憧れとのミスコネクト
第18話「憧れとのミスコネクト①」
『後藤紗代子バレエスクール』は駅から5分くらいの住宅街にある。レッスンは週2回、元東京バレエ団に在籍していた後藤が担当するクラスに瑞稀は小学6年生の時から通っている。
レッスン当日、教室に行くと瑞稀はいつものようにレオタードに着替えてバーに足を掛けて柔軟を始めていた。
「おはようございます」。入り口付近が騒がしくなる。きっと後藤先生が来たんだと思い、瑞稀は柔軟を続ける。
レッスン室の入り口から後藤は入ってくる。レッスン着はレオタードと、脚のラインがしっかり見えるように黒のピッタリしたレギンスに同色のスカッツを巻いている。
髪の毛をピッタリとまとめて後ろでお団子にしている後藤の姿は、そこに存在しているだけで周りが緊張してしまう雰囲気がある。
「先生おはようございます!」生徒たちから声が飛ぶ。「おはよう」笑みを浮かべながらセンターの位置へ向かうと、後藤は持っていたバインダーから紙の書類を取り出した。
「みんな、よく聞いて。私の友人が新しい舞台をやる事になって、キャストのオーディションのお話が回って来ました。2.5次元ミュージカルって知ってる? アニメを舞台化するプロジェクトなんだけど、大都市ではかなり人気で、やってない時期が無いくらいの頻度で上演してるのね。それを今度新規でプロジェクトを立ち上げるプロデューサーがいて、主要キャストとアンサンブルのオーディションの話が回って来ました」
ミュージカル? 本当に? バレエ教室の生徒たちがざわめく。瑞稀も気が気じゃなかった。
「日本で初めてアニメと舞台を融合させた2.5次元の舞台を作ったと言われているフラワーブリザードの山口雄一郎さんが、大手のテレビ局と組んで、日本一と言われるミュージカル専門の劇団「創輪」に負けない位のチームを作るのを目指すそうなの。だからウチみたいな小さいスタジオにも声が掛かったって訳ね。」
瑞稀は手を挙げた。
「後藤先生。他には何も決まってないんですか? 主演俳優とか演出とか」
「ああ、そうでした。主演と総合演出は、先月「創輪」を辞められた「有本誠一」さんが務める事になってるわ。それとダブルキャストで商業演劇で活躍されている「鳥取雪王」さん、決まってるのはこの二人だけね」
瑞稀は驚きのあまり声すら出なかった。「有本誠一」と言えば、あの時、瑞稀が初めて観た京都駅にあるホール、京都劇場で行われた「オペラ座の怪人」でファントムを演じた俳優で瑞稀の憧れの人だった。
小学5年の時、初めて観たミュージカル。映画じゃなくて生の舞台、冒頭の不気味な競りのシーンから一気にその世界に引き込まれ、歌唱、ダンス、オーケストラの生演奏に超豪華なセットの数々はまるで自分がオペラ座の中にいるような錯覚を起こす程で、瑞稀の心は目の前で繰り広げられている物語の中に引き込まれていた。
――オペラ座の怪人――
舞台はパリのオペラ座。主人公のクリスティーヌは、家族が亡くなりオペラ座の研修生として雇われる。
そしてそのオペラ座の地下にいるという謎の男、オペラ座の怪人に見初められてしまう。怪人は美しい歌声に魅せられ、クリスティーヌを自分の地下の隠れ家に連れ込むのだけど、クリスティーヌは怪人に恐怖心を感じつつも、オペラ座の怪人が自分の父親の霊魂を名乗って現れた事もあり、彼の優雅な音楽に魅了されていく。
そしてオペラ座の怪人はクリスティーナを主演に据えて公演を大成功に導く。
そしてクリスティーナは幼馴染で今はオペラ座の支配人になったラウルと再開し、恋に落ちる。
オペラ座の怪人の横暴な要求に耐えかねた従業員たちは怪人を倒す為に立ち上がり、クリスティーヌの婚約者であるラウルも、怪人の正体を追及するが、怪人と対決することになる。最終的に、クリスティーヌは怪人の正体を受け入れ、怪人を許すことで物語は幕を降ろす。
瑞稀は納得いかなかった。自分も幼い頃に父母が離婚していて父を知らないせいもあるのだが、優しく、時には厳しく歌を教えてくれて、オペラ座のトップにまで持ち上げてくれた怪人を裏切って幼馴染のラウルの元へ行ってしまうクリスティーナの気持ちがわからなかった。「私ならオペラ座の怪人と運命を共にするのに」と言う気持ちが強かった。父親がいない瑞稀には、オペラ座の怪人が初めて恋心を抱いたキャラクターだった。もちろん、理想の父親を重ね合わせていたのかもしれない。その日から瑞稀は他の何もかもを捨てて、ミュージカル一本を目標に生きて来た。
その憧れたオペラ座の怪人=ファントム役を演じていたのが今回のオーディションで演出を担当する「有本誠一」だった。これは運命なんだと環は思った。なんとしてでも受けなければ。
しかしオーディションは書類審査、2時審査、最終審査とあり、日程的に学祭ライブと被りそうだ。特に最終審査は学祭ライブの一週間前。瑞稀の頭に軽音部の皆の顔が浮かぶ。
「最悪辞めんといかんかもな」
瑞稀は口から大きくため息を吐くと稽古場に座り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます