第2章 白亜の魔宮

 帝都ヒロールは、別名を白亜はくあみやこという。

 城下の建物は白亜の石造りに統一され、定期的な研磨けんまが義務付けられており、白く美しい街並みが維持されている。

 その一角にある帝国軍学校の門の前に、エティックとキゼアの二人がいた。

 あのダンバの森の事件から、四日後のことである。

「さあ、ここまで来たらもういいだろう。ぼくは帰るよ」

 キゼアにそう言われると、エティックは少し心細こころぼそげな顔になった。

「う、うん。まあ、そうだよな。指導教官のブルシモンという人に、女剣士ディリーヌの知り合いだと言えばいいだけだからな。それぐらい、おいら一人でやんなきゃ……。でも、本当に大丈夫かな?」

 キゼアは苦笑した。

「打ち首になるかもってのは、悪い冗談さ。あの女剣士は多少ぶっきらぼうだが、悪い人じゃないと思うよ」

「だよな」

 うなずいたものの、エティックの顔色は今一つえない。

 と、門の中から「そこでゴチャゴチャしゃべってないで、さっさと入って来いよ」という野太のぶとい声がした。

 ギクリと強張こわばらせる少年二人の前に、立派な体格をした中年男があらわれた。

 身長こそエティックと然程さほど変わらないが、肩幅かたはばも胸の厚みも倍近くある。

 その胸の上に、そこら辺の山から持って来た岩をポンと置いたような粗削あらけずりなゴツい顔がってる。

 極端に短くった髪は銀色で、瞳の色も薄い灰色だから、北大陸からの渡来人かもしれない。

 男は意外にも人懐ひとなつっこい笑顔を浮かべ「昨日、ディリーヌから手紙が届いた。で、エティックってのはどっちだ?」といた。

 が、エティックが口をひらく前に自分で答えていた。

「ああ、訊くまでもなかったな。そっちのちっこいのが剣士を目指めざすはずもなかろう。あっ、いや、決しておまえを馬鹿ばかにしているのではないぞ。見たところ、エティックよりかしこそうだしな」

 少年二人ともに失礼なことを言うと、男は豪快ごうかいに笑った。

 やや鼻白はなじろんで口をつぐんでしまったエティックのわりに、キゼアがたずねた。

「指導教官のブルシモンさまでしょうか?」

 男は改めてキゼアの顔を見て「ふむ。いい面構つらがまえをしておるな」と感心してから、エティックに向きなおった。

「おれが帝国軍学校指導教官のブルシモンだ。エティックとやら、ずっと黙っておるが、入学したいというのは虚言そらごとだったのか? それとも、早くも臆病風おくびょうかぜに吹かれたか?」

 顔を真っ赤にして「何だと、この野郎!」とこぶしを握ったエティックを、横からキゼアが「よせっ!」とおさえようとしたが、ブルシモンが「めなくていいぞ」と笑った。

如何いかに旧友ディリーヌの知り合いだとはいえ、無試験で通すわけにはいかん。学科試験を免除めんじょしてやる代わりに、今から実技試験をしてやろう。おれは素手すでだが、おまえは武器を使っても良いぞ。さあ、いつでも掛かって来い!」

 そう言われたとて、丸腰まるごし無造作むぞうさに立っている相手に剣を向けることなどできるはずもない。

 エティックは腰に差していた剣をさやごと抜き、キゼアに渡した。

 それを見たブルシモンが揶揄からかうように「心意気こころいきは立派だが、無謀むぼうと勇気があるのとは違うぞ」と告げた刹那せつな、振り返ったエティックは物も言わずになぐりかかった。

 すさまじい勢いで右に左に拳がり出されたが、ブルシモンはすずしい顔で体を前後左右にすって受け流し、紙一重かみひとえのところで見切っている。

「どうした? 遠慮はらんぞ」

「くそっ!」

 エティックは両腕を前に構えたまま少し腰を落とし、半歩はんぽみ込むと、必殺の気合いで回しりをはなった。

 が、ブルシモンの脇腹わきばらに当たる寸前、エティックのすねは片手でつかまれていた。

 何らかの急所を押えているらしく、それだけでエティックは動けない。

 しかも、ふしくれだった太い指先が脛にい込むほど強く握られている。

「ぐあっ!」

 思わず声を上げたエティックのガラきの股間こかんに向かって、ブルシモンの前蹴りが放たれた。

「待ってください!」

 キゼアが叫ぶのとほぼ同時に、ブルシモンのいている方の腕が上がって自分の顔面をかばうと、そこにザッと砂粒が当たった。

 そのかんにブルシモンの蹴りだしたあしは空中で止まっており、ゆっくりと体勢を戻しながら、掴んでいたエティックの脛をポンと放した。

 そのまま尻もちをいてうめくエティックには目もくれず、ブルシモンはキゼアに問いただした。

何故なにゆえかような真似まねをした?」

 キゼアも多少声を荒げて答えた。

「あのままではエティックが殺されると思ったからです」

 ブルシモンは口をゆがめて笑った。

「本当に殺すつもりなら、最初にやっている。おまえは武道を知らぬから無理もないが、あれは途中で止めるつもりの蹴りだったのだ。逆に、おまえが目潰めつぶしの砂を投じたことによって手許てもとが、いや、足許あしもとが狂い、本当に当たったかもしれぬぞ」

