第3話 校外学習

「やべー!何あれ何あれ!」


「アラ先生何あれっ!!」


「あーもー静かに!方喰が点呼取れねーから離れるなお前ら!」


わちゃわちゃと右往左往しながら賑やかなな声を上げるクラスメイトを、何とかいち、に…と数えて全員居ることを確認する。「点呼終わり?」と肩口からバインダーに乗ったチェックシートを覗き込んだ朋哉に「うん。終わり」と微笑んで、それをカバンに仕舞った。


「それじゃ先生、全員居たから校外学習始めてもいいよね」


「なんだお前が一番わくわくしてんじゃねえか…まだ解散の時間じゃないから待て」


「篤生と葉月はアレ以来だからな」


「えっ、アレってなに!?」


「あー…あれか、中等部の時の」


いたずらっぽく笑う絋に、やめろとその肩を叩く。興味津々そうな顔でこちらを見つめるクラスメイトたちと話してしまいなよと囃し立てる中等部からの幼なじみたちに、助けを求めるように振り向く。当の本人である葉月は我関せずといった面持ちでぼーっと街を見回していて、「口開いてるよ」とその顎に触れて口角を緩ませた。


「中等部の時、一緒に学校抜け出して街まで降りてきたんだよね」


「懐かしいね。僕に付き合ってくれたせいで篤生まですごい怒られちゃって…」


「当たり前だろ。『すぐ戻ります』って書き置きして優等生二人が急に居なくなったんだから教師全員終わったと思ったんだぞ…」


新木先生にくしゃくしゃになるほど頭を撫でられて、葉月と二人で目を合わせて笑い合う。


この街は学校のある山の麓にあるけれど、全寮制という学校柄と貴族家という身分柄、生徒たちが街へ降りることはほとんど無い。今回の校外学習は高等部の二年生が迎える伝統行事で、平民の暮らしを知るために行われるもの。


…なんていうのは体裁で、その実“一日好きに街を観光していいよ”という日なのだ。


「篤生、アイライン引いて」


「もー寝坊するからメイクも終わらなかったんでしょ…。チークとグリッターも貸して。全部やるから」


「ママすぎる…ぜんぶやって…」


目を閉じる朋哉の目尻へ向かってアイラインを引く。普段の彼のセルフメイクは少しばかりメイクに意思の強さが表れてしまっているので、緩く薄く引いて終わらせておく。


チークを乗せたブラシを払いながら、鏡を見て前髪を整える朋哉に「元気そうになってよかった」と溢した。


「元気になってよかったのは篤生でしょ」


「あは、ありがとう」


優しいなあと微笑んで、アイラインが薄いと愚痴をこぼす朋哉の頬にチークを乗せちゃんと綺麗だよ。とその髪を耳にかけた。


「好きな人が居るのに不特定多数に抱かれるなんて、俺らは朋哉のメンタルが心配なんだよ。佐尾とはまた仲良くできそう?」


「…むこう次第かな」


「運命は、意外と近くにあるものだよ」


「流石に怖いわ」


「何が?」


「いや、小野も…まあいいか。考えるだけ無駄だ」


これが運命の存在なんだな…。と言いながらコスメをポーチへぎゅっと詰める朋哉に、絋は「メイクぐらい部屋でしてこい」とその足を蹴る。「だったら起こしてよ!篤生といちゃいちゃしながら自分の服選んで俺のこと放ったらかしてたから寝坊したんだろ!」と反論した朋哉に絋が何かを言い返そうとするので、先生がその間に立って「まぁ休日だからって朝の放送しなかった学校のシステムが悪いな」と静止する。


そんな騒ぎの中でも相変わらずいつも通りのマイペースさでふらふらしていた葉月がふいに抱きついてきて、「まだ時間じゃない?」と囁いた。葉月は最近付き合い始めた先輩(?)と約束をしていて、昨日なんかそわそわしながら「どっちの服が良い?」とほぼ半裸の状態でふたつの洋服を手に部屋へ駆け込んできたのだ。


…二年生の校外学習なのに先輩が来るというのは少し理解できないが、まぁ留年とか何か事情がある人なんだろう。その場合はその理由を問い詰める必要がありそうだが。


「たぶん、もうすぐ…ほら」

 

少し遠くに居たアルファクラスの先生の「解散〜」という声が聞こえてきて集まっていた生徒たちが散り散りになっていった。それを確認した新木先生の解散の合図に、クラスメイトたちも散り散りになっていく。


「じゃーね篤生〜」


「また夜な篤生、葉月、…朋哉も」


「またなー絋」


手を振って別々の方向へ歩いていきそれぞれの友人と合流するふたりに、なんだかんだ仲は良いんだよなあと笑って手を振り返す。突然アルファたちが増えた中少し震えて背中に隠れる葉月を安心させるようにその手を握った。


「葉月、約束してる先輩って…」


「うん。あっ、あの人だよ」


大きく手を振って小走りで駆けていく葉月の背を追うと、そこにいたのは龍也で…頭を振って目を凝らすと、葉月はその隣で龍也の肩を組む煌牙の前で立ち止まった。


思わず、眉間にシワを寄せてしまう。


後藤煌牙は千枝の取り巻きの中でも中心的人物で、俺と龍也が付き合い始めた当初俺へちまちまと嫌がらせをしていた人物だ。無論それは全て千枝の命令だったとわかってはいるものの、いい思い出では無い。


「行こー葉月」


「うんっ…篤生、またね」


唖然として立ち止まる俺に、龍也が上から被さるように抱きしめてくる。おはよう、と言う彼を見上げながら、「葉月の言ってたアルファって…煌牙なの?」とつい言葉にしてしまった。


