第16章 異国の客

 これほど無茶むちゃな試合もないであろう。

 ガルダン王の面前で向き合った二人の体格差は、まさに大人と子供であった。

 しかも、得物えものは共に木剣ぼっけん一本。

 ビンチャオはよろいぎ、下帯したおびのみの姿。

 ディリーヌも、貫頭衣かんとういでは動きづらいため、急遽きゅうきょ用意された木綿もめん胴衣どうぎ洋袴ズボンを身にけている。

 ガルダン王は、自分には床几しょうぎを持って来させて座ったが、イレキュモス、キゼア、エティックの三人は立ち見である。

 もっとも、三人には座って観戦するような気持のゆとりはなく、この絶望的なたたかいを黙って見守るしかない。

 その六人を遠巻きにして、およそ三十人ほどの衛兵えいへい十文字槍じゅうもんじやりを立てて取り囲んでいる。

 逃がさない用心であろうが、風師イレキュモスのように浮身ふしんできる人間には無意味だから、あくまでも闘っている二人のためのものであろう。

 その証拠に、ガルダン王の試合開始の合図は「逃げた者は殺す。始めよ!」であった。

 が、合図が聞こえなかったかのように二人とも動かない。

 それどころか、互いに片手で軽くにぎった木剣を構えようとすらせず、試合開始前と変わらぬ姿勢で立っている。

 そのままふたりとも試合を放棄ほうきするのではないかと思われた時、緊張に耐えかねたエティックが軽く咳払せきばらいをした。

 ホンの一瞬、いや、またたきするもないほどのわずかの時間、ビンチャオのがそちらへ動いた。

 と、はじかれたようにディリーヌが飛び出し、木剣と一体となったかのように一直線にビンチャオに駆け寄ると、相手が振り上げようとした木剣をみ台にしてポーンと跳躍ちょうやくした。

 するどい突きがビンチャオの顔面に、いや、鼻孔びこうと唇のあいだの一点に、吸い込まれるように当たった。

「!」

 ビンチャオの眉のない切れ長の目が、その見えない一点を見ようとするかのような寄り目となってからクルリと裏返うらがえり、ポロリと木剣を落とすと、切り倒された大木のように後方に倒れた。

 知らずに切っ掛けを作ったエティックが「や、やったぜ!」と歓声を上げたが、すぐにガルダン王の「ここからが、勝負だな」というつぶやきが聞こえて来た。

 ハッとしてエティックが見ると、倒れたビンチャオに馬乗りになっていたディリーヌが両腕をガッとつかまれていた。

 が、ビンチャオは白眼しろめいたままであり、気絶していながら体が勝手に反応しているようだ。

 もっともその膂力りょりょくすさまじく、普段ふだん滅多めったに顔色を変えることのないディリーヌが、苦悶くもんの表情で身をよじっている。

 握っている木剣で、何とかビンチャオの顔面をたたこうとしていたが、つい力尽ちからつき、ディリーヌの手からも木剣が落ちた。

「助けましょう!」

 そう言って飛び出そうとしたのはエティックではなくキゼアの方であったが、イレキュモスが「駄目だめじゃ」とめた。

「魔道で手助けなどすれば、全員殺される。ディリーヌに任せるんじゃ」

 イレキュモスが指摘するように、取り囲んでいる衛兵たちが一斉いっせいに十文字槍を水平に構え直し、一歩進んで輪を縮めて来た。

 そのかんもビンチャオの手からのがれられずにいたディリーヌだったが、不意ふいに上半身を倒すと、ビンチャオのあごに頭突きをらわせた。

 ゴン、ゴンと鈍い音が数度響くと、ようやくビンチャオの手がダラリと下がって離れた。

 今度こそ完全に昏倒こんとうしたビンチャオの顎から盛大に血が飛沫しぶき、ディリーヌが大きく息をいて顔を上げると、返り血で真っ赤にまっていた。

 その凄惨せいさんな顔で呆然ぼうぜんとビンチャオを見ていたが、もう襲って来ないと確信できたのか、立ち上がって相手から離れ、片膝かたひざを地面にいてゆっくり頭を下げた。

 パチ、パチ、パチというかわいた拍手と共に、ガルダン王は「見事なり」と評した。

「こののちイレキュモスと二人だけで話すつもりであったが、気が変わった。ディリーヌ、身支度みじたくを整えてから、そちも加われ。うむ。何なら、子供二人も一緒でよい。それから」

