第15章 覇道の王

 風師ふうしイレキュモスに食事をきょうされ、ようやく人心地ひとごこちがついたキゼア、エティック、ディリーヌの三人であったが、突如とつじょ聞こえて来たヤンルー連合王国軍のときの声に、全員で座所ざしょを飛び出した。

 が、普段強がるエティックでさえ言葉を失うほど、敵は多かった。

「……こ、こりゃあ、一個小隊いっこしょうたいぐれえは、いるな」

 フェケルノ帝国の基準では、分隊が十名、小隊が百名、中隊が千名、大隊が一万名という目安めやすである。

 しかも、ヤンルー連合王国軍の特徴として騎兵の割合が高く、騎射きしゃを得意としている。

 今しも、多数の弓につがえた矢が、こちらをねらっていた。

隠形おんぎょうして逃げましょう!」

 そのキゼアの提案を、最初に逃げようと言い出したイレキュモスでさえ「無理じゃな」とあきらめたように首を振った。

「隠形した直後に一斉いっせい射掛いかけられれば、たとえ見えずとも全員串刺くしざしになる。また、一気に垂直に浮身ふしんしたとて、矢の数が多すぎてけ切れぬ。万事休ばんじきゅうしたわい」

 が、ディリーヌだけは冷静に敵を観察し、「妙だな」と首をひねった。

「どう見てもこの座所だけを包囲しているようだが、如何いかに風師の魔道をもってしても、百名近い騎馬小隊と互角ごかくに戦えるはずもない。胡桃くるみを割るのに大鉈おおなたを振りかざすようなもの……ああ、これは失礼なことを」

 ディリーヌの言葉にかえって落ち着きを取り戻し、イレキュモスは苦笑した。

「いや、それが事実じゃ。ふむ。すると目的は何であろう?」

「あっ、誰か来ます!」

 キゼアの声に皆がそちらを見ると、人馬じんばの海がサーッと二つに割れるように道ができ、騎乗した武将が姿をあらわした。

 全体的に大柄おおがらなヤンルー人の中でも、一際ひときわ恵まれた体格をしており、ブルシモンを二回ふたまわり大きくしたような偉丈夫いじょうふであった。

 こちらをめているのか、かぶとなどはかぶっておらず、長いげ茶色の髪を無造作むぞうさに後ろにらし、ヤンルー人特有のノッペリとした顔をさらしている。

 ひげはおろかまゆ綺麗きれいり上げており、鋭い目つきも相俟あいまって、思わず目をらしたくなるような面構つらがまえである。

 その顔に精一杯せいいっぱい愛想笑あいそわらいのようなものを浮かべると、おもむろに口をひらいた。

「驚かせてすまぬ。われはヤンルー連合王国軍小隊長のビンチャオという者だ。風師イレキュモス先生に用があって参った。社交辞令しゃこうじれい苦手にがてゆえ単刀直入たんとうちょくにゅうに申し上げる。わが主君ガルダン王陛下へいかより、先生をわが国の賓客ひんきゃくとしてむかえたいとのご下命かめいたまわっておる。すみやかにご支度したく願いたい」

 ビンチャオが話している間も、弓を構えている兵士たちは全員、矢をげようとはしない。

 相手の言葉をゆっくり咀嚼そしゃくするように小さな声で反復すると、イレキュモスは苦笑しつつこたえた。

「察するに、わしの意思は聞いてもらえぬらしいの」

 ビンチャオの笑顔がこわいものに変わった。

「わが主君は常々つねづねに同じ事を二度言わせる者には死を与えよ、と申されておる。われもまだ死にたくはない」

 イレキュモスは大きく息をくと、「わかった」とうなずいた。

「が、見てのとおりわしは一人ではない。弟子が三人おる。この三人も同行させて良いな?」

 エティックが文句を言おうとしてひらきかけた口を、ディリーヌが素早すばやく手でふさぎ、耳元でささやいた。

「死にたくなかったら、ここはイレキュモスどのに任せよ」

 ビンチャオの方は値踏みするように後ろの三人を見ていたが、馬鹿ばかにしたように鼻でわらった。

「とても弟子には見えんな。ご老体に似合にあわず、愛人や稚児ちごかこっておられるらしい。さすがにフェケルノは風紀が紊乱びんらんしておるわい。まあ、良かろう。そのわり、と言っては何だが、向こうで落ち着いたら、その金髪碧眼きんぱつへきがんの女は一度われにも抱かせてもらいたいものだな」

 イレキュモスは平然と「おお、いいじゃろう」と返事をしたが、振り返ると三人に目配めくばせしながら、「おまえたちも、ビンチャオどののご温情に感謝するんじゃぞ」と告げた。