「あぁ、そうみたいだね」


「いや、先輩って…」


「あいつ一年留年してるから。暴力沙汰で停学になってからまともに試験受けなくなったらしくて…」


「もっと心配になってきた」


「大丈夫」


そっと頭を撫でられて、ふとみんなに夢中で自分はメイクもヘアスタイリングも、何なら髪をとかすことすらしていないことに気がつく。隠すように頭に両手を乗せると、「隠さないで。やってあげる」とその手を優しく払われた。


「衛守葉月を襲ったアルファ殴って、教室から突き落とそうとして停学になったらしい。…当時あいつは衛守を知らなかったはずだが…人の良さが出てるよな。俺はむしろ煌牙でよかったと思ってる」


「あ…あれ、煌牙だったんだ」


「篤生は…たしかその時、衛守葉月と二人で学校抜け出して怒られてたよね。おれが初めて篤生を知ったの、それなんだ」


「そうだったの?恥ずかしいな…」


顔の中心に集まる熱を冷ますように頬を両手で挟むと、それを制するように手を取られてその手の甲にそっとキスをされる。いっそう熱がこもる頬に、龍也の大きい手が触れた。


「それより、これからはもうお母さんモードは終わり。今日はデートなんだから。楽しもう?」


優しい力で頬を寄せられて、笑みが溢れる。

照れ隠しのように「うん。楽しみ」と返すと、「ちゃんとエスコートするから、楽しみにしてて」と手を繋がれる。


見慣れない街を歩きながら一軒一軒のお店を覗き込む。ほとんどなんのお店かもわからないけれど、見ているだけでわくわくするようだった。


「先にご飯にしようか。ブランチってことで」


「うん!お店探してくれたんだっけ?」


「絶対篤生が喜ぶお店だよ」


泣いちゃうかも。なんて冗談を言いながら手を握る力を強められて、そんなことないでしょ!?と笑いかける。いくら久しぶりに来るからってそんなことは無いはずだ。それに元来俺は涙もろい方ではないし…。


「さ、ここのお店だよ。入ろうか」


「うん。……って、もしかしてここ」


「ほら早く入って、王子様」


扉を開けられ、エスコートされて中に入る。中には店員さんが一人だけ居て、こじんまりしたお店にはまだお客さんはいなかった。「予約していた…」と店員さんに告げながら「こっちの席だって」と手を引かれても、口をあんぐりと開けて店内をぐるりと見回すことしかできなかった。


「注文が決まりましたら、お知らせください」


「はい。篤生、どれにする?」


「…ここ、北部料理のお店?」


「やっぱり内装で気づくか。さすが」


「北部出身の方なんですか?」


「あ、はい。彼が北部出身で…長いこと帰れてないはずだから、ぜひ連れてきたかったんです」


「素敵ですね〜♡」


ごゆっくりしていってください。とキッチンの方へ消えていく店員さんを目で追って、その服装や内装、目の前にあるメニューに載る料理を見ながら、じんわりと目頭が熱くなってしまう。「やっぱり」なんて優しく目元を擦られて、何度も瞬きをした。


「あっ…ご飯、選ぼう」


「うん。篤生が説明して、料理」


「もちろん。えっと、まずね…」


メニューを開くと、スープの種類、豆類を始めとした具材の種類、パンの種類と分かれて書かれていて、思わずそのページを懐かしむように撫でた。


「まず、スープの種類を選ぶの。おすすめはチキンスープ。何の食材にも合うから。お腹にたまるのはどっちかって言うとトマトスープかな…あっ、味噌は初めて見た。どんな味になるんだろう」


「トマトスープにしようかな…。豆類が必ず入るのか、せっかくだから豆は全種類入れよう。具材は…ペンネはどうだ?」


「人参も入れよう。それと…玉ねぎ!パンは一番スタンダードなのでいい?」


「いいな。それにしよう」


店員さんを呼び手際よく頼んでいく龍也の顔を見つめて、注文を確認して復唱する店員さんにぺこりとお辞儀をする。北部料理の中でも特に庶民的なラインナップだな…とメニューをもう一度眺めて、右上に小さく書かれている地図に目を細めた。


隣国との国境に広がる草原。中央部と北部を分け隔てるようにそびえ立つ山。西には大きな湖があって、俺の実家は北部の中でも特に北の方にあったから…この辺だろうか。と指を指した。


「篤生の実家はその辺か?」


「うん。懐かしい。帰省のたびに帰れたらいいんだけど遠い上隣国との小競り合いも絶えないから、実家から止められてて…結局もう何年帰ってないんだか」


メニューの上でぎゅっと握った右手を、上から被せるように握られる。緩んだその手を指どうしを絡ませるように繋がれ、びっくりして龍也を見る。真剣な面持ちで目線を落としていたのは、メニューの裏側に書かれていた北部の歴史だった。


「隣国との争いは、2年前くらいにもあったのを覚えている。ちょうど冬も佳境の時期で、王室所属の兵士たちはみんな帰省してしまっていたから…一平民たちが戦って、亡くなった人もいたと」


「頭がおかしいんだ、隣国の奴らは…。ベータを人間だとは思っていない。アルファ、オメガの少数性こそが人間だと掲げて…だから国の力も弱いままなんだ。圧倒的に数の多いベータを卑下し、差別するから」


「…でも、この国とて大差は無い。少し前まで、アルファこそが、貴族家こそが主と考えられていたんだから」


思いため息をついてメニューをよけると、繋いでいた龍也の手が伸びて俺の頬に触れる。愛おしさがこぼれるような瞳でじっとこちらを見つめられ、恥ずかしくなって思わず視線を逸らした。


