第2話 看病
「篤生っ!!」
大声なんて出したのは久しぶりで、一瞬で喉がやられて咳き込む。二階堂に背中をさすられながら、ぽかんと口を開けて驚いている篤生を上から下まで見た。…何か悪いところがあるようには見えない。
「体調が悪いから今日は会えないって…メールがきて」
「え、俺そんなの…」
「俺が送ったの。篤生いつまでも迷って送らないし…」
二階堂はそう言って、スマホを篤生に返す。「健診の間持っててって言ったけど…」と呟いた篤生は、きまり悪そうに目線をそらしながらスマホをポケットにしまい、俺の手を取った。
「ごめん…心配かけて」
「何もないなら良かった」
そう取られた手にキスを落とすと、いつもの反応はせずに目線を右往左往させながら手を離される。
「発情期が近いからあんまり、近づかない方が」
「あ、ごめん」
「いや…そうじゃ、なくて」
妙に距離を取られる態度が初めて知り合ったときのようで、思わず笑いが溢れてしまう。
離れかけた手をすくうように再び握って、体を屈めてその唇に優しくキスを落とした。篤生の後ろに立っていた七瀬紘が呆れたような表情で顔をそらすので、見てないのを良いことにもう一度キスをする。
「じゃあ、デートは延期にしようか」
「いいの?」
「うん。デートはいつでもできるから、今はゆっくり、ちゃんと休んで」
そう言ってもう一度、最後にとキスをしようとするものの、スネを蹴られてそれは叶わなかった。ものすごい顔で睨んでくる二階堂に篤生が吹き出す。
「バカップルやめろ。篤生はもう横になってこよ」
「か、看病させてほしい。寝るまで一緒にいていい?」
「うんっ」
弾けるような笑顔で見上げる篤生の頬に触れ、その髪を耳にかける。それがくすぐったかったのかいじらしく笑った篤生は、お返し!と俺の頬をつねった。
「篤生、健診の結果聞きたいから…」
「あっじゃあ朋哉は先に龍也連れて部屋に行ってて」
「りょーかい。行こ、公爵家のアルファ様」
後でね!と言う篤生に手を振って、スタスタと早歩きをする二階堂に歩幅を合わせる。
「篤生は、何かの病気なのか?」
「発情期だって言ってたでしょ。…それに、何か病気でも俺の口から答えるわけ無い」
「それもそうか」
警備員さんに会釈をして、重い扉に体重をかけて開けようとする二階堂に手を貸して扉を開け篤生よりも頭の位置が低い二階堂を見下ろす。「顔怖いからこっち見んな」と睨みつけられ、歩くスピードを早める二階堂を追いかけた。
「…昨日、大変だったみたいだな」
「何、もう噂になってるの?サイアク」
「そんなに恥じることじゃないと思う。悪いのは向こうだ」
「それでも恥ずかしかったのは俺だから」
オメガたちの暮らす宿舎に入ると、周りがわかりやすくざわつくのが分かる。顔でも隠しとけ、と囁かれ、髪の毛をくしゃくしゃにした。渡り廊下を歩く二階堂の背中を追い、そういえば、と溢す。
「ダブルブッキングは二階堂が悪いと言う奴らを、佐尾が叱っていた。“オメガでもないくせにオメガのことをわかったように言うのは紳士じゃないぞ”と」
「…」
「佐尾と二階堂は本家分家の間柄で幼なじみだろ?」
興味を無さそうに話を聞き流していた二階堂が、部屋のドアノブに手をかけて動きを止める。何かを考えるように視線を落としてから、「…あいつにも婚約者はいる。妾腹の俺なんかとは違う正当な生まれの子爵家のオメガに、勝てるわけがないだろ」と吐き捨てるように呟いた。
「運命は、意外と近くにあるものだぞ」
「…上から目線ヤメロ」
扉を開けて洗面所へ直行する二階堂に続くように部屋へ入る。中はさすが男子高校生の部屋というか、前に来た時と変わらず服や本、コスメなんかがあちこちに散らばっていて、一人部屋の俺には普段感じることのできない生活感に思わず微笑んだ。
「…なに人の部屋見て笑ってんだ気持ち悪い…。あんま下着見てにやけてると篤生に言いつけるからな」
「下着を見て笑っていたわけじゃない。それに、同じ男だからそんな意識しなくてもいい」
「意識してるわけじゃねえよ。俺とお前は“同じ男”でもアルファとオメガだろ」
篤生のベッドサイドに置いてあった3つ並ぶ水の入った透明なグラスを1つずつ洗面所へ運びながら、二階堂は威嚇するように歯を見せる。篤生も恥ずかしくなるとやるその行為に、あぁ本当に仲が良いんだな、なんて思いながら洋服の散らばる篤生のベッドに座った。
「まぁ、お前は篤生一筋だからそんな事する奴じゃないってわかってるけど」
「…そうか。安心してもらえているのならよかった」
