第7章 旅立ちの時

 授業を終えたブルシモンが校門を出ようとした時、スッと物陰ものかげから出て来たカランが道をふさいだ。

 相変あいかわらず警吏けいりの制服はヨレヨレで、今起きたばかりのようなれぼったい目をしている。

「お早いお帰りですね?」

 ブルシモンは「特別早くもないさ」と、赤ん坊の頭ぐらいある肩を器用きようすくめて見せた。

「必要もないのに居残いのこるほど、仕事熱心でもないのでな。やるべきことが終われば、サッサと帰るだけだ。で、おれに何か用か?」

 カランは底意地そこいじの悪そうな笑顔になった。

「約束をお忘れですか?」

「約束? はて、おまえと飲みに行く約束などしたかな?」

 カランは笑顔のまますごんだ。

とぼけないでください。保護責任者代行の署名をして、あの赤毛の坊やを実家に連れて帰ると約束したはずです。叔父だという酒臭さけくさい男が、坊やが帰って来ないと怒鳴どなり込んで来ましたよ」

 ブルシモンはゴツい岩のような顔で苦笑した。

「おお、そのことか。実は、連れて帰る途中、逃げられてしまってな。余程よほどその叔父という男がこわいらしい。まあ、そのうち見つけて帰るよう説得するよ」

 カランの作り笑いが消えた。

「そのうち? 約束が違いますね」

「違わないさ。書類には『すみやかに帰宅させること』と書いてあったが、いつまでに、との期限は書いてなかったぞ」

「あれからもう、六日むいかってるんですよ!」

「ほう。月日が過ぎるのは早いな」

 あからさまに揶揄からかわれ、瞬間的にいかりで顔を真っ赤にめたカランだったが、自分を落ち着かせるように数度深呼吸をり返した。

「……ふう。まあ、いいでしょう。あの坊やの件は、われわれとしてはどうでもいいことですから。それより、問題はあの女剣士ですよ。あなた、何か知っているでしょう?」

 ブルシモンは平静な顔で答えた。

「いや、知らんな。むしろ、おれから聞こうと思っていたくらいさ。釈放したとの連絡が来ないから、気をんでいたところだ。まさか、おれに知らせずに牢獄ろうごく収監しゅうかんしたんじゃあるまいな?」

 カランは疑わしそうににらんでいたが、急に気が抜けたように吐息とききした。

「正直に申し上げましょう。あなたと話した日の夕暮れ、わたしはあの女を宰相閣下かっかもとへ連れて行きました。まあ、こんなことをあなたに言うのも何ですが、なぐさみ者にされるだろうことは最初からわかっておりましたとも。おお、そう怖い顔をしないでくださいな。これも、宮仕みやづかえのつらいところですよ。まあ、今までの例でいうと、おおむねお気に入りとなって妾宅さいたくを与えられることになり、数日後、身柄引き渡しの書類が送られて来ることが多かったのです。しかし、本当にまれにですが、おたのしみが過ぎて女が死んでしまった場合には、遺体いたいを引き取りに来いとめいじられます。取り調べ中の不慮ふりょの事故死、ということでね」

「きさまっ、それでも刑事官かっ!」

 顔色を変えてなぐりかかろうとするブルシモンに、カランは両手を広げて笑って見せた。

「殴って気がむなら、どうぞ。でも、話はこれから本題になりますよ。聞きたくないのですか?」

 ブルシモンは自分のこぶしをもう一方の手でおさえた。

「……話せば、いいだろう」

 立場が逆転し、今度はカランが皮肉な笑みを浮かべた。

「わたしがここまで明けけに内情を暴露ばくろしたのは、あなたの協力が欲しいからです。あなた、北大陸の出身ですよね?」

 ブルシモンは、自分の極端に短くった銀色の髪をで、薄い灰色の目を見開みひらいた。

「ふん。生まれはな。だが、おれが五歳の時に両親と海を渡ってこっちに来てから一度も戻ったことはないから、向こうのことはあんまりおぼえちゃいない。それがどうした?」

 カランは、何故なぜかまため息をいた。

「北大陸には文明と呼べるようなものがなく、人もけもの同然の暮らしをしている、というのは本当ですか?」

 ブルシモンは鼻にしわを寄せた。

馬鹿ばかにするな! 確かに国家らしい国家はなかった気がするが、各民族それぞれに、それなりに充実した暮らしをしていたぞ。まあ、多少こちらより寒冷で、農作には向かぬ土地だがな」