「でも、俺たちなら世界だって変えられる。俺は内側から。篤生は外側から。この世界が俺たちに否定的なら、俺たちが世界を変えればいい」


ふと聞き覚えのある言葉に、顔を上げてしまった。龍也は俺の頭を撫でながら、頬杖をついている。きっとその顔を見るにそれは彼の本心で、心の奥につっかえるそれは俺の思い違いなはずだ。


「俺たちはその力を蓄えるためにあの学校へ通っているんだから」


「…そうだね」


動揺する心を落ち着かせながら、そんな素振り見せないように笑顔を浮かべると丁度料理が運ばれてくる。店員さんが「王立学校の方なんですか?」とまん丸にした瞳で言った。


「じゃあやっぱり、方喰家のご当主様の息子さんだ。私、あなたのパイ食べたのよ〜もうこんなに大きくなったなんて」


「パイ?」


「あぁ、北部の伝統だよ。子供が産まれたとき、それを近所の人達に教えるためにパイを送るの。その中に入っている豆が赤なら女の子、白なら男の子でね」


「へぇ、中央にそんな伝統は無いな。羨ましい」


「俺の時は男の子が産まれたって祖父が大喜びしてさ。北部にある家ひとつずつにパイを配らせたんだ」


パンを龍也の口に運ぶ。美味しいと目を見開かれて、なんでか俺が誇らしい顔をしてしまった気がする。


「愛されて育ったんだな、篤生は」


「…それ程でもないよ」


「羨ましいよ」


スープを取り分けられて、龍也の手元を目線で追う。「ゆっくり食べてね」と笑った店員さんにお礼を言って、温かいスープを冷ますように息を吹きかけた。

 

久しぶりに食べたそれはとても温かくて、胸の奥にしみるようだった。






ーーー






「美味しかった〜夜は中央の料理を食べに行こう」


「いいな。夜は俺が説明しよう」


「楽しみにしてるね」


メインストリートから一本入った小川沿いを歩いて、等間隔に並ぶお店を覗き込む。ピアスがショーケースに並んでいるのを見つけて、入ってみようと話す龍也に手を引かれるように店内へ入る。キラキラしたピアスや髪飾りが並んでいて、思わずぐるりと店内を見回した。


「あっ、これ似合いそう」


「そうか?あててみてくれ」


シンプルなシルバーのピアスが光る龍也の耳へそれをあててみると、鏡を覗き込んだ龍也も「かっこいいな」と頷く。カゴへ入れる姿を見つめながら、「ピアス開いてるの以外だよな〜」とその耳へ触れた。


「開ける時痛くなかったのか?」


「中等部の時、仲の良かった奴に開けてもらったんだ。気を逸らすため笑わされたから…痛かった記憶はないな」


普段はあまり見ないような心の底から嬉しさが溢れるような優しい笑顔に、つられてこっちまで笑顔になってしまう。ピアスを前にもう何個か買おうかと迷っている龍也のその向こう側には子供向けのアクセサリーが置いてあって、「あっち見てくるな」と声をかけてそちらへ歩いていった。


「シンプルだしいいな…明愛に買っていくか」


白いカチューシャを手にとって、そう呟く。明愛がにこにこしながらありがとうと笑ってくれる姿を想像して、思わず顔をにやけさせた。

 

「奏空には食べ物が良いよな…」


「…きょうだいか?」


「あぁ。すっごく可愛いんだ」


「じゃあこれは俺が払おう」


「え…あっ、」


手に取っていたカチューシャをレジへ持っていく龍也を追いかけ、「大丈夫だよ」とその背中に声をかける。金額を計算する店員さんを待ちながら、龍也は落ちてきた俺の前髪を耳にかけて身をかがめた。


「払わせてくれ。いいところを見せておきたいんだ」


「も〜なんだよ〜かっこつけちゃって」


その肩に頭を乗せて、「じゃあお礼にココア買う!」と顔を上げた。「先に行っててくれ。これを払ってから追いかける」と頭を撫でる龍也に「ありがとう」と微笑んだ。






ーーー






「…そういえば、篤生は三人兄弟なのか?」


「今は三人で…再来月にもっと小さい子達が二人増える予定なんだ。奏空も、明愛も…その子達も、俺とは半分しか血が繋がってないけれど、すごく愛おしいきょうだいたちだ」


暖かいココアを飲みながら、近寄ってきた野良猫に手を伸ばす。その手には近寄ってくれないのに足元にすり寄ってくる懐きそうで懐いてくれない、でもやっぱり懐いてくれる感じが葉月みたいだった。


「篤生の…お母さんは?」


沈黙を破るような少し震えた声に、ココアを飲み終わって紙コップを潰しながら指をそわそわとせわしなく組み替える龍也に笑いかける。きっと勇気を出して聞いてくれたんだなと思うと、言いたくないという気持ちよりも愛おしさの方が大きくなるようだった。


「父さんとあまり仲良くなくて…俺が初等部に入った直後に別れちゃったんだ。番契約をしているから未だに会ってはいるみたいだけど…美國さんは俺のこと、もう息子だなんて思ってない」


「…そうだったのか」


「あっ、龍也も三人兄弟だよね?」


「あぁ。俺も二人とは半分しか血が繋がっていないが…同い年の弟と、…一つ上の兄がいる」


「…ごめん、お兄さんのこと……」


「あは、大丈夫だ。さすがに話してるだけで発作が起きたりはしない。それに…俺の母は妾ながら父に溺愛されている。…だから俺の方こそごめんな、上手い返し方がわからなくて。篤生はきっと、俺以上に苦しんできただろうに…“愛されて育った”なんて憶測で言って、本当にすまない」