 顔色を変えて暴れようとするエティックを力でおさえ込み、ディリーヌは微笑ほほえみすら浮かべて「はい、ありがとうございます」と頭を下げた。

 キゼアはくやしそうに唇をんでいたが、それを見られぬよう、急いで自分もおもてせた。


 客として迎えると言いながら、結局最後まで狙っている矢が下げられることもなく、四人は用意されていた馬車に乗せられた。

 客室部分に窓はなく、明らかに囚人しゅうじん護送ごそう用である。

「なんでえ、このあつかいは! これじゃまるで……」

 さらに不平を並べようとするエティックをイレキュモスは片手で制し、「しばし待て」と告げると、周囲の壁に向かって何か呪文をとなえた。

「……まあ、こんなもんじゃろ。簡易的に結界を張ったから、余程よほどの大声でなければ外へは聞こえぬ。自由にしゃべって良いぞ」

 話の腰を折られたエティックが「何て言おうとしたのか忘れちまったよ」とほほふくらませる横で、キゼアが「すみません」とイレキュモスにびた。

「風師お一人なら逃げられたでしょうに、ぼくらを助けるためにこのような仕儀しぎに」

 が、イレキュモスは意外にサバサバした口調くちょうで「気にむことはない」となぐさめた。

「おまえは、わし一人なら何とかなったろうと言うが、如何いかなわしでも、いきなり百名に包囲されてはどうにもならん。向こうも、逃げられるくらいなら殺せと命じられておろうしな」

 と、ディリーヌが首をかしげた。

「どうであろう? 失礼ついでに言わせてもらえば、ご自身でも申されたとおり、風師はわば世捨てびと。フェケルノ帝国の政治にも軍事にもかかわってはおられぬ。よって、この規模の軍勢を動かして風師一人を殺しても、まったく間尺ましゃくに合わぬ」

 イレキュモスは自嘲じちょうするように「それはまた失礼すぎるじゃろ」と笑った。

「が、わしを殺すことに意味がないのなら、生かして連れて帰る目的は何じゃと思う? まさか、ガルダン王の夜伽よとぎではあるまい?」

 キゼアが「ああ、もしかしたら……」と自分の考えを述べた。


 ……元々ヤンルー連合王国は尚武しょうぶの気風が強く、魔道は卑怯ひきょうわざ見做みなされているそうです。

 従って魔道師はほとんどおらず、いても、路地裏ろじうらの占い師程度です。

 そのヤンルーで、何らかの事情で急に魔道師が必要になったのだと思います。

 ところが、大勢おおぜいの魔道師がいるフェケルノは敵国で、しかもその大部分は皇立おうりつ魔道学校の卒業生であり、皇帝への忠誠心をたたき込まれています。

 皇立魔道学校に属さない魔道師もいるにはいますが、能力的に然程さほど高くないか、邪道や外道げどうおちいったりしている者が多いと聞いています。

 そうした中にあって、風師は皇立魔道学校の出身ながら学校とはたもとかっており、しかもその能力は比類ひるいありません。

 エティックが言うとおり現在の扱いはひどいものですが、絶対に逃がしたくないから、ということでしょう。

 ぼくの知る限り、風師に匹敵しる魔道師は、現在消息不明の炎師えんしルフタルさまぐらいでしょう……


 キゼアがルフタルの名を出した途端とたん、イレキュモスは不快そうに顔をしかめた。

「あんな裏切り者と同列にせんでくれ。あやつのせいで……おっと、すまん。これは個人的な感情じゃ。ふむ。まあ、ともかく、そうであれば、わしはすぐに殺されぬとして、問題はおまえたちじゃ。あのビンチャオという眉なし男に限らず、ディリーヌを狙う者は多かろう。いや、ガルダン王に見初みそめられる可能性もある。そうなる前に、何とか逃げた方が良いぞ」

 ディリーヌは笑顔のまま「意にまぬ男に抱かれるくらいなら」と言いながら、こぶしにぎめた。

「玉をつぶしてやる」

 それを聞いたエティックが「おっかねえ」と股間を押さえたため、その場の全員が笑った。


 イレキュモスの座所のあったクレル州のはずれからヤンルー連合王国の王都カコロンまで、通常はおよそ七日の道程みちのりであるが、ビンチャオは強行軍で、六日目の朝には到着させると宣言した。

 途中、野営する際にも監視は厳重で、食事中は勿論もちろん排泄はいせつ時にさえ必ず見張りが付いた。

 さすがにディリーヌには掩蔽えんぺい用の布が渡されたが、顔は見えるようにしなければならなかった。

 が、案外に本人は平気なようで、「人間としてずべきことはほかにある」と笑っていた。

 むしろキゼアやエティックの方が気を使い、逆の見張りに立った。

「ディリーヌの姉ちゃんのあられもねえ姿をのぞこうとするやつがいたら、おいらたちがらしめてやるぜ」

 エティックは張り切ったが、最初に小隊長のビンチャオが色目を使ったためか、兵士たちはえてディリーヌの方を見ようともしなかった。

 余程よほどビンチャオをおそれているのだろう。

 そのため途中で逃げる機会などなく、王宮内で警戒がゆるむのを待とういうことにせざるを得なかった。

 そして六日目の早朝、ビンチャオの声が響き渡ったのである。

「ビンチャオ小隊、只今ただいま帰参きさんした! 開門かいもんせよ!」

 馬車の客室の中でも、それに応ずる声と門が開く音が聞こえた。

「いよいよだな」

 そう言うエティックの声は少し震えている。

 意外にも、キゼアは落ち着いていた。

「魔道師が少ない、ということは、ぼくらの方に有利ですよね、風師?」

 が、イレキュモスはしぶい顔をした。

「わからん。何しろ、相手はあの苛烈王かれつおうと呼ばれるガルダンじゃ。ともかく、目的がハッキリわかるまでは、大人しくしておいてくれよ」


 門を通り抜けてからも馬車は奥へ奥へと進み、途中、大部分の兵士たちともかれ、ビンチャオを含む数名に警護されつつ、さらに進んだ。

「随分でっけえ王宮みてえだな」

 エティックが感心したように言うと、キゼアは笑って「広さはね」とうなずいた。

「帝都ヒロールの市街地のど真ん中にある皇帝宮こうていきゅうと違って、王都カコロンの王宮はゆるい傾斜の丘の上部をけずって造られているらしい。つまり、そのまま籠城ろうじょうして戦えるようになってるのさ。もっとも、わが帝国には飛竜ひりゅう部隊がいるから、いざとなれば空から攻撃できるけどね」

「そっか。じゃあ、おいらが飛竜部隊に入ったら、この国もおしめえだな」

 エティックが威勢いせいのいいことを言うのは、おびえの裏返しだったようで、馬車が止まると同時にビクッと体が震えた。

 後方のとびらが左右にひらかれ、ビンチャオが眉のない顔を見せた。

「さあ、りるんだ!」

 うながされるままに、イレキュモス、キゼア、ディリーヌ、エティックの順に外へ出た。

 そこは中庭のような場所で、前方に一人の男が見えた。

 男は半裸で木剣ぼっけんを持ち、こちらに背中を向けて素振すぶりのようなことをしているようだ。

 ビンチャオよりは小柄だが、見事に逆三角形をした背中の筋肉がおどるように躍動やくどうしている。

 長い茶色の髪は後頭部で一つにしばっており、馬の尻尾のようにれている。

 ビンチャオはその背中に向かって頭を下げつつ、良く通る声で言上ごんじょうした。

「風師イレキュモス先生をお連れいたしました! なお、弟子三名も同行しております!」

 それでもしばらくは素振りを続けていたが、不意ふいにそれをめると、何の予備動作もなく、木剣をこちらに向けて投じた。

 かなりの速さで飛んで来た木剣は、ビンチャオの横を通り過ぎ、真っ直ぐディリーヌの顔面に当たった。

 かと、思われたが、紙一重かみひとえのところでディリーヌは顔を傾けており、木剣はほほかすめるようにして地面に落ちていた。

「ほう」

 声を出したのは木剣を投じた男の方で、ディリーヌは静かに微笑ほほえんでいるだけだ。

 男はビンチャオよりは年配で、眉もちゃんとあったが、抜身ぬきみの剣のような物騒ぶっそうな顔をしている。

「面白い。かすかに殺気を感じたゆえ、自分でも意識せぬままに木剣を投げたが、こうも簡単にけられるとはな。名は?」

 ディリーヌは笑顔をくずさず、かといって頭も下げず、堂々と名乗った。

「女剣士ディリーヌと申します、ガルダン王陛下」

 ガルダンは笑顔を見せぬまま、ディリーヌから視線をらさずに「ビンチャオ!」と呼んだ。

 呼ばれたビンチャオは、まるで仔犬こいぬのように足下あしもとに駆け寄り、「申し訳ございませぬ、陛下!」とつくばった。

 ガルダンは片足を上げてビンチャオの後頭部をみつけながら、「おこってはおらん!」と怒鳴どなった。

「余の目の前で、この女子おなごと試合せよ。得物えものは木剣にて、どちらかが降参こうさんするか、気絶するか、あるいは死ぬまでだ。良いな?」

 ビンチャオは額を地面にり付けたまま、答えた。

御意ぎょいのままに!」

 その間も、ガルダンの猛禽類もうきんるいのような茶色の目は、ジッとディリーヌをにらんでいる。

「ディリーヌとやら。もしもビンチャオに一太刀ひとたちでもびせることができたら、余の家臣に取り立ててやってもよい。精々せいぜいはげめよ」

かしこまりました。わたしはそれで良いですが、風師や仲間の者は如何いかがなりましょう?」

「イレキュモスとは後で話す。そこの子供二人については、まあ、試合の結果次第しだいだな。子供たちを死なせたくなくば、おまえも死なぬことだ。では、支度したくせよ!」

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