第13章 帝国の闇

 キゼア、エティック、ディリーヌの三人が救命艇きゅうめいていで漂流している頃、帝都ヒロールの皇帝宮こうていきゅうでは、派遣部隊百名の壮行会そうこうかいささやかに行われていた。

 千名規模の舞踏会ぶとうかいが開催できる大広間おおひろまの一角を仕切り、立食形式で飲み物も手酌てじゃくという質素しっそなものであったが、兵士たちは特に不平も述べず、ただ黙々と飲み食いしていた。

 もっとも、そこには隊長のカランも副隊長のブルシモンもおらず、いやそれどころか、主催者であるはずの皇帝や二人の重鎮じゅうちんの姿もなかった。

 かれらは皆別室に集まり、酒も飲まずに会議をしていたのである。

 そこは国家の機密事項を話し合うために特別につくられた会議室で、儀仗兵ぎじょうへいわりに二名の魔道師が出入口を警備していた。

 室内には長方形の卓があり、正面奥に皇帝キルゲリ、向かって左側に宰相ダナルークと隊長カラン、右側に元帥げんすいゾロンと副隊長ブルシモンが座っている。

 キルゲリはわざとらしく欠伸あくびをして見せ、三白眼さんぱくがんを細めた。

ちんはもう眠い。話があるなら手短てみじかにせよ」

 ゾロンもおもねるように笑い「まったくですな」とうなずいた。

「わがはいも、日が暮れるとすぐに寝床ねどこが恋しくなりまする。まあ、宰相どのは、別に夜のおたのしみがあられるのだろうがのう」

 ゾロンの皮肉には取り合わず、ダナルークは死んだ魚のようなを皇帝だけに向け、泥がえるような異様に低い声で話を始めた。


 ……せっかくの機会でございますので、今回の部隊派遣について、改めましてご説明させていただきます。

 まず、ゾロンどののご訓辞くんじにもありましたとおり、わが帝国は今、岐路きろに立っておりまする。

 ゾロンどのは東のヤンルー連合王国との小競こぜり合いを指摘なされましたが、西のシーグ酋長国連邦も、南のギャゴス大公国も、決してあなどれませぬ。

 その証拠に、それぞれが境を接しているクレルなどの旧王国、いえ、属州に敵の間諜かんちょうもぐり込んで来ているとの報告がございました。

 しかも、これはまだ確定した情報ではありませぬが、ヤンルーの王とシーグの酋長がひそかに手を結んだとのうわさもございます。

 また、ギャゴス大公は陛下へいか遠縁とうえんに当たられますが、それだけに一層油断なりません。

 そうした現状をかんがみ、えてこの時期に北大陸への派兵をお許し願ったのです。

 勿論もちろんゾロンどのが言及げんきゅうされた、唯一敵がいない北の押さえ、という意味合いもございます。

 が、それはわば付けしのようなもの。

 眼目がんもくは、あくまでも古代ツェウィナ人の秘宝を探索することにありまする。

 おや。

 おわらいですか。

 わかりました。

 ならば、証拠をごらんに入れましょう……


 一旦いったん話をめ、ダナルークはふところから丸い金属片を取り出した。

 大きさはてのひらほどで、非常に薄い。

 手鏡のようだが、表面には引っきずのような線が無数に入っている。

 ダナルークは椅子から立ち上がり、室内を照らす龕灯がんどうの一つにその手鏡をかざした。

「あれをご覧くだされ」

 ダナルークはもう一方の手で、天井をした。

 手鏡で反射された蝋燭ろうそくの光は、らめきながらも人の顔のようなものをうつし出している。

 が、その顔には、額の位置に第三の目のようなものがあった。

「俗説ではございますが、古代ツェウィナ人は三つ目であったと申します。そして、この手鏡は、北大陸のとある場所にある遺跡いせきから発掘されたものなのです。陛下、お考えくだされ。たとえ、本当に秘宝が発見されずとも、わが帝国がその情報を握っているというだけでも、敵への牽制けんせいとなるのですぞ」

 不機嫌ふきげんそのものの顔でダナルークの長広舌ちょうこうぜつを聞いていたキルゲリは、プイと横を向いた。

「良きにはからえ。朕はもう寝る」

 その言葉を待っていたようにゾロンも席を立ち、「じいがお供いたしまする」とキルゲリの椅子を引いた。

 去りぎわ、ゾロンは薄ら笑いを浮かべながら「宰相、後はお任せする」と告げると、龕灯を一つはずしてキルゲリの足下あしもとを照らし、「ささ、参りましょう」と先導した。


 二人が出て行った後、ダナルークは当然のように正面の席に座った。

 カランは口を開きかけたものの、すぐに閉じ、鼻から吐息といきした。

 が、ブルシモンは忖度そんたくせず、「そこは陛下のお席では?」と指摘した。

 ダナルークは「そうだ」と答えたが動こうとはせず、そのまま話を続けた。

くわしい地図は後で渡すが、先程さきほどの手鏡が発見された遺跡は現在、蛮族の廟所びょうしょとなっているらしい。よって、派遣部隊の最初の仕事は、そこを占拠せんきょすることだ。なあに、大した武器も持たない相手だから、百名の兵士で簡単に制圧できよう。次に」

