第12章 それぞれの活路

 三人の体は一旦いったん浮き上がったものの、すぐに甲板かんぱんに落ちた。

 発見者の船員が好機とみて接近して来たため、ディリーヌはエティックに「剣を貸せ」と頼んだ。

 ディリーヌ自身は、剣はおろか一糸いっしも身にまとっていないからだ。

 が、エティックは首を振って「おいらに任せな!」と叫ぶなり、剣を片手に飛び出してしまった。

 船員の方もそれに気づき、持っていた松明たいまつを投げ捨てると、ふところから短剣を出した。

「ガキがっ! めるなよ!」

 北大陸への渡航船とこうせんは海賊に襲われることも多いから、船員は同時に戦闘員でもあり、その短剣さばきはどうったものだった。

 間合まあいの長いエティックの剣を器用にけ、時々左右の手で短剣を持ちえながら、変幻自在へんげんじざいに突いて来る。

 防戦一方となったエティックがジリジリと押されて後退するかんに、向こうから続々と新手あらての船員たちが甲板に上がって来るのが見えた。

 ディリーヌは舌打ちすると、キゼアにおそるべきことをめいじた。

「このまま二人だけで救命艇きゅうめいていへ飛べ」

「えっ、でも、エティックが……」

「いいから、早く飛べ!」

「友だちを見捨てるなんて、ぼくにはでき、うっ」

 ディリーヌの腕がキゼアのくびめて来た。

「殺されたくなかったら、言われたとおりにしろ」

 むしろエティックの方がその気配を察したのか、前を向いたまま「おいらに構わず逃げてくれ!」と叫んだ。

 薄暗がりの中、キゼアの唇が「ごめん」と動き、念をらすとディリーヌと一緒に浮き上がった。

 すると、エティックとたたかっていた船員が一歩下がって間合いを取り、振り返って仲間に警告した。

「女と子供が逃げるぞ! こいつはおれに任せて、あいつらをつかまえろ!」

 わらわらと寄って来ていた船員たちは、そのまま二人の横を駆け抜けて行く。

 キゼアも今は必死で浮身術ふしんじゅつに集中しているが、もどかしいほどにゆっくりとしか上がらない。

 が、ディリーヌもそれ以上は強要せず、ただ苛立いらだたしげに救命艇と船員たちを交互ににらんでいる。

 すでに船員たちが手を伸ばしても届かない高さに上がっていたが、追っ手の中にもりを持っている者がいて、皆に押されるように前に出て来た。

「逃がすかっ!」

 下から銛を突き上げて来るのを、ディリーヌは身をひねってかわし、の部分をつかんでうばい取ると、クルリと反転させて相手に投げ返した。

 さすがにそれはけられたものの、その一瞬、ほかの船員たちも足が止まった。

 と、ディリーヌがキゼアの背中をたたいた。

「今だ!」

「はいっ!」

 気合きあいを入れられたのがこうそうしたのか、一気に飛び上がって救命艇の中へりた。

 力を使い果たしてグッタリしているキゼアに構わず、ディリーヌは立ち上がって叫んだ。

「エティック! 海に飛び込めっ!」

 短剣の船員とたたかい続けていたエティックは、反射的に「おおっ!」と応じたものの、相手が攻撃の手をゆるめず、身動きできないようだ。

 ディリーヌたちを追っていた仲間も、半分はそちらに駆け戻って行く。

 おそらくは、人質に取ろうという算段であろう。

 それを見て取ったディリーヌは、また舌打ちした。

「あの馬鹿ばか、逃げることもできんのか」

 しかし、ここで愚図愚図ぐずぐずしていては、苦労して救命艇に乗った意味がなくなる。

 ディリーヌはもう一度「振り切って飛び込むんだ、エティック!」と叫ぶと、救命艇の吊り綱をほどいた。

 まさ間一髪かんいっぱつ、追って来た船員の一人が吊り綱をつかんだ時には何の抵抗もなくスッポ抜け、救命艇は海面へ向かって落下して行った。

「くそっ!」

 月もない夜の海ではさすがに飛び込んでまでつかまえることもできず、ほかの船員たちもあっさりあきらめ、エティックの方に引き返した。

 が、仲間の勝利を確信しているのか、短剣で闘っている最初の一人以外は手出しせず、グルリと囲んでわらいながら見物している。