 ガルダン王は倒れたままのビンチャオをにらんだ。

「そこでだらしなく伸びておるおろか者は、本来なら斬首ざんしゅだが、まだ使いみちがあるゆえ生かしておく。衛兵! この阿呆あほうを連れて行け!」


 ディリーヌが血をき取って着替えをませるのを待って、四人は王宮の応接間へ通された。

 さすがに尚武しょうぶ国是こくぜとする国だけあって余計なかざりなどはなく、椅子の座り心地ごこちも快適とは言いがたい。

 が、キゼアもエティックもそれどころではなく、ディリーヌですら緊張の面持おももちでガルダン王を待った。

 一人平然としているのはイレキュモスだけであり、薄く微笑ほほえみさえ浮かべている。

 と、警護役すら連れずに、フラリとガルダン王が入って来た。

 正面の一際ひときわ大きな椅子にドカリと腰をろすと、見るだに酷薄こくはくそうな顔をわずかにほころばせた。

「待たせたな。こう見えて、一人で国政を総攬そうらんしておるので、何かと忙しい。早速本題に入ろう……」


 ……余は代々の王家の生まれで、物心ものごころがついた時には王となることが約束されていた。

 勿論もちろん兄弟は多かったのだが、余が王として即位する際、全員殺した。

 それがヤンルー王家のしきたりでな。

 それはまあ、ともかく。

 わが国が位置する南大陸東北部は古来より小国が乱立しており、なかなか統一はされて来なかった。

 自慢するわけではないが、余は一代で周辺の七王国を攻めほろぼし、南大陸東北部全体を連合王国として統治している。

 フェケルノのごとく帝国としなかったのは、余の子孫を残すためだ。

 王位にいた者のみを生かし、兄弟を抹殺まっさつするというヤンルー王家のしきたりまでは変えられんが、各王国の連合とすれば良いからな。

 実際、本国ヤンルーを含む八王国には余の八人の王子を余の代理として置いており、いずれは各国の王としてる程度の自治を認めてやろうと思っていた。

 ところが一昨年、九番目の末子まっしガルディーノが生まれた。

 余はガルディーノには領地を与えず、臣籍しんせきに落とそうと考えていた。

 そうしなければ、殺さざるをんからな。

 ところが、ガルディーノの生母せいぼとその一族から、歎願たんがんがあったのだ。

 小さくても良いから、一国の王にして欲しいとな。

 そこから余の新たな戦いが始まった。

 おまえたちも知っているように、国境を接するフェケルノ帝国のクレル州へ侵攻を開始した。

 なかなかの難事業ではあるが、秘策がある。

 まあ、秘策といっても、今となっては公然の秘密だが、フェケルノ帝国の西のシーグ酋長国連邦と攻守同盟を締結ていけつしたのだ。

 向こうは西からウダグス州へ、こちらは東からクレル州へ同時に攻め込もうということで、あとはもう、その日程をめるだけになっていた。

 ちなみに南のギャゴス大公国にも声を掛けたが、ていよく断られた。

 まあ、これは想定内だがな。

 ところがここへ来て、想定外の動きがあった。

 フェケルノ帝国が小隊規模の部隊を、北大陸に派遣するというのだ。

 キルゲリめがいよいよ観念して、北大陸へ逃げる算段をするのかと思いきや、何と、あの古代ツェウィナ人の秘宝を探させるため、というではないか。

 最初、余は腹をかかえて笑ったよ。

 ついにあのひねくれ小僧こぞうも、帝国を支える重圧にえきれず、狂ってしまったのだろう、とな。

 が、調べるうちに、これはどうも只事ただごとではないとわかった。

 どうやら、北大陸で何らかの核心的な証拠を発見したらしく、それに関わっているのが、悪名高い密告結社けっしゃおさフェティヌール侯爵こうしゃくだというのだ。

 話は変わるが、余はこう見えても臆病おくびょうでな。

 予測可能な危険は、決して放置しない。

 そうでなければ、このヤンルーで生き残ることなどできん。

 そこで、フェケルノ帝国に対抗すべく、こちらも北大陸へ人をやることにしたのだ。

 ところがヤンルー本国は内陸国であり、支配下の七王国のうち海に面している三か国はいずれも弱小で、早い話、百名を乗せるような大きな船がない。

 元々海賊であったシーグ酋長国連邦へ支援を頼もうかとも考えたが、そこまでの信頼関係にはない。

 よって、わが国が所有している小型船に乗せられる十名を限度に、少数精鋭の部隊を送る準備を進めて来たのだ。

 しかし、フェケルノ帝国の部隊の目をくぐり、必要な情報を入手して、あわよくば秘宝を横取りするためには、どうしても魔道師が必要となる。

 知ってのとおり、わが国にはほとんど魔道師がおらず、いても役立たずばかりだ。

 そこで、現在侵攻中のクレル州で隠棲いんせいしている伝説の魔道師イレキュモスに目を付けたのだ。