「いっ、いいよ大丈夫」

 

空気が重くなってしまった自覚があって、視線をさまよわせる。なにか話題を変えられないかと考えていると、少し離れた噴水の方から自転車のベルの音がした。


「あっ、あれ、俺の地元にもあったやつ…。安いお菓子やアイスを売ってくれるんだ。行ってみよう、りゅう…」


立ち上がった身体が突然動かなくなって、龍也の方へ振り向く。俯いている龍也は俺の手をぎゅっと握っていて、「あつき」と消えそうな声で名前を呼ばれた。


「うん?」


「…聞きたいことが、あって」


俯いたまま深呼吸をする龍也は、一度口を開いてからもう一度口を閉じ、顔を上げる。繋いでいた手をいっそう強く握って、ゆっくりと視線を合わせた。


「俺に隠してることがあるのなら…言ってくれ」


「…隠し、てることなんて」


「俺と出会ったからだろう?」


その一瞬、びくりと震えた俺をきっと龍也は見逃さなかった。立ち上がった龍也は一直線に俺を抱きしめて、俺の背中をぎこちなく撫でる。俺は龍也よりも圧倒的に身長が低いから、その胸元にすっぽり埋まってしまった。


「一人で抱え込まないで。俺にも…背負わせてくれ」


「っ!……あ、」


背中を撫でられた瞬間、思わず身体を引き離してしまう。龍也の胸を叩いた音が後を追うように聞こえてきて、さっと血の気が引く感覚がした。


「あ、ち、違う…本当、に…何でも、ないんだって」


どくどくどくと心臓が鳴り響いて、冷えた手が震える。やり場のないその手で龍也の胸を押して、深呼吸を繰り返した。


「…あつ」


「兄ちゃんたち、ケンカしてんの?」


ぐっ、とズボンを引っ張られる。

視線を落とすと、男の子が眉間にシワを寄せて持っていたアイスを舐めていた。「仲良くしろよな」と俺と龍也を交互に見て、「食べれば?」とそのアイスを差し出してくる。


「してないよ。ごめんね」


とその場にしゃがみこんで頭を撫でると、「そうか?」と首を傾げてじっと目を見てくる男の子に、あぁよかったと心のどこかで良くない安堵を感じた。


「あー!兄ちゃんたち、山の上にあるでっけー城みてーな学校の奴だろ!おーい!」


 少し離れたところにいた同じ年頃の子達を呼ぶ姿に、お母さんであろう女性が滑り込むように駆けつけてくる。「すみません本当に…」と何度も頭を下げる姿に、「大丈夫です」と笑いかけて男の子を抱き上げ龍也の方をちらりと見ると、不思議そうに男の子を見つめていた。


「兄ちゃんたちは何番目のキゾクサマなんだ!?」


「俺は…上から2こと半分だ」


「半分!?」


「そんなのあんの!?」


「兄ちゃんすげー!」


「なーどんくらいすげーの?」


「スーパーレアカードくらいだよ!」


気づけば少し人だかりができていて、龍也が俺のセーターを掴むのがわかる。「大丈夫」と振り向いて囁くと、ひときわ背の低い女の子が「お兄ちゃんは?」と龍也の左足に抱きついた。少し戸惑った顔をした龍也だったけれど、すぐに(口角は少し震えていたが)笑顔を見せてその女の子を抱き上げる。


「俺は、公爵家の嫡男だ」


「あ」


「コウシャク…って…」


やってしまったと思い、龍也を小突く。どうかしたか?と顔に書いてある龍也はきらきらとした純粋な瞳をしており、これが箱入り息子か…と驚くことしかできなかった。公爵家の人間がいるなんて知れたら、このデートもとい校外学習が終わってしまう程周りを混乱させてしまうに決まっている。いや、周りにほとんど人がいないからセーフか…?


「なー兄ちゃん、それ何こ目ー?」


「1こ目だ。祖先をたどれば、初代王がいる」


とたんに、風圧ともとれそうなほどのざわめきが生まれる。あぁ終わったと思って龍也を見るも、彼はきょとんとしてあたりを見渡し、最後に俺を見た。


「…何か?」


「ウルトラレアだー!」


「兄ちゃんスゲー!」


「サインくれよサイン!」


「サインは無いが……そうだ、あれを買おう」


いいか?なんて聞く龍也が指差す先には自転車の移動販売があって、「あぁ、お菓子買ってあげるの?いいね」と笑って男の子をおろした。手をぐっと引っ張って「俺アレが欲しい!」なんて言う姿に、子供ができたらこんな感じなのかな、なんてふと思う。


「すまない、売れるものを全部売って欲しい」


「えっ」


「兄ちゃん金持ちだ!!」


わくわくしながら小さくジャンプする男の子とは対象的に、口をあんぐりと開けて龍也を見上げることしかできない。差し出したカードを「すまないがカードは使えないんだ」と突き返された龍也は、「ならこれで足りるか」と紙幣を一枚出した。


…貴族家にしか発行されない紙幣。


アルファクラスは事前講習で周りを混乱させないように身分は明かさないこと、紙幣は教師に崩してもらってから使用すること、という二大鉄則を教えていなかったのだろうか。この箱入り息子は俺がしっかり守って山の上まで帰さなければ。


「そんな小切手みたいな紙幣は貰えないよ…。1000を2枚で十分だ」


「…今はこのお札しか持ってないから、余ったおつりでこの子たちにもっと多くのお菓子を仕入れてあげてくれ。夏が本格的に来たら、アイスももっと必要だろう」


「まぁ私も、これをつっ返せるほどいい暮らしはしていないからな…。ありがとう、公爵家のお方。大切に使うよ」


お菓子を両手いっぱいに抱えた男の子たちは、それぞれお礼を言いながら走っていく。抱えていた女の子をおろした龍也は、その頭を精一杯の優しい力で撫でる。それを微笑ましく見ていると、最初に俺たちへ話しかけてきた男の子に袖を引かれた。


