬのじゃ。妾がこのマセリを産んだのは十三の歳であったよ。よって、来月には嫁となる女子をさがさねばならぬ。どこぞに見目麗みめうるわしき女子はおらぬかえ?」

 真っ赤な歯を見せて笑うヌルシキは、おぞましい妖姫ようきのようであった。

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