第19章 裏切りの代償

 キゼアは動揺したものの何かの間違いと思ったらしく、強張こわばった笑顔で首を振った。

「ぼくの両親は二年前、流行はややまい相次あいついでくなりました。その後、叔父に引き取られましたが、今は事情があって家を出ています。あなたのお子さんと同じ名前だとしても、ぼくは別人ですよ」

 相手は「すまぬ」と頭を下げたが、その後に続く言葉は一層驚くべきものであった。

「おまえをアージュ村の百姓ひゃくしょう夫妻にたくす時、おまえにわざわいがおよばぬようわが名はせ、かれらの実の子として育てるように頼んだのだ。そうか、二人とも死んだのか。おまえもつらかったろう。……うむ。いっそ、わたしのもとへ来ぬか?」

 キゼアは動揺のあまり浮身ふしんの力が弱まって落下しそうになったが、差し伸べられた手を振り払い、自力で高度を維持しながら相手をにらみつけた。

うそだ! そんなことを言ってだまそうとしても……」

 珍しく声を荒げて否定しようとしたキゼアだったが、相手の目から大粒の涙があふれ、ほほを伝って落ちるのを見て、何も言えなくなった。

 今更いまさらながら思い出してみれば、両親は共に茶色の髪をしており、何故なぜ自分だけ違うのかとたずねた時には、その時すでくなっていた祖父が赤毛だったのだと聞かされていた。

 改めて見直すと、相手の耳の上にわずかに残っている頭髪はキゼアと同じくせのある赤毛であり、顔立ちもどことなくているようだ。

 相手は、地肌じはだの見えている頭を深々と下げた。

「本当にすまなかった。おまえをんですぐに死んだ妻の分まで面倒をみようと決意していたのに、一つで国を出るしかなかったのだ。おまえがわたしの子と知られれば、命が危なかったからな。が、今はシーグ酋長しゅうちょう国連邦の魔道顧問となった。おまえ一人をやしなうぐらいの収入もある。良ければ、このまま……」

 が、キゼアは歯をしばり、何かをち切るように語気を強めた。

「おことわりします! たとえ、あなたのおっしゃっていることが本当であっても、仲間を裏切ることはできません! ぼくが戻らなければ、仲間はみんな殺されてしまいます!」

 相手は再び大きく息をくと、静かに告げた。

「そうか。やさしいのだな。おまえをあずけた夫妻は、良い子に育ててくれたようだ。ならば、教えておこう。シーグはフェケルノ帝国のやろうとしていることも、それに対してヤンルー連合王国がどういう対応を取ったかも、全部把握はあくしている。先に北大陸に上陸したわが国の騎兵部隊三十騎が、今頃ヤシュナギールの遺跡いせきに向かっているはずだ。わたしたちの船はフェケルノの船を海上で足止あしどめする役割であったが、行き違ってしまった。このまま手ぶらでは帰れぬと話し合っている時に、おまえたちの船を見つけたのだ。よって、総攻撃の準備をしている。頼むから、逃げるよう説得してくれ」