「もーケンカすんなよ」


「ありがとう。もうしないよ」


「こっちこそ、お菓子ありがとっ!!」


女の子の手を引いて走り去る背中を見つめて、うずくまったまま噛みしめるように深呼吸をする。その背中を優しく撫でられた。


「踏み込みすぎたことを聞いてすまない。俺は本当は、篤生が側にいてくれるならどんな秘密を抱えていても構わないんだ」


「…うん。俺もそうだよ」


「でも、知りたいんだ」


「……」


「だからいつか篤生が誰にも話せない秘密をふとした拍子に話せるほど、頼れる彼氏になるから」


ぎゅっと抱きしめられる。


甘いお菓子の匂いが鼻腔をくすぐって、小さく微笑んだ。






ーーー






「真っ暗だ…」


「集合までもうあと30分か」


「もう広場に向かわないと。点呼もあるし」


「そうだな」


淡い街灯に沿うように歩く。一日で回りきれなかったお店はもうほとんど閉まっていて、街は薄暗かった。今は閉鎖して博物館として生まれ変わった劇場からは少し開いているシャッターの隙間から明かりが漏れていて、今度来た時はここに来たいなと龍也を見上げた。ここは薄暗いけれど、広場のあるメインの通りには料理店が多いから、もう少し明るいかななんて話して歩く。


なんだかすごく、


「…世界に二人だけみたいだな」


「俺が言おうとして言わなかったことを」


「なんかちょっと恥ずかしいな」


「だからだってば!」


龍也へ体当たりすると、そのまま抱き上げられてしまう。「バカップルじゃん!」なんて言いながらもそれを止める気はサラサラ無くて、ぎゅっとしがみつくように抱きついた。


「…帰りたくないな」


「一緒に」


“逃げようか?”なんて言葉は喉の奥に消えて、「なんてな」と笑う。おもむろに龍也の手を取ってあの日踊れなかったワルツのステップを踏み1回転すると、腰に手を回されぐっと距離が近づいた。


「…逃げようか?」


「また、そんな…無理だよ」


「無理だと決めなければ、それは無理じゃない」


龍也の腕を掴んで、距離を近づける。


ちゅっ、と触れるだけのキスをして、離れるのを惜しむように顔を近づけるため背伸びしたまま、動くことができなかった。


「俺は満足してるよ。今の生活に」


「そうか」


「友だちがいて、恋人がいて、家族もいる。生徒会長で、それだけで周りから全幅の信頼を寄せられていて、自分で言うのもアレだけど…成績も、オメガにしては悪くない。……でも」


限界なのか足がぷるぷると震えてくる。それでもまだ顔を近づけていたくて、ぎゅっと隙間なく抱きついた。


「たまに思うよ。これをすべて捨てて龍也と逃げられたら、俺は本当の意味で幸せになれるのかなって」


「…」


「贅沢を言うつもりは無い。この地位にいられるのは俺の実力だけじゃなくて…周りが俺を好いてくれてるからだって理解してる。それでも、俺は…」


かっこいい姿だけ見せていたかったのに。


いつもの頼れる“方喰篤生”でいたかったのに。


龍也はなんでそうさせてくれないんだ。


「それを全て捨てれば龍也と一緒になれるのなら…迷いなく捨てて、龍也を選ぶよ」


本当は大嫌いなんだ、貴族家なんか。


俺を卑しい生まれだと煙たがりながらより地位の高い貴族家の顔色をうかがって俺を嫡男に据える方喰家は、俺が“どう”なったら本当に喜んでくれるんだろう。


…そんな奴らの顔色をうかがって、そんな事を考えているうちに生徒会長にまでなってしまった俺が、本当は一番嫌いなんだ。


「俺たちには」


「…うん」


「俺たちにある道は、二つだけだ。この関係を解消し、周りの敷いた道を生きるか…それを全て捨てて、二人だけの力で生きるか」


ふわりと抱き上げられ、足が宙に浮く。思わずぎゅっと強く龍也を抱きしめると、「ふっ」とちいさな笑い声が聞こえてきた。


「でも、道が二つしか無いのは今だけだ。もっと大きくなり、力をつけることができれば…きっと、周りに認められて二人で末永く生き、ハッピーエンドだって迎えられるはずだ」


だから大丈夫、と頭を撫でられる。龍也の首に手を回して抱きついたまま、すんと鼻を鳴らした。


「俺たちならできるさ、きっと」


「…うん」


すとんとその場に降ろされて、鼻をすすりながら視線を落とす。龍也は「泣かせるつもりはなかった」とおどおどしながら俺を覗き込むので、つい笑ってしまう。


その時だった。


「おーい兄ちゃんたち、貴族家様だな。どうだ?立ち話よりも寄ってかねぇか?」


博物館の入口に人が立っていて、半分閉まったシャッターからこちらを覗いていた。「集合場所こっから近いだろ?あと…10分くらいなら入館料払わないで居ていいから」と告げられて、入ろうかとあと少しの逃避をすることに決める。


「大ホールの一階は客席取り払って展示品並べてあるから、二階まで上がってバルコニー席なら座れるぞ。コーヒーはいるか?」


「お気遣いありがとうございます。でも、もう夜も遅いので…」


「了解りょーかい。ま、ゆっくりしてけ」


わしゃわしゃと頭を撫でられ、二人で顔を見合わせ眉を下げて笑う。「お手をどうぞ、王子様」なんて言われ手を取られて大きな階段を上るとなんだか本当に王子になったような気分がして、「そちらの王子様はちょっと手が大きすぎますね」と冗談を言って「それも好きなくせに」とキスを食らった。


