第4話 保護者会1

『…あの、本当にやめてもらえませんか。迷惑なので』


『でもっ、俺たちきっと…』


『またそれですか?運命運命って、おとぎ話がしたいなら他をあたってください。俺にはできません』


『っ、それでも俺は信じるから!絶対諦めない、小野くんが認めてくれるまで』


『認めるも何も…運命じゃないって…』







「……」


見慣れた部屋と、チェストに乗るコップ。


寝返りを打つとカーテンが鼻先をくすぐって、瞬きを繰り返しながら目元を擦って起き上がった。


「…最悪」


おでこに伝った嫌な温度の汗を拭いて、大きなため息をつく。長く続いている胸の痛みがなんだかいっそう強くなったようで、誤魔化すようにコップの水を飲んだ。


チェストの一番上の引き出しを引いて、中から適当に薬を掴み取る。ぼーっとしたままシートから取り出し、口に含んでからそのゴミをベッドサイドへ隠すように詰め込んだ。


「…った、」


痛みが走ってとっさに手を引き抜くと綺麗にパックリと切れた人差し指から血が滲んでいる。また大きなため息をついて、その指を舐めてからベッドから降りまっすぐに洗面所へ向かった。


「んー…はよ、篤生。早いな」


「…おはよう」


「今日は体調平気?」


あくびをしながらその口元に手をやり、のそのそと歩いてきて後ろから抱きしめた紘は優しく頭を撫でてくる。「平気だよ」なんて言いながら、傷ができたばかりの人差し指を握った。






ーーー






「会長、これで全部です」


「了解。それ運んだら戻っていいよ。お疲れ様」


「あっくんもう終わりー?」


「あと一つだから、ちょっときゅーけい」


「狭い!」


ベンチソファに座る小久と水瀬の間に割り込んで、ぐっと伸びをして肩の力を抜く。積み上がっていた段ボールはもうあと一つになっていて、バキバキに固まってしまった肩を回した。


「生徒会っていうか雑用だね…」


「あは、そんなもんだよ。羨ましいなら代わろうか?」


「ぜったいやだ!」


今日は年に一度の保護者会の日。


全寮制という学校柄、年に数回しか会えない親と会うチャンスであり、貴族が大半を占めている為それぞれの家同士での交流や顔合わせの場にもなっている。


今はメインイベントの一つでもある代表生徒によるスピーチが講堂内で行われていて、俺たち生徒会はその後に行われる懇談会で配布する記念品をこの講堂からそれぞれの教室へ運んでいたのだ。…まぁ俺は面倒臭くて皆に指示を出す名目でほとんどこの講堂から動かなかったのだけど。


「葉月大丈夫かな〜。まさか立候補するなんて」


「起きた時凄い顔だったんだよ。緊張して昨日眠れなかったって」


「だから朋哉にメイクしてって言ってたんだ」


「綺麗に見えなくなってたでしょ、くま」


久しぶりに革靴を履いたせいか、つま先からじわじわと熱を帯びた痛みが広がっている。少し小さくなったかなとそのつま先へ手を伸ばして、優しく揉みこんだ。


「おい」


「…小野先輩。運び終わったんですか?」


「喋ってる暇があるなら最後の段ボールを運べ。それともお前には重すぎるか?…あぁすまない。お前はオメガだからな。俺が運ぼう。お姫様?」


喉まで出かかった悪態を飲み込んで、「うっざ」と呟く小久の太ももを撫でる。精一杯の笑顔を見せながら、「ありがとうございます」と当たり障りのない言葉で返した。

 

「他の子にお姫様なんて言わないで、諒くん」


「俺が持つよ。諒くんはいっぱい運んだから」


「こんなオメガといたら俺らのフェロモンまで臭くなりそう。早く行こう」


小野先輩の周りにはオメガが数人いて、べたべたと彼へくっついてから段ボールを運んでいった。そのオメガたちがこちらへ背を向けた瞬間にきつい香水の匂いが鼻をつんざいて、顔をしかめて頭をふる。…臭いのはどっちだよ。


