第1章 淫魔の棲む森

「ダンバの森に妖魔が出るらしいぜ。今夜いっしょに退治しに行かねえか?」

 背後から声を掛けられた小柄こがらな男は聞こえないのか、黙々と農作業を続けている。

「おい、無視すんなよ。聞こえてんだろ、キゼア?」

 キゼアと呼ばれた男はわざとらしく大きなめ息をくと、手に持っていたすきを置いて振り返った。

 青年、と呼ぶにはまだ少し早い年頃の、十代前半ぐらいの少年であった。

 この地方に多い薄茶色うすちゃいろの瞳に、赤い髪をしている。

 ややあどけなさの残る顔にあきれたような表情を浮かべ、自分に声を掛けた男に言い返した。

「見てのとおり、ぼくはまだ仕事中だ。おまえだって今頃は、剣術学校にいる時間じゃないのか、エティック?」

 エティックもキゼアと然程さほど違わない年齢のようだが、頭一つ分は背が高く、そでを引きちぎったような服からのぞく上腕はキゼアの太腿ふとももぐらいある。

 また、髪も瞳もはだの色もキゼアよりずっと濃い。

 エティックは獲物えものねら猛禽類もうきんるいのような表情で、白い歯をき出しにして笑っている。

「あそこはもうめたよ。師範しはんがヨボヨボのじいさんで話になんねえ。おいら決めたぜ。こんな田舎いなかにゃおさらばする。帝都ヒロールへ行って帝国軍学校に入るんだ。夢は……そうさな、飛竜ひりゅう部隊への入隊だな。飛竜を自在にあやつって大空を飛び回るんだ。うらやましいだろ?」

 キゼアは肩をすくめた。

「好きにすればいいさ。で、それと妖魔退治と、何の関係があるんだ?」

 エティックはここぞとを乗り出した。

「本当なら剣術学校の師範に推薦状を書いてもらうんだが、喧嘩けんか別れみてえなことになっちまってさ。で、おいらの剣の腕前を示す手柄てがらるんだよ」

 キゼアは、今度は態とではなく、本気の溜め息を吐いた。

「おいおい。妖魔は剣技けんぎだけで倒せる相手じゃないぜ。その種族ごとに色んな魔力を持ってるしな」

 エティックは白い歯を見せた。

「だからさ、おめえの協力が必要なんだよ。おめえにゃ魔道の素質があるって、以前巡回して来た皇立おうりつ魔道学校の魔道師が言ってただろ?」

 キゼアは遠くを見るようなをした。

「……そんなこともあったな。が、ぼくは魔道師になる気はないよ。ここで畑をたがやして生きて行くと決めたんだ。さあ、もう行ってくれ。無駄話むだばなしなんかしてるとこを見つかったら、また叔父さんにしかられる」

 エティックは不満そうに下唇したくちびるを突き出した。

「あんな強欲ごうよく親爺おやじに尽くしたって、ろくなことはねえぜ。おめえの両親が流行はややまいで死んだのをいいことに、ちゃっかり土地を自分のものにして、おめえを小作人こさくにんみてえにき使いやがって。自分は昼間っから飲んだくれてるじゃねえか」

 その時、母屋おもやの方から太い声がした。

「キゼア! 酒がなくなったぞ! 市場いちばに行って買って来い!」

 それまで平静だったキゼアの顔に、はじめて少年らしい困惑の表情が浮かんだ。

 それを見たエティックは、ニヤリと笑った。

「なあ、ぜにがねえんだろ?」

「……」

 キゼアが返事をしないことが、そのまま返事になっている。

 エティックはポンポンとキゼアの肩をたたいた。

心配しんぺえすんな。おいらが立て替えといてやるよ。いや、もし、今夜妖魔退治に付き合ってくれるんなら、その前金ってことでいいぜ。ああ、勿論もちろん、成功したら報酬は別にちゃんと払う。どうだ?」

 なおも返事を躊躇ためらうキゼアに、母屋から催促さいそくの声が追いかけて来た。

「聞こえねえのか、キゼア! 酒を買って来ねえなら、晩飯は抜きだぞ!」

「はい、すぐに行って来ます!」

 大声でこたえた後、キゼアはもう一度大きく溜め息を吐いて、エティックにたずねた。

「現地集合でいいか?」


 ダンバの森は、キゼアたちの住むアージュ村のはずれにある薄暗い森である。

 と言っても、アージュ村の東側をふさぐようにそそり立つジャブル山脈をおおっているような本格的な森林ではなく、村人がき付けにするえだを拾いに来るような小さな森にすぎない。