 ハッとしたようにキゼアがエティックの方を見ると、泣き笑いのような顔で「本当ほんとだぜ。おいらもヒヤッとしたよ」と言いながら立ち上がった。

「で、おいらは合格だろ、先生?」

 ブルシモンは軽く肩をすくめた。

「まあ、一通ひととおりの心得こころえはあるようだな。あときたかた次第しだいだろう。何より物怖ものおじしない糞度胸くそどきょうと、気持ちの切り替えの早さが気に入った。入学を認めよう」

有難ありがてえ!」

 飛び上がって喜んだエティックは、すぐに「いててっ」と脛を押さえた。

 それを横目で見ながらフッと笑ったキゼアは、改めてブルシモンに頭を下げた。

先程さきほどはご無礼いたしました。どうか、エティックをよろしくお願いいたします」

 笑顔でうなずきながらブルシモンは「おまえはもう帰るのか?」と聞いた。

 キゼアの表情が少しかげった。

「はい。畑仕事が残っていますので、駅馬車を乗り継ぎ、明日の朝までには帰らなければなりません」

 そのままきびすを返そうとするキゼアの腕を、首尾しゅびよく自分の目的を果たして上機嫌じょうきげんのエティックが掴んだ。

「そんなに急いでけえるこたぁねえだろ? せっかく帝都ヒロールまで来たんだぜ。後学こうがくのために、悪名高いニキサの遊郭ゆうかくでも冷やかしてみたらいいじゃねえか」

 キゼアがこたえるより早く、ブルシモンがたしなめた。

「やめた方がいい。そもそも未成年者は場内に入れてくれぬし、途中で悪いやつつかまれば、スンチュの男娼窟だんしょうくつにでも売り飛ばされるぞ」

 言い出したエティックも「ああ、そうだった。すまねえ」とびた。

「おいらと違っておめえはちょっと可愛かわいらしいから、その手のやからねらわれるかもしれねえ。まあ、せいぜい気をつけて帰んなよ」

 キゼアも苦笑して「おまえに言われたくないよ」と言い返した。

「まあ、帰る前に寄りたいところが、なくもないけどね」

「へえ。どこだ?」

「ケス神殿さ」

 すると、横で聞いていたブルシモンがいぶかしむような顔をした。

「ほう。確かおまえたちはアナン州、つまり旧アナン王国の者だとディリーヌの手紙に書いてあったと思うが?」

「ええ。アナン州のアージュ村の者です。けれど、ケスの女神はヒロールだけでなく、帝国全体の守り神でもあるはずでしょう?」

 ブルシモンは下唇を少し突き出した。

「まあ、建前たてまえとしては、な。が、実際には……。ああ、いや、おれの言うべきことではないな。止めはせんが、充分に気を付けて、あまり長居ながいはせぬことだ」

勿論もちろんそのつもりです。馬車の出発まであまり時間もありませんので、お参りだけさせていただき、すぐに帰ります。では」

 改めてエティックに「達者たっしゃでな」と別れを告げ、預かっていた剣を手渡すと、キゼアは時をしむように足早あしばやに立ち去った。


 女神ケスは、ヒロールが小さな港町であった時代からの守り神で、町の発展と共にそのやしろも大きくなり、旧フェケルノ王国が周辺の四王国を制覇せいはして帝国となってここを帝都と定めた際に、白亜の大神殿が造営ぞうえいされた。

 元々海運の守護神であったためその神殿は海に向かって建てられており、真っ直ぐな参道の先は海岸まで続いている。

 キゼアは市街地の方から歩いて行ったため、その裏門の方に到着した。

 美しく整備された表門とは違い、どこかしら陰気で、空気も少しよどんでいるようだ。

 初めてここをおとずれるキゼアはそんなことは知らなかったものの、「小さくてもアナン州のジュラ神殿の方がずっと綺麗きれいだったな」とつぶやいた。

「今、何て言いやがった、田舎者いなかもん?」

 近くに人がいるとは思わなかったキゼアは、ギクリとして声がした方を見た。

 太い門柱の後ろからあらわれたのは、胡乱うろんな様子の三人の男たちだった。

 一人はガリガリにせて顔色が悪く、もう一人は逆に歩くのも大儀たいぎそうに太っており、最後の一人はガッチリした筋肉質で、顔の下半分を黒いひげおおわれている。

 その髭の間から、黄ばんだ歯が見えた。

「何て言ったかって、聞いてんだ。もう一遍いっぺん言ってみろよ」

 最初に声を掛けたのもこの髭面ひげづらの男で、後の二人は警戒するように周辺を見回している。

 キゼアに連れがいないか確認しているのだ。

 折悪おりあしく通行人もおらず、助けを求めることもできない。

 精神を集中する余裕があれば、不完全でも魔道の隠形おんぎょうで逃げられるだろうが、今はとても無理である。

 キゼアは極力相手を刺激しないように、おだやかな声であやまった。

「失礼があったなら、すみませんでした。別に、このケス神殿をおとしめるつもりで言ったのではありません。地元のジュラ神殿は、小さいながら掃除が行き届いていたなと思い出しただけです」

