第17章 闇の系譜

 ビンチャオの眉のない顔を平然と見返し、ディリーヌは「断る」とこたえた。

「おぬしと同衾どうきんするくらいなら、人喰ひとくざめい寝する。が、まあ、話があるのなら聞いてやろう」

 ビンチャオの顔に一瞬、ドス黒い殺意が浮かんだが、かろうじて苦笑のような表情に取りつくろった。

「そうつれないことを言うな。明日、共に北大陸に向けて船出するんだからな。出発は日の出を待ってから、ということになるから、その前に飯をい、身支度みじたくを整えてくれ。ただし、現地へ到着するまで武器は渡さぬ。航程こうていは七日の予定だ。ああ、それから、われは派遣分隊の分隊長に任ぜられた。一応おまえたちはガルダン陛下へいかの客ではあるが、派遣中の指揮命令権はおれにある。いいな?」

 四人を代表するように風師ふうしイレキュモスが「了解じゃ」と答えたが、ディリーヌは勿論もちろん、エティックもキゼアも黙ったままであった。

 が、ビンチャオもそれは想定内であったらしく、返答を強要することもなく、「明日は遅れるなよ」と捨て台詞ぜりふのように告げると去って行った。

 再びイレキュモスが結界を張り直すのを待ちかねたように、エティックが笑った。

「へっ! 小隊長から分隊長に格下かくさげになっても、やっぱり威張いばりたいんだな」

「そうかな?」

 疑問をていしたのは、キゼアである。

「何かと仕切しきりたい人物ではあるようだけど、降格こうかくみずから口にしたのは、別の理由のような気がするけど」

「別の理由とは?」

 いたのはエティックではなく、ディリーヌであった。

 それに答えたのもキゼアではなく、イレキュモスであった。

おそらく、わしらが大人しく渡航とこうする気があるのか、そこを確かめたかったんじゃろう。あやつにとっては、これが最後の名誉挽回めいよばんかいの機会じゃからな。この使命を見事に果たせば小隊長に復帰、いや、それ以上の昇進が約束されておるじゃろう。またそうなれば、用済ようずみのわしらをおうが焼いて喰おうが、あやつの望み次第しだいさね」

 ディリーヌは鼻で笑った。

「向こうへ渡ればこちらのもの。現地を知らぬ人間が、無事に帰れる保証などない。まあ、好機こうきのがさぬよう、航海中は大人しくしてやるさ」

 ディリーヌの話を聞いていたエティックの表情が、珍しく曇った。

「ブルシモン先生、大丈夫かな?」


 その頃、キゼアたちが乗っていた運搬船オルジボセ号はようやく航程のなかばを過ぎたところであったが、一日遅れて出発したブルシモンらが乗ったフェケルノ帝国の艦船はさすがに船足ふなあしが速く、すでに北大陸の陸影りくえいが見える位置まで進んでいた。

なつかしいでしょう?」

 船縁ふなべりから夜の海面をながめていたブルシモンは、苦笑しながら振り返った。

「言ったろう? おれは五歳の時に南大陸へ渡ったから、北大陸の記憶はほとんどないとな」

 ブルシモンの返事など別に気にするふうもなく、声を掛けたカランはれぼったい目を細めて北大陸のかすかな稜線りょうせんながめている。

「あなたはまだいいですよ。多少なりとも北大陸に親近感があるでしょうから。申し訳ないですが、わたしはいまだに疎外感そがいかんぬぐえません」

 ブルシモンは、岩のような顔に皮肉なみを浮かべた。

「それは北大陸のせいじゃなくて、おまえが部下にしたわれてないからだろう?」

 言い返そうとしたカランは、大きく吐息といきした。

おっしゃるとおりです。警邏庁けいらちょうから出向している者たちはともかく、帝国軍の兵士たちは皆、わたしをめ切っています」

 ブルシモンはとぼけたように両方の眉を上げた。

「ほう? おれも指導教官になる前は帝国軍の軍人だったが、そこまで綱紀こうきゆるんでなかったと思うが」

 カランはそれとなく周囲を見回し、近くに誰もいないことを確かめると、声をひそめた。

「あなたも見たでしょう? あのおさない皇帝のいけ好かない態度と、それにおもねるゾロン元帥げんすいの様子を。あれを間近まぢかに見て士気しきが上がると思いますか?」

 ブルシモンは赤ん坊の頭ほどもある両肩を、器用にすくめた。

「まあな。だが、それだけではあるまい。そもそも、管轄かんかつ違いの宰相さいしょうが軍を動かし、海外派兵するなど、国政が正常ならありん話さ」

 カランはなやましそうに寝癖ねぐせのついたままの自分の髪に、両手の指を突っ込んだ。

「そこなんですよねえ。わたしも、最初は傭兵ようへい部隊を編成するものと思っていました。おそらく、宰相の目論見もくろみもそうだったと思います。だからこそ、畑違いのわたしを隊長に選んだはずです。これはうわさですが……」