 日が暮れてからこっそり家を抜け出し、月明かりだけを頼りに歩くキゼアも、そのことに引っ掛かっていた。

「……ダンバの森に妖魔が出るなんて、今まで聞いたこともない。エティックには悪いが、虚報ガセだろうな」

 と、前方で松明たいまつを振るのが見えた。

 続いて、押し殺した声で「こっちだ!」と呼ぶのが聞こえた。

 エティックの声に含まれる緊迫感に、何かあったなとキゼアは直感した。

 なるべく足音を立てないようにしながら近づくと、声を低めて「どうした?」といた。

 エティックは小さく舌打ちしてからささやいた。

「しっ。声が大きい。近くに野盗団がいるんだ」

「野盗団?」

「ああ。最初はわからなかったが、がらの悪そうな男たちの中に、ほほにでっかい刀創かたなきずのある男がいた。賞金首の手配書で見たことがあるやつだ」

「全部で何人ぐらいだ?」

「うーん、少なくとも十人以上だろうな」

「そうか。ならば、今日はめにしよう」

 が、エティックは首を振った。

駄目だめだ。その刀創野郎が仲間に指図さしずする声が聞こえたんだ。『妖魔をつかまえて見世物小屋みせものごやに売ろうぜ』ってな」

「だったら猶更なおさらだ。巻き込まれて怪我けがでもしたら、元も子もない。引き上げよう」

 キゼアが腕を引いても、エティックは動かない。

いやだ。せっかくの獲物えものを、あんなやつらにられたくない。それに、これは逆に好都合こうつごうかもしれねえ」

「好都合?」

「そうだ。あいつらが妖魔とやり合ってる時に、横合いからズバッとり込むんだ」

 エティックは腰に差した剣を抜いて見せた。

 いつも練習に使うような木剣ぼっけんではなく、多少さびついてはいるが本物の剣である。

 エティックの依怙地いこじになっている表情を見て、キゼアはあきらめたように小さくうなずいた。

「わかった。とにかく様子を見てみよう。簡単な隠形おんぎょうなら習ったことがあるから、その剣をしまって、ぼくにピッタリくっついてくれ」

 二人がを寄せ合うと、その姿がおぼろかすんだ。

 が、完全には消えず、ゆらゆらとれる色彩がわずかに見えている。

「昼間じゃなくて幸いだったな」

 キゼアのつぶやく声が聞こえ、もやのような色彩が森の方へ移動し始めた。

 森に近づくにつれ、野盗団らしき男たちの声が聞こえて来たが、意外にも殺気立ったものではなく、むしろ官能的とさえ思えるような湿しめった声であった。

 かすかに淫靡いんびな香りもただよっている。

「こりゃ変だな?」

「しっ。静かに」

 小声でやり取りするうちにも、靄のような色彩は森の奥に進んだ。

 森の中央部には、昔は沼だったというほぼ円形のき地があり、男たちはそこに集まっていた。

 男たちはそれぞれ松明を手にして、何かを取り囲むように立っている。

 その真ん中に、異様なものが見えた。

 一見、全裸の女体にょたいのようだが、足の先は植物の根のように何本にもかれて地面からえており、両腕は枝のように伸び、細長い指先には青々とした葉がしげっている。

 長い緑色の髪と見えるのも、植物のくきのようである。

 しかし、その顔だけは間違いなく人間のものであり、それもふるい付きたくなるような美女であった。

 豊満なふたつの乳房ちぶさも、大きく張り出したしりも、ぬめぬめとしたつやびており、取り囲む男たちは完全にせられているようだ。

 それが妖魔であることは明らかであるのに、野盗団の男たちは皆とろけるような表情で口を半開はんびらきにし、はあはあと切なそうにあえいでいる。

 何故なぜか全員が腰をクネクネと動かしていて、よく見れば、女体の両脚りょうあしあいだから伸びた白い陰毛いんもうのような多数の細い髭根ひげねが、男たちの股間こかんあたりを愛撫あいぶするかのようにうごめいているのだ。

 妖魔というより、これは淫魔いんまであろう。

 ついたまりかねたように男たちの一人が洋袴ズボン下穿したばきを脱ぎ捨てて半裸はんらになると、その勃起ぼっきした男根だんこんに白く細い髭根が多数巻き付き、蠕動ぜんどうするかのようにしごき始めた。

 それだけではなく、根の一部は尿道にもぐり込み、さらに何本かは肛門こうもんに差し込まれた。

「くうっ!」

 その男がうめきながら放精ほうせいすると、残った男たちも我先われさきに洋袴と下穿きを脱いで下半身をあらわにした。

 阿鼻叫喚あびきょうかんというには男たちの表情が快楽けらくに満ちたものであったが、一度射精しても根は離れず、次の射精へ向けて動き続け、数度り返すうち精液に血が混じり始めると、男たちの顔にも苦悶くもんの色があらわれて来た。