「そうですか。ならば、普通に生活はできるのですね?」

「当たり前だろう。何を寝言ねごとみたいなことを言ってるんだ?」

 カランは力なく微笑ほほえんだ。

「本当に夢なら良かったのですが……。実は昨日、宰相閣下に呼び出されましてね。いきなり、刑事官の任をくと告げられたのです。あらたな任務として、百名ほどの部隊をひきいて海峡を渡り、北大陸に駐屯地ちゅうとんちつくるようにと厳命げんめいされました。これは明らかな左遷させん、いえ、流罪るざいのようなものです。その時閣下は、何故なぜ似合にあわない太い襟巻えりまきをされていましたし、不機嫌ふきげんそのもののお顔でしたから、何かあったなと直感しました。思い当たるのは、あの女剣士のことしかありません。あなた、あの女を逃がしましたね?」

 今度こそブルシモンは、一切の表情を消した。

「知らんなあ」

 が、カランはそれ以上追及しなかった。

「まあ、それはもういいのです。今更いまさらあの女を連れ戻したところで、一度決定した異動はくつがえりませんからね。それより、頼みがあるのです。わたしと一緒に、北大陸へ行ってもらえませんか?」

「どういう意味だ?」

 問い返されるのは想定内であったらしく、カランはニヤリと笑ってふところから書類を取り出した。

「任命状です。あなたを北大陸派遣はけん部隊の副隊長に任じます。これはすでに、帝国軍学校の校長にも了解をています」

 ブルシモンの顔に、自嘲じちょうするようなみが浮かんだ。

「それは頼みではなく、命令だな」

 カランも当然のようにうなずいた。

「そういうことですね。出発は三日みっか後ですから、早めに支度したくをしてください」

 ブルシモンはおこるより、むし呆然ぼうぜんとして「三日後……」とつぶやいた。

「……とても無理だ。それじゃ授業の引きぎもできん。荷物をまとめるいとまもない。それに……」

 カランの眠そうな目が、探るように細められた。

「それに、何です? あなたは軍学校の独身職員りょうにお住まいと聞いていますよ。ご両親も既に他界され、扶養家族はいないはず。それとも、内縁の妻か、かくでもいらっしゃるのですか?」

 ブルシモンはあきらめたように吐息といきした。

「いや、そんな者はおらんさ。わかった。何とかに合わせよう。が、先程さきほども言ったように、向こうの記憶はほとんどないから、道案内などできぬぞ」

 それに対し、カランは謎めいたことを告げた。

「構いません。どうせ、誰にも道案内などできないでしょうから」


 カランと別れたあと、真っぐ独身寮に戻ったブルシモンは、ガタガタとわざとらしく物音を立てて荷造りをしていたが、日没を待って、こっそり裏口から外へ出た。

 周囲を警戒しつつ市内をグルグルと歩きまわり、尾行がいないことを確信したのか、らしい古びた邸宅ていたくの門の中へスッとすべり込ませた。

 夕闇が迫って来ており、荒れ放題ほうだい敷地内しきちないは薄暗い。

 様子をうかがうように少し待ってから、半開はんびらきのとびら隙間すきまから屋内に入った。

 そのままブルシモンは、家具も何もない伽藍がらんとした部屋の真ん中にジッと立っていたが、不意ふいに「いるのか?」とささやいた。

 と、部屋のすみの空気がおぼろれた。

「ディリーヌさんは出掛けました。どうも、退屈されたみたいです」

 その声はキゼアのようだ。

 ブルシモンは小さく舌打ちして「しょうがないやつだな」とつぶやいた。

 と、その背後から「すまん」という声がして、ブルシモンはハッとして振り返った。

 そこには、体にピッタリした黒革くろかわの上下をたディリーヌがいた。

 ブルシモンの様子を面白がるように笑っている。

「この数日間でキゼアの隠形おんぎょう随分ずいぶん上達したが、横で見ていたわたしも気配を消す訓練をしていたのだ。どうだ、わからなかったろう?」

 ブルシモンも「それはそれとして」と苦笑した。

「おたずね者が市内をうろつくな。今度つかまったら、おれはもう助けんぞ」

「わかってるさ。が、お尋ね者の手配書は、まだまわされていなかったな」

「ああ。ダナルークめ、カランにも本当のことはしゃべらなかったようだ。あんなやつでも、多少はずかしいという気持ちはあったんだな。それより実は……いや、下で話そう。やはりここでは落ち着かん」