 キゼアはまよわず「わかりました」とこたえて身をひるがえそうとしたが、途中でゆっくり止まり、やや口籠くちごもりながらも相手にたずねた。

「……あなたの、お名前だけ、聞いてもいいですか?」

 相手ははじめて笑顔を見せ、一語一語区切るようにして告げた。

「わが名はルフタル! 世間からは炎師えんしと呼ばれている!」


 茫然自失ぼうぜんじしつていで戻って来たキゼアを見て、甲板かんぱんで待っていた誰よりも先に、隊長のビンチャオが息せき切って問うた。

「そんなに大軍が乗っているのか? それとも、新兵器が搭載とうさいされているのか? いや、そもそも、シーグの船で間違いないのか? 早く答えよ!」

 と、横に浮かんでいたイレキュモスが「これこれ」と苦笑した。

「そんなに問いかさねては答えられぬ。わりにわしが聞こう。キゼアよ。見たままを、順を追って話すがよい」

「……あ、はい」

 それでもすぐに話し出さないキゼアに、エティックが「じれってえな」と言うのを、ディリーヌが「聞け」とおさえた。

 キゼアは何度か深呼吸して自分を落ち着かせ、「それでは、お話しします」とおもにイレキュモスに向かってしゃべった。

 聞くうちにイレキュモスの笑顔が消え、最後に相手の名前を聞いた瞬間、反射的に舌打ちしてしまい、「すまん」とキゼアにびた。

「あの裏切り者が、あ、いや、あやつが関わっていたとはな。が、それにしても……」

 改めてキゼアの顔を見ながら複雑な表情をするイレキュモスに構わず、ビンチャオが「向うがその気なら、全力で戦うまでだ!」といきり立った。

 が、すぐにディリーヌがめた。

「まあ、待て。猛進するばかりが戦術ではあるまい? ここは一旦いったん逃げると見せ、大きく迂回うかいして行くべきだ。幸い、このあたりなら多少航路の知識がある」

 ビンチャオも小隊長までつとめた男だから決断は早く、「わかった」とうなずくと振り返って部下に航路変更をめいじ、自身も足早あしばや操舵室そうだしつへ向かった。

 ディリーヌも「わたしが誘導しよう」と言いながらそれに続く。

 一方、話しえ、腑抜ふぬけたように肩を落とすキゼアに、エティックが腕をまわしてグッと引き寄せた。

「あんまり深刻に考えるなよ。敵の魔道師が言ったこった。まるっきりのうそってこともあるさ。なあ、イレキュモスのおっさん?」

 何か考え込んでいたイレキュモスは「……あ、うむ、そうじゃな」とうわの空で答えた。


 ヤンルー連合王国の船が進路を大きくれ、それを見届けたシーグ酋長国連邦の艦船かんせんが帰路にいた九日後、フェケルノ帝国の渡航部隊はようやくヤシュナギールの遺跡近くまで到達した。

「……な、何ですか、これは……」

 隊長のカランは普段眠そうな目を見開き、譫言うわごとのようにつぶやいた。

 その視線の先に、異様な門がある。

 大人二人がやっとすれ違えるほど間隔かんかくに置かれた二本の柱と、その上に渡した一本の棒で構成された門だが、素材は樹木だけではない。

 その表面を飾るのは、なんと、バラバラにされた人体のようだ。

 まだ生々しく血がれている腕やあしを荒縄で柱にしばり付け、上の横棒には髪の毛の部分でるした生首なまくびが並んでいる。

 カランの横に立っているブルシモンも鼻にしわを寄せて嫌悪感をあらわにしつつも、意外なことを告げた。

「見たことのある顔が並んでるな」

「え?」

 言われたカランは改めて生首に目をやって、唖然あぜんとした。

「こ、これは港にいた騎兵部隊のシーグ人、ですね?」

「ああ。遠目とおめだったから、おれだって一人一人覚えちゃいないが、まあ、間違いあるまい。この様子じゃ、全滅したんだろうな」

「に、しても……」

 カランは犬のようにブルッと体を震わせた。

何故なぜこんな悪趣味なことをするのでしょう?」

 このような状況であったが、ブルシモンは岩のような顔で苦笑した。

「決まってるじゃないか。警告さ」

「誰が誰に何を警告するんです?」

 息せき切ったように質問するカランに、ブルシモンは太い肩をすくめて見せた。

「ヤシュナギール族が、おれたちに、こうなりたくなかったら大人しく帰れ、って言ってるのさ。それより」

 ブルシモンは横目でさりげなく部下たちの様子をうかがいながら、ささやくように声を低めた。

「隊長のおまえがそんなに動揺しちゃ困るな。服の中で小便ちびったとしても、見せかけだけでも堂々としててくれ。それでなくとも不慣ふなれな土地の行軍で、隊員たちの士気が下がってるんだぜ」

 カランもハッとしたように「ですね」とうなずき、背筋せすじを伸ばして声を張った。

「ヤシュナギール族の風習にしても、ここまであからさまなことをするのは、いよいよわたしたちが秘宝に近づいたという証拠。さあ、皆さん! これから」

 向きなおって隊長らしいげきを飛ばそうと勢い込んだカランであったが、隊員たちの悲鳴がそれをき消した。

「うわっ! なんか来たぞ!」

「怪物だ!」

「く、われる!」

「逃げろ! 逃げろ!」

いやだ! おれは死にたくない!」

 舌打ちして隊員たちを叱咤しったしようとしたカランは、向かい合って立っているブルシモンの顔色が変わっているのを見て、おそる恐る振り返った。

 カランは、どこに焦点を合わせればいいのかわからなかったらしく、反射的に目を細めた。

「ん? 何だ、これ?」

 門の向こうの道をふさぐように、巨大な白いブヨブヨしたかたまりが見えており、ゆっくりこちらに近づいて来ていた。

 白い塊の正面にはくろずんだ顔のようなものがあり、大きな二つの複眼にはさまれた口は、あごが左右に開く構造になっている。

「……むし?」

 カランの口から思わずれた言葉どおり、その顔はる種の昆虫にており、それに続く胴体は、白いうじのように前後に蠕動ぜんどうしている。

「そうか、これがマセリか」

 ブルシモンの言葉に、カランは裏返った声で「何ですって?」と詰問きつもんするようにいた。

「まあ、おれもくわしくは知らん。マセリとは、古代ツェウィナ人がっていた家畜で、何でも喰って糸に変えてき出すとわれている。が、何百年も前に絶滅したと聞いていた。こんなところに生き残りがいたとはな。恐らくこいつは、遺跡の守り神みたいなものだろう。シーグの騎馬隊が、大した武器も持たないヤシュナギール族に負けるとは思えんから、案外こいつにやられたのかもしれんぞ」

