第21章 食人族の美姫

 仲間が全滅したと聞いた瞬間、巨体に似合にあわぬ素早すばやさで、ビンチャオは剣を抜いて走り出した。

 報復に向かうのかと思いきや、まだ近くにいたダン少年をつかまえ、片腕で羽交はがめにし、首筋くびすじ剣先けんさきを突き付けた。

 あまりに突然で唖然あぜんとする皆を、眉のない物凄ものすご形相ぎょうそうにらみつけながら、「よくもたばかったな!」と怒鳴どなった。

 そのかん悪戯盛いたずらざかりとはいえ五歳児でしかないダンは、今にも泣き出しそうに目をうるませている。

 父親のダスタニが少し震える声でなだめた。

「まあ、落ち着け。別にだましてなどいない」

うそくな! ここで時間かせぎをしているに、シーグの連中にわれの部下たちを襲わせる算段だったんだろう!」

「それは誤解じゃ」

 やや気の抜けた声で割って入ったのは、風師ふうしイレキュモスである。

「途中、隠形おんぎょうしながら低空飛行で調べたが、村の方角ほうがくから海岸へ人が向かった痕跡こんせきはなかったぞ。残っていた足跡あしあとは、海岸縁かいがんべりを平行に移動しておった。明らかに、海から上陸した何者かが船をうばって逃げたんじゃ」

「何者とは誰だ!」

 いきり立つビンチャオに、スッとディリーヌが歩み寄った。

「人質なら、わたしがなろう。子供をはなせ」

「ぬかせ! おまえのように手強てごわい女、大人しく人質になるわけがない。言って置くが、ガキの親父おやじの族長も駄目だめだ。さあ、それ以上近づいたら、このガキの首をねるぞ!」

「ならば、人質はわしで良かろう」

 そう言ったのは今度はイレキュモスではなく、長老のタルザノのほうだ。

「見てのとおり、わしは一人では歩けぬ年寄りだ。それに、村の背後の森にひそんでいる十名のシーグ人に対する人質としては、ダンよりも効果があるぞ」

 その言葉の意味合いがビンチャオに浸透するのを待って、横からイレキュモスが口をえた。

「おぬしの部下を襲ったのが何者かは知らんが、シーグ人たちでないことは確かじゃ。つまり、森にはまだシーグ人がおり、人数もここにおるわしら全員より多いということになる。如何いかにおぬしが腕が立とうと、一人では勝てまい?」

 ビンチャオは一つ息をくと、渋々しぶしぶダンを解放した。

 が、剣は抜きのまま「じゃあ、どうすりゃあいいんだ?」と口をゆがめつつ問うた。

 それには再びタルザノが答えた。

「おまえたちは仲間の行方をさがしに行くがいい。われらは、交渉の結果おまえたちを追い返したとシーグ人に伝える。実は、連中は、ヤシュナギールへ向かった別動隊から何の連絡もないことにれておる。おまえたちさえ立ち去れば、われらなどに構っておらず、村を出て行くだろう。食料や水や、それから馬たちに必要な飼葉かいばなどを渡さねばならんだろうがな」

 ビンチャオの決断は早かった。

「いいだろう。兵士はともかく、船奴せんどまでなくなったということは、船はもう近くにはおるまい。ならば、ここから迂回うかいして、われらだけでヤシュナギールへ行くまでだ」

