第11章 船上の死闘

 フェケルノ帝国のある南大陸と、未開大陸ともわれる北大陸をへだてるタシュルム海峡は、西から東へ向う速い流れがあり、タシュルム海流と呼ばれている。

 流れの速さは季節によって異なるが、ディリーヌたちが乗り込んだオルジボセ号が出航したのは、かなり速い時期であった。

 そのためオルジボセ号は、両のかいなでわが子をいだいているようなヒロール湾を出た途端とたん、船首を西に向け、流れに逆らうように風を受けて帆走はんそうした。

 当然、船は大きくれる。

「大丈夫かよ、キゼア?」

 エティックに問われても、蒼白そうはくな顔のキゼアは答えることもできない。

 二人がいるのは窓も何もない倉庫の一室で、扉の隙間すきまからわずかにれる光だけが、細い帯のようにし込んでいる。

 と、その光の帯の一部がかげり、小さく扉をたたく音がした。

「わたしだ」

 エティックがサッと動き、最小限だけ扉をひらくと、ディリーヌが身をすべり込ませるように入って来て、後ろ手で扉を閉めた。

「どうだった?」

如何いかがであった?」

 お互いほぼ同時に質問し合ったが、先にエティックが答えた。

「このまんまじゃキゼアはヤバいぜ。薬草の効果もあんまりねえみてえだ。けばにおうだろうし、声も聞こえるかもしれねえ。かといって、おいらにゃどうすることもできねえんだけど。で、そっちは?」

「うむ。物陰ものかげからチウチニッケの様子をうかがったが、どう見ても挙動きょどうが不審だ。やたらと周囲を警戒していた。われらを案内してくれた時とは別人のように、何かにおびえている」

「厳しい船長にバレたのかな?」

「いや。それならとっくにここを見つけられているはずだ」

「じゃあ、何だよ?」

「船長に言えない客が、われら以外にもいるのだろうな」

「どういう意味だ?」

 その問いには、苦しそうな息遣いきづかいでキゼアが答えた。

「……ベレゼ三兄弟でしょうね」

「何だって! あっ……」

 思わず大きな声を出したエティックは、あわてて自分の口を押えた。

 ディリーヌは、らしくない吐息といきと共に、二人にびた。

「すまぬ。わたしの読みが甘かった。サモゾフめ、両天秤りょうてんびんをかけたのだ。あのままでは、サモゾフ自身が三兄弟に報復されるからな。結果としてわれらが殺されれば、それでこの件は決着する。逆に三兄弟が殺されたら、おどされて仕方なく船名を教えたとか何とか、言いのがれるつもりだろう。が、それはあり得ぬ。われらが船に乗る前に三兄弟に知らせなければ、とても間に合わんはずだ」

「じゃ、どうすりゃいいんだよ?」

 語気を強めるエティックに、ディリーヌは人差し指を自分の唇に当てた。

 二呼吸ふたこきゅうほどがあってまた光の帯が陰り、ささやくような声が聞こえた。

「おれだ、チウチニッケだ。だいぶ遅くなったが、昼飯ひるめしを持って来たぜ」

 かくし持って来た剣のつかに手を伸ばすエティックに小さく首を振ると、ディリーヌは「かたじけない」とこたえ、扉をけた。

 前歯の出た小動物のような顔をしたチウチニッケが、三つのわんせた盆を持って立っていた。

 その目が、気の毒なほど泳いでいる。

「申し訳ねえが、今は雑穀粥ざっこくがゆしかねえんだ。これで辛抱しんぼうしてくれ」

「上等だ。世話を掛けるな」

 盆を受け取りながら微笑ほほえむディリーヌから、チウチニッケはすぐに目をらした。

「晩飯は、みんなが寝静まった頃、もう少しいいものを持って来るよ」

「おお、すまんな」

 そそくさとチウチニッケが帰ったあと、碗にえられたさじで粥をすくおうとしているエティックの手を、ディリーヌがピシリと叩いた。

馬鹿ばか。眠り薬か何か入れてあるに決まっている。奥に船荷ふなにつぼがあったろう。あれに中身をけ、しっかふたを閉めておけ」

「ちぇっ。じゃあ、おいらこのまんまにかよ」

 不満そうに言うエティックに、このような場合ではあったが、微苦笑びくしょうしつつキゼアが提案した。

「ぼくはどうせ食べられないけど、何だったら隠形おんぎょうして何か探して来ようか?」

 即座そくざにディリーヌが「駄目だめだ」とたしなめた。

「三兄弟が襲って来るとすれば今夜だ。向こうだって船長に見つかりたくはないだろうからな。それまでは騒ぎを起こさず、ジッと待つんだ」


 深夜。

 ホトホトと扉が叩かれ、聞き取れぬほど小さな声で「晩飯だぞ」と声がした。

 中から返事がないことを確認したのか、チウチニッケが「どうやら薬がいたみてえです、旦那だんながた」と押し殺した声で誰かに告げていた。

 と、下卑げびた含み笑いが複数聞こえて来た。

「とりあえじゅ、しゃっしゃとガキ二人を始末してから、ゆっくり金髪姉ちゃんを可愛かわいがってやろうじぇ」

 その話し声には空気が漏れるような雑音を伴っており、歯が欠けているようだ。

「ちょっと待ってくれ、兄貴。色黒の方のガキはいいが、赤毛の方は残しといてくれよ。どうせ女一人じゃ、順番待ちになっちまう。そのあいだ稚児ちご遊びでもして待ってるからよ」