 カランは再度左右を確認し、一層小さな声で告げた。

「派遣軍の主体を帝国軍兵士にするよう皇帝に進言したのは、ゾロン元帥だそうです」

「おかしいじゃないか!」

 思わず声が大きくなったブルシモンに、カランは顔をしかめて「静かにしてください!」と押し殺した声でささやいた。

「おかしいのはわかっています。それをこれから説明しますから、決して大声を出さないように。いいですね?」

 ブルシモンも声を低め「わかってる」とうなずいた。

 カランは、らしくもないめ息をいてから、話し始めた。


 ……これからお話しするのは、あくまでもわたしの推測です。

 証拠となるようなものは、今のところ何もありません。

 宰相を嫌悪けんおしている元帥が態々わざわざ自分の配下の兵士を派遣軍に入れる目的は、一つには諜報ちょうほうでしょう。

 敵対する相手を調べるのは、軍略ぐんりゃくの基本ですからね。

 が、それなら数名の兵士を、傭兵といつわってもぐり込ませればいいだけのことです。

 あたかも派遣軍を乗っ取るような規模にしたのは、別の意図いとがあるはずです。

 それをずっと考えていたのですが、先程さきほどフッと思いついたことがあります。

 もしかすると元帥は、古代ツェウィナ人の秘宝について何か知っているんじゃないのか、と。

 ええ、ええ、言われなくともわかっていますよ、元帥がずっと冷笑れいしょうしていたことは。

 ですが、それがあからさま過ぎて、逆にあやしい気がして来たのです。

 わたしが変だなと思った切っ掛けは、あの出発前の会議です。

 宰相から見せられた手鏡には、正直わたしも驚き、これは本当の話かもしれないとはじめて合点がてんが行ったのですが、あの時の元帥の様子を思い返してみてください。

 まったく平然としていたでしょう?

 それだけではなく、皇帝の様子をうかがっていて、興味を示さないことにホッとした顔をして、すぐに別室に連れて行きましたよね。

 元帥が、いえ、ゾロンという人物が腹黒はらぐろいことは、宮廷で知らぬ者はおりません。

 皇帝家の縁者えんじゃというだけでは、あの地位までのぼめることはできないですからね。

 今だって、皇帝の忠実なじいやを演じていますが、腹の中で何を考えているのか、わかったものじゃありません。

 ひょっとすると、皇位をねらっているかもしれませんよ。

 あの人だって、皇位継承権者の末席に連なっていますから。

 ほう、わらいましたね?

 ありないと思っているのでしょうが、今の皇帝だって本当は……


 さすがにしゃべり過ぎたと思ったのか、カランは自分の口を押えたが、逆にブルシモンが話を引きいだ。

「神君アクティヌス帝の実子じっしじゃないという風説ふうせつなら、おれだって聞いたことがあるさ。何しろ、アクティヌスの数十人の妻妾さいしょうのうち、子をしたのがキルゲリの母一人で、しかも、アクティヌスが七十歳の時に生まれた子だからな。誰だってあやしむさ。まあ、本気で実子と信じていたのは、アクティヌス本人だけだったんじゃないかな。が、たとえそうだとしても、神君の遺言ゆいごんなら誰も逆らえん。アクティヌスもキルゲリの生母せいぼも死んだ今となっちゃ、確かめようもないしな」

