第1章 淫魔の棲む森
「ダンバの森に妖魔が出るらしいぜ。今夜いっしょに退治しに行かねえか?」
背後から声を掛けられた
「おい、無視すんなよ。聞こえてんだろ、キゼア?」
キゼアと呼ばれた男は
青年、と呼ぶにはまだ少し早い少年であった。
この地方に多い
ややあどけなさの残る顔に
「見てのとおり、ぼくはまだ仕事中だ。おまえだって今頃は、剣術学校にいる時間じゃないのか、エティック?」
エティックもキゼアと
また、髪も瞳も
エティックは
「あそこはもう
キゼアは肩を
「好きにすればいいさ。で、それと妖魔退治と、何の関係があるんだ?」
エティックはここぞと
「本当なら剣術学校の師範に推薦状を書いてもらうんだが、
キゼアは、今度は態とではなく、本気の溜め息を吐いた。
「おいおい。妖魔は
エティックは白い歯を見せた。
「だからさ、おめえの協力が必要なんだよ。おめえにゃ魔道の素質があるって、以前巡回して来た
キゼアは遠くを見るような
「……そんなこともあったな。が、ぼくは魔道師になる気はないよ。ここで畑を
エティックは不満そうに
「あんな
その時、
「キゼア! 酒がなくなったぞ!
それまで平静だったキゼアの顔に、
それを見たエティックは、ニヤリと笑った。
「なあ、
「……」
キゼアが返事をしないことが、そのまま返事になっている。
エティックはポンポンとキゼアの肩を
「
「聞こえねえのか、キゼア! 酒を買って来ねえなら、晩飯は抜きだぞ!」
「はい、すぐに行って来ます!」
大声で
「現地集合でいいか?」
ダンバの森は、キゼアたちの住むアージュ村の
と言っても、アージュ村の東側を
日が暮れてからこっそり家を抜け出し、月明かりだけを頼りに歩くキゼアも、そのことに引っ掛かっていた。
「……ダンバの森に妖魔が出るなんて、今まで聞いたこともない。エティックには悪いが、
と、前方で
続いて、押し殺した声で「こっちだ!」と呼ぶのが聞こえた。
エティックの声に含まれる緊迫感に、何かあったなとキゼアは直感した。
なるべく足音を立てないようにしながら近づくと、声を低めて「どうした?」と
エティックは小さく舌打ちしてから
「しっ。声が大きい。近くに野盗団がいるんだ」
「野盗団?」
「ああ。最初はわからなかったが、
「全部で何人ぐらいだ?」
「うーん、少なくとも十人以上だろうな」
「そうか。ならば、今日は
が、エティックは首を振った。
「
「だったら
キゼアが腕を引いても、エティックは動かない。
「
「好都合?」
「そうだ。あいつらが妖魔とやり合ってる時に、横合いからズバッと
エティックは腰に差した剣を抜いて見せた。
いつも練習に使うような
エティックの
「わかった。とにかく様子を見てみよう。簡単な
二人が
が、完全には消えず、ゆらゆらと
「昼間じゃなくて幸いだったな」
キゼアの
森に近づくにつれ、野盗団らしき男たちの声が聞こえて来たが、意外にも殺気立ったものではなく、
「こりゃ変だな?」
「しっ。静かに」
小声でやり取りするうちにも、靄のような色彩は森の奥に進んだ。
森の中央部には、昔は沼だったというほぼ円形の
男たちはそれぞれ松明を手にして、何かを取り囲むように立っている。
その真ん中に、異様なものが見えた。
一見、全裸の
長い緑色の髪と見えるのも、植物の
しかし、その顔だけは間違いなく人間のものであり、それも
豊満な
それが妖魔であることは明らかであるのに、野盗団の男たちは皆
妖魔というより、これは
それだけではなく、根の一部は尿道に
「くうっ!」
その男が
「い、いけねえ。このまんまじゃ、みんな死ぬぜ」
思わずエティックが声を上げると、淫魔がこちらに顔を向けた。
ニッと笑うと、ねっとりと
「バレたならしょうがない」
そうキゼアが言った時には、二人の少年の姿が
エティックは
淫魔の笑みが深くなった。
「そんな
「
そう叫んだのは、意外にもキゼアの方であった。
「おまえの
が、相手は少しも
「おうおう、
その
キゼアは淫魔に聞こえないよう声を低め、エティックに「今のうちに逃げよう」と告げた。
「う、うん。でも……」
「何してる! そんなもの、早く斬るんだ!」
キゼアに言われてハッとしたように、エティックは剣を
が、その寸前、髭根はエティックを離れ、キゼアの方へ伸びて来ていた。
「くそっ!」
クルリと背を向けて走り出したが、髭根もどんどん伸びて追って来る。
走りながらも肛門の辺りにゾワゾワした髭根の当たる感触があり、それが前に回り込んで来る。
「やめろ!」
叫びながら振り返ったキゼアの目の前を、
「痛いっ! 痛いよーっ! 斬らないでおくれ!」
つんのめるように立ち止まったキゼアが見ている
「だ、誰?」
黒い人影はそのまま淫魔の本体に迫り、
美しかった淫魔の顔が恐怖に引き
「ああ、お願いだよ、殺さないでおくれ。
淫魔の根の一部が地面から引き抜かれてクネクネと変形すると、表面にびっしりと
「ほれ、どうだい? この
その時になって
体にピッタリした
こちらから見えないその顔面に、淫魔の太い張形のような根が近づくと、剣を
淫魔が絶叫するのに構わず、更に一歩踏み込んで、脳天から
同時に、艶めいた女体の肌はゴワゴワした
その周囲に倒れている野盗団の男たちは、息も
完全に淫魔が
その顔は驚くほど色白で、青空のように
「
そう尋ねる女の言葉には、
聞かれたのは明らかにキゼアであったが、その手前で座り込んでいたエティックが「ああ、なんとか生きてるぜ!」と返事をした。
キゼアは少し遅れて「助かりました。ありがとうございます」と頭を下げた。
「せめて何かお
女は表情を変えず「無用」とだけ告げて、立ち去ろうとした。
すると、突然エティックがその前に進み出て、両手を地面に着いて
「
女の返事は
「断る」
「そう言わねえでくれよ」
女の足首を
「あまりしつこいと、痛い目をみるぞ」
剣だけでなく、何らかの体術も心得ていそうな女に、エティックは
「なんでえなんでえ、
これには、女よりもキゼアが
「命の恩人になんてことを言うんだ、エティック! いくら帝国軍学校へ入るための手柄が欲しいからって、あんまりだろう!」
それを聞いて、初めて女の表情が動いた。
「ほう。おぬし、帝国軍学校に入りたいのか。ならば、指導教官のブルシモンに、ディリーヌの知り合いだと言ってもよいぞ。運が良ければ、入れてくれるだろう」
エティックが何か言う前に、キゼアが質問した。
「運が悪ければ、どうなるのです?」
ディリーヌという女剣士は、皮肉な笑みを浮かべて答えた。
「運が悪ければ、打ち首だな」
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