「龍也は?」


「…先生に雑用を頼まれてました。何か用事ですか?」


「いや、あいつが居たら発作を起こしてパニックになる面白いとこが見れたのにな」


「っ、」


握っていた手に力が入り、舌打ちをする。彼はその音ににやりと口角を上げて、首を傾げた。


「舌打ちしたか?俺は公爵家のアルファ様だぞ?」


「…いえ。すみません。口が乾いていて」


「はっ、もっとマシな嘘つけよ」


両脇に座っていた二人が俺の方へ寄ってくるのがわかる。軽く触れた水瀬の手は冷たくなって小さく震えていて、「大丈夫」と囁いて上から覆いかぶせるように手を繋いだ。


「あいつに言っとけ。懇談会が終わったら親父と会ってくるから、お前は寮にでも引きこもってろってな」


軽く手を振って踵を返す背中に大きく深呼吸をする。「怖かったああ」と倒れ込んでくる二人の頭と肩を撫でて、壁へもたれかかった。


千枝といい小野先輩といい、特別地位の高い貴族たちの間ではああやってオメガやアルファを侍らせるのが今でも流行っているのだろうか。…何年前の流行りだよ。俺たちのお祖父ちゃんくらいの時代の話だぞ。


「何なのあいつっ!」


「篤生も覚えてるでしょ?二年になる前に辞めた隣のクラスのオメガ、発情期ん時にあいつに捕まって一ヶ月も入院してたんだよ?」


「典型的な“アルファの貴族”だよねー…」


「…そう教育されたんだろうね」


「あっくんは優しすぎ!教育とか環境に形成された性格だろうと、“そうですかじゃあオメガをいじめていいです”って理由にはならないでしょ?」


「それはそうだけど」


口々に悪口を言う二人をなだめながら、ぎゅっとソファのへりを握る。それに気づいた水瀬は、俺の肩に頭を乗せて「なんか元気ない…?」と呟いた。


「あっくん彼氏いないから落ち込んでるんだよ」


「もー、違うよ」


「おー、だからちょっと寂しそうなのか〜」


「からかわないで!」


「かわいいね〜」


「も〜やめてってば!」


押し返すように水瀬に寄りかかってそのお腹をつつきながら伸びをすると、甲高い笑い声が廊下に響く。とっさに口をふさいだ彼へ思わず吹き出して、小久と一緒に転げながらお腹を抱えて笑った。


「あっ!葉月〜」


「っ!」


「おかえり〜葉月」


うるうるした瞳で俺を捉えた葉月が、勢いよくお腹に突っ込んでくる。ぐえっと潰れた声を出して、しっかり抱きつくその頭を優しく撫でた。その髪は式典だからかしっかり固められていて、少し乾いていた。


「お疲れ様、葉月」


「篤生…」


ぐっと口角を下げてしわくちゃな顔で見上げてくる葉月によく頑張ったと頬を両手で挟み、うりうりとおでこ同士をくっつけた。あうあうとされるがままの葉月をぎゅっと強く抱きしめる。小久も「葉月かわい〜」なんて言って寄りかかってくるものだから、勢い余って水瀬の方へ倒れ込んでしまった。廊下を歩く後輩たちにくすくすと笑われて、恥ずかしくて顔をあげられない。


「スピーチはどうだった?」


「緊張した、すごく…」


「一瞬つまったようだが、上手くやっていたぞ」


「佐尾くんだ!」


聞き慣れた声に身体を起こすと、佐尾が決して大きくはないソファでだんごになる俺たちを覗き込んで笑っていた。葉月は彼へ背を向けたまま俺のお腹の上でため息をつく。


「もー、一言余計だから…」


「はは、すまない」


「ご両親と会ってくるんでしょ。早く行ってきなよ」


ひらひらと手を振る葉月に、こんなにアルファと打ち解けて話しているのはいつぶりだろうと感動してしまう。相変わらずのピンと筋の伸びた背中を見送って、葉月の体を抱いたままソファから立ち上がった。


