05 安土どの
「ええ茶室や」
宗易はひとりごちた。
自画自賛に過ぎると思うが仕方ない。
それだけ、心血注いだ。
力を尽くして、作った。
その、一等一番の茶を。
「この宗易がやるんやから、そらあ嬉しいわな」
しかし窯に湯を沸かし始めた頃には、宗易の口数は少なくなり、やがて無言になった。
そういう境地なのかもしれない。
だが逆に、宗易の中には、さまざまな思いが揺らめく。
茶を
この茶室、やっぱりこれで良いのか。
もっと、良い茶室が作れるのではないか。
いや、ひとつのかたち、広さにとらわれず……。
「…………」
いろいろな思惟が、浮かんでは消える。
あるいは、同時にたくさんのことを考えているのかもしれない。
こぽこぽと音を立てる茶釜。
その音の中、しゃっしゃっと茶筅が回る。
「…………」
茶が出来上がった。
あとは、客を待つだけ。
「せやけど、どなたはんが来るんやろか」
宗易は茶を点てるように言われただけだ。
誰が来るかは、知らされていない。
「秀吉はんか……」
しかし、秀吉は山崎の戦いのあと、光秀を討ち、清須会議を牛耳り、織田家を、天下を取るため、柴田勝家らと合戦する
「秀吉はんは、無い。ほしたら、誰が」
その時、待庵の
「ありえへん」
宗易は目を見開いた。
躙り口から、
「あ、
*
安土どの、精確には「あつち殿」と記される女性。
信長の居城として名高い安土城、その名を使った名前ということは、信長にとって関係が深く、かなりの地位の女性と推察される。
そこから推定される、信長に関係する女性といえば。
「いえ。安土どの、という呼びには馴染みがありません。
帰蝶。
斎藤道三の娘にして、織田信長の
すなわち、織田信長の正室である。
「…………」
宗易はただ、黙っていることしかできない。
衝撃の大きさに、口がきけなかった。
帰蝶はたしか本能寺の変のあの時、信長と共に、本能寺にいた。
そして明智光秀の襲撃に遭い、炎の中、信長と命運を共にして、死んだ。
それが宗易の知る、帰蝶の末路だった。
それが。
「生きておられたんでっか」
宗易は信長の
だから、目の前の女性が帰蝶であることを認めた。
しかし。
「覚えがないのです」
どうやら、記憶がないということらしい。
それも、桶狭間の前後のあたりから、そのあと、全部。
「
木綿というのは、羽柴秀吉の若年時のあだ名である。
木綿のように使いでがある、便利である、という意味で、当時の名乗りだった藤吉とあわせて、木綿藤吉と呼ばれていた。
「思えば、夢のようでした……」
そこから先は、秀吉から聞いた話らしい。
本能寺の変で信長と命運を共にしたと思われた帰蝶だったが、焼け落ちる本能寺の中、瓦礫と瓦礫の間に空間ができて、そこで生き延びていた。
さすがの明智光秀も、本能寺を焼き討ちしたのはいいものの、信長の嫡子・信忠との戦いもあり、すぐに信長の遺骸を探そうとはしなかった。
信忠が抗戦しているうちに、
そういう意味では、あの時の信忠の抗戦は、帰蝶の命を救ったといえる。
「簗田政綱。たしか、桶狭間の」
「そうです」
それもまた、帰蝶の記憶の具合に影響を及ぼしたかもしれない――簗田政綱は、桶狭間の際に、今川義元の居場所を見つけた功績により、信長から沓掛城を与えられた忍びである。
政綱は昏睡状態の帰蝶を連れて、山崎まで逃げた。
さてどうするかと思案しているところに。
「秀吉はんの中国大返しでっか」
「そうです」
政綱は何も考え無しに山崎に逃げてきたわけではなく、帰蝶にとって、山崎にはある縁故が存在した。
政綱はそこに帰蝶を預け、自身は秀吉の元に向かい、そのまま山崎の戦いに身を投じた。
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