 と、ブルシモンが太い手をげ、話をさえぎった。

「待ってください。いきなり攻めるのではなく、まずは交渉するべきではありませんか?」

 カランが「おい、口をつつしめ!」とたしなめたが、ダナルークは平然と「その必要はない」と告げた。

「好戦的な種族で、話し合いの余地はない。あの手鏡をうばうのに、何人も配下が殺されたと密告結社けっしゃおさフェティヌールめが申しておった。それでもおまえが交渉したいというなら、めはせん。が、おまえが人質となっても、見殺しにするだけだぞ。カランもわかったな?」

「あ、はい。ブルシモン、いいですね?」

 ブルシモンは荒削あらけずりの岩のような顔をゆるめず、「ああ」とのみ答えた。

 ダナルークはその後の段取りまで細かく指示を出したが、元々眠そうな顔のカランも、不本意な仕事を押し付けられたブルシモンも、黙って聞くだけとなった。

「……以上だ。明日の出発は早いぞ。二人とも早く休め」

 自分のせいで遅くなったとは考えていないらしいダナルークに苦笑しつつ、席を立とうとしたブルシモンに、ダナルークはふと思い出したようにいた。

「そういえば、あの女剣士はどうした?」

 ブルシモンは両方の眉を上げ、とぼけたように答えた。

「さあ、どうしたんでしょうねえ。それは、カラン隊長におたずねなった方が良いのでは?」

 カランは反射的に肩をすくめてしまい、あわてて首を振った。

「知りません、知りません。一応、警邏庁けいらちょうに継続してさがさせてはおりますが」

 ダナルークも回答を期待していたわけではないらしく、蛞蝓なめくじのようにヌメッとした分厚ぶあつい唇をゆがめて笑った。

「そのうちわかるであろう。その時には……、ああ、いや、そんなことより早く寝ろ。わしも今日は早寝だ。あのような皮肉を言われては、遅刻もできん」

 一緒に出ようとしたブルシモンは「おっと、忘れ物」と言いながら、部屋のすみに置いていた荷物を取った。

 その荷物からスルリと小さな赤いものがすべり出て、部屋の物陰ものかげもぐり込んだが、誰も気づかないままであった。


 一方、ディリーヌは眠るどころではなく、速いしおの流れで東へ進む救命艇が暗礁あんしょうなどに乗り上げぬよう、残された一本のかいで水をきながら、進路を調整していた。

 月のない夜で空は暗いが、幸い夜光虫の生息域せいそくいきに差し掛かったらしく、海面が青白く光って見える。

「何とか朝までに陸に辿たどり着ければよいのだが……」

 振り返ると、船をぐのを交代したばかりのエティックが、もういびきをかいていた。

「ふん。ギャアギャアとうるさいやつだが、やはり子供だな。ん? おお、目がめたのか」

 ディリーヌが言ったのはエティックではなく、その向こうで寝ていたキゼアの方である。

 魔道の力を使い過ぎて気絶するように眠っていたが、まだ夢を見ているように呆然ぼうぜんとしている。

「……ここは?」

「わからん。しかし、体感的に真っ直ぐ東へ進んでいる気がするから、いずれ陸地へ着くだろう」

「真っ直ぐ東だとすると……あっ、ヤンルー連合王国の領内に入ってしまいます!」

 キゼアの声が大きくなったため、寝ていたエティックが「えっ、何だよ、またさめか?」とぼやきながら半身を起こした。

「ごめんね、エティック。違うんだ。真っ直ぐ東だとヤンルーに着くんじゃないかと思って」

 薄暗がりの中、首をひねっていたエティックは「いや、まだそこまで行ってねえだろ。な、ディリーヌ?」と聞いた。

 櫂を漕ぐ手を休めず、ディリーヌは「だと、いいが」と曖昧あいまいに答えた。

 すっかり眠気がめたらしいエティックは、「大丈夫でえじょぶさ」と安請やすうけ合いした。

「だって、ヒロール湾を出たばっかりだから、そんなに沖には行ってねえはずだぜ。ってことは、真っ直ぐ東ならまだクレルぐらいさ。ヤンルーはもうちょっと北に寄ってるよ」

 南大陸は東部が北へ張り出しており、フェケルノ帝国の東の敵国であるヤンルー連合王国は、帝都ヒロールから見てやや東北に位置する。

 よって、時としてつばさを広げた鳥の形にたとえられるフェケルノ帝国の、右の翼に当たるクレル州に向かっているとエティックは考えたようだ。

 ちなみに、鳥の頭の部分がフェケルノ本州、左の翼が宰相ダナルークの出身地であるウダグス州、胴体がキゼアたちが住んでいたアナン州、やや広がった尾の部分がドズフェ州である。

