第4章 孤島の罠

 背後から声を掛けられてもディリーヌはまったく動ぜず、干したさらしを整えてからゆっくりと振り返った。

「やっとあらわれたな」

 あらわになった真っ白な乳房ちぶさかくそうともせず、そう言ってわらった。

 ディリーヌの前に、月明かりに照らされて三人の男が立っていた。

 ガリガリにせた男と太った男にはさまれて、兄貴分らしいガッチリした筋肉質の男が、顔の下半分をおおう黒いひげの間から黄ばんだ歯をき出しにして笑っている。

「その綺麗きれいなおっぱいを見せりゃ、おれたちがなさけを掛けるとでも思ってるなら大間違おおまちげえだぜ、あおの姉ちゃん。まあ、多少剣の腕は立つらしいが、てめえが着替えてるに、ほれ、このとおりさ」

 髭面ひげづらはディリーヌの剣を、さやの真ん中を片手で握った状態で持ち上げて見せた。

 が、ディリーヌは動揺するふうもなく、鼻で笑った。

「慎重にあつかってくれよ。その剣はれ味が良すぎるから、たまに自分をきずつけることもあるのだ」

「ふん、剣なんか使わねえさ。てめえみてえな上玉じょうだま傷物きずものにしたんじゃ、値打ちが下がるからよ」

 髭面が下卑げびた声で笑うと、痩せた男と太った男もおもねるように笑う。

 ディリーヌも笑顔のまま、大げさに驚いて見せた。

「ほう。三人とも船乗りだと聞いていたが、女衒ぜげん真似まねもするのか?」

 ディリーヌの皮肉に痩せた男が顔色を変え、裏返った声で反撥はんぱつした。

「黙れ、この人殺しめ! てめえ、ケスの神官さまをバラしやがったろう!」

 ディリーヌは悪びれずにうなずいた。

「ああ、殺したよ。そうそう、死ぬ前におまえたちに礼金れいきんを渡したとか言っていたが、別に恩にる必要はないぞ。あやつは骨のずいまで妖魔に取りかれていた。殺してやるのが慈悲じひというものだ」

「何だと、このあま!」

 さらに言いつのろうとする痩せた男を、髭面が剣を持っていない方の片手をげておさえ、ディリーヌに向かって告げた。

「たとえそうだとしても、だ。ケスの神殿は今、大騒ぎになってる。おれたちも役人に疑いを掛けられて困ってるんだ。一応、あの神官の死んだ時にゃ船の上にいたから放免ほうめんされたが、ほかに仲間がいるんじゃないかと散々さんざんしぼられたんだぜ。で、いっそ、おれたちで下手人げしゅにんを取っつかまえてやろうと調べてみた。すると逆に、昼間おれたちのことをぎ回ってた女がいたことがわかったのさ。赤毛の坊やをおれたちがさらったんじゃないかって、な。その女、このあたりじゃ珍しい金髪だったらしい。しかもそのあと、この夜更よふけに子供連れで小舟に乗って海へ出た女を見たって聞き込んだ。それが、てめえだろ?」

 髭面がしゃべっている間に太った男の姿が見えなくなっていたが、それには気づかなかったのか、ディリーヌは平静に答えた。

「ああ。あの子が友達と二人でわたしの知り合いのところへ行った帰りに、一人でケス神殿へ向かったと聞き、何故なぜ胸騒むなさわぎがしたのだ。近所をさがしていたら、人相の悪い三人組が気絶した子供をかかえて神殿の裏門から入るところを見たと聞いたのでな。に合って良かったよ」

 髭面は盛大に鼻を鳴らした。

「ちっとも良くねえ。先にもらった礼金は、右から左、借金をけえすのに消えたからな。あの神官、また見目みめのいい坊やを連れて来たら、たんと礼金をはずむと言ってたんだぜ。せっかく太い金蔓かねづるができたのによ。てめえのせいで、おれたちゃまた貧乏暮らしに逆戻りだ。だからその穴埋あなうめは、てめえ自身にしてもらうのさ!」

