第106話 ルマイン子爵

インストスの街が至る所で火に包まれ、立ち昇る黒煙が空を黒く覆っている。


あるところでは略奪、またあるところでは暴行、そして大きな屋敷や商業施設を中心に放火まで行われた。その結果が今の状況だ。


暴動に参加していないものは、巻き込まれないよう扉を固く閉ざし嵐が過ぎ去るのを待ち、

参加するものは棒や押しかけた先の衛兵から奪った剣や槍を持ち、時々その獲物を掲げては皆で雄叫びをあげていた。

暴動に参加する多くの者の動機は略奪ではなかったが、為政者にはその区別はつかない。


インストスは皇帝の直領であり、周辺の農村を含めての代官を任されているのがルマイン子爵である。


子爵が暮らす屋敷はもともとこの街ができた時に外洋からの攻撃に備えて建てられた城であり、今では代官が住むために改築されて城の機能は半減したとはいえ、南には海、北には石垣と堀があり、暴徒の侵入を簡単に許す事はない。


とはいえ、暴動が起こってから何回かは暴徒と化した住民が代官城に押しかけて来ては「魚人を追い出せ、メルシュ家を許すな」と大声でシュプレヒコールを叫んでいった。



魚人・・・この街に根付く都市伝説のような類の話で、私も何度かそういう噂話を部下からは聞いていた。

しかし本当にこの街に巣くっているなどとは思いもしていなかった。


最初にバース家の金の製錬所が燃え始めるとそこから多くの魚人達が現れて人を襲ったと言う。

そのことから魚人は金の製錬所に巣くっていたと言う者もいる。

メルシュ家やバース家が襲われているのはその事が原因なのだろうか?