「さすがに俺も良いアルファと悪いアルファくらいわかるし。それくらいの危機察知能力は備えてるから」
「…ならなんで昨日、あんな奴と約束してたんだ?知ってたんじゃないのか?番がいるって」
「……知ってても認めたくないことだってあるでしょ」
最後のグラスに入っていた水を洗面台に流した二階堂は、スポンジに洗剤を浸してコップを洗い出す。「そのベッドの洋服片付けといて」と言われ、シワの付いたそれを伸ばしてから畳み、クローゼットの中にある引き出しの上に置いた。
「あ、紛らわしいけど引き出しの中は制服だから、シャツは引き出しの中じゃなくて上に……って」
手についた泡を洗い流した二階堂は既に置いてあるシャツを見て怪訝な顔をする。「なんで置く場所知ってんの?」と聞かれ「いや…」と濁すと、今日一番バカにしたような顔をされ鼻で笑われた。
「…俺らがいない間に来たことあるな?」
「……キスまでしかしてない」
「その先もしそうになったんだな」
どけ、と足を蹴られて、二階堂はベッドサイドに水を入れたコップとタオルを置く。やっぱり発情期が近いんだな。と呟いて、二階堂のベッドに座った。
「お前さ、どれくらい好きなの?」
「…?」
「篤生のことだよ」
やるべきことを済ませたのかタオルで手を拭きながら篤生のベッドに座った二階堂は、そう言ってじっとこちらを見つめる。からかおうとしているわけではなさそうで、一瞬目線を外して言葉を探した。
「…言い表せないくらいだ」
開きっぱなしのクローゼットの内側には写真が貼ってあって、少し幼さの残る篤生と二階堂、そして七瀬紘が3人で写っている。服装的におそらく去年のスポーツフェスの日の写真だ。
…まだ、俺が篤生を一方的に知っていた時。顔を合わせたこともすれ違ったことすらもなくて、お互いが運命の存在かもしれないなんて欠片も思っていなかった時だ。
「じゃあ、行動に表すなら?公爵家サマはたとえ辺境伯の子でも許してくれないだろ?」
指を組み合わせながらぼーっとその写真を見上げて、手をぎゅっと握る。二階堂の方へ目線を戻すと、彼の肩が少しだけ震えたのがわかった。
「篤生と生きられるのなら、裏切ったっていい。当主になんてなれなくてもいいし、妾である母親の立場が弱くなっても構わない。そばに篤生がいて、彼が俺に無条件で笑いかけてくれる日常に比べたら、そんなもの容易く捨てられる」
「あっそ。口ではなんとでも言えるけどな。……てか、冗談で聞いただけなのに真剣になりすぎ。フェロモンとその怖い顔ひっこめろアルファ」
舌打ちをしてからため息をつき、シーツのシワを伸ばしながらその手元を見る二階堂は少しの間それを繰り返した後勢いづけるように膝を叩いて立ち上がった。
「…でも、少しだけすごいと思ったわ。俺はそんなふうには思えない。機会があれば父親を引きずり下ろしてでも当主になりたいし、この学校にだって、俺が良い成績をキープすれば母親を認知してもらえるって約束で通ってる。…全部ぜんぶ、お前とは真逆だ」
羨ましい、とじっと目を合わせたまま小さな声で呟かれ「人のベッドに座るな」と肩を叩かれる。すまない、と立ち上がって篤生のベッドに移動しようとすると、扉からノックの音がする。小走りでそちらへ向かうと、ちゃんっ、と効果音を口にした篤生が飛びつくように抱きついてくる。思わず口角が引っ張られてしまい、心の中で自分を落ち着かせた。
「大丈夫か?」
「もー、心配しすぎ。薬は飲んできたから、もう横になってもいい?ごめんな、来てもらったのに」
「無理するな、俺は構わない。あっ、洋服、片付けておいた」
「おぉ〜何?洋服の畳み方も知らなかったのに」
「篤生が教えてくれたからな。また畳みに来てくれ」
「俺はお前のお母さんかよ〜」
抱きしめて背中をさする。篤生の身体からは薬の匂いがツンと香ってきて、誤魔化すように髪の毛をくしゃくしゃに撫でた。篤生を抱き上げてベッドへ運びタオルケットをかけると、彼は恥ずかしそうに顔を真っ赤にして枕に顔を埋める。しゃがみこんで「熱が出てきたか?」と冗談交じりにその頬をつつくと、「バカップルやめろ」と二階堂に尻を蹴られた。
「もう十分いちゃついただろ。お前は早く昼飯食ってこい。食堂閉まるぞ」
「いや」
「俺はもう休むから大丈夫。フェロモンが出てからじゃ迷惑かけちゃうし…朋哉も、紘もいるから。そのかわり月曜!一緒に昼食べよ」
「…うん」
篤生の話し方は本当にずるい。優しく諭すような話し方で、誰だって彼の話を聞いたら頷いてしまう。それが彼が生徒会長である理由であり、同級生のみならず先輩後輩、教師たちにまで好かれる理由なんだろう。