「ちょっと待て!」

 気色けしきばんで割り込んだのはディリーヌである。

さらわれた子供二人をさがすのが先だ!」

 ビンチャオはいやな目つきで順番に皆の顔を見回したが、今は自分の味方が一人もいないことは良くわかったらしく、フーッと大きく息をいた。

「仕方あるまい。いずれにせよ、シーグ人たちに疑われぬよう、一旦いったんは海岸に戻った方が良さそうだ。が、必ずヤシュナギールへは行くぞ!」

 すでに平静に戻っていたディリーヌは、軽くうなずいた。

「約束する。子供二人を無事に救出できれば、だがな」


 その頃、拘束こうそくされたキゼアとエティックの二人は、沖合おきあいに停泊中のオルジボセ号の甲板かんぱんに運びげられていた。

 奪われたヤンルー船に乗っている間中あいだじゅう暴れ続けていたエティックは、さすがにグッタリして眠っている。

 逆に、気絶からめたキゼアは、船員たちに気づかれぬよう薄く目を開いて周囲をうかがった。

「!」

 猿轡さるぐつわまされていることがさいわいし、声を出さずにんだが、心がじくれた狂犬のようなで遠くから二人をにらんでいるのは、あのベレゼ三兄弟の長男であった。

 粗末そまつな服をけ、自慢の口髭くちひげもボサボサになっている。

 こちらを睨みながらも、棒付き雑巾で休まずに甲板をいているところを見ると、死んだチウチニッケの代わりにき使われているらしい。

 と、船員たちの話し声が聞こえてきたため、キゼアはあわてて目を閉じた。

「よし。ヤンルー船は引綱ひきづなを付けたから、このまま曳航えいこうしよう」

「で、船奴せんどはどうする?」

「うーん、そうさなあ。まあ、亡命させるかどうかの判断は、国に戻ってから御上おかみがなさることだが、ずは船長に報告しねえとな」

しかられるかな?」

「いや、められるんじゃねえか?」

 ガヤガヤと私語しごわしながら船員たちが去るのを待って、再びキゼアが薄目うすめを開けると、目の前に大きな男の姿があった。

「寝たふりなんかしゅるんじゃねえ」

 空気のれる声で話しかけられて、思わずキゼアは身をすくめたが、口髭の顔が向いているのはエティックの方だった。

「……むぁ?」

 猿轡の隙間すきまから寝惚ねぼけたような声を出したエティックも、すぐに事態をみ込み、顔色を変えた。

 口髭の長男は、前歯の欠けた口を開いて笑った。

「いい表情をしゅるじゃねえか。まあ、手足をしばられ、猿轡しゃるぐつわまでしゃれて、これじゃまったく抵抗できめえ。この棒付き雑巾じょうきん甚振いたぶってやりてえところだが、船員たちがうるしぇえからな。夜まで待ってな」

 その時、「おい、歯なしのチウチニッケ! なまけるんじゃねえぞ!」という声がしたため、口髭は軽く舌打ちして立ち去った。


 一方、怪物マセリにおそれをなして一旦いったん退却したフェケルノ帝国の派遣部隊は、ヤシュナギールの遺跡から然程さほど遠くない草原で野営の準備をしていた。

 平野が多い南大陸に比べ、起伏きふくんだ地形の北大陸では、百名規模の小隊でも野営できる場所は少なく、りに逃げた兵士たちも自然にこの草原に集まって来ていた。

「帝国軍のしつも地に落ちたものですねえ」

 れぼったい目で兵士たちの設営作業をながめながら、吐息交といきまじりにそう述懐じゅっかいしたのは隊長のカランである。

 薄い灰色の目を細めて兵士たち見ていた副隊長のブルシモンは、苦笑して太い肩を竦めた。

「そうかな? おれは逆に見直みなおしたよ」

「見直した? どういう意味です?」

「軍の統率とうそつむずかしいのは退ぎわだ。猛進している時には昂揚こうようして普段以上の勇気が出るが、退却を始めた途端とたんに恐怖にられ、正常な判断力を失ってしまう。その点、わが隊は見事な逃げっぷりであったよ」

 カランは鼻を鳴らした。

「皮肉ですね?」

「いやいや、本気さ。その証拠に、見たところ一兵いっぺいも欠けずにここに集合してるじゃないか」

 改めて兵士たちを見回して、カランの眉間みけんしわも少し伸びた。

「確かに。前進しか知らぬヤンルー軍などに比べ、わが軍は後退も得意と言われていますね。まあ、それこそ皮肉ですが。で、これからどうします?」

 本来それを決めるのは隊長たるカランの役目であるが、聞かれたブルシモンも当然のように答えた。

「今のところ、情報が少なすぎる。ヤシュナギール族についても、怪物マセリについても、まだ何もわかっていない。渡海前とかいまえに聞いたのは、遺跡から発見されたという手鏡のことだけだ。よって、少数精鋭しょうすうせいえい斥候せっこう部隊を出すしかない」

 ブルシモンの視線をけるように、カランは横を向いた。

「で、ですが、わたしに万一ことでもあれば、部隊をひきいる人間がいなくなってしまいますよ?」

 自分の極端に短くった銀色の髪をでながら、ブルシモンは皮肉な笑顔で告げた。

「別におまえを当てにしちゃいないさ。おれ一人で充分、と言いたいところだが、それこそ万一の場合に何が起きたのかわからないままになる。そうさなあ……うん、そうだ。閲兵式えっぺいしきの前に生意気なことを言ったやつがいたな? あいつに相棒を頼もう」

 宮廷前広場きゅうていまえひろばでカランがブルシモンを兵士たちに紹介した際、野蛮人の命令は聞けないとうそぶいた古参兵こさんへいのことであろう。

「えっ、シンディーソ軍曹ぐんそうですか? 無理です、無理です。とても、わたしの命令なんか聞きませんよ」

「おいおい、おまえは隊長じゃないか。しかも、これは軍令ぐんれいだぜ。拒否すれば、即、軍法会議だ。まあ、実際には帰国してからだがな。ともかく、四の五の言わずに命令してくれ。あとはおれが何とかする」