「へっ。おめえもしゅもんだな。が、まあ、あの赤毛は確かにみょうな色気がある。おれも、試してみるのも悪くねえと思ったよ」

「よし。じゃあ決まりだな。早速さっそく色黒のガキをバラして、あとはじっくりとおたのしみの時間だ。おい、チウチニッケ、ちゃんと見張ってろよ」

 扉が開けられ、松明たいまつの光が室内を照らした。

 が、中には誰もいない。

 逆に、揺らめく松明の炎が、のぞき込む三人の男を照らした。

 三人とも頭部に髪の毛が一本もなく、口髭くちひげ顎髭あごひげげをそれぞれ伸ばしている。

 ベレゼ三兄弟であった。

「ちきしょう、どこへ行きやがった?」

「まさか海に飛び込んだんじゃねえだろうな」

「いや、絶対ぜってえ近くにいるはずだ」

 景気づけに飲んで来たらしく、三人とも酒臭い。

 と、部屋の奥の方で「おえっ」とえずく声がした。

 同時におぼろに色彩があらわれ、隠形していた三人の姿が浮かび上がった。

 それを見た三兄弟が反応するより早く、はじけるようにディリーヌがこちらに走り出し、口髭に向けてりを仕掛けた。

 が、直前に口髭が剣を抜いていたため、空中で身をひねって斬撃ざんげきけた。

 ゆかり立ったディリーヌが振り向いた時には、他の二人が室内に走り込んでおり、それぞれキゼアとエティックを取り押さえていた。

 松明を片手に持った顎髭が横抱きにしているキゼアは、船酔いでグッタリしている。

 一方、エティックは揉み上げに激しく抵抗していたが、如何いかんせん膂力りょりょくが違いすぎ、手首をグッとつかまれると、持っていた剣をポロリと落とした。

 その様子を横目で見ながら、油断なく剣を構えたまま口髭は嘲笑あざわらった。

 前歯が何本か抜けているため、空気が漏れる擦過音さっかおんがする。

おんなじ手を二度もうかよ。念のため、ちゃんと武器は用意しといたんだ。てめえが短剣しか持ってねえのはチウチニッケに聞いてたからな。しゃあ、可愛かわいい坊やたちの首の骨を折られるめえに、しょれを捨てな。おっと、ゆっくりだじぇ」

 ディリーヌは相手から目をらさず、ふところから短剣を取り出すと静かに床に置き、軽く蹴って自分の手が届かない場所に飛ばした。

「これでいいか?」

 口髭は両方の眉を上げ、「ふーむ」ととぼけた顔で背後にいる兄弟たちに問い掛けた。

「なあ、おめえたち。この姉ちゃんはまだ武器をかくし持ってる気がしねえか?」

 すると顎髭が「ああ、そんな気がするぜ、兄貴」と答え、揉み上げは「念のため、服を脱がせた方がいいんじゃねえか、兄貴?」とふざけた口調くちょうそそのかした。

 口髭はニンマリとわらった。

 抜けた前歯のせいで滑稽味こっけいみがあるのが、余計に不気味ぶきみである。

成程なるほど、おめえたちの言うとおりだ。金髪の姉ちゃんに裸になってもらおう。姉ちゃん、聞いてたろう? ガキどもを死なしぇたくなかったら、言うとおりにしな」

 舌舐したなりするような顔で見つめる三兄弟の前で、ディリーヌは無造作むぞうさ黒革くろかわの上下を脱ぎ、胸のさらしと白い下穿したばきだけの姿になった。

「脱いだぞ」

 が、口髭はわざとらしく刺青いれずみのある肩をすくめて見せた。

「聞こえなかったのか? おれは、裸になれ、と言ったんだじぇ」

 ディリーヌは躊躇ためらわず、胸の晒をき、下穿きを脱いだ。

 抜けるように白い乳房ちぶさを隠そうともせず、胸を張った。

「どうだ。もうこれ以上脱ぐものはないぞ」

 口髭は笑みを深くした。

「ほほう、ちゃんとあしょこの毛も金髪なんだな。ちょっと色は濃いが。だが、まだだな」

「まだ?」

「ああ。服は全部脱いだが、まだ身にまとってるもんがある。人間としてのほこりしゃね。しょいつを残らずぎ取って、牝犬めしゅいぬになってもらおう。しょこで四つんいになって、尻をこっちに向けな。しゃあ!」