「じゃあ、また月曜会おう。しっかり休んで、しんどくてもちゃんと何か食べるんだぞ」
「ありがと、りゅう。また月曜日のお昼にね」
「あぁ」
名残惜しくて扉を締めたままドアノブから手を離せずにいたが、俺が心配すれば良くなるわけでもないと自分に言い聞かせて来た道を戻ろうと顔を上げる。
「…葉月お前本当に一人で平気か?」
「うん。……じゃあ、またあとで」
「………気をつけろよ」
人の気配がすると思っていたら、壁に沿うように七瀬紘が立っている。彼に頭を撫でられた衛守葉月は俺を見ておじぎをすると小走りでいなくなった。
「…紘、久しぶり」
「何が久しぶりだ。昨日舞踏会でも会っただろ」
「でも二人になるのは久しぶりだ」
彼の白いシャツを見て、「本当に久しぶりだ」と溢す。紘は舌打ちをすると頭を掻き、寄りかかっていた壁から背中を離した。
「あいつから聞いたか?」
「…何を?」
「まぁ、聞いてないよな。でも、お前が気づかないわけない。あいつが言いたがらない気持ちもわかるし、理解してやってるつもりだけど…今あいつがしてることには、賛同できない」
昼食を食べ終えたのであろう生徒たちが廊下を横切っていく。オメガとベータの暮らす宿舎である為か、彼らは「アルファだ…」「何でここに?」と囁き合いながら小走りで通り過ぎていった。
「…いいのか?あいつが俺と同じことになっても」
「は?」
肩に手を乗せられ、その手に力を入れられる。彼が付けている銀色のバングルも肩に触れて、こちらを睨みつけるように見上げる紘に「同じってなんだ?」と返すと跳ね除けるように肩を突き飛ばされた。紘はそのままスタスタと歩いていきドアノブに手をかける。
「お前は、運命を感じてあいつを好きになったんだろ?あいつがオメガじゃなくなったとしても、同じことを言えるか?“裏切ったって構わない”“どうしようもないくらい愛してる”って」
途端に、気道が狭まる感覚がする。
吸った息が喉で突き返されてしまうような感覚がして、胸元を叩いて無理矢理にでも深呼吸をした。こんなオメガだらけの場所で発作を起こしたら、苦しむのは俺じゃなく周りのオメガたちかもしれない。無条件にフェロモンを撒き散らして混乱させるのは紳士じゃない。と自分に言い聞かせて、扉を開けてこちらをじっと見ていた紘と目を合わせた。その口が、「ごめん」と動く。
部屋からはほんのりとフェロモンが香ってくる。
何を言ったら良いのかわかないという表情をして口ごもっていた紘は、「言い過ぎた」と吐き捨てるように言って扉を締めた。
「……腹が減った」
意識をそらすようにそう呟いて、その場を後にする。
背後から扉にカギをかける音が聞こえてきた。
ーーー
「はい、デミグラスオムライス、チーズ多めね。黒いシャツだからアルファの生徒よね?今の時間帯は誰もいないから、気にせずゆっくり食べていきなさい」
「ありがとうございます」
「そうだ!身体大きいんだからこれも食べなさい。どうせ残しておいても夜まで持たなくて捨てちゃうんだから」
「馬鹿ねあんた、味噌汁とオムライスなんて合わないでしょ」
「いえ、いただきます。よければ、その揚げ物も」
「あらいいの?他の生徒が残したやつだけど…」
「大丈夫です。お腹空いてるので」
「そう?ありがたいわ」
すっかり隙間なく埋まってしまったトレーを持ち上げて、人もおらず閑散とした食堂を見渡す。迷って入口からは少し離れた、校舎と繋がる渡り廊下のすぐ近くの席へ座った。
オメガやベータ達の宿舎から近いこの食堂は、普段はあまり使わない。というか、平日のお昼はオメガとベータの生徒専用だから、俺達アルファ性の生徒は使えないのだ。普段使っている全生徒が使える食堂は少し古びていて木造建てだから、白で統一されたコンクリート建てのこの食堂は一人で食べるにはなんだか落ち着かなかった。味噌汁の器を手に取り、一気にすすって空の器を机に置く。
「…おぉ」
オムライスを掬ったスプーンに、チーズが伸びた。向こうで食べるオムライスよりも卵が半熟めでとろとろとしている。チーズの伸びも良くて、思わず「もう美味い…」と声に出ており厨房から「ありがとー!」と口々に声が聞こえてきた。
「あ〜龍也〜♡」
「……千枝」
「千枝さんいつものでいい?」
「このカードで払ってきて。好きなの食べていいよ」
「やりぃ!朝陽!行くぞ!」
「はっ、はい!」
「お前ら!人がいないからって騒ぐな!」
目の前のイスが引かれ、千枝がそこに座り頬杖をつく。「ここのオムライス美味しいでしょ?」と笑い、一口ねだるように