「うわぁ、広いね」


「ステージの上が小さい…」


重い扉を開けた先にあったバルコニー席はそれなりの広さがあり、ぎこちなくなりながら扉の目の前にあった席へ向かう。柵から身を乗り出すように一階を見ると、言っていたとおり座席は取り払われ展示品が並んでいた。「卒業したら来てまたゆっくり見よう」と肩を組む龍也に、「約束!」と笑ってふかふかの座席へ座る。


「そういえば、龍のお母さんってオペラ歌手なんだっけ?」


「あぁ。父は王陛下がお忍びで行った劇場へついて行き…そこで母に一目惚れしたんだ。それから毎夜屋敷を抜け出しては、最終公演のほんの最後の部分を見たらしい」


「おぉ、熱烈だ」


「あぁ。おかげで今もラブラブだ」


そんな話を聞きながら吸い込まれそうな龍也の瞳を見つめていると、ふと視線が合ってキスをされる。劇場の中にそのリップ音が響いて、二人で恥ずかしくなった。


「知っていたのか、母のこと」


龍也はあまり感情が表情に出る方ではない。それでも、本当に嬉しいときだけは瞳がきらきらして愛おしさが溢れるような笑い方をする。その表情を見ていたら俺も同じ顔になってしまうくらいには、愛おしくて大好きな笑顔だ。

 

「小さい頃に、一度見たことがあるんだ。龍也があまりに似てるから紘にそれとなく聞いてみたら…アルファクラスでは有名な話だって教えてくれた」


その肩に頭を乗せて目をつぶると、肩に手を回されて優しく頭を撫でられる。気まぐれに耳へ触れる手に「くすぐったい」と笑いながら、目を開けて龍也を見上げた。


「…さっきの、話」


「?」


「公園で、した…“隠してること”って」


体を起こして龍也と向き合う。両手を握って、その暖かさを確かめるように何度も握った。


「ごめん。嘘、ついた…。隠してること…ほんとはある」


「そうか」


「だけど…今は、まだ…俺自身の心の整理もついてないから…言えない」


「いくらでも待つ。これから何年、何十何百年と一緒にいるんだから」


不安でそらした目線を追いかけるようにのぞき込まれ、頬を両手で抱くように包まれおでこをくっつけあった。「大丈夫」と笑う龍也に思わず照れ笑いを浮かべてしまう。


「へへ、ありがとう」


「…可愛い」


瞬きをする間にキスをされ、きゅっと目を閉じる。何度もキスをされ鼻呼吸では息苦しく、息継ぎのために開けた口から舌を入れられそうになる。


「そ…っれはダメ」


とっさに口をふさいで顔を離すと、しゅんっと悲しそうな顔をされる。「こら。そんな顔してもダメ。外だよ」と叱るように指を指すと、「…すまない」といっそうしゅんとしてしまった。その顔が可愛くて、ついぺろっと唇を舐めてしまう。開き直っていたずらっぽく笑って見せると、「いたずらしないの」と今度は俺が叱られてしまう。照れて龍也に抱きつくと、気をそらそうと劇場をぐるっと見回した龍也が「そういえば」と口を開いた。


「母を見たことがあるのか」


「うん。本当に小さな頃でほとんど覚えてないけど、ものすごく美人で…でも歌声は伸びやかで力強くて。幼心に“あの人みたいになりたい”って強く思ったよ。今は同じオメガとしても、すごく憧れてる人なんだ」


「…何だかほこらしいな」


自分のことじゃないのに、と笑う龍也に、「真っ赤だ」とその頬に触れる。


「家族と来たのか?」


「うん」


「そうか」


「実は…その当時から父と母はあまり仲が良くなくて、すぐケンカしてたんだ。父が貴族家の集まりで家族旅行を兼ねて中央に連れてきてくれて…せっかくだからとオペラを見ようって言われて。でも直前になってまた口論になって、父が仕事ができたといなくなってしまったから本当はオペラも見に行けなくなったはずだったんだ。…でも、その夜二人の仲を心配した交友のある伯爵がチケットを譲ってくれて」


眩しいものを見るように目を細めながら舞台を見て、ぎゅっと龍也の手を強く握る。今でも思い出せる光に包まれた舞台とそこで歌声を響かせる女性の姿に、すごかったなぁと呟いた。


「不思議だった。公演中、二人はじっと、静かに舞台を見ていて…。劇場を出て目を合わせた瞬間、すごい声で笑ったんだ。オペラは難しくてわからない。どんな内容なのかもまだ理解しきらないうちに終わったって。母は貴族家の出身じゃなくて…父もどちらかというと田舎出身になるわけだから、オペラなんか学生以来だったらしくてね。…でも、おかげで二人が笑って話すところを初めて見れた。後にも先にもあの一回きりだったけど…あのオペラのおかげで、俺は父と母との日々を完全に恨まないでいられている」