「剣を持ってるからって、ガキ一人に何を手古摺てこずってやがるんだ!」

「短剣で一思ひとおもいに刺し殺してやれ!」

「おれの銛を貸してやろうか?」

 第一発見者の船員の方が腕は上のようだが、やはりエティックの若さにはかなわず、次第しだいに息が上がって来ている。

 と、「てめら、何やってやがる!」と怒声どせいが飛び、騒いでいた船員たちが一瞬で静まり返った。

 船員たちより一回り以上年嵩としかさの、恰幅かっぷくのいい男が甲板に上がって来ていた。

 厳しいと評判の船長であろう。

 短剣で闘っていた船員が気を取られて目を離したすきに、エティックがり付けた。

 が、金属同士がぶつかる音が響き、横から突き出された銛の穂先ほさきで剣ははじかれ、エティックの手から離れた。

「取り押さえろ!」

 船長の命令を待つまでもなく、丸腰まるごしになったエティックを数人掛かりで押さえ込んだ。

 エティックはなお藻掻もがきながら、「はなせっ! 卑怯ひきょうだぞ!」などと叫び続けている。

 その顔をのぞき込んだ船長は、しぶい顔で「何が卑怯だ?」といた。

「おいら子供だぞ! おいら一人に大人が大勢で、これが卑怯でなくて、何だってんだよ!」

 船長はフッと鼻で笑った。

「いいだろう。ならば、一対一で存分に殺し合うがいい」

 船長は振り返ると、「おいっ、あの男を連れて来い!」と命じた。

 船員たちに引き摺られるようにして連れて来られたのは、なんとベレゼ三兄弟の口髭の長男であった。

 さらに何本か歯の欠けた口を半開きにし、呆然とした顔をしている。

 そのうつろであった目が、エティックを見つけた途端とたん、カッとひらかれた。

「あのガキッ!」

 船長がニヤニヤ笑いながら口髭をそそのかした。

「おめえが一対一であのガキを始末したら、密航の罪はゆるしてやろう。が、闘いを拒否したら、そく、海へほうり込む。さっきチウチニッケの馬鹿野郎とおめえの弟たちの死体は海に捨てさせたから、鮫どもがワンサと集まって来てるはずだ。おめえの体が海面に着く前に、気の早い鮫にわれるだろうぜ」

 船長はエティックにも「聞こえたろう? おめえもおんなじ条件だ」と告げると、口髭の背中を押した。

「さあ、れっ!」

 ヨロヨロと口髭が近づくと船員たちがエティックを放し、二人が逃げないように丸い人垣ひとがきを作って囲んだ。

 エティックは片頬かたほほゆがめて笑い、「生きてやがったのか」とつぶやいた。

 が、その笑顔ほどには余裕はないようで、少し震える声で船長に「得物えものは?」とたずねた。

 身長はともかく、腕もももも太さが倍くらい違うから、素手すででの格闘となればエティックに勝ち目はない。

 船長は「贅沢ぜいたくを言うな」と苦笑しつつも、船員たちに「ガキに剣を返してやれ!」と命じ、「そのわり、こっちにも何か渡してやれ」と口髭をした。

 短剣で闘っていた船員が、息を整えつつこたえた。

「そいじゃ、おれの短剣かこいつの銛か、選ばせやしょう」

 当然、口髭は銛を選んだ。

 一対一の闘いなら、間合いの長い武器の方が絶対有利だからだ。

 再び剣を構えたエティックと、銛を手にした口髭が向かい合うと、取り囲んだ船員たちがやんやとはやし立てた。

「その屁っり腰が恰好かっこいいぞ、色黒の兄ちゃん!」

「歯抜けの禿はげも負けるなよ!」

「おれは兄ちゃんにけるぜ!」

「なら、こっちは禿だ!」

「兄ちゃんにぜに五十!」

「禿に百だ!」

 娯楽ごらくの少ない船員たちにとっては、またとないたのしみは賭け事であり、船長もえてとがめるようなことはしなかった。

 勿論もちろんエティックも口髭もそれどころではない。

 負ければ、即死でなくとも、鮫のいる海に投げ込まれるのだ。

 だが、短剣の船員と闘ったばかりのエティックと、ディリーヌの強烈なかかと落としを後頭部にらった口髭は、どちらも足元あしもとがふらついており、剣や銛を大振りするばかりで、なかなか勝負がつきそうにない。