 勿論もちろんそれなりの報酬は用意してあるし、見事秘宝を手に入れたら、わが国の国師としてぐうするつもりだ。

 ただし、拒否すれば、この場で殺す……


 そう告げてガルダン王が手をたたくと、先程さきほど中庭にいた衛兵のうち数名が、十文字槍を手にして入って来た。

 が、イレキュモスはフッと笑いながらうなずいた。

おどさずとも、ここへ連れて来られた時点で覚悟は決めておる。それに、古代ツェウィナ人の秘宝については、実はわしも昔から興味を持っておった。しかし、一つ条件がある」

 反射的に衛兵たちが十文字槍を水平に構えなおしたが、ガルダン王が軽く手を振ると、槍を立てて元の待機姿勢に戻った。

「余の命令に条件を付けるなど、前代未聞ぜんだいみもんだな。まあ、今回は特別に許すが、二度目はその言葉を言い終える前に首をねるぞ。で、条件とは何だ?」

 白髪白髯はくはつはくぜん好々爺こうこうやと見えていたイレキュモスの両目が、炯々けいけいと光った。

「北大陸へ渡る船に、連れの三人も乗せて欲しい。これは決して悪い条件ではないと思うが?」

 イレキュモス以上の眼光がんこうにらみ返したガルダン王も、不意ふいほほゆるめた。

「良かろう。ディリーヌの実力は最前さいぜん見せてもらったし、二人の子供もいい面構つらがまえをしている。察するところ、赤毛がイレキュモスの魔道の弟子、色黒がディリーヌの剣の弟子、というところであろう。が、当然のことながら、自分で自分の身をまもることが前提だぞ。同行させるビンチャオにも、そのことは言い聞かせておく」

 これにはエティックが黙っていられず、「何だって!」と叫んでしまった。

「あの眉なし大男と一緒かよ! そんな……」

 ガルダン王と目が合ってしまったエティックはそれ以上しゃべれなくなり、珍しく気弱きよわげに目をせた。

 むしろ思わぬ展開に昂奮気味こうふんぎみのキゼアが、直接王にたずねた。

「出発はいつですか?」

 ガルダン王は何故なぜかそのキゼアの顔をジッと見つめ、「どこかで見た顔だが……」と首をかしげた。

「まあ、よい。出発は明日だ。なるべく早い方がいいからな。今夜は王宮の近くに泊まらせてやるから、ゆっくり休め。明日、日の出と共に馬車を出し、港に到着次第しだい、出航させる。くわしいことはビンチャオに聞け。以上だ!」


 質素しっそな夕食がきょうされたあと、四人には兵士宿舎しゅくしゃの大部屋が一室が与えられ、寝台を並べて寝ることになった。

 イレキュモスが結界を張ると、すぐにエティックが不安を口にした。

「予定どおり北大陸へ渡れることになったのは有難ありがてえが、あの眉なしが船長じゃ、下手へたすりゃ途中で海にほうり込まれるぜ」

 すると、キゼアが首を振った。

「いや、それはないと思う。この国では、ガルダン王の言葉は絶対だ。見るからに忠臣のビンチャオが、そんな勝手なことをするはずがないよ」

 ディリーヌも笑って同意した。

「そうだな。が、ガルダン王の気が変われば話は別だ。今回の使命が失敗でもすれば、真っ先にわたしはきにされるだろう」

「その使命のことじゃが……」

 イレキュモスは改めて周囲を見回した。

「うむ、大丈夫じゃろう。自慢ではないが、この国にわし以上の力を持った魔道師はおらんはずじゃからな。ともかく、おまえたちの知り合いがフェケルノ帝国の派遣部隊におることは、絶対に知られてはいかん。疑わしいというだけで、あのビンチャオがおまえたちを殺す口実こうじつにするわい。それから、向こうへいたら、なるべく一人にならぬようにな。キゼアのいうようにビンチャオは忠臣かもしれぬが、殺した後で遺体を始末されたら、何とでも言い訳はできるからのう。何しろ北大陸には蛮族がいて……おっと、すまん」

 イレキュモスはディリーヌに向かって頭を下げたが、ディリーヌは笑顔のまま首を振った。

「構わん。わたしも南大陸に来てから散々さんざんそんなことを言われたが、結局、生活習慣の違いは、両方を体験した者にしかわからん。風師も現地で見れば……」

 と、イレキュモスが「待て」と片手をげてさえぎり、部屋のとびらの方へ声を掛けた。

「どなたじゃな? そろそろ寝ようとしておったのじゃが?」

 それには答えぬまま、乱暴に扉が開かれ、誰か入って来た。

「まだ寝るには早いだろう。おまえたちと少し話がしたくてな」

 そう告げてニヤリと笑ったのは、今話題に出たばかりのビンチャオであった。

 鼻の下と顎に傷があり、紫色にれ上がっていた。

 その眉のない鋭い目が、刺すようにディリーヌを見ている。

「特にそこの女剣士さまとは、じっくり寝物語ねものがたりでもさせてもらおうと思っているのさ」

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