第5章 黒衣の宰相

 帝都ヒロールの西区にある警邏けいら庁から中央区の行政府まで続く幹線道路は、薄く切り出した石材でなめらかに舗装ほそうされており、四頭立ての馬車がひっきりなしに往来している。

 警邏庁は交通も管轄かんかつしているから、その紋章の入った馬車が通る際には、一般の馬車は道路脇にけてやり過ごすのが慣行かんこうとなっていた。

 そして今、ブルシモンとエティックを乗せたカランの馬車が、一般人の馬車が両脇に停車した道路の中央を走り出した。

 その馬車の中で、ブルシモンが知り合い二人が逮捕されたという話を切り出すと、不機嫌ふきげんそのものの表情で聞いていたカランのれぼったいまぶたが、ピクピクと痙攣けいれんするように動いた。

「……ほう、そうですか。で、わたしにその二人を釈放しろと?」

 みずからが二人を逮捕したことなどおくびにも出さず、カランは探るようにブルシモンにいた。

 すると、ブルシモンが答えるもなく、横からエティックが口をはさんだ。

「当たりめえだろ! あの女剣士のねえちゃんが何をやらかしたか知らねえが、キゼアは巻き込まれたにちげえねえんだ! あいつだけでも助けてやってくれ!」

 これには、ブルシモンも顔をしかめて「口をつつしめ、エティック!」としかった。

 が、カランは気味きみが悪いほど静かな声で「わかりました」と応じた。

「調べてみましょう。その上で、お二人が無実とわかればすぐに釈放させますよ」

 エティックが「キゼアは無実に決まってるさ!」と叫ぶのをブルシモンが「少し黙っておれ!」とたしなめ、改めてカランに頭を下げた。

「頼む。キゼア少年は無論だが、ディリーヌも決して悪い人間ではない。もし、何か法をおかすようなことをしたとしても、ちゃんとした理由があるはずだ」

 カランはおざなりに「そうでしょうとも」とこたえたが、すぐに御者ぎょしゃの方に向かって「馬車をめよ! お客人たちがりられる!」とめいじた。

 さらに何か言おうとするブルシモンの機先きせんを制し、カランは「これから公務なので」と断った。

 ブルシモンも「そうだったな」とうなずき、まだ不満そうに口をとがらせているエティックに「降りるぞ」とうながした。

 が、馬車を降るとすぐ、ブルシモンは「ちょっとあやしいな」とつぶやいた。

「え? 何がです?」

 いぶかるエティックに、ブルシモンは苦笑した。

「おまえが騒いだせいで降ろされたのかと思ったが、おれたちが素直に降りようとしたら、あいつ、ホッとした顔をしやがった。おそらく、この件は初耳じゃないな。いや、ひょっとしたら、あいつ自身が何かかかわっているのかもしれん。いずれにせよ、二人がおれの知り合いだとわかった以上、あまり乱暴な取り調べなどはしないだろう。まあ、もう少し様子を見た方がいい」

 エティックは下唇を突き出して「そんなに暢気のんきに構えてて、大丈夫かよ、先生?」と少し甘えるようにたずねた。

 が、それに対する答えは、「さあな」というないものであった。


 一方、二人を馬車から降ろしたカランは、何度も舌打ちしていた。

「ったく、余計なことばかり。これじゃ、あの女と子供を釈放するまで、あのうるさい二人が何遍なんべんでもたずねて来るでしょうね。ああ、もう、わずらわしいったら、ありゃしないっ!」

 つい声が大きくなり、御者が「はい?」と返事をした。

「何でもありませんよ! それより、ちゃんと前を見て走らせなさい!」

「あ、いえ、もう到着しましたんで」

 それを聞いてカランは大きく深呼吸した。

「ふう。宰相閣下かっかにお会いするたびに、ちょっとずつ寿命がちぢんでいる気がしますよ。まあ、これも仕事のうち、というより、これこそ一番大事だいじな仕事でしょうがね」