「佐尾、ご両親と一緒に朋哉と朋哉のお父さんとも会ってくるんだって」


「交際宣言…ってコト!?」


「羨ましすぎる〜俺もしたいよ交際宣言。セフレしかいないし…もういっそあいつ紹介してくるか」


「だめだからね、許さないよ。小久」


「しないよー冗談だって怒らないでママ〜」


「舞踏会の次の朝怒ったのにこりてないの…?セフレがいるのを咎めるわけじゃないけど、あの人彼氏いたんだよ?お願いだから変なことに首突っ込まないで…心配だから…」


「うぅ…ごめんねあっくん…」


冗談のつもりで怒ったふりをしたのに眉を下げて謝ってくる姿があまりに必死で、「ごめんごめん冗談だよ」と抱きついて謝る。「なんだよ〜」と少し涙が滲んだ目尻を親指で擦って、「でも心配なのは本当だから、何かあったから必ず教えてね」と小指を立てた。きゅっとその指同士を絡ませて、約束、と笑い合う。


「そろそろ行こう、稟」


「新木先生にスピーチ終わったって報告しないと〜俺その後親と会わなきゃいけないし…」


「俺は婚約者とだよ〜…行きたく無い…けど、頑張ってくるね」


「僕は兄さんと会うんだ」

 

憂鬱になっていたり緊張していたり、はたまた安堵していたりする三者三様の表情に「大丈夫」と告げて、三人ごとぎゅっと抱きしめる。実を言うとこの中で一番背が低いのは俺で、先程からすれ違う生徒や保護者の多くが「可愛い〜」と囁いているのが聞こえてくる。…年下だと思われてるんだろうな。ちょっと…いやかなり悔しくて、ぽんぽんとそれぞれの頭を撫でて「何かあったら言うんだよ」とお母さんヅラをして“年下ではないですよ”アピールをしておいた。


「それじゃね〜篤生!」


「また消灯の時ね〜」


「僕は後でお昼に…」


「うん。葉月はまた後で」


「またね」


手を振ってから隙間もないほどくっついて歩いていく三人を見送って、遠ざかっていく背中を見つめた。深いため息をついて、力が抜けたようにすとんとソファへ座る。


「…暑いな」


第一ボタンを外して、胸元をパタパタと仰ぐ。首筋にはじわりと汗が滲んでいて、もう夏だななんて考えながら壁へ寄りかかって頭を預ける。体の芯は凄く熱いのに指先は凍えるほど冷たくて、温める為にぎゅっと握ると右手の人差し指が痛む。絆創膏も貼っていないそこからは少し血が滲んでいて、うなだれて膝に顔を突っ伏した。


「…りゅう」


講堂の廊下には生徒やその保護者たちが行き来をしていて、俺の呟きなんて誰の耳にも届かない。床へ落ちて消えていくそれに、すんと鼻を鳴らした。


「……あ、」


ふと、後ろのポケットに入れていたスマホが震えだす。『龍也』と書かれたその画面をぼーっと見つめてから、はっと意識を取り戻したように応答ボタンを押した。


「もしもし」


『篤生?今どこにいる?』


「えっと、講堂の廊下…大ホールの裏側の…」


『あぁ、そっちか。入口側の廊下にいないからすごい探した。すぐ向かうな』


「……りゅう」


目頭がしみて、瞬きを繰り返す。廊下を歩く人々の視線を感じてその目元に触れると、涙が流れているのか少しだけ濡れていた。安直だけど、本当に胸がぽっかりと空いたようでどれだけ深呼吸を繰り返しても息苦しい。唇が震えて、ぐっと力を入れた。


「…会いたい。早く…会いたい」


『……見つけた』


「…え?」


ぐっと手を引っ張られる。もつれる足を何とか動かしてそのまま歩き出す背中を追いかけるように歩いた。…誰かなんて、顔を見なくたってわかる。


「りゅう」


「ごめん、あと少しだから。…よし」


「なに、…っ」


廊下からは少し離れた、電気機械室の入口前にある死角のスペースに忍び込んで、壁との間に挟まれるような姿勢で抱きしめられる。何度見てもびっくりする大きな手で頭を包み込むように優しく撫でられて、体の奥が一段と熱くなって涙が止まらなかった。


「なんか…すごい匂い」


「?」


「篤生、なんで発情してるの?まだ発情期じゃ、ない…よね。誰かに、…っ、あてられた?」


「はつ…じょうって」


その瞬間、胸の痛みも暑さも忘れたように龍也の胸元にすがりついた。龍也が顔をしかめるのがわかったけれど、自制しなければという思いよりも“今しかない”という思いが勝ってしまう。


「ほんと!?本当に発情してる?」


「うん…すごい濃い匂い」


首筋に顔を近づけられて匂いを嗅ぐように鼻を鳴らされ、くすぐったくて笑ってしまう。発情しているからなのか完全にハイになっているようで、目の前に見えた首筋に噛みついて何度も名前を呼んだ。


「りゅう、りゅう…りゅう」


「……ここじゃダメだから、違うとこに行こう」


ふわりと体が浮く。ぎゅっと龍也にしがみつくと、彼は通行人の目なんてお構いなしに裏口の方へさっそうと歩いていった。なんでか俺が恥ずかしくなってしまって、その肩に顔を隠すと「すぐだから」と囁かれて、お腹の中まで熱くなったのがわかった。






ーーーーー






たどり着いたのは森の中のガゼボだった。鮮明に思い出せるあの舞踏会の夜のようにベンチに寝かせられる。


「絶対に…最後までしないから」


そう言った龍也は小指を差し出し、冷えて感覚の鈍い俺の小指を掬うように絡める。「絶対に」と言いながらも目はギラギラで額には大粒の汗が滲んでいて、この小指を離したらすぐにでも頭から食べられてしまいそうな勢いだった。


「…わかっ、た」


「……すぐ戻るから、なるべく下も触らない。落ち着くまで…こうして、抱きしめてるだけだから。安心して?」


あぁ、俺はおかしくなってしまったのかな。


本当は、わかってる。この発情は薬で引き起こされた突発的なものだって。


今朝起きてすぐぼーっとしたまま飲んだ薬。多ければ多いほどいいと考えていつも何粒かも確認しないで飲んでいるから、きっと今日は用法用量より何粒も多く飲みすぎたのだ。…あぁ、きっと今頃紘は部屋を掃除しているはずだから、ベッドサイドに詰め込まれた空シートを見つけて怒ってるんだろうな。


…でも、謝らないよ。


これは証明になったんだ。


薬で引き起こされたものだって、突発的なものだって構わない。俺も、発情できたのだ。やっぱりビッチングなんかじゃない。俺は、俺は…オメガだ。


「篤生、考え事?」


「え?…っちょ」


いつの間にかスラックスへ詰めていたシャツの裾を出されていて、その隙間から手を入れられていた。龍也の手は相変わらず冷たくて、身体をよじる。ゾクリ、と腰が疼いて、龍也のシャツの内側へ手を入れた。余裕のない声が聞こえてきて、口角を上げキスをする。


「りゅ、」






「おや、誰かいるのか?」






途端に、体温が下がるのがわかる。龍也はとっさに俺を庇うように頭を抱いたから、誰なのかはわからなかった。…でも多分、この学校の人じゃない。


このガゼボは、講堂の裏庭から繋がる森の奥深くにある。龍也が初等部の頃に見つけ出したらしいこの旧庭園は、裏庭から続く道は途中で無くなっているどころか地図にも乗っていない。森を少し進めば道はまた続いているが、先に何があるのかも知らないで森に入る生徒はいない。…だから、普段誰もいないところで二人きりになりたい時はここに逃げてくるのに。