 さすがに表情をかたくするディリーヌをにらみながら、口髭は背後の兄弟たちにめいじた。

「おめえたち、構わねえからガキどもの首を折っちまいな!」

「待ってくれ!」

 めたのはディリーヌではなかった。

 顔色を変えたチウチニッケが、松明を持ったまま駆け寄って来た。

「騒がないでくれと言ったろう。当直が話し声に気づいて見回りに来るぞ。とにかく、一旦いったん全員倉庫の中に隠れてくれ」

 しかし、口髭は首を振った。

「こんないいとこでめられるかよ。しょれに、倉庫に入って明かりも消しちまったら、この姉ちゃんからどんな反撃をらうか知れたもんじゃねえ。しょもしょもこうなったのは、眠り薬を飲ませしょこなったてめえのしぇいだろうが。その当直ってやつは、てめえが自分で始末しろ」

「そ、そんな……」

 肉食獣にねらわれた小動物のように震えるチウチニッケに、全裸のディリーヌが意外なことを告げた。

「密航者がいると叫べ。今すぐだ」

 一瞬何を言われたのかわからず、呆然ぼうぜんとした顔になったチウチニッケだったが、すぐに振り返って大声で叫んだ。

「密航者がいるぞーっ! みんな、来てくれーっ!」

 その声に反応したざわめきが聞こえて来た時には、駆け寄った口髭の剣が一閃いっせんし、チウチニッケの首をねていた。

 が、口髭に剣を構えなおいとまを与えず、背後から蹴り上げられていたディリーヌのかかとが急降下し、口髭の後頭部を強打していた。

「あがっ!」

 瞬時に悶絶もんぜつした口髭から剣を奪うと、ディリーヌはそのまま後方に投じた。

 それはあやまたず顎髭の喉笛のどぶえつらぬいた。

 直後、ドサッと音がして、キゼアが床に落ちた。

 ようやく事態の急転に気づいた揉み上げが「て、てめえ!」と言った刹那せつな、エティックがそのかいなり抜け、落ちていた自分の剣を拾い上げるなり、から振りろした。

 が、相手の額を割る寸前でけられ、揉み上げをかすめて肩口に当たった。

「ぐげっ、この、クソガキめがっ!」

 肩から血を飛沫しぶかせながらも剣をうばい取ろうとする揉み上げの形相ぎょうそうすさまじさにひるみ、エティックは剣を手放そうとした。

 が、その手の上にディリーヌの手がえられ、強引に剣をり下げた。

 すぐに剣が肺に達したらしく、揉み上げは口から血の泡を吹いて後ろに倒れた。

 それでもまだ震えが止まらない様子のエティックのほほを、ディリーヌが平手でピシャッと叩いた。

「剣を構えた以上、るかられるかだ。気を抜くな」

「わ、わかってるさ」

 エティックの目を見て自分を取り戻したことを確認すると、ディリーヌは「逃げるぞ」と宣言し、気絶したらしいキゼアをかかえ上げた。

「昼間見た時、ともの先に救命艇きゅうめいていり下げてあった。あれを奪う。走るぞ!」

「うん!」

 幸い、倉庫のあった場所は船尾に近く、階段を駆け上がって甲板かんぱんに出ると、海上に突き出した艫に吊り下げられた救命艇の輪郭りんかくが見えた。

 が、暗い。

 月もない夜で、見張り用にともされる篝火かがりびは船首の方にあるため、細かいところは見えない。

 しかも、下の方から「死んでるぞ!」「チウチニッケの野郎だ!」「まだ仲間がいるはずだ!」「さがせ、捜せ!」という声が響いて来る。

 救命艇まではさすがに手が届かず、かといって、先に吊り綱を切れば船だけが海面に落ちてしまう。

 エティックが「ここまでかよ」となげくと、ディリーヌは今度は抱えているキゼアの頬を叩いた。

 キゼアの目がうつろにいた。

「……ああ、すみません。ぼく、ご迷惑ばかり……」

「聞け。助かる方法は一つしかない。この場から救命艇まで浮身ふしんして飛ぶのだ。乗ってしまえば、綱をほどいて海面へ逃げられる。さあ、飛べ!」

「え、でも……ああ、いえ、やってみます。エティックもぼくに体をくっつけて」

「わかった!」

 三人は身を寄せあったが、そのかんにも階段をのぼって来る多数の足音と、「見つけ次第しだい殺せ!」などという怒号どごうが近づいて来る。

 キゼアは一心いっしんに集中して呪文をとなえているが、もどかしいほど体が浮かない。

 エティックが「頼むぜ、おい」と催促さいそくした時、「いたぞ、あそこだ!」と叫ぶ声が聞こえた。

「ああ、もう、間に合わねえ。父ちゃん、母ちゃん、ごめんよ」

 なおなげき続けるエティックには構わず、ディリーヌは鋭い目で駆け寄って来る船員を睨んでいたが、その顔にもあせりの色が見えている。

 松明を前に向け、三人の姿を確認した船員が、勝ちほこったように叫んだ。

「そこを動くんじゃねえぞ! おおい、みんな、子供二人と裸の女だけだ! 早く来てくれ!」

 その時ようやく、三人の体がわずこぶし一個分ほど浮いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る