頬に触れられ、はっと我に返る。「喋りすぎたね」と前のめりにしていた姿勢を戻して座席に深く座った。


「母に伝えておこう。平民向けの優しめなオペラの上演も検討してもらおうか」


「あは、いいね。そしたら俺はそっちを見に行きたい」


「実を言うと俺もだ。父に誘われて帰省のたびにオペラを見に行くが…まだオペラの良さは理解できていない。こう…オ〜ォ〜ア〜みたいなのの繰り返しで」


二人で声を出して笑い合い、ホールに響いた笑い声に揃って口をふさぐ。動きが揃ったのがおかしくて、転げるように龍也の胸にダイブしてお腹を抱えて笑った。


「もう10分たったぞう」


扉から顔を見せた男性にそう言われ、「もう終わりだ」と手を繋いで立ち上がる。「楽しかった」「今度は展示品も見ます」と話しながら階段を降り、「あまり気負いすぎず頑張れよ」「爵位を譲り受けてから何かあると期待してもいいか」と機嫌良く話す男性は、「次来る時は母の…小野ミナのサインを持ってきますね」と龍也が言ったことで「まじで!?えっ、息子!?!」と腰を抜かし二人で大笑いした。まだ笑いのツボが浅いままらしく、「顔の骨が痛い」と触ってみせる。


「ほんとに、あんま無理すんなよ」


「すみません。お世話になりました」


「いーんだよ。前に似たような奴らをもう閉まってるからと返した後悔の償いなんだから」


少し冷たい風が吹いて、手を擦り合わせる。段々と小さくなっていった男性の声はほとんど聞こえなくて、「本当にお世話になりました」と頭を下げて広場へ向かった。


ゆっくりゆっくりと歩いていたらもう集合時間になっていた。広場が近づく事に生徒たちが増え、広場が少し見えてきたあたりで「あっくんだー!」と手を振られる。それを振り返すために繋いでいた龍也の手を離すと、追いかけるように再び手を繋がれた。


「…もう少しだけだから」


「うん」


「篤生っ!」


ぎゅっと後ろから飛びつくように抱きつかれ、びっくりした龍也がとっさに手を離す。にこにこで抱きついてきたのは朋哉で、「もーマジで楽しかった!」と感情を溢れさせるように小さく飛び跳ねる。


「…じゃあ俺も戻るな。篤生、これ」


「明愛のカチューシャ…結局奏空へのお土産も買ってもらっちゃってごめん」


「ありがとうでしょ」


ふわりと頭を撫でられ、「ありがとう」と微笑んでその頬にキスをする。「また明日ね」と手を振ると、「あぁ。また寝る前に連絡する」とその手を繋がれ、手の甲にまでキスをされ、人前でされたことが変に恥ずかしくうつむいて口元を隠した。


「篤生っ!楽しかった!?」


「おかげさまでね〜」


「ねーあっくん紘どこか知ってる?」


「篤生ー足靴擦れしたかもー」


「動物園楽しかった…」


一気にわらわらと群がられ、「一人ずつ話して!」と笑いながら体当たりする。カバンから朝点呼で使ったバインダーを出して、今いる人の分だけしるしをつける。


…紘だけか、まだ帰ってきてないの。不良め。


「悪い!遅れた!」


「紘遅刻だぞ〜」


「まだ集合時間じゃねえだろ。…たぶん。てか聞いて。映画、マジやばい。マジでクソ楽しかった…!」


反省しているのかいないのか、でも珍しく上機嫌なその顔を見ていたら「楽しかったならよかった」と言っていた。スマホを見せ合いながら話す葉月と朋哉を見ながら微笑むと、それに気づいた朋哉がにんまりと笑って小走りで近づいてくる。


「篤生もお楽しみだったみたいだね〜」


「みんなが良い子だったおかげで、夢みたいな時間だったよ」


「またそんな〜お母さんかよ〜」


「いや割とマジで一回くらいは電話くるかなと思ってたから…ナンパとか、そういうお店とか、逃げた、とか…」


「…ごめん」


「至らない息子達でごめん…」


「あはっ、わかればよろしい」


朋哉の頭を撫でて、「でも本当に何もなくてよかった」と笑いかける。夜になって少し崩れたヘアセットを直すようにその髪に手ぐしを通した。


「そーいや今の王陛下だっけ?オメガと逃げようとしたの」


「あー新木先生が言ってたね。ロマンチック〜♡って思って聞いてたけど、良く考えたらそのまま逃げなくてよかったよね。本当に逃げてたら俺たちは今ここにいないかもしれないんだもん…オメガの人権保護の話をしてくれたのも今の王陛下が初めてなんでしょ?」


「……」


バインダーを、ぐっと掴む。


「篤生」と葉月に覗き込まれ、はっと我に返って「何?」と笑顔を浮かべた。


「…なんでもない」


「そう?」


「方喰!」


名前を呼ばれて振り返ると、佐尾がアルファクラスの集合場所から小走りでやって来ていた。とっさに朋哉は紘の後ろに隠れるものの、「暑苦しいからやめろ」と何も知らない紘に軽くあしらわれていた。代わりにぎゅっと俺の腕へ抱きついてくる。


「バスが道に迷って着くのが遅れるって。最悪日付越えるかも」


「わかった。先生からは何て?」


「もう時間も遅くて店も開いてないから、ここで待つって。オメガクラスの担任には今伝えに行く」


「ありがと。先生飲み行くって行ってたから、酔って寝てたら起こさなくていいよ。俺が行くから」


「あは、了解。また何かあったら伝えに来る。…朋哉も、またな」


先程までの騒ぎようはどこへやら、身体を小さくして俺の腕へ抱きついていた朋哉は「うん」と小さく返事をして、佐尾に手を振った。口角を少し上げて同じように手を振り去っていく佐尾に、クラスメイトたちは朋哉へ群がり騒ぎたてる。


「あの子が佐尾くん!?」


「イケメンじゃーん」


「からかうな!」


「夜だよー静かにー」


「篤生助けて〜」


半泣きで見上げる朋哉に、「本当に泣いたらメイク落ちるよ」とその頭を撫でてたしなめる。そういえばと佐尾が来てから背中に隠れた葉月の方へ「大丈夫?」と向くと、彼は俺の背中をいっそう強く握った。首を傾げて、正面へ向き直る。クラスメイトたちのざわめきが一気に止んだ。