「そうだな。キゼア、けてくれ」

 部屋の隅から「はい」と返事があり、キゼアが姿をあらわすと同時に、足下あしもとゆかとびらのようなものが見えた。

 キゼアが取っ手をつかんで引き上げると、中から燈明とうみょうの光がれた。

 地下に部屋があるようだ。

「さ、お早く」

 キゼアにうながされ、ブルシモン、ディリーヌと床下ゆかしたりたあと、キゼア自身も扉を閉めながら中へ入った。


 そこは、石造いしづくりの地下室であった。

 中は意外なほど広く、普通に四五人しごにんで暮らせそうである。

「何か食べますか?」

 キゼアに聞かれて「いや」と断ろうとしたブルシモンであったが、反射的に鼻をヒクつかせて「ほう。いいにおいだな」と顔をほころばせた。

「肉と野菜の煮込にこみか?」

「ああ、なかなかうまいぞ」

 そう答えたのはディリーヌであったが、ブルシモンはキゼアに「では、ご相伴しょうばんあずかろう」と笑顔を向けた。

 ディリーヌも苦笑して「わたしが作ったとは思わんのか?」といた。

 ブルシモンは、大げさに驚いて見せた。

「おれを殺す気か? いや、すまん。材料をきざむぐらいはしたかもしれんな」

 すると、「その通りですよ」とキゼアも笑った。

「刃物のあつかいはさすがです。もっとも、すぐにきてしまわれましたけど」

 ディリーヌは鼻を鳴らした。

「動かない相手では、切っても面白くないからな。そういえば、あの風采ふうさいの上がらない中年男から、わたしの剣は取り戻せそうか?」

 ブルシモンはフーッと息をき、「まあ、食べながら話そう」と円卓えんたくいた。


 共に食事をしながらブルシモンからひと通りの経緯いきさつを聞き終えたディリーヌは、不快そうに顔をしかめた。

「あの変態親爺おやじ、どうやら本気だな」

「本気?」

 聞き返したのはキゼアだが、ブルシモンも首をかしげている。

「そこはおれも不思議に思った。おまえの件でカランに腹癒はらいせするにしても、何故なぜ北大陸へ部隊を送るというような話になるのか、とね」

 ディリーヌは言うべきか迷っているようであったが、軽く首を振って「いずれ話す」と言葉をにごした。

 ブルシモンもそれ以上は聞かず、話を戻した。

「ともかく三日後には、おれは船に乗って海を渡ることになる。校長も承認してるんじゃ断れないしな。そこで問題なのは、おまえたちのことだ。さいわいエティックは外にいて自由に動けるから、食料や水は適宜てきぎ運び込むように頼んで置く。が、いずれにしろ、ここに長居ながはできん。カランがはずされたということは、別の人間に捜査そうささせるつもりだろう。いや、もう既に動き出しているかもしれん。なるべく早い段階で市内から出た方がいい」

 ディリーヌは何かを決意したように大きく息を吸った。

「ならば、わたしも北大陸へ渡ろう。ああ、いや、勿論もちろんおぬしたちの船に乗るわけにもいかぬから、別の船で行くことにする。まあ、いまだ手配書は廻されていないとはいえ、普通の客船には乗れぬから、密航ということになろうが」

「うーん、それはどうかな。確かに海峡を渡ってしまえばダナルークの手もおよぶまいが、密航業者にろくやつはいないぞ」

 ディリーヌは歯を見せて笑った。

「わかっているさ。こっちが女一人となれば、悪さを仕掛けて来よう。その時には、足腰あしこし立たぬほどたたきのめしてやる」

 と、食器を片付かたづけていたキゼアが「ぼくがお供します!」と声を上げた。

「未熟ですが、いざとなればぼくの隠形で……」

 皆まで言わせず、ディリーヌが「駄目だめだ!」とさえぎった。

「おぬしはもう帰った方がいい。あの飲んだくれとて、まさか身内みうちのおぬしを殺しはすまい。日常に戻れ。それに、船酔いする人間を船旅に連れては行けぬ」

 が、キゼアは引き下がらなかった。

「そもそもディリーヌさんがこんなことになってしまったのは、ぼくを助けようとしてくれたからじゃないですか。その恩返しをさせてください。それに、船酔いのことなら、エティックに薬草を持って来るように頼みます。お願いです!」

 ディリーヌが何か言う前に、ブルシモンが「案外それがいいかもしれん」と口をはさんだ。

「おれもエティックからキゼアの叔父のことは色々聞いたが、この先一緒に暮らしても、キゼアが幸せになるとは思えん。いっそ家を飛び出して、一人で生きる才覚さいかくけた方がいい。そのためには、これはいい機会だろう。おれもその方が安心だ」

 ディリーヌはなおも文句を言いたそうだったが、スッと片手をげて二人を黙らせると、もう一方の手で偶々たまたま近くにあった野菜切り包丁を握り、地下室の天井にある扉に向かって投じた。

 コツンという乾いた音を立てて扉に突き刺さった包丁の先には、赤い虫のようなものが付いている。

 それを目にしたブルシモンの顔色が変わった。

「あ、あれは、密告結社けっしゃおさフェティヌール侯爵こうしゃくの使い魔、紅蜘蛛べにぐもだ……」

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