 カランはこれ以上話を続けるのは危険と思ったのか、わざとらしく咳払せきばらいをすると、切り口上こうじょうに告げた。

「さあさあ、あなたも早く休んでください。夜風は体に毒ですよ。明日には北大陸に上陸できるでしょうから、英気えいきやしなっておいてくださいな」


 翌朝。

 そのブルシモンを追いかけるように、ディリーヌたちを乗せた船がヤンルー連合王国の港から出航しゅっこうした。

 乗客はディリーヌ、イレキュモス、キゼア、エティックの四人と、ビンチャオらヤンルー軍六人の十名である。

 密航していたオルジボセ号より船体が随分ずいぶん小さく、それだけ大きく波にれる。

 また、海運国であるフェケルノ帝国と違い、良港りょうこうにも恵まれず、出航するなり荒波にまれた。

「船酔いは大丈夫か、キゼア?」

 与えられた船室でディリーヌが気遣きづかうと、キゼアは意外にも元気そうな声で「大丈夫です」と答えた。

「実は、風師から良い薬をいただいたんです」

 ディリーヌが視線を走らせると、イレキュモスが片目をつむって舌を出している。

 恐らくは偽薬ぎやくであろう。

 無論、それを教えては暗示の効果がなくなるから、ディリーヌは「それは良かった」とだけ評した。

「ところで、エティックの姿が見えんが?」

 キゼアも知らなかったらしく、「さあ」と首をかしげると、イレキュモスが笑いながら教えてくれた。

「あやつめ、ビンチャオらが悪さをせぬように見張りに立つと言うておったが、別のことに興味を持ったようじゃ」

「別のこと?」

 聞いたのはキゼアの方である。

「ああ。この船にはわしらとヤンルーの軍人以外にぎ手がおるじゃろ。乗客と同じ十名じゃ。まあ、言い方は悪いが、船奴せんどさね。無風の時にしおに流されぬよう、船体の横に開いた穴からかいを突き出し、必死でぐんじゃ。大方おおかたは、ヤンルーに征服された小国の軍人たちよ。逃げたり暴れたりせぬよう、可哀想かわいそうくさりつながれておる。エティックめ、同情半分、好奇心半分で船奴たちに話しかけておるのさ」

 と、そのエティックが憤然ふんぜんとした顔で戻って来た。

「ったく、話になんねえよ!」

 船室に残っていた三人を代表するように、キゼアが聞いた。

「どうしたの?」

 エティックは鼻を鳴らした。

「あいつら全然覇気はきがねえのさ。おいらが何を話しかけても、ああ、とか、うう、とかしか言わねえし。みんなそれなりにゴツい体してるから、味方に付いてくれれば、いざ、って時に仲間にできるかと思ったけど、あれじゃ駄目だめだな」

「そうめるな」

 たしなめたのは、ディリーヌである。

「ヤンルーの苛烈王かれつおうガルダンは、基本的に敵の投降とうこうを認めず、殺すか奴隷に落とすと聞いている。奴隷にされた者たちは、皆去勢きょせいされるそうだ」

 エティックは、間違って苦いものを口に入れたような顔になった。

「ひでえな。それじゃ覇気もくすか。けど、余計にうらみもつのるんじゃねえか?」

 それには、イレキュモスが答えた。

「当然、そうであろう。が、少しでも反抗的な素振そぶりを見せれば、すぐに殺される。ガルダン王に限らず、ヤンルーという国は、殺すか殺されるかの世界じゃからな。わしらも精々せいぜい用心して、無事に北大陸へ渡ろうぞ。向こうへ着けば、逃げだす手立てはきっとあるじゃろう」


 同じ頃。

 先行するフェケルノ帝国の軍船は、北大陸の港に入ろうとしていた。

 この港は元々、交易のためにフェケルノ帝国側がつくったもので、大型船を横付けできる桟橋さんばしもある。

「ついに来ましたね」

 心細こころぼそそうに言うカランに、ブルシモンは苦笑した。

「おいおい。隊長がそんなに弱気でどうする。兵士たちが動揺どうよう……」

 ブルシモンの言葉は、見張り役の兵士の叫び声にき消された。

敵襲てきしゅう! 敵襲! およそ二十騎の蛮族が迫って来ます!」

 ブルシモンは舌打ちした。

「敵とは限らんだろうに。それに、蛮族という言い方はよろしくないな。いたずら反撥はんぱつを買うだけだ」

 が、となりに立っているカランが、ブルシモンの背中を平手ひらてたたいた。

「何を暢気のんきなことを言ってるんです! 御覧ごらんなさい! 全員矢をつがえていますよ!」

 カランの言ったとおり、二十騎の原住民たちは騎射きしゃの構えを取っており、桟橋の手前から一斉いっせい射掛いかけて来た。

 あせったカランが「早く応戦しましょう」と振り向いた時には、矢を構えた兵士たちが船縁から身を乗り出すように並んでおり、隊長たるカランの命令も待たず、応射おうしゃし始めた。

 一瞬不快そうに顔をしかめたカランも、それどころではないと判断したらしく、事後承諾じごしょうだくながら大声で命じた。

「矢をはなてーっ!」

 ブルシモンは失笑しっしょうしてしまったが、その顔を見られぬよう、改めて敵の動きを目で追った。

「ほう。こちらの射程内に入らぬように反転して行くな。まあ、それはそうか。こちらの方が位置も高く、人数も多い。真面まともに弓矢を打ち合えば、向こうが不利に決まっている。と、すると、目的は何だ? 単なる挑発ちょうはつなのか?」

 ブルシモンの疑問に答えるように、敵の騎兵たちの後ろから、輿こしかつがれた白髪の老人と、ブルシモンにも引けを取らない立派な体格をした銀髪の壮年の男があらわれた。

 こちらの射程にギリギリまで近づくと、壮年の方が良く通る声で告げた。

く去れ、フェケルノの者たちよ! ここはおまえたちの来るべきところにあらず! 神聖なるわれらの領土をおかすなら、たちまちにして神のいかりのいかづちくだり、おまえたちを焼きくすであろう! さあ、大人しく帰れ!」

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