 髭面がゆがんだ笑みを作った。

「へええ。するとてめえは、おれたちの神殿が汚ねえと、そう言うんだな?」

「いえ、決してそのような……。おれたちの?」

 ひたすら謝ってこの場から逃げるつもりが、キゼアはつい疑問を口にしてしまった。

 すると、痩せた男が甲高かんだかい声で叫んだ。

「当たりめえだろ! ケスの女神は、おれたち船乗りの守り神なんだ! てめらみてえなド田舎の百姓ひゃくしょうに、おれたちの苦労がわかるかよ!」

「何が言いたいんですか?」

 思わず反問した後、キゼアはしまったという顔になった。

 いつの間にか太った男が背後に回っており、退路をふさいでいることに気づいたのだ。

 髭面が、黄色い歯をき出してわらった。

「この一月ひとつきほどケスのご機嫌が悪くてな。ずっと海が時化しけてるんだ。おれたち船乗りは商売上がったりさ。今日も今日とて、何とか海をおだやかにしてもらおうと、いのりに来たのよ。願いを聞き届けてくださるのなら、お望みの供物くもつささげますと祈ってる時に、てめえの声が聞こえたってわけさ。だからよ、覚悟を決めな」

「よせっ! 人身御供ひとみごくうなど、神は望まれ……」

 キゼアの叫びは、後ろから回された太い手によって中断された。

 耳元でゼイゼイとあえぐ声が聞こえ、太い腕が容赦ようしゃなく首をめ、キゼアの意識が遠のいた……。


 ……キゼアが意識を取り戻すと、薄暗い室内に横たわっていた。

 床は大理石らしく、ひんやりと冷たい。

「目をましたようですね?」

 声のした方を向いたが、暗すぎて人物の輪郭りんかくしか見えない。

 長い髪をしているが、声の感じは男のようだ。

 少なくとも、あの三人組ではなかった。

 その時になってようやく、キゼアは両手を後ろでしばられていることに気づいた。

「助けてください。悪い奴らに捕まって……」

 長い髪の男は、何故なぜかホホホと女のような笑い方をした。

「わかっていますよ。でもね、かれらも生活が苦しいあまり、あんなことをしたのです。だから、たっぷりとおれいのおかねは渡してやりましたよ」

「お礼?」

「ええ、そうですとも。わたくしも聖職者として自分の欲望を抑え、ここ数年はスンチュの男娼窟に行くのを我慢がまんしていたのですが、もう限界だと思っていたのです。それが、ああ、神の御恵みめぐみにより、こうして可愛らしい稚児ちごさずかることができるとは! ケスの女神よ、感謝いたします!」

「な、何を言ってるんですか、あなたは?」

 キゼアの質問には答えず、長い髪の男は蠟燭ろうそくに火をともした。

 男は年齢不詳ながら、貴族的な整った顔をしており、長い髪も瞳も漆黒しっこくであった。

 白い貫頭衣かんとういを着ており、玉石ぎょくせきつないだ首飾りをしているところを見ると、神官であろう。

 が、キゼアはその男の様子より、ほかのことに目をうばわれていた。

 らめく炎に照らされた室内には、おぞましい拷問ごうもん器具のようなものがズラリと並んでいる。

 壁のあちこちに点々と着いているみは、どうやら血痕けっこんのようだ。

 絶句するキゼアの耳に、嘲笑ちょうしょうするような男の声が聞こえて来た。

「おやおや、そんなに目を見開みひらいて。こわいのですか? 安心しなさい。最初から道具なんか使いませんよ。時間はタップリあるのですから、少しずつ、少しずつ、たのしみましょうね。そのうち、あなたの方から望むようになるでしょう。いっそ、もう殺してくれ、とね。ああ、でも、すぐには死なせませんよ。快楽けらくのあまり、のたうち回りながら、すべての本性ほんしょうさらけ出して死ぬのです。たまりませんねえ。さあ、可愛がってあげましょう」

 長い髪の男がクワッと口を大きく開くと、太い男根だんこんのような舌がゾロリと出て来た。

 舌は蛇のようにウネウネとくねりながら伸びて、キゼアの顔に迫って来ている。

「ううっ、妖魔だったのか!」

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