第14章 異端の隠者

 海の妖魔を撃退してえてしまったキゼアは、再び眠りに落ちることもできず、それからほどもなく、ディリーヌが指摘した陸影りくえいからのぼる朝日に目を細めた。

 朝日に縁取ふちどられた稜線りょうせんは、切れ目なく左右に伸びている。

「少なくとも孤島ことうではないようだな」

 背後からディリーヌに声を掛けられても、キゼアは振り向こうともせずに「そうですね」と答えた。

 オルジボセ号から必死で逃亡している間は忘れていたディリーヌの裸体を、意識せずにはいられないらしい。

 それが可笑おかしいのか、ディリーヌは笑いを含んだ声で「気にするな」と告げた。

「裸を見られたとて、わたしは平気だ。が、少々肌寒はだざむいから、陸に上がったら何か着るものを探すとしよう。ところで、おぬしの方は見すぎだぞ、エティック」

 いつのにか目がめていたらしいエティックは、ディリーヌの後ろで「えへへ」と照れたように笑った。

「バレてたのか。まあ、あんたの裸を見てえのも確かだけど、その背中の刺青いれずみにも興味があんのさ。これって、地図だろ?」

 ディリーヌの笑顔が一瞬強張こわばったが、何かを思い切ったように大きく息をいた。

「まあ、かくしたところで始まらぬ。おぬしらには、もう何度も見られたからな。この刺青は、わたしが物心ついた頃にはすでに入れられていた。成長するにつれて多少図柄ずがらゆがんで来ていると思うが、地図であることは間違いあるまい。自分では見えぬが、一度、絵師に描き写してもらったことがあるのだ。が、どこの地図なのかは、わたしもわからぬ。わたしを育ててくれた老夫婦も知らなかった」

「育ててくれた?」

 そうたずねたのは、背中を向けたままのキゼアの方だ。

「ああ。わたしは捨て子であったらしい。結局、くわしい事情は教えてもらえぬままだった。わたしがおぬしたちの年頃になる前に、夫婦ともに死んでしまったからな。が、育ててもらった家を出るために荷物をまとめている際、遺言ゆいごんを見つけた。そこには、『八十一匹の妖魔を退治せし時、秘宝への道ひらけん』とあった。そのため、妖魔が多いとされる南大陸へ渡り、各地を放浪している。ブルシモンとは、その旅の途中で知り合い、意気投合したのだ」

「秘宝って、古代ツェウィナ人のかい?」

 今度はエティックが聞いた。

「わからん。が、北大陸で秘宝とえば、おそらくそうであろう。ただし、わたし自身は、秘宝そのものに大して興味はない。自分の素性すじょうが知りたいだけだ」

「おいらは秘宝に興味あるけどなあ。あっ。で、妖魔は何匹たおしたんだ?」

「ダンバの森の淫魔が三十三匹目。ケス神殿の神官が三十四匹目だ。道程みちのりは、まだまだ遠い」

「あっ、それなら」

 急に声を上げたのはキゼアで、その拍子ひょうしに朝日に照らされるディリーヌの裸体を目にしてしまい、あわてて目をそむけた。

「どうした、キゼア? 何か思い出したのか?」

「あ、はい。実は昨夜ゆうべ……」

 むこうを向いたまま、キゼアは昨晩の経験を語った。

 が、ディリーヌは妖魔をつ機会をのがしたことより、キゼアの成長をめた。

「でかしたぞ。発火の術は、魔道の中でも高度なものとされている。やはり、おぬしには才能があるのだな」

「そうでしょうか?」

 自信さげなキゼアの背中を、ディリーヌがパーンとたたいた。

しっかりしろ。わたしも良くは知らぬが、魔道は念ずる力にるそうではないか。もっと自分を信じた方がいい。まあ、実力もともなわぬのに、自惚うぬぼれだけ強いのも困るがな」

 この皮肉はすぐにピンと来たらしく、エティックが「はあ?」と声を大きくした。

「何でえ何でえ。おいらだって随分ずいぶん役に立ったと思うぜ。ってか、あんた、おいらにゃやたらと冷てえよな? オルジボセ号じゃ、見捨てようとしたし。なんかうらみでもあんのかよ?」

 ディリーヌは笑いを含んだ声で「あるとしたらどうする?」と聞き返した。

「まあ、それは冗談だが、ブルシモンから人を見て教育しろと言われているのだ。褒めて伸びる者と、厳しくした方が良い人間といるからな」

「ちぇっ。おいらだって、褒められたいよ……あっ、ありゃ、何だ?」

 同時にキゼアも気づいたようで、「こっちに向かって来ます!」と警告した。

 それは一見、風になび薄汚うすよごれた布のようなものであったが、そうではない証拠に、風に逆らってこちらへ近づいて来ている。

 逆光になるため目を細めていたキゼアが「……人のようです!」と告げた時には、その相手からの声が聞こえて来た。

「まあ、人であることに間違いはないのう。だけでなく、わしも驚いたことに、まだ男でもあったようじゃ。そこな金髪碧眼きんぱつへきがん女人にょにんの裸体を目にして、何やらあそこがウズウズしよる。偶々たまたまおまえたちの船を見つけ、飛んで来た甲斐かいがあったわい。うむ、かな、善き哉」