「い、いけねえ。このまんまじゃ、みんな死ぬぜ」

 思わずエティックが声を上げると、淫魔がこちらに顔を向けた。

 ニッと笑うと、ねっとりとからみつくような声で「それでかくれてるつもりかえ、坊やたち? 出ておいで。可愛かわいがってあげるよ」とさそった。

「バレたならしょうがない」

 そうキゼアが言った時には、二人の少年の姿があらわれていた。

 エティックはすでに剣を抜いていたが、その剣先は細かく震えている。

 淫魔の笑みが深くなった。

「そんな物騒ぶっそうなものは早くお捨て。強がっても、あんたもうってるじゃないか。あたしと気持ちのいいことをしたいんだろ?」

だまれ!」

 そう叫んだのは、意外にもキゼアの方であった。

「おまえのごとき妖魔は、く魔界へ去れ!」

 が、相手は少しもおそれなかった。

「おうおう、威勢いせいの良い子供じゃないかえ。いきがったところで、どうせ童貞どうていだろ? 女の味を教えてやるよ。さあさあ、こっちへおいで、坊やたち」

 そのかんにも野盗団の男たちは、のたうち回りながら射精し続けている。

 キゼアは淫魔に聞こえないよう声を低め、エティックに「今のうちに逃げよう」と告げた。

「う、うん。でも……」

 り腰になっているエティックの股間には、既に白い髭根がからみついていた。

「何してる! そんなもの、早く斬るんだ!」

 キゼアに言われてハッとしたように、エティックは剣を旋回せんかいさせた。

 が、その寸前、髭根はエティックを離れ、キゼアの方へ伸びて来ていた。

「くそっ!」

 クルリと背を向けて走り出したが、髭根もどんどん伸びて追って来る。

 走りながらも肛門の辺りにゾワゾワした髭根の当たる感触があり、それが前に回り込んで来る。

「やめろ!」

 叫びながら振り返ったキゼアの目の前を、突如とつじょ黒い颶風ぐふうのようなものが通り過ぎたかと思うと、淫魔の悲鳴が聞こえて来た。

「痛いっ! 痛いよーっ! 斬らないでおくれ!」

 つんのめるように立ち止まったキゼアが見ているにも、黒い旋風せんぷうのような人影が、右に左に剣を振りつつ、淫魔の髭根を斬り払っている。

「だ、誰?」

 黒い人影はそのまま淫魔の本体に迫り、大上段だいじょうだんに剣を振り上げた。

 美しかった淫魔の顔が恐怖に引きれ、必死に命乞いのちごいをり返している。

「ああ、お願いだよ、殺さないでおくれ。悪気わるぎはないんだ。男たちを揶揄からかって遊んでいただけさ。もし、その中におまえの色男が混じっていたのなら、あやまるよ。おお、そうだ。あたしは女だって喜ばせることができるんだよ。おまえも気持ち良くなりたいだろ?」

 淫魔の根の一部が地面から引き抜かれてクネクネと変形すると、表面にびっしりといぼえた男根のようになった。

「ほれ、どうだい? この張形はりかたで、おまえをなぐさめてやるよ。 だからさ、殺さないでおくれ」

 その時になってようやくキゼアは、黒い人影が女であることに気づいた。

 体にピッタリした黒革くろかわの服を身にまとい、長い金色の髪を後ろでしばって馬の尻尾しっぽのようにらしている。

 こちらから見えないその顔面に、淫魔の太い張形のような根が近づくと、剣を一閃いっせんさせて斬り捨てた。

 淫魔が絶叫するのに構わず、更に一歩踏み込んで、脳天からぷたつに両断した。

 同時に、艶めいた女体の肌はゴワゴワした樹皮じゅひに変わり、美しかった顔はふしくれだった切り株のようになった。

 その周囲に倒れている野盗団の男たちは息もえであったが、まだ死んではいないようだ。

 完全に淫魔が古木こぼくに変わったことを見届けると、黒革の女は剣をさやに収めて振り返った。

 その顔は驚くほど色白で、青空のようにあおい瞳をしていた。

大事だいじないか、子供?」

 そう尋ねる女の言葉には、耳慣みみなれないなまりがあった。

 聞かれたのは明らかにキゼアであったが、その手前で座り込んでいたエティックが「ああ、なんとか生きてるぜ!」と返事をした。

 キゼアは少し遅れて「助かりました。ありがとうございます」と頭を下げた。

「せめて何かおれいをさせてください」

 女は表情を変えず「無用」とだけ告げ、そのまま立ち去ろうとした。

 すると、突然エティックがその前に進み出て、両手を地面に着いて叩頭こうとうした。

姐御あねご、おいらを弟子にしてくれ!」

 が、女の返事はにべもなかった。

「断る」

「そう言わねえでくれよ」

 女の足首をつかもうと伸ばしたエティックの手が届く前に、女はスッと一歩下がっていた。

「あまりしつこいと、痛い目をみるぞ」

 剣だけでなく、何らかの体術も心得ていそうな女に、エティックは不貞腐ふてくされたようにうらごとをいった。

「なんでえなんでえ、えらそうにしやがって。せっかくおいらが妖魔を退治しようとしてたのに、獲物を横取りしやがって」

 これには、女よりもキゼアがおこった。

「命の恩人になんてことを言うんだ、エティック! いくら帝国軍学校へ入るための手柄が欲しいからって、あんまりだろう!」

 それを聞いて、初めて女の表情が動いた。

「ほう。おぬし、帝国軍学校に入りたいのか。ならば、指導教官のブルシモンに、ディリーヌの知り合いだと言ってもよいぞ。運が良ければ、入れてくれるだろう」

 エティックが何か言う前に、キゼアが質問した。

「運が悪ければ、どうなるのです?」

 ディリーヌという女剣士は、皮肉な笑みを浮かべて答えた。

「運が悪ければ、打ち首だな」

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