第一〇話 婚約の提案
ルオが話しを切り出したあと、彼は横に立っているハミルトンさんに目配せする。ハミルトンさんは応答し、二枚の書類をルオに渡す。
「今からレイラにはレッド家の館にきてもらうが、お前に役割を与えなければならない。理由は分かるな」
ルオの言葉にうんと答える。
当然、無償で公爵家に面倒をみてもらえるとは思わなかった。きっと仕事が与えられるだろう。でも、どんな仕事でも今の状況より悪くなることなんてない。むしろ、公爵家で働けるのはきっと多くの女性にとって憧れのはずだ。メイドが一番人気の仕事って聞くし。
「メイドでもすればいいの?」
「そういう道もあるが……」
歯切れが悪いルオは持っている二枚の紙を交互に見て、テーブルに置く。
「ここに二つの提案がある。一つはレイラが言った通り使用人として俺に仕えることだ」
ルオはテーブルに置いた一枚の紙を私の方にスライドさせて見せてくれる。紙一面に文字が一杯書いてある、労働時間やら休憩の取り方やら、ちゃんとした雇用契約書のようだ。
「もう一つはこれだ。婚約誓約書で俺と婚約関係を結ぶことだ――」
――――ん?
ルオはもう一枚の紙をスライドさせて見せてくれたけど、それどころじゃない。
「今なんて言いました?」
つい敬語になってしまった。
「もう一つの提案は俺と婚約関係を結ぶことだ、と言った」
聞き間違いかな? 頭でルオの言葉を理解できないのに。体が理解しているのか顔が熱くなっている気がする。
「だから、俺の許嫁になって館に住むことだ」
ゆっくりと首を傾けたあと、急速にもう一つの提案を理解する
「ええええええっ⁉」
ボンっと頭が沸騰した。
私は思わず両膝を両腕で抱え込んでルオの顔を窺う。目が合うと一瞬、バツが悪そうな顔をしているようにも見えた。
なんでこんな提案しにきたんだろ。もしかしてルオは。
「いきなり婚約だなんて……もしかしてルオって私の事……」
好きなの? って言葉をついつい飲み込んでしまった。はっきりと口にすれば頭がのぼせてしまいそうだった。でも、もしルオにその気があったら、別に私は――
「勘違いするなお前に興味はない。ただの提案の一つだ」
「は?」
急速に冷えていく体。
ルオの言葉で私は生まれて始めてと言っても過言ではないぐらい低い声が出た。
じゃあなんで婚約なんて提案したの? なんなの、真剣に考えた私がアホみたい。なにこいつなにこいつ。
「じゃあ使用人でいい」
少し切れ気味で雇用契約書に目を向ける
「……分かった」
少し間を置いてルオは雇用契約書を手に取って私に差し出す。
紙を引っ張って取ろうとするけど、ルオが中々手放さなかった。
何度か引っ張りあった後、私は口を開く。
「渡してよ」
「もちろん渡してる」
「いや、渡してないし!」
言ってることとやっていることが矛盾しているルオは気まずいのか両目を瞑っていた。
そのあとルオは渋々、紙から手を離した。私はハミルトンさんから羽ペンを渡されて雇用契約書にサインをしようとするけど手を止める。躊躇してしまった、これでいいのかと。
「早く書けよ」
「書いてる」
「いや、書いてないだろ」
既視感のあるやり取りだ。
サインをする前に聞きたいことができたので私はルオに一つ聞いていい? と尋ねると彼はいいぞと言う。
「ルオは私と婚約するの嫌?」
「嫌じゃない。それに……」
ルオは言葉に詰まっていた。静かに彼の言葉を待った。
「レイラ以外に許嫁にしたいと思うやつもいないしな」
「へ、へぇー。そう」
つい声が震えてしまった。
さっき私に興味ないって言ってなかったけ? どういうつもりなのかな、感情がおかしくなりそうなんだけど。
戸惑っているとルオが婚約誓約書を取って片付けようとする。
「ちょっと待って、その紙置いて」
私は雇用契約書から手を離す。
「結局、これにサインするのか」
素直にうんと頷くのもなんだか癪に障るし、顔がまた熱くなってきた。
さっさとこのやり取りを終わらせよう、勢いでやるしかない。
「これで!」
私は身を乗り出し、テーブルに膝をつけて婚約誓約書をひったくる。
「いいんでしょうが!」
さらに身を乗り出してルオの膝の上に婚約誓約書を置いて、勢いよくサインした。
「はぁはぁ……疲れた」
私はテーブルから降りて立ち上がる。緊張のあまり上手く息ができなかったのでたくさん空気を吸う。
呆気にとられたルオは口が半開きのままだった。
「誰の膝の上で書いてんだ」
「別にどこだっていいじゃん」
私は腕を組んで体を反対方向に向けた。
「良かったですな」
「別に……」
肩越しに後ろを見ると、静かに微笑むハミルトンさんに対して素っ気ない態度を取るルオがいた。
ルオは婚約誓約書と雇用契約書をハミルトンさんに渡す。
「一晩明けたら馬車で館に行く。長旅になるから覚悟しとけ」
「そっか馬車で移動するんだ。楽しみかも」
――翌日。
街の郊外で大型の屋根付き馬車が二台並んでいた。二台とも四頭の馬に繋がれていて金メッキが施されている車体は華やかだった。
私は近くで馬を見たことがないのでマジマジと馬を見る。
「レイラ様、おはようございます」
私に声をかけてくれたのは革製の鞄を持ったアメリアさんだった。
「アメリアさん、おはよう」
私は手を振る。
「あのレイラ夫人と呼んだ方がいいでしょうか」
「け、結婚したわけじゃないし。まだいいですよ」
夫人呼びは照れ臭いからいいや。
アメリアさんの背後ではハミルトンさんが二人の御者に麻袋を渡していた。二人の御者は麻袋を覗いた後、満面の笑みになっていた。お金を渡したんだ、それも大金に違いない。
「何を見られているのですか?」
アメリアさんは私の視線の先が気になっていた。
「いや、なんでもないです。それよりアメリアさんはどうしてここに?」
私は首を横に振って、アメリアさんのことを尋ねる。
「休暇が終わったので私も館に行くんですよ」
「え、ほんと? アメリアさん優しいから一緒にいて欲しいと思ってたんだ」
「優しいなんてそんな……」
アメリアさんはこそばゆそうにしていた。
会話を続けようとすると、騎士を引き連れたルオが遠くから見えた。騎士たちは立ち止まる。きっと王国の騎士がルオを見送りにきたんだ。ルオは一人の騎士と少し話したあと、こっちに向かって歩いてきた。
遠くからルオを見つめる。目が合ってる気もしなくもなかった。威風堂々と歩く美少年の目には私がどう映っているんだろうか。
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