 少なくとも最初に驚きから立ち直ったのは、エティックであった。

「何だと、この助平爺すけべじじい! おいらのディリーヌ姉ちゃんに、手出しするんじゃねえぞ!」

 これにはディリーヌが苦笑した。

「別におぬしのものになったおぼえはないが、まあ、まもろうと思ってくれたことには感謝しよう。ところで、ご老人。見てのとおり、漂流して困っている。助けてもらえるならば、わたしの裸をもっと間近まぢかで見てもらっても良いぞ」

 謎の老人は、声を上げて笑った。

「いや、それは遠慮しておこう。これ以上昂奮こうふんしては、わしのしんの臓が持たぬ。が、助けてはやろうさ。まあ、然程さほどの親切心はないのじゃが、わしの好きな白い砂浜に、おまえたちの遺体が打ち上げられても困るでな」

 そう告げると、老人はフワリと救命艇きゅうめいてい舳先へさきり立った。

 白髪白髯はくはつはくぜんの小柄な老人で、元は白かったらしい薄汚れた貫頭衣かんとういを身にまとっている。

 しわばんだ小さな顔の中で、その両目だけが炯々けいけいと光っている。

「一応、名乗っておこうかの。わしはクレルの魔道師でイレキュモスという者じゃ。風師ふうしとも呼ばれておる」

 呆然ぼうぜんと聞いていたキゼアが「えっ」と声を上げた。

「あなたが風師イレキュモスさまですか!」

「ほう。わしを知っておるのか?」

勿論もちろんです。魔道を学ぶ者で、あなたの名を知らない人間はいないでしょう」

 イレキュモスは鼻で笑った。

「有名というより、異端者として悪名あくみょう高いのであろうがのう」

「いえ、決して、そのようなことは……」

 ムキになって反論しようとするキゼアの肩に、ポンとディリーヌの手が置かれた。

「そのような議論は後にせよ。ともかく陸へ上がるのが先決だ」

 ディリーヌは続けてイレキュモスに説明した。

「こちらも簡単に紹介しておこう。おぬしを尊崇そんすうしている赤毛の少年がキゼア。多少魔道が使える。色黒の威勢のいいのはエティック。まだ未熟だが、一応剣術を修行中だ。わたしはディリーヌ。女だてらに剣術と格闘術をたしなんでいる。では、早速だがイレキュモスどの、お願いする」

 イレキュモスは「心得こころえた」とうなずくと、舳先に結び付けてある曳航綱えいこうづなつかんで飛び立った。

 そのまま貫頭衣のすそをはためかせながら、グイグイと救命艇をいて行く。

「おお、これぞ風師のお力!」

 賞讃しょうさんするキゼアと裏腹うらはらに、エティックは声をひそめてディリーヌにささやいた。

「あのじいさん、信用していいのか?」

 ディリーヌは軽く肩をすくめた。

「わからん。手放てばなしで信じることは危険だが、今は上陸できることが有難ありがたい。それに、さすがに腹が減ったろう? 何かわせてくれるなら、少々のことには目をつむろうではないか」


 潮流に直交するように南下すると、待つほどもなく救命艇は白い砂浜に乗り上げた。

 牽いて来た綱を近くの木立こだちわうと、イレキュモスは「到着じゃ!」と宣言した。

「この先にわしの座所ざしょがある。ちょうど芋粥いもがゆたところじゃで、馳走ちそうしよう。遠慮はらぬぞ。わしも一人で喰うのにきたところじゃ」

 真っ先に船からりたエティックが「やったぜ!」とはしゃいだ。

「この際だから、味はとやかく言わねえ。喰えるもんなら、何でもいいや」

 後から下船したキゼアが「失礼だろ!」と怒ったが、イレキュモスは笑って「構わん、構わん」と手を振った。

「芋をつぶして煮込にこんだだけゆえ、逆に、期待されても困る。それと、昔いた弟子が着ていた貫頭衣が残っていたはずじゃから、それをディリーヌじょうに進呈しよう。さあ、こっちじゃ」