「幸雪の子か。久しぶりだな」


足音は一人じゃない。でも、そう大勢というわけでも無さそうだった。高そうな靴から鳴る高い音を除いて、他の足音はまるで忍んでいるような静けさだ。


「…王陛下」


え、


「幸雪はどこにいる?後で挨拶をしたい」


「毎日一緒に仕事してるじゃないですか。…父から聞きました。臣くんが高等部に入学したと」


おもむろに体を起こしてブレザーを脱いだ龍也が、ゆっくりと背中を抱きながら俺を起こし、頭からそのブレザーを被せる。壊れ物を触るようにぎゅっと優しく抱きしめられ、ブレザー越しの耳元に「大丈夫」と囁いた。下げたままの目線を上げられず、震えを止めようと大きく息を吐いた。


「あぁ。頑張っているようだが…まだまだだな。“王国史上初のオメガの生徒会長”に霞んでしまって、よい知らせはいっこうに来ない」


「…でも、今日の代表スピーチに選ばれていたじゃないですか。アルファクラスは毎年立候補者が多くて、生徒間での投票で決まるんです。…十分すごいですよ」


「どうかな…三年のオメガクラス代表…衛守家の末子だったか。彼のほうが貴族たちの目を奪っていた。投票とは言うが…どうせ“王家には逆らえない”という自然的な空気から選ばれたんだろう」


「……行こう」


「あ、わかった…」


差し伸べられた手を取って、ガゼボから出る。予想通り“陛下”と龍也が呼んでいた男性の周りにはぱっと見で5人以上の男性が居て、被っていたブレザーの襟をぎゅっと握って俯いた。心臓の音が外へ聞こえないようにきゅっと口を結ぶ。


「まったく、相手のオメガのことも考えなさい。まぁ…はは、若いな、お前も。私もこの学校に通っていた頃はよく…」


男性は独り言をつぶやいて髪に触れる。その姿を盗み見るように見上げながらすれ違うと、彼はふと龍也へ向けていた視線を俺へ向けた。


「っ、」

 

その瞬間、大きく目を見開かれたのがわかって思いきり顔をそらす。心臓が大きく鳴り響いて、震えながら龍也の手を強く握った。


「…ジノン?」


龍也の足が止まる。


あぁ、終わったと思った。


「…はい?」


「すまない…雰囲気が似ていて」


はは、と乾いた笑いが聞こえてくる。龍也は「用が無いのなら失礼します」と一礼をした。顔をそらしたままそれにならうようにぎこちなく頭を下げて、龍也の背中を追って歩きだす。


「そうだ、生徒会長の方喰という生徒がどこにいるのか知っているか?」


悪寒が走りざわめき立つ背中を優しく撫でられ、龍也を見上げる。小さく頷く彼に、目を閉じて深呼吸をした。


「……さぁ?俺は交友関係が狭いので…。会いたいのであれば、教師へ聞いてみればどうですか?」


「いや、そうなんだけどな…」


「俺は本当に知りません。オメガは…この子しか関わりがないもので」


「…嘘をついていたら、たとえ幸雪の子であるお前でもただでは済まされないぞ」


「わかってます。それでは、俺は本当にこれで」


「邪魔して悪かったな、龍也。…相手のオメガの子のことも、大切にするんだぞ」


腰を抱かれ、ぐっとその手に力が入って距離が縮まった。止まらない動悸を隠すように胸元で手を握る。暑いくらいの天気なのになんだか寒気が止まらなくて、ブレザーを肩まで下ろして身体を包み込んだ。






ーーーーー






「えっきし!!」


「…っくし」


「初めてが外とか冗談じゃねえからやめろ…」


「えー、それもロマンチックじゃん♡」


「俺らはもっとド派手にしよーな!葉月!」


「いいよ普通で…」


ぶるりと体を震わせる龍也へTシャツを被せて、ふたりで笑い合う。ちゅっと触れるだけの口づけをされて、「なんだよ〜」と抱きついた。

 

「はーいもう戻ってこーいバカップルー」


「全部食べちゃうからな」


「いいじゃん全部食おーぜ」


すぐ行くよ、と笑い、龍也の手を引いて部屋の中央に置かれたローテーブルの元へ向かう。その上にはサンドイッチやフライドポテト、フルーツまでが入っているパーティーセットが置かれていて、目を輝かせて思わず拍手をした。龍也の笑い声が聞こえてきて、その腕を肘で小突く。