「念のため、ぼくが偵察に行ってみましょうか?」

 が、キゼアの申し出を、ディリーヌは一蹴いっしゅうした。

駄目だめだ。こんな暗夜に飛行して、この船とはぐれたらどうする? そんなことより、今は寝ておけ。悩むのは朝になってからでよい」

「じゃあ、今度はディリーヌさんが寝てくださいな。わりにぼくが船を漕ぎますから」

 一瞬どうすべきか迷ったようだが、周囲の状況をもう一度確認し、ディリーヌは櫂をキゼアに渡した。

「決して無理はするな。何か異変があれば、遠慮なく起こせ。よいな?」

「わかりました。ゆっくり休んでください。エティックもね」

「言われなくたって、おいら、もう、寝てるよ……」

 エティックの返事は、そのまま鼾に変わった。


 さすがにディリーヌも疲れていたらしく、エティックが眠ってもなく、健康的な寝息が聞こえた。

 短時間とはいえ熟眠していたキゼアは健気けなげに櫂で水をいていたが、如何いかんせん体力がなく、船はしおに流されるままとなっていた。

「大丈夫かな?」

 空をあおいで星の位置を確かめたが、このくらいの航行距離では、目に見えるほどの変化などない。

 水面みなもに目を転じると、「こっちにも星空があるみたいだな」と微笑ほほえんだ。

 実際には星空よりももっと光の密度が濃く、その青白い神秘的な光に魅入みいられそうになる。

「なんて綺麗きれいなんだろう」

 うっとりと海面をながめているうちキゼアの手がゆるみ、スッと櫂が流された。

「あっ!」

 かなり大きな叫び声を上げてしまったが、不思議なことにディリーヌもエティックも起きて来ず、キゼア自身もそれをいぶかしむ様子がない。

 船縁ふなべりから身を乗り出し、ただぼんやりと海面を流される櫂の行方を目で追っている。

 と、櫂がピタリとまったかと思うと、何かの力に押し返されるようにスーッと戻って来た。

 船の近くまで来ると青白い海面が盛り上がり、キゼアの手が届きそうな位置まで櫂が持ち上げられた。

「え? いいの?」

 まるで親しい人間がそうしてくれたかのよう言いながら、キゼアは櫂に手を伸ばそうとした。

 と、その時。

 青白い水の表面がボコボコとふくらみ、多数の触手のように変形してキゼアの腕をからった。

「ああっ、妖魔か!」

 捕らわれていない方の手で船縁をつかみ、水中に引きり込まれないよう踏ん張ったが、ズリッ、ズリッと体ごと持って行かれそうになる。

「た、助けて、ディリーヌさん! 起きてよ、エティック!」

 が、首をじって二人の方を見ても、何も聞こえないかのようにスヤスヤと眠っている。

「自分で何とかしなきゃ。でも、どうやって……」

 今更いまさら隠形おんぎょうしても意味はなく、浮身ふしんしても触手を振り切るほどの力はない。

 キゼアは必死で魔道に関する知識を思い出そうとした。

「……隔力かくりき、透視、読心どくしん、発火……ああ、そうだ。できるかどうかわからないけど、やってみよう」

 キゼアは触手に絡まれている方の手の指を一本立てると、一心いっしん呪文じゅもんとなえた。

 その間も、もう一方の手と両脚りょうあしに力を込め、何とか船から落ちないよう支えている。

「くうっ。負けるもんか!」

 と、立てている一本の指の先に、ポッと小さな炎が現れた。

 暗さに目がれていたためか、キゼア自身もそのまぶしさに顔をしかめたが、その蝋燭ほどの炎の効果は劇的であった。

 腕に絡みついていた触手がスルスルと離れて海面が下がり、青白い光も同心円状に消えて行った。

 キゼアの炎に照らされて、黒い海面が静かに波打っているばかり。

 近くまで来ていた櫂は流されたようで、どこへ行ったのかもう見えなくなってしまった。

「どうした?」

 ようやく目をましたディリーヌに背後から声を掛けられ、ホッとして振り返ったキゼアは、闇に浮かび上がる美しい裸身を目にして、あわてて炎を消した。

「な、何でもありません。ただ……」

「何だ?」

「すみません。櫂を海に落としてしまいました」

「そうか」

 叱責しっせきを覚悟していたキゼアは、拍子ひょうし抜けしたように「いいのですか?」と聞いた。

 ディリーヌは小さく笑った。

「良くはないさ。が、もなく夜が明けるだろう。かすかにだが前方に陸地らしき影も見えて来た。後はもう、われらの運次第うんしだいだな」

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