 と、その時ディリーヌの頭がスッと下がり、背後から伸びて来た太い腕がくうを切った。

 直後、ディリーヌの左足が後ろ向きにり上げられ、「げふっ!」といううめき声と共に、太った男が後方へ飛ばされた。

 髭面は「てめえっ!」と叫びながら持っていた剣を抜きはなち、突進しながらディリーヌに迫ったが、ヒョイとたいかわされて蹈鞴たたらを踏んだ。

 ディリーヌは止まらずに前へ走り、その勢いのまま痩せた男のあごに右の掌底しょうていを下から打ち込んだ。

「へぐっ!」

 もんどり打ってひっくり返った痩せた男には目もくれず、ディリーヌは振り向いて身構えた。

 と、すでに体勢を立て直していた髭面が、大上段から剣を振り下ろして来た。

 その寸前、腰に巻いていたかわの上着の袖をほどいていたディリーヌは、袖を握って髭面の方へ上着を投げつけた。

 バサッと音がして剣が上着を両断した時にはディリーヌの姿はそこになく、あわてて周囲を見回した髭面は、ハッとして上を向いた。

 月明かりの中、大きく跳躍ちょうやくしたディリーヌの白い下穿したばきが頭上に見えた。

 が、その時にはもう、頭上を通り過ぎたディリーヌの右脚みぎあしが振り戻されて来ており、直後、かかとが髭面の後頭部を強打した。

「!」

 三人の中で髭面だけは声も出せず、一瞬で悶絶もんぜつしていた。

 その時、パチ、パチ、パチと、かわいた拍手の音が聞こえた。

「なかなかの見物みものでしたよ。武術の腕もそうですが、何よりその姿態したいの美しさは、それだけでもぜにが取れますねえ」

 そう言いながら木陰こかげからあらわれたのは、警吏けいりらしい制服を着た男だった。

 もっとも、その制服はヨレヨレになっており、着ている本人も風采ふうさいの上がらない中年であった。

 今起きたばかりのようなれぼったい目をしている。

 寝癖ねぐせがついたままの茶色の髪を手櫛てぐしで付けながら「が、それはそれとして」と世間話せけんばなしのように続けた。

「わたしはこう見えても、帝国警邏けいら庁の刑事官けいじかんでしてね。カランと申します。あなたの容疑は、強盗殺人並びに未成年者の誘拐ゆうかいですと。おお、重罪ですねえ。さあ、大人しくばくについてくださいな」

 ふざけた口ぶりの割には、カランの眠そうな目は少しも笑っていない。

 むしろ、下穿き一つしか身に着けていないディリーヌの方が表情に余裕がある。

「誤解だな。どこまで話を聞いていたのか知らんが、あの神官は妖魔に取り憑かれていたのだ。しかも、いたいけな少年の肉体で自分の欲望を満たそうとしていた。よって、成敗せいばいしただけのこと。不審があるなら、魔道師にあの神官の遺体いたいを調べさせれば良い」

 が、カランは下唇を曲げて首を振った。

「残念ですが、それはできない相談ですねえ」

「ほう、何故なぜだ?」

 カランは、わざとらしくめ息をいた。

「あの神官が、皇帝陛下へいか縁者えんじゃだからですよ。われわれも指一本れられないまま、すで埋葬まいそうされました。よって、妖魔云々うんぬんは最初からかったことになり、残ったのはあなたの殺人罪と誘拐罪だけ、というわけです」

 ディリーヌの表情が変わった。

馬鹿ばかな! 百歩ゆずって殺人は事実としても、誘拐など……」

 不意ふいに言葉を途切とぎらせたディリーヌの視線の先に、数名の邏卒らそつに引きられるように連れて来られたキゼアの姿が見えた。

 キゼアは後ろしばられた上に猿轡さるぐつわまされており、何かを訴えるように激しく首を振っている。

 カランは肩をすくめた。

「手荒なことはしたくなかったのですが、この赤毛の少年がひどく暴れましてね。り物の邪魔じゃまになるので、静かにしてもらいました。おっと、先に言っておきますが、あなたが抵抗なさるようなら、この少年がもっと可哀想かわいそうなことになりますよ」

「きさま!」

 ディリーヌが一歩出ようとしたのと同時に、邏卒の一人が持っていた槍の穂先ほさきをキゼアの心臓の辺りに突き付けた。

 ディリーヌはギリッと奥歯を噛んで動きをめ、カランをにらみつけた。

「この少年に罪はなかろう。いや、きさまの言い分のとおりなら、むしろ被害者ではないのか?」

 カランはとぼけたようにポリポリと頭をいた。

「実は、かれの叔父という人物から捜索願そうさくねがいが出ておりましてね。どうも保護者に内緒で帝都に出て来たようです。で、そのただし書きに、反抗的な態度を取るようなら少々乱暴にあつかっても構わない、とありまして。おっと、動かないでください。わたしも、こんな愛らしい少年が血を流すのは見たくありませんから。それに、あなたはもう囲まれていますよ。無駄むだな抵抗はおめなさいな」

 カランの言うとおり、キゼアを連れて来た数人だけでなく、周囲から十名を超える邏卒が姿を見せた。

 それでも剣があれば何とか切り抜けられたろうが、その時には、倒れた髭面が握ったままの剣をカランが取り上げていた。

「へええ。随分と珍しい剣を持っていますねえ。この刃文はもんえは、この国のものではありませんね。ふむ。これは証拠品として、わたしが預かっておきます。さてさて、それでは捕縛ほばくいたしましょう。皆さん、くれぐれも油断せぬように!」