「食べてみたかったやつ!龍也、早く座ろう」


「あぁ」


「これ5人以上じゃないと買えないからな〜」


サンドイッチを手に取って中の野菜に触れる。肩に頭を乗せて甘えてくる葉月へ「この緑の何?」と聞きながらそれを口に入れた。…水っぽいけど味はしないな。


「ふっ、初めての野菜も口にできるのか。篤生は本当に好き嫌いしないな」


「聞いてきたのにすぐ食べだしたからびっくりした…緑のってどれ?」


サンドイッチに手を伸ばす葉月に、「それ。そのちょっと太いやつ」と先程食べたそれと同じ中身のサンドイッチを指差す。龍也は相変わらずちょっと笑い声を漏らしながら俺の頭を抱いていて、「知ってる?」とその顔を見上げた。


「キュウリじゃない?」


「あー、そうだね。北部には無い?」


「食堂でも見たこと無いけど…」


葉月が手に取ったサンドイッチを見つめ、「きゅり」と呟く。うんうんと頷く彼に、煌牙がぎゅっと後ろから抱きついた。


「違う違う、きゅうりだって」


「北部には野菜ほとんど無いって聞くけど、方喰は辺境伯だし他の領主から貰ったの食ったりしてなかったの?」


「…あー、えっと、」


オレンジジュースを口に含んで、ストローを唇で潰す。顔を覗き込んでくる龍也を見上げながら、不安な気持ちを隠すように口角を上げた。


「言って…なかったけどさ。俺、あんま良く思われてないんだ。方喰の人達から。長男だし、嫡男に据えられてはいるけど…たぶん、来年弟が中等部に上がったら、譲んなきゃいけなくなると思う」


へらりと顔の筋肉を緩ませて、肩を落とす。一度話してしまえば簡単に次から次へと言葉が出てきて、余計なことまで言ってしまいそうだった。


「だから、他の貴族家の人達みたいに…他の領地を治める貴族家から貰った物とか、他の国から買い付けた物とか、そういうの食わして貰えなくて…。もちろん、平民たちよりは良いものを食べてた自覚はあるよ。北部に住む人達は…基本的にスープと豆とパンしか食えないから。肉の切れ端や少し傷んだ野菜を食えてただけ良かったって思わないと」


先程のとは違う中身のサンドイッチを手に持ち、ふと正面を見る。なんでかすごく傷ついたような顔をしている紘に「なんだよ〜しんみりしないで」と笑いかけると隣りに座っていた葉月から突進するように強く抱きしめられた。


「…篤生は、幸せにならなきゃだめ」


「もう十分幸せだよ」


「もっともっと」


「…それは葉月もでしょ。お兄さんとは会えた?」


「うん。成長したねって言われて、卒業後は好きにしていいって…父さんからの伝言も…」


真っ赤な顔を俯かせて前髪に触れる葉月へ、煌牙が「よかったなー!」と勢いよく抱きつく。頭をわしゃわしゃと撫でられ恥ずかしがる葉月に朋哉が「葉月可愛い〜」と笑った。


「留学してみたかったから…これでまた、これから頑張る理由になる」


「そーいや、俺もなくなったよ、婚約」


「…え!?」


思わず大きな声を出してしまい、びくついた龍也に「ごめん」と笑ってその肩に頭を乗せる。優しく頭を撫でられながら、持っていたポテトを口へ放り込まれた。朋哉は恥ずかしそうに視線をうろつかせ、サンドイッチの中に入っているレタスをいじっている。