 サッと身繕みづくろいを整えると、カランは馬車を降りて行政府の門をくぐった。

 行政府は巨大な白亜の殿堂でんどうで、皇帝宮こうていきゅうを除けば市内で一番大きな建築物である。

 長い廊下を通り抜け、何度か階段をのぼり、宰相執務室の両開りょうびらきの大きなとびらの前に立った時には、カランの息が少し上がっていた。

 扉の両脇に立っている儀仗兵ぎじょうへいの一人に来意らいいを告げていると、室内から「通して良いぞ」という声が聞こえて来た。

 儀仗兵たちが左右に扉を開くと、入ってすぐ正面の机に、白髪の担当秘書官が座っていた。

 秘書官は分厚ぶあつい台帳をめくり、「ご記帳ください」と告げた。

 カランは小さくめ息をいてから、サラサラと用件をしたため、最後に署名すると「お願いします」と台帳を返した。

 秘書官は「では、控室ひかえしつにてお待ちを」と告げ、奥へ引っ込んだ。

 カランは落ち着かない様子で横の控室に入ったが、ほかに待っている者はおらず、比較的短時間で秘書官が戻って来た。

「これより、ダナルーク閣下がご面会くださいます」

「あっ、ありがとうございます!」

 思わず飛び上がるようにして椅子から立つと、カランは秘書官のあとをついて行った。

 さらに二回扉を通り抜け、やっと普段宰相ダナルークのる私室の前に着いた。

 行政府に勤務する者たちは、ひそかにこの部屋を奥の院と呼んでいる。

 と、秘書官が姿勢を正し、室内に向かって静かに声を掛けた。

「警邏庁刑事官のカランさまが参られました」

 返事がないのが了承りょうしょうしたということらしく、秘書官が「どうぞ」と言いながら扉を開けてくれた。

 カランはゴクリと唾を飲んでから、中へ入った。

「カランでございます」

 小さめの声で告げながら深々と頭を下げ、その姿勢で待った。

 と、どろえるような異様に低い声で「報告せよ」と告げられた。

「はっ」

 それでも一気に顔を上げず、おそかしこむように、徐々に、徐々に視線を上げて行った。

 重厚な木目の机が見え、その上に積み上げられた書類が見え、黒い絹織きぬおりの服が見え、何重にもたるんだあごが見え、蛞蝓なめくじのようにヌメッとした分厚ぶあつい唇が見え、大きく胡坐あぐらをかいた鼻が見え、黒々とした目の下のくまが見え、死んだ魚のようなにごったが見え、深くきざまれたひたいしわが見え、産毛うぶげのように薄くなった茶色の頭髪が見えた。

 カランは相手の威光いこうに打たれたというていでもう一度頭を下げると、「では、申し上げます」と少しだけ顔を上げ、あまり相手の顔を直視しないように気をつけながら、事件のあらましを説明した。

 聞き終わってもしばらく返事がなく、さすがにカランもれて顔を上げると、黒衣こくいに身を包んだダナルークの、意外に広い背中が見えた。

「え?」

 いつのにかダナルークは椅子から立ち上がっており、背後の壁に掛けられている大きな地図をながめていたのだ。

 地図にはフェケルノ帝国とその周辺諸国を含む南大陸の北半分と、その北にある海峡をはさんで、北大陸の沿岸部も描かれている。

「これをどう見る、カラン?」

 背中を向けたままのダナルークに問われ、カランは返答にきゅうした。

「どう、とは?」

 思わず反問してしまい、あわてて「失礼をいたしました」とびたが、ダナルークは自分の思いに沈んでいるらしく、自身で答えた。

「わが帝国は、このままではあやうい。そうであろう?」

「あ、はい」

 取りえず同調したものの、相手の真意がわからぬため、カランは余計なことは言わずに聞く姿勢を取った。

 ダナルークは振り返ろうともせず、指で帝国の国境をなぞった。

「見るが良い。わが帝国の周辺は敵国ばかり。これ以上の領土拡大は望めず、国勢は衰退すいたいする一方いっぽうだ。民衆は怠惰たいだな生活を送り、その心の隙間すきまねらって妖魔が跳梁跋扈ちょうりょうばっこしておる。それに対抗すべき魔道師どもは、おのれの出世と保身に汲々きゅうきゅうとするばかり。しかも、われらを導くべき皇帝陛下へいかは……」

 さすがにそこで言葉を切ると、ようやくダナルークはこちらに向きなおった。

「ふむ。何故なにゆえこのような話をするのかと、不審ふしんに思っておろう?」

「いえ、決して、そのようなことは」

 おびえたように身をすくませるカランに、ダナルークは不気味ぶきみ微笑ほほえみを向けた。

「心配せずとも良い。あの神官は陛下の縁者えんじゃとはいえ、何かと素行そこうに問題のあった人物。殺されたとしても、自業自得じごうじとくであろう。しかも、犯人ともくされる二人のうち、一人は年端としはもいかぬ子供らしいではないか。その子供はすぐに釈放せよ」

「ははっ」

「が、女子おなごの方はわしが直々じきじきに取り調べるゆえ、ここへ連れて参れ」

 カランは思わずニヤリとしそうになり、すぐに「かしこまりました」と言いながら頭を下げた。

 それを知ってか知らずか、ダナルークは弁解するように続けた。

「別に美しい女だからというわけではないぞ。金髪碧眼きんぱつへきがんであるとすれば、北大陸の奥地から渡来した者であろう。わしが最前より申しておる帝国の危機を、あるいは打開するよすがとなるやもしれぬのだ」