いや、今は魚人の事はいい。それよりも問題なのは暴徒と化した住民をどう鎮圧し正常化させるかである。


暴徒は街の至る所を襲撃して放火をしているので、屋敷の部屋の窓からは街のあちこちから黒々とした煙が上がっているのが確認できる。


皇帝陛下より統治を任されたインストスの街が燃えているのだ。

それなのに私はこの事態を自力で対応する手段を持たず、皇都の近衛騎士団をただ待っているしかない。

なんという事だろう。。


「ご報告します。大聖堂に暴徒が侵入したとの事で、司祭と従者たちが保護を求めています。」


「なに??大聖堂まで襲われたのか?! ダニエル司祭は今どちらに?」

「城の入り口まで来られています。」


「すぐ屋敷にお迎えしろ。エトワス。部屋の用意を。」

「はっ」



*****



しばらくすると執事のエトワスに案内され、ダニエル司祭と助司祭が応接の間に姿を現した。


「これはダニエル司祭。よくご無事で。」


「大変なことになりました。大聖堂に暴徒が押し入り略奪しています。子爵、どうかお助けください。」


「まさか暴徒が神聖な大聖堂を襲うとは信じられない事です。彼らはいったい何が目的なのでしょう。」


「私たちも訳が分からず逃げてきました。奴らは何処からともなく聖堂内に侵入して、いきなり略奪を始めたのです。」


「司祭様、奴らはおそらく地下から侵入してきたのではないかと思います。確認しましたが大聖堂の入り口になる扉は全て固く閉じられておりました。」


「あなたは地下室はアウリオ大司教が行方不明になられてからは使われていないとは言ってませんでしたか? そもそも賊は地下室にどうやって入ってきたのです?」


「いえ・・それは・・わかりません」


ダニエル司祭と司祭に使える従者らしき者が暴徒がどこから入ってきたのか?の話をしているが、そんなことはどうでもいいのだ。


それよりも街のシンボルであり誇りである大聖堂が燃やされでもしたら一大事である。

また、ここには司教とその従者と教会兵を合わせて4名しかいない。と言うことはまだ教会に多くの関係者が取り残されているのだろう。


「大聖堂にはまだ人は残っているのですか?」

「逃げるのに夢中でして、ここにいる者以外がどうなったかわかりません。」


「そうですか・・。大聖堂に残る方達が心配ですね。

しかしダニエル司祭、お恥ずかしながら私の兵では暴徒達を止めることはできません。ですので皇都の近衛騎士団に応援を要請するべく使者を出しました。

近衛騎士団がこの騒動を収めるまで今しばらくこの屋敷に留まりください。」


「こ、この城は大丈夫でしょうか? 少々兵が少ないように思いますが。」


「ここは規模は小さくても堀がある城です。暴徒ごときに落とされる事はありません。ご安心してこの屋敷でお寛ぎください。」


「では、お言葉に甘えてそうさせていただきます。大聖堂はこの街の信仰の礎です。できれば早く暴徒を追い払っていただきたいのですが。」


「私の兵は50名足らずです。今も各所でこれ以上暴動が広がらないように全力を尽くしておりますが、暴動の規模が大きく大聖堂の暴徒を追い払うのは難しいでしょう。

それに下手に刺激するとこの城まで襲撃対象になるかもしれませんので。」


「そうですか。。では近衛騎士団を待つしかありませんね。」


「魚人が暴れ回ったことが原因のようですが・・司祭は魚人をご存じですか?」


「私がこの街の大聖堂に来てから10年弱です。魚人の噂は確かにここに来てから何度も聞いています。しかし今日まで実際に見たことはありませんでした・・・。」


「という事は、魚人を見たのですね?」


「はい。魚人の死体がバース家の製錬工場の門に吊るされていました。その製錬工場はほぼ全焼で今も煙が燻っています。ひどい事をするものです。この街の住民の所業とはおもえません。」


「製錬所は魚人が燃やしたと聞きましたが??

ただ、あそこには金塊があるはずですので、今頃暴徒達も火事場泥棒と化しているでしょうな。

これまでも何度か賊が侵入してバース家の私兵が討伐したとの報告が上がってきていましたので。」


「しかし・・魚人とはあんな醜い姿を・・・うっ。」

「いかがしました?」


「いえ、吊るされた魚人の死体を思い出すと気持ちが悪くなってしまいまして・・。

魚人は人族なのでしょうか?カエルのようなギョロっとした目と腕や足の鱗・・。粘液がしたたる腹はどうみても悍ましい化け物としか・・。あの魚人が神のしもべだとはとても思えません。」


「魚人が神のしもべですか?」


「いえ、この町では昔から海の神が信仰されてきたそうで、魚人はその海の神のしもべと言う話を助司祭の1人から聞いたものですから」


「そうでしたか。海の神・・ですか。私はまだ一歩もここから外に出ていないもので、魚人をこの目で見たわけではありませんので信じられない思いが今もあります。

トミー兵長、魚人を門から下ろすことはできるかね?」


「はっ ここから10人ほど連れて行けばできるとは思いますが、今は街の者を刺激しない方が良いかと愚考いたします。」


「そうだな。我々が魚人を庇っていると勘違いされかねんしな。

司祭もいらっしゃるので、街の報告をもう一度お願いできるかね?」


「はっ メルシュ商会の本部や関連施設は軒並み襲撃を受けて多くは放火されて現在燃え広がっています。また倉庫群は襲撃で略奪に遭っており一部暴徒が占拠。メルシュ家の屋敷も暴徒が占拠しています。

他にもメルシュ家やバース家と関わりがある家は次々と襲撃を受けているようです。」


「ありがとう。ダニエル司祭いかがでしょう。どうやら魚人は単に火付役になっただけで、この街の権力者であるメルシュ家へ不満が暴動の原因かもしれません。

商会長のダムラス-メルシュ氏とも連絡が取れておりませんので、もしかすると暴徒に手をかけられている可能性も。」


「メルシュ家は教会への寄付を積極的に行ってくださっていました。インストスの大聖堂があるのもメルシュ家の多額の寄付のおかげなのですが・・。ダムラス氏の命までは奪っていないと思いますが・・心配です。」


「捕えた暴徒の一人の話ではメルシュ家は魚人の血が流れていると言っているそうです。この変な噂も今回の暴動のきっかけになったのかもしれません。」


「メルシュ家に魚人の血・・。そうですか。実は私もその話は私も聞いたことがあります。まさかこんなことになるとは・・。」


「なんにしろ、今はとりあえず近衛騎士団を待つしかありません。」


「神よどうかこの哀れな人々をお救いください。そして、このインストスに祝福を。」


司祭はそう言って両手を顔の前で組み祈りを捧げた。


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