「さっき、尊…佐尾が、父さんと会った時に言ってくれたんだよね。“俺が一生かけて面倒見るからこいつの意思を無視した婚約は破棄してください”って」


「よかった…」


「やったな、朋哉」


より掛かるように抱きついて顔を近づけ朋哉の頭を撫でる紘に、ほっと胸をなでおろす。「よかった」と呟いた龍也に、その手をぎゅっと握った。


「てか何、もう付き合ってんの?」


満足したのか体を起こした紘は、ストローを噛みながらそう言う。朋哉は「それは違う!」と否定しながらも、顔は真っ赤だった。


「面倒見るって…そんな意味じゃないと、思うし」


「でもお前らヤることやってんじゃん」


「は!?」


「煌牙!」


「煌牙先輩…ほんと…?」


「あぁ」


「あの時追い剥ぎにあったズボン返してもらってない」


「ズボン!?」


「朋哉…どういうことだ…」


掴んでいたポテトを置いて、朋哉の方を見る。はくはくと口を動かしながら今にも煙が出そうなほど顔を真っ赤にした朋哉は、観念したように頭を振って、大きく息を吸った。


「…一日に、二人のセフレと会って」


「午前中でだ」


「午前中で!?」


「小野黙って。えっと、それで…二人目に三年生の彼氏がいてて、下履かずに部屋追い出されたからたまたま居合わせた龍也からズボン追い剥ぎしたんだけど…野次馬に尊人がいて怒られちゃって…。面倒くせーって思ってたら…“そんなに俺が嫌いか”って言われて…そのままあいつの部屋に…」


口が開いたまま閉じない。いや、朋哉のそういう話を聞くのは初めてじゃないし、俺は朋哉と同じ“受ける側”だと自覚していたからそれとなくやり方を聞いたり…やっぱり男子高校生だからか、そういう話は紘含めよく盛り上がるのだが。紘の方を見ると、同じ反応だった。いや、じゃあ遊んでいた方が良いって話でもなく…。朋哉が最近セフレたちと会わなくなったどころか連絡すら取らなくなった理由を唐突に理解してしまい、思考が止まってしまったようだった。


「あーもー終わり!」


「それで、俺のズボンは?」


「今日返すよバーカ!」


「篤生…暴言を吐かれた…佐尾に告げ口したほうが良い…」


「…えぁ、うん、そうたな」


「篤生、ポテト」


ぼーっとしていたところへ、葉月がフライドポテトを差し出してくる。相変わらずのマイペースに吹き出して「ありがとう」とそれを受け取り、先程置いたポテトを葉月の口へ運んだ。二人で笑い合っていると、葉月の胸元に煌牙の腕が回る。


「貴族サマは大変だなー。な、葉月」


「?そうだね…」


「お前も貴族出身だろ…。どうなんだ?衛守とのこととか」


龍也へフルーツを差し出し笑い合う。その肩へ頭を乗せてぐりぐりと甘える仕草をしながら、「そういえば」と煌牙の方を見た。


「俺もそれ気になってた。婚約者って話とか聞かないけど…」


「確かに、後藤家って伯爵家だろ?」


「婚約者とかいねー。俺には葉月だけ♡てかそもそも…」


煌牙は、葉月が手に持っていたサンドイッチを咥える。上を向き飲み込むように一度でそれを食べきったと思えば、次のサンドイッチへ手を伸ばした。


「俺養子だし…。農家の生まれだもん」


「は!?」


ガタリと音がして紘が立ち上がる。朋哉も「マジで言ってる!?」と大声を上げ、煌牙を見上げたまま固まって動かない葉月を見つめた。俺もそちらへ視線を向けると、なぜか煌牙がこの状況を一番把握できてない顔をしていた。


「卒業後どーなるのかもわかんねーし。ま、アルファが産まれたって聞かねーからたぶんそのまま当主にさせえくれんじゃね?俺その辺よくわかんねーけどさ」


「…初耳だ」


葉月は、煌牙の太ももに触れて「本当…?」と囁く。それでも煌牙は相変わらずのテンションで、笑いながら「ソースついてる〜」と葉月の頬へ触れた。朋哉は半笑いになりながら、「これは大変だな、葉月」なんて言う。その肩を叩き「でも幸せならいいんじゃね?」と笑った紘に、血の止まった指を握りしめた。