 カランは自分のボサボサの髪に両手を突っ込み、大きなめ息をいた。

「仕方ありません。一応頼んではみますが、どうなっても知りませんよ」


 カランに呼び出されたシンディーソ軍曹は、意外にもあっさり引き受けた。

「この時点で斥候が必要なのは、兵法の初歩の初歩だ。隊長が何も言わなきゃ、こっちから進言しようと思ってたくらいさ」

 拍子抜ひょうしぬけしたカランは、言わでものことを言ってしまった。

「いいのですか? 相方あいかたは、あのブルシモン副隊長ですよ?」

 シンディーソは鼻でわらった。

「そんなの関係ねえよ。この斥候は命懸いのちがけだ。相棒があんたなら断るが、あの野蛮人は腕だけは立ちそうだからな。そのわり、こっちが危なくなったら置いて逃げるぜ」

 カランは顔色を赤くしたたり青くしたりして聞いていたが、最終的には感情を失くしたような声で「それではすぐに準備しなさい」とめいじた。

 そのあと経緯いきさつを聞いたブルシモンは声を上げて笑った。

「おれが見込んだとおりだな。なあに、逃げる時はおれも一緒さ」


 野営の準備が続く中、ブルシモンとシンディーソは出発した。

 並んで歩くと背の高さはほぼ同じだが、肩幅は倍近く違う。

 二人とも軽装で、武器も短剣一本ずつである。

 速足はやあしで歩きながら、必要最小限の言葉しかわさない。

「ここから少し右だったな」

「ああ」

 ブルシモンは決して上官ぶらず、シンディーソも一切へつらわなかった。

 と、前方にあの薄気味うすきみの悪い門が見えて来た。

 さすがにもう血は乾いているようだが、バラバラに切断された腕やあしを荒縄で柱にしばり付け、上の横棒には髪の毛の部分でるした生首なまくびが並んでいる。

「この門をどう思う?」

 ブルシモンにかれ、シンディーソは即答した。

あやしいな」

「怪しいとは?」

 たたみかけられて、シンディーソは口をゆがめて笑った。

「あんただってわかってるだろ? 門といったって、左右に壁も何もねえ。まあ、宗教的な意味合いはあるのかもしれねえが、別に門をくぐらなくたって中に入れる。まして、ああやって立派なかざり付けをしてありゃあ、門を通らずに横から行きたくなるのが人情にんじょうだ。ってことは、わなさ」

 ブルシモンも笑いながら重ねてたずねた。

「罠とは?」

「知らねえよ。が、まあ、恐らくは落とし穴が掘ってあって、底にはビッシリやりでも立ててあるんだろうさ。知らずに進んだ敵は、全員串刺くしざしって寸法すんぽうだ」

 ブルシモンは莞爾かんじうなずいた。

「違いない。ならば、堂々と門を通ってやろう」

おうよ」

 二人が並んで門を通り過ぎると、道の向こう側からブヨブヨした白いかたまり蠕動ぜんどうしながら近づいて来た。

 が、ブルシモンはそちらを見ず、大きな声で呼び掛けた。

「ヤシュナギール族の族長と話したい! おれはフェケルノ帝国のブルシモンという者だ!」

 勿論もちろん、怪物マセリはブルシモンの声には反応せず、その昆虫のような黒い顔にある複眼でこちらを見ながら、横にひら大顎おおあごをガチガチ鳴らしながら近づいて来る。

 シンディーソは小声で「ヤバいぜ。逃げよう」とささやいたが、ブルシモンは首を振った。

「もう少し待て。見たところ、あいつはあれで全速力みたいだ。いつでも逃げられる」

「けどよ」

 思わず声が大きくなったシンディーソが自分の口を押えた時、マセリのかげから声が聞こえた。

「マセリ、マセリ、おまりなさい!」

 シンディーソがあきれたように「女の声だぜ」と言うのを、ブルシモンが「静かにしろ」とたしなめた。

 と、マセリの蠕動が止まり、大顎もピタリと閉じ、声を掛けた人物が陰から出て来た。

 相手を一目ひとめ見るなり、二人は「うっ」と押し黙った。

 それは、この世の者とも思えぬ美しい顔をした銀髪の少女であったが、大の男二人を黙らせたのは、その細い首に掛かっている大振おおぶりな首飾くびかざりであった。

 元々目があった部分と口の名残なごりの黒い穴が三つあるためそれとわかるが、人間の顔の皮だけをいでし固め、子供の拳大こぶしだいにしてつらねたものである。

 さらに良く見れば、少女がけている民族衣装らしいあざやかな色彩の服にい付けられている装飾品も、すべて人骨を加工したもののようだった。

 少女は不自然に赤い唇を開いてニッと笑ったが、その本来白いはずの歯は、血塗ちぬられたように真っ赤であった。

「族長にいたいというから、出て来てやったぞえ。わらわが最高位の巫術師ふじゅつしにして族長のヌルシキじゃ。見たところ、一人は北大陸の者のようじゃから、妾の夜伽よとぎなぐさみ者とし、もう一人の南大陸の者は、夕餉ゆうげの材料に使ってやろうかのう。おお、逆ろうても無駄むだじゃぞ。マセリのとなりたくはなかろう?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る