 意外にりんとした声でカランがめいじると、邏卒たちは一斉いっせいに縄を取り出し、下穿き一つで立っているディリーヌをからった。

 ディリーヌはえて抵抗もせず無言のまま縛られていたが、邏卒たちの方がおびえており、必要以上に十重二十重とえはたえと縄を掛けた。

 縄の間から、ふたつの乳房だけがみ出している。

 カランは感情を込めずに「宰相さいしょう閣下かっかがこれをご覧になったら、よだれらして喜ぶでしょうがね」とつぶやいた。

「さあ、皆さん、引きげますよ!」

 と、帰還を命じたカランのところへ邏卒の一人が駆け寄ってたずねた。

「船乗り三名は、如何いかがいたしましょう?」

 カランの表情に、初めて酷薄こくはくなものがあらわれた。

ろくでもない連中です。生きていれば、あることないことれ回るでしょう。始末しなさい」

「はっ!」


 翌朝。

 帝国軍学校の錬成場れんせいじょうで早朝鍛錬たんれんの準備をしていたエティックのところへ、担当教官のブルシモンがけわしい顔でやって来た。

「すまんが、今日の朝錬あされんは中止だ」

 早くも厳しい鍛錬にを上げかけていたエティックは、一瞬うれしそうな顔になったが、ブルシモンのただならぬ様子に表情を引きめた。

「何か、あったんですか?」

 ブルシモンは言うべきか迷っているようだったが、周囲に他人ひとがいないことを確認すると、声を低めて告げた。

昨夜ゆうべディリーヌが逮捕たいほされた」

「えっ?」

「しかも、キゼアも一緒いっしょらしい」

「どういうことすか!」

「しっ! 声が大きい。おれもまだくわしいことがわからん。とにかく警邏庁へ行ってみるつもりだ。おまえはどうする?」

「行くに決まってるでしょう!」

 ブルシモンは、粗削あらけずりの岩のような顔をしかめた。

「ならば約束してくれ。何があっても感情的になったり、暴れたりしないと」

「そんなの、行ってみなきゃわかりませんよ!」

 口をとがらせるエティックの肩を、ブルシモンのゴツい手が押さえた。

ことこじれたら、二人の命にかかわるんだ。くれぐれも冷静さを保ち、二人を安全に外へ出してやらねばならん。自重じちょうしてくれよ」

 エティックは自分を落ち着かせるように深呼吸してから「わかりました」とこたえた。

「でも、なんか伝手つてはあるんすか?」

 ブルシモンは、らしくもなく吐息といきした。

「あるにはあるが、あいつの本音ほんねはおれにも読めん」

「あいつ?」

「ああ。おれが軍学校初等科の生徒だった頃、同級生だった男だ。今は警邏庁の刑事官になっているはずの、カランという変わり者だ」

「伝手がないよりは、いいですよ」

「だと、いいがな」


 警邏庁は帝国の行政を実質的に取り仕切しきっている宰相直属の機関であり、その長官は宰相自身が兼務している。

 従って昨夜の逮捕の詳細については、刑事官のカラン自身が宰相のいる行政府へ出向いて行わねばならなかった。

「死んだのが皇帝の縁者でなきゃ、こんな面倒はなかったのにねえ」

 ブツクサと愚痴ぐちりながらカランが出かける準備をしているところへ、来客が知らされた。

あとにしてください。わたしはこれから、あの、宰相閣下のところへ行くのですよ」

 断られた役人は、すがるような表情でなお懇願こんがんした。

「ですが、相手は刑事官の古い知り合いだと申されておりますし、何より一緒に来ている若者が物凄ものすごい目でにらんでおりまして」

 カランは冷たく言い返した。

「あなたも警邏庁の人間でしょう? まあ、事務官ではあるのでしょうが、それでも外部の人間にめられてどうするのですか? あまりしつこいなら、公務の執行しっこうを妨害したかどで、牢屋にブチ込んでやりなさい!」

 その時部屋の外から「止まれ!」「それ以上中に入るな!」「逮捕するぞ!」というような制止の声と、「通してくれ!」「通せって言ってんだろ!」という声が交錯こうさくして聞こえて来た。

 カランが「あの声は……」といぶかった時にはバーンという音と共にとびらけられ、左右から役人たちにしがみ付かれた状態でブルシモンがたちが入って来た。

「なあ、カラン。昔馴染むかしなじみのよしみで、話だけでもさせてくれ」

 カランは普段は眠たそうな目をカッと見開みひらき、怒声どせいはなった。

「おしずまりなさい! そんなことをせずとも、話ぐらい聞いてあげます! ただし、時間がありませんので特別に同乗を許可しますから、行政府へ向かう馬車の中で話してください!」

「おお、有難ありがたい。やはり、持つべきものは友だな。エティック、おまえも大人しくしてろよ」

 ブルシモンは破顔一笑はがんいっしょうしたが、カランはしぶい顔のまま「北大陸の野蛮人め!」と小声でののしった。

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