「…篤生?」


「うん?」


「指、どうした?」


「あ…朝、ちょっとね」


「そっか。…あ、これ知ってる?いちご」


「食堂で出るジャムのやつ?」


「そう」


本体を見るのは初めてで、龍也の指に収まる少し周りがチクチクした赤いそれを凝視する。「どうぞ」と差し出されて恐る恐る口にすると、ツンとした酸っぱさが広がって目をぎゅっと閉じた。…でも、あんまり酸っぱくないかも?噛めば噛むほど甘くなっていくのが不思議で、眉をひそめて次のいちごへ手を伸ばした。


「あは、百面相だ」


「美味いか?」


「うん。すっごく、すっっごく美味しい!これ…ちくちくしてるやつ、トゲかと思ったら違うんだね。身構えちゃった」


手が止まらなくて、苦笑いしながら最後の一つを取る。「今度、実家から送ってもらおう」なんて言う龍也へ倒れ込んで、「ありがとう」と言って熱くなる顔を隠す。名残惜しくなりながらいちごを食べて、少し汚れた指に吸い付いた。…こっちも美味しいな。何の錯覚だろう。


「誰かスマホ鳴ってね?」


「あ、俺かも」


立ち上がってベッドへ向かう。制服を脱いだ時にベッドへ置きっぱなしにしていたスマホを手に取ると、そこには父から“今会えるか?”と連絡が来ていた。


…奏空のお母さんと来てるはずだから、俺とは会わないようにしているかと思っていたのに。とりあえず“うん”と簡潔に返して、それをズボンに突っ込んだ。


「ちょっと父さんと会ってくる」


洋服が無造作に置かれているクローゼットの中を手探りで探し、奥の方に隠していた紙袋を出す。龍也が「渡してくるのか、お土産」と嬉しそうに言うので、頷いてそれを抱きしめた。


「じゃー帰ってきたらボードゲームしよ!」


「罰ゲームありにしよーぜ」


「罰、ゲーム…」


「龍也、えっちなこと考えてんじゃねえぞ。このむっつり童貞」


「お前も童貞だろ。それにたぶん、煌牙も同じことを考えていた」


「は!?考えてねぇし!」


「煌牙先輩…さすがに皆が居るところで太ももの内側を擦るのはどうかと思う」


「あっは!この空間俺以外みんなむっつり童貞じゃん!」


「お前は非処女なだけで童貞だろ…」


「ふん、おれそっちもしたことあるし」


「…聞いてねぇぞ!?」


盛り上がる話題が年相応すぎるな、と吹き出して、適当に靴をひっかける。チェストに置いている小さな鏡を見ながら、少し乱れた髪の毛を手ぐしで直した。


相変わらず騒いでいるそちらを見ると、座る場所を移動した紘が龍也の肩に手を回してふたりでお腹を抱えて笑っている。すっかり仲直りしたんだな。そもそもなんで疎遠になっていたんだ?と首を傾げると、スマホが震える。“宿舎の前に居る”という父からの連絡に、「行ってくるわ」と少し大きな声で告げてすぐにドアノブへ手を伸ばした。


「気をつけて、篤生」


「何かあったら呼べよ。お父さんと会うなら平気だと思うけど、もし万が一あの人に会ったら…」


「大丈夫だって。父さんも宿舎の前に居るって言うからすぐ会えるし。あっ、そのきゅりのサンドイッチ残しとけよ」


「きゅうりな。行ってらっしゃい」


「ばいばーい」


「転ぶなよー」


「行ってらっしゃい、篤生…」


きゅっと胸が締め付けられて、名残惜しくなりながら扉を閉める。袋の中を確認してから宿舎の入口へ急ごうとした、その時だった。


「っ」


ぐっと手首を引っ張られる。身動きが取れないまま背中を打ち付けて、押し出されるような咳をした。痛みに顔をしかめる。


「痛…っ!」


相手は何も言わない。龍也と出会った頃の嫌な記憶が蘇って震えながら目を開けた。…でも、あの時俺を壁へ押し付けたのは煌牙だった。それに、千枝は最近こういう嫌がらせはしてこないし…じゃあ…誰が?






「ママとお話しよ、あっくん♡」






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