「な、何を暢気のんきなことを言ってるんです! 早く逃げている部下たちをめてください! 戦いましょう!」

 しかし、ブルシモンは首を振った。

「いや、駄目だめだ。今無理に攻撃しても、シーグの二の舞になるだけだ。ここは一旦いったん離れ、様子を見た方がいい」

 ブルシモンはすでりに逃げつつある部下に、押しかぶせるようにめいじた。

総員退却そういんたいきゃく! おれに続け!」

 言うなり駆け出したブルシモンに「隊長はわたしですよ!」と文句を言いながらも、カランも全力であとを追った。


 フェケルノ帝国の派遣部隊が命辛々いのちからがら逃げている頃、しくもかれらが上陸したベギン族の漁港に、ヤンルー連合王国の船が到着した。

「ここからなら、迷わずヤシュナギールの遺跡まで案内できる」

 自信に満ちた声で宣言するディリーヌに、隊長のビンチャオは皮肉を込めて「遺跡が掘り返され、秘宝をうばわれる前にきたいものだな」と言い捨てると、部下たちに上陸を命じた。

 鼻で笑ったディリーヌは一足ひとあし先に下船し、久しぶりに安定した大地の上で、拾った木の枝を振りながら体をほぐし始めた。

 一方、ルフタルと名乗る人物から自分の子であると告げられて以来ふさぎ込んでいたキゼアも、エティックに引きられるようにして船からりた。

「なあ、元気出せよ、キゼア」

「ああ。わかってる。みんなに迷惑はかけないよ」

 そうして二人並んで砂浜に立つと、同じ年齢とは思えぬほど体格が違っている。

 色黒で長身のエティックに比べ、ずっと船室にこもっていたキゼアは一層青白くなっており、癖のある赤い髪と相俟あいまって、幼い少年のように見える。

 その細い肩を抱き寄せ、エティックなりにはげました。

「おいらと一緒に体の鍛錬たんれんもした方がいいぜ。魔道の練習だって、ここんとこ、あんまりやってねえだろ?」

「……」

 師匠ししょうあお風師ふうしイレキュモスと並びしょうされる炎師ルフタルが、自分の実の父らしいと知らされてもキゼアの気持ちは昂揚こうようせず、むしろ沈みがちであった。

 が、その視野のすみ偵察ていさつ飛行から戻って来たらしいイレキュモスの姿をとらえると、少し表情が晴れた。

 もっとも、当のイレキュモスの顔は暗い。

 ディリーヌが馬の尻尾しっぽのようにらした金髪をらしながら剣の型を稽古けいこしている横に降り立つと、愚痴ぐちめいた口調でこぼした。

「わしの名は知っておるようであったが、態度はかたくなであったよ。ヤンルー連合王国に対して、あまり良い印象を持っておらんようじゃ。まあ、それも無理からぬことだろうがの。ともかく、フェケルノ帝国との友誼ゆうぎたてに、馬や食料の提供はこばまれたよ」

「ほう。わたしの記憶が間違っていなければ、この漁港はベギン族のものだと思うが?」

「おお、そうじゃよ。族長のダスタニという男と、長老のタルザノという老人と話をしたんじゃが」

 いきなりディリーヌが笑い出し、「それを早く言ってくれ」とイレキュモスの背中をたたいた。

「な、何じゃ?」

 驚くイレキュモスに「ああ、すまぬ」と笑いながらびると、ディリーヌはれとした顔で告げた。

「わたしは南大陸へ渡る前、剣の修行のためベギン族の村に逗留とうりゅうしたのだ。その時、稽古けいこの相手をしてくれたのがダスタニで、当時の族長がタルザノさまであった。昔馴染むかしなじみのわたしが話してみよう」

「おお、そうか。では頼む。何なら、連れて飛ぼうかの?」

 ディリーヌは、一瞬考え、首を振った。

「いや。申し訳ないが、その場に余所者よそものがいれば本音を言わぬだろう。わたし一人で行って来る」

駄目だめだ!」

 大声で叫んだのは無論イレキュモスではなく、その時ようやく船から降りて来たビンチャオであった。

「勝手な真似まねは許さん! 交渉するなら、われの目の前でやれ!」

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