 それどころか、ねらいのれた剣や銛が周囲の船員たちの鼻先をかすめ、「危ねえっ!」「ちゃんと相手を見やがれ!」などとののしりながら、徐々に人の輪が広がって行った。

 その時、船の外から「こっちだよ、エティック!」と声がした。

 その場の全員がギョッとして声の方を見ると、船縁ふなべりの向こう側の空中にキゼアが浮かんでいる。

 夜目よめにもその顔は蒼白そうはくで、最後の死力を振りしぼっているようだ。

 口髭の銛をかろうじてかわしたエティックは、ニヤリと笑った。

有難ありがてえ! 持つべきもんは親友だな! 行くぜ、キゼア!」

 エティックは雄叫おたけびを上げて剣を左右に振り回し、人垣ひとがき隙間すきまうように船縁に向かって突進した。

 船長が「逃がすな!」とえたが、突然のことで、とてもに合わない。

 と、口髭が「逃がしゅもんか!」と言いざま、持っていた銛を投じた。

 キゼアが「頭っ!」と叫び、走りながらエティックが頭部を下げると、髪の毛を引き千切ちぎるようにして銛が通り過ぎ、放物線をえがいて海に落ちた。

 そのかんも足を止めなかったエティックが、船縁をって飛んだ。

 が、とてもキゼアの位置までは届かず、銛よりも急角度で落ちて行く。

「うわっ、やべっ」

 それを追うように急降下したキゼアが、エティックの背中に抱き付いた。

「力を抜いて!」

 二人が落ちて行く先の海面には、ディリーヌの乗った救命艇が待ち構えている。

 その船体に激突寸前、二人の落下速度が急速にゆるみ、何とか怪我けがをしない程度でり立った。

 船体は大きくれたが、ディリーヌが上手うまく体重を移動させて止め、「逃げるぞ」と言いながら、エティックにかいを一本渡した。

 エティックはさすがに笑い出し、「人使いの荒い姉ちゃんだぜ」と文句を言ったが、キゼアはもう完全に気絶しているため、ディリーヌと二人でぎ出した。


 一方、船上に取り残された口髭は、船長の叱責しっせきを受けていた。

「てめえ、覚悟しろよ。まんまとガキに逃げられやがって。このまんま、海に飛び込んでもらおう」

 口髭は、身を投げ出すようにして、甲板につくばった。

「ま、待ってくれ。あ、いや、待ってくだしぇい。この借りは、きっと返しゅから、それだけは勘弁かんべんしてくれ。ベレジェ三兄弟といや、ヒロール湾の近くじゃ誰に聞いてもらっても知らねえもんはいねえ。逃げもかくれもしねえから、どうか、どうか、ゆるしてくれ」

 船長はフッと吐息といきした。

「まあ、これ以上鮫どもにえさをやってもしょうがねえし、チウチニッケの野郎のわりに下働したばたらきをするやつがいた方がいいな。まあ、いいだろう。助けてやろう」

 口髭は顔を上げ、涙すら浮かべて「有難ありがてえ」と感謝した。

「こうなった以上、北大陸に着くまでは、身をにして働くよ」

 が、船長は皮肉なみを浮かべた。

阿呆あほう。何をあめえこと言ってんだよ。チウチニッケの年季ねんきはまだ三年も残ってるんだぜ。年季が明けるまで、キッチリつとめ上げてもらうぞ。おお、そうだ。だから、おめえは今からベレゼ三兄弟でもなんでもねえ。今後、おめえの名前はチウチニッケだ。それが嫌なら、鮫の餌さ。いいな?」

 口髭はにがいものを飲みくだすようにうなずいた。

「わかった。しょうしゃしぇてもらうよ」


 不本意な思いをしているのは口髭だけではない。

 救命艇を漕ぎながらも、エティックはずっと文句を言い続けていた。

「ひでえじゃねえか。キゼアが捨て身で戻ってくれたからいいようなものの、あんた、おいらを見捨てるつもりだったろう?」

 反対側で同じように櫂で水をきつつ、ディリーヌは全裸であることを気にするふうもなく、面倒臭めんどくさそうに答えた。

「わたしは、海に飛び込めと言ったはずだ」

「ざけんなよ。こんな鮫だらけの海に飛び込んだら、救命艇に泳ぎ着くめえにバックリ喰われてるぜ」

「銛で刺し殺されるよりはマシだろう」

「なんだと、この!」

 エティックが立ち上がろうとした瞬間、舟底にゴンと衝撃があった。

 ディリーヌも喧嘩けんかどころではなくなり、「岩礁がんしょうではあるまいな?」と海面をのぞき込んだ。

 と、水面がブクブクと泡立ち、人間の背丈せたけほどもある鮫の上半身が浮かび上がって来た。

「くそっ!」

 ディリーヌは渾身こんしんの力を込め、櫂を鮫の鼻面はなづらに振りろした。

 それでひるんだのか、その鮫は海面に消えたが、今度はエティックの側に別の鮫が顔を出した。

「わわっ!」

 エティックはあせって櫂を突き出したものの、大きな口でくだかれてしまった。

 振り返ったディリーヌが「馬鹿ばかっ、下がってろ!」と𠮟しかりつけ、櫂を横に振るった。

 偶然それが鮫の目に当たり、血を流しながら沈むと、急にその周囲が激しく波立った。

 共喰ともぐいであろう。

「今のうちだ!」

  ディリーヌは残った一本の櫂で左右交互に忙しく水を掻き、草臥くたびれると、「おぬしの番だ!」とエティックに押し付け、船底に仰向あおむけに寝転がった。

 このような場合であったが、エティックは苦笑した。

「おいおい。暗いからいいけど、それじゃ大事だいじなとこが丸見えだぜ」

 ディリーヌは恥ずかしがる様子もなく「黙って漕げ」と命じると、目を閉じた。

 その前方では、キゼアが本格的に寝息を立てている。

 エティックは鼻を鳴らした。

「なんだよもう。おいらだって眠てえんだぜ。それに腹ペコだし。ってか、この船、どっちに向かって進めばいいんだ?」

 すると、目をつむったままディリーヌが答えた。

「どうせ海流で東に流される。今はともかく、少しでもオルジボセ号から離れればいい。いずれどこかへ漂着するはずだ」

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