「はあ? それはどういう……、あ、すみません」

 相手の意図が読めずにカランが困惑するのをたのしんでいるかのように、ダナルークのみが深くなった。

「カランよ。その方、古代ツェウィナ人の秘宝のこと、存じておるか?」

 カランは鼻で笑いそうになって、あわてててのひらかくした。

「そりゃあ存じておりますが、あれは御伽噺おとぎばなしたぐいでしょう?」

 が、ダナルークは笑みを消した。

「わしもそう思っておった。が、密告結社けっしゃおさフェティヌールより、有力な情報が入ったのだ。少なくとも、何らかの遺跡が残っているのは間違いないらしい。そこで、だ。わしは北大陸に部隊を派遣してはどうかと考えた。わしとて、秘宝を手に入れた者がこの世界すべての覇者はしゃとなるなどという話を、字義じぎどおりに受け取っておるわけではない。が、現在の国際情勢の均衡きんこうを破る手段となるやもしれぬ」

 どう解釈していいのかわからず、半笑いで聞いていたカランに、ダナルークの怒声どせいが飛んだ。

無礼者ぶれいものめっ! 何だその馬鹿ばかにしたような態度はっ! ええい、鞭打むちうち百回をめいずるっ! ただちに拷問士ごうもんしを呼べっ!」

 カランは床につくばって謝った。

「ど、どうかおゆるしを! 女はすぐに連れて参りますので、どうか、どうか、ご勘弁かんべんくださりませーっ!」

 床に額をこすり付けているカランには見えなかったが、奥の扉が開いて半裸のゴツい体格の男があらわれた。

 目と口以外をおお黒革くろかわの袋を頭からスッポリとかぶり、同じ黒革の長いむちを手に持っている。

 男が鞭で床を打つと、その音だけで、カランはビクッと身を強張こわばらせた。

 が、男が一歩前に出ようとしたところで、ダナルークが「待て」と命じた。

一先ひとまがっておれ」

 男は黙ってうなずき、出て来た扉から戻って行った。

 震えながら「ありがとうございます。ありがとうございます」とり返すカランに、ダナルークは嘲笑あざわらうようにして告げた。

「その方の苦しむ様を見ても楽しゅうはないからのう。わしの気が変わらぬうちに、くその女を連れて参れよ」

「ははーっ、御意ぎょいのままに!」


 宰相執務室を出てしばらくは覚束おぼつかない足取りだったカランも、行政府の門前で待っている馬車に戻った時には昂然こうぜんと胸を張っていた。

「警邏庁に戻ります」

「へい。意外にはようございましたね」

 追従ついしょう笑いを浮かべる御者に、カランは冷たい視線をびせ、黙って馬車に乗り込んだ。

 が、一人になった途端とたん、「くそっ!」と毒吐どくづいた。

「あの変態じじぃめ! 散々人を甚振いたぶりやがって! どうせ早くあの女をしばり上げ、鞭で打たせたくてウズウズしてるんでしょうよ! ああ、もう、好きにしたらいいんです! どうなろうと、わたしの知ったことじゃありません! ブルシモンが文句があるなら、自分で言いに行けばいいんです! わたしは知りませんよ!」

 声が大きくなりすぎ、御者が「はい?」と聞いて来たため、「ああ、何でもありません!」と告げると、声を低めた。

「それにしても、古代ツェウィナ人の秘宝なんかを本気にするなんて、いよいよあのさまも耄碌もうろくしたんでしょうか? それとも、何か確たる証拠でも? ああ、いや、そんなこと、わたしの考えるべきことじゃありませんね。サッサとあの女を渡して、この件はもう忘れることにしましょう。どうせ、あの変態の手に渡れば、女が生きて日の目を見ることはありますまい」

 カランはなおもブツブツとひとちていたが、警邏庁に着いた時には、いつもの眠たそうな表情を取り戻していた。

 が、馬車を降りるのと同時に、警邏庁の前で待っているブルシモンとエティックに気づき、ハッとしたように目を見開みひらいた。

「どうしたんです? まだ何か話があるのですか?」

 ブルシモンが苦笑して「そうなんだ」と答えた。

「帰ろうとしてたんだが、自分たちが腹が減ってるのに気づいて、せめて何か食い物を差し入れしてやろうと思ったのさ。で、市場いちばですぐに食べられる果物くだものを買い込んで戻って来たんだ。そしたら、おまえの許可がなければ、それもできないと言われてな。なあ、頼むよ。ちょっとだけでも面会させてくれないか?」

 カランは無理に笑顔を作り、「その必要はありませんよ」と告げた。

「キゼアという少年は今すぐ釈放しますから、連れて帰ってくださいな」

 エティックは「やったぜ!」と喜んだが、ブルシモンはカランとたような作り笑顔でたずねた。

「ディリーヌはどうなる?」

 すると、カランは底意地そこいじの悪そうな笑顔に変わり、「本当は言ってはいけないのですが」と気を持たせながら、ささやくような声で告げた。

「宰相閣下が直々にご下問かもんなさりたいとのことなので、これから行政府へ連れて行くつもりです」

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