 

 

「久しぶり、篤生」



 

肩がびくりと震えたのがわかり、卑しく口角をつり上げる男性に精一杯胸を張って睨みつける。一歩、また一歩と距離が近づいた。

 

「…美國さん。なんでここに…」


「いやだなぁ、警戒しないで。たまたま通りがかっただけだよ」


異様な空気を察し始めたクラスメイトたちが戸惑っていることに気が付き、何とかしっかりしなければ、と自分に言い聞かせる。それでも足の震えを止めることがどうしてもできなくて、頭の奥がツンとして何も考えられなかった。


「…あんた誰ですか?」


とっさに紘が庇うように前に立ち、「紘、大丈夫たから…」とその肩を握る。巻き込みたくなかった。これは、この人と俺の問題なのに。


「この人、母親だから…大丈夫」


「え、母親って…」


「篤生、俺のこと何も話してないんだ」


背を屈めて顔を近づけ、「ママ寂しーなぁ」なんて思ってもないことを言う彼に「思ってもないくせに」と気づいたら口にしていた。


「チッ、生意気。まーいいや。…確認したかったんだ。保護者の集まり、一週間後だよね?」


「…父さんが来るから、美國さんは来なくていいよ。奏空に会いに義母さんも来るから…あんたが来てもみんな迷惑なだけだ」


「ひどいなぁ…生みの親に向かって」


爪がきれいに伸びスラリと細く長い指を持つ手を首にまわされ、ぐっと後ろへ身体を引っ張られる。手を引いたのは葉月で、汗をびっしょりかいた真っ白な顔で美國さんを睨んでいた。


「…やめて、篤生はだめ」


「…同じ辺境伯の子じゃなかったら突き飛ばしてた」


「美國さん」


「するわけないでしょ。そんなにこの子が大事?」


「大事だよ。俺を捨てた生みの親なんかよりも」


「…へぇ、言うね」


そこへバタバタと足音が近づき、新木先生が俺たちの前へ立つ。龍也と煌牙がそれを追いかけてきていて、震えていた葉月が煌牙へ手を伸ばしたのが見えた。


「接触禁止を言いわたしてるはずですが?」


「…じゃーね篤生。また保護者会合で」


手を振って背中を向ける美國さんをしばらく見つめて、変に冷静な頭を落ち着かせるように目を閉じた。「お前も大変だな。自分のこと全部黙って。…そのうちガタが来るぞ、俺みたいに」と吐き捨てる美國さんへ、何も言い返せないまま紘に抱きしめられる。


「何だアイツ!」


「…煌牙先輩、聞こえるよ」


「聞こえていいだろ!クソ野郎!」


大きくて少し冷たい手に背中を撫でられ、心音が落ち着いていく。顔を上げて龍也を見上げると、彼は美國さんがいなくなった方を凄い顔でじっと見つめていた。「オメガたちがいるんだから、怖い顔しないで」とその頬へ手を伸ばしてたしなめる。


「うし!暗い空気やめ!バス全然来ねーから店入ろーぜ!俺が居た酒屋まだ開けてくれてっから、みんなで気分転換にアイスでも食うぞ!ほら!アルファクラスも!」


夜に見合わない大声を出す新木先生に、クラスメイトたちはそれに負けないはしゃぎ声でついて行く。その後ろ姿を見つめながら、「大丈夫か?」と抱きしめたまま一定のリズムで背中を叩いてくれる紘に「ありがとう」とその肩へ顔を埋めた。


「…篤生、保護者会合の日は俺から離れるな。それが難しい時間は、紘と一緒に居てくれ」


「言われなくたって俺がずっと一緒に着いてるよ。お前はもしもの時の権力行使要員だ」


「わかった、任せてくれ」


「冗談だよ…篤生も彼氏のお前の方が側に居て安心できるだろ」


ほらよ、なんて体を離され、龍也の前で足が止まる。


『自分のこと全部黙って。…そのうちガタが来るぞ、俺みたいに』


「……」


「篤生?」


「…りゅ、」


言うんだ、


言うんだ。


「りゅう、あの…」


俺は絶対に、


「あの、ね、」


絶対に、あの人みたいにはならない。


「うん?」


「あ、の…」


なりたくない、のに…。


「……や…っ、ぱ…り、…なん、でもない…」


「…そうか」






その日は、それからもう何も考えられなかった。


酒屋でアイスを食べても、遅れて来たバスに乗っても、部屋に着いてお風呂に入り、歯ブラシをして、ベッドに入っても、まるで空っぽになってしまったかのようだった。


俺を心配した二人が俺を挟むようにベッドへ割り込み「狭いわ!」と反射的に口にしたものの、目を閉じればまた暗闇に放り込まれたようで、その夜は、


『篤生の身体になにかあったらお前のせいだからな!お前がいっときの恋愛に溺れて俺を産むから!だから変に強いアルファの血を持った子どもが産まれたんだ!俺は…俺はっ!』


『みくにさん、』

 

『っこっち来んな化け物!俺はこんな子産みたくなかった!こんな混血の子なんてっ!』


『…っなんでそんなこと言うのお…っじのさん、じのさんん』


『美國、流石に言いすぎだ。篤生を産んだのはお前の選択で、俺と和臣さんまで悪く言われる筋合いは無い。…俺は、あの日々もお前を産んだことも、後悔していない』


その夜は、幼い日の記憶が夢に現れた。


もう夢で見ることしかなくなったそれは、俺の心を傷つけるには十分すぎるくらいだった。

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