 イレキュモスは浮身ふしんしたまま、スーッと先へ進んだ。

 エティック、キゼア、ディリーヌと続いたが、特に小柄なキゼアは小走りになるほど、先行するイレキュモスは速かった。


 砂浜が普通の地面に変わってすぐに、座所らしき丸太小屋が見えた。

「多少手狭てぜまじゃが、遠慮せず入ってくれ」

 そのイレキュモスの言葉が終わるのを待たず、エティックが入口のむしろめくって、真っ先に中へ入った。

「おおっ、食いもんがある!」

 眠り薬入りの雑穀粥ざっこくがゆは食べずに逃げて来たため、ほとん一昼夜いっちゅうや食事をしていなかったから、若いエティックにはがたかったのだろう。

 かまどせてあるなべに伸ばそうとした手を、後から入って来たディリーヌにピシリとたたかれた。

馬鹿ばか火傷やけどするぞ」

「それぐれえ、わかってらい」

 キゼアと一緒に入って来たイレキュモスも笑って告げた。

あわてずとも、三日分と思って作ったから量は充分にある。わんによそってやる故、しばし待て。それに、毒でも入っておらぬかと心配じゃろうから、まず、わしが喰おう」

 キゼアでさえ、その必要はない、とは言わなかったのは、昨日の経験があったからであろう。


 イレキュモスのものよりだいぶマシな貫頭衣をディリーヌがもらって着ると、四人そろって芋粥を食べた。

「爺さんが作ったにしちゃ、意外にうめえじゃねえか」

 相変あいかわらず失礼な言動をするエティックを、ディリーヌも一々いちいちとがめず、イレキュモスも笑って聞いている。

 が、珍しくキゼアは不機嫌な声で親友をしかった。

「失敬だぞ、エティック。風師イレキュモスさまは、浮身術では最高峰とわれるおかただ。本来なら、皇立おうりつ魔道学校の指導者になられてもおかしくはないんだ」

「でも、そうじゃねえ。ってことは、何かやらかしちまったんだろ?」

「何だと!」

 険悪な二人を「まあ、待て」とめたのは、イレキュモスの方だった。

「わしのことで喧嘩けんかなどするでない。ふむ。せっかくじゃから、わしの事情を説明して置こう。その上で、おまえたちが漂流しておった理由を、言える範囲で教えてくれれば良い。それで、五分ごぶと五分じゃろう? さて……」


 ……何から話そうかの。

 おお、そうじゃ、今話に出た皇立魔道学校のことから始めよう。

 わしは生まれも育ちもクレル王国で、実家は代々漁師の家であった。

 その頃は魔道になど興味もなく、わしも漁師を生業なりわいにしていたのだが、四十数年前、突如とつじょとして運命が変転する大事件が起きた。

 そう。

 隣国りんごくのフェケルノ王国が、いきなり侵攻しんこうして来て、母国を征服してしまったのじゃ。

 当時は自分の国が潰されたということに実感がなく、王国が属州に変わっても、わしらの生活に変わりはないと思っておったよ。

 が、神君しんくんしょうされるアクティヌス帝は、出身国も身分も問わず、有能な人材をり立てると聞き、わしにも野心が芽生めばえた。

 わしの体格では武術は無理じゃろうから、創設されたばかりの皇立魔道学校へ入ったのじゃ。

 幸い、自分でも思いもよらぬ才能があり、あれよあれよという准教授じゅんきょうじゅにまでのぼめた。

 教授に推挙すいきょされるのも時間の問題と言われていた頃、ちょっとした事件があった。

 かねてから皇帝の政治に批判的な言説げんせつとなえていたルフ、あ、いや、わしの同僚どうりょうが、密告結社けっしゃ拘束こうそくされたのじゃ。

 知ってのとおり、密告結社はフェティヌール侯爵こうしゃくが私的につくった組織で、本来なら人を逮捕するような権限はない。

 わしと仲間が抗議に訪れると、あっさり同僚を釈放してくれた。

 ところがそれ以来、その同僚は反国家的なことを一切言わなくなり、むしろ、皇帝をたたえるようになった。

 これはどう考えてもおかしいと、わしは同僚を問い詰めた。

 が、何も真相を語らぬまま、同僚は失踪しっそうし、いまだに行方不明じゃ。

 わしも身の危険を感じ、みずから退職を申し出て、隠居いんきょすることを宣言した。

 フェケルノ本州では危ないと思い、クレル州のはずれにこうして身を置いているが、最早もはや世捨よすびとさね。

 皇帝が死んで代替だいがわりした際、学校に戻ることも考えたが、フェティヌールはまだ生きておるからのう……


 聞き終えたディリーヌは、「それならば」と笑った。

「わたしたちの敵は同じだ。こうして漂流することになったのも、そもそもはフェティヌールの紅蜘蛛べにぐもからのがれるためだったからな」

 ディリーヌは、つまんでオルジボセ号に乗り込んだ経緯いきさつを話した。

 イレキュモスは自分のひげしごきながら頷いた。

成程なるほどのう。いよいよこの国も住みづらくなりそうじゃな。うむ。ならばいっそ、わしもおまえたちと共に北大陸へ渡ってみようかの」

「えっ、本当ですか!」

 喜ぶキゼアの横で、エティックは小さく舌打ちした。

「何だよ、せっかくディリーヌ姉ちゃんと仲良く旅ができると思ったのにさ。こんな薄汚うすぎたねえ爺さんも一緒……」

 エティックの愚痴ぐちは、鳥のき声のように甲高かんだかい、大勢おおぜい雄叫おたけびにき消された。

 と、イレキュモスの顔色が変わった。

「いかん! ヤンルー連合王国軍のときの声じゃ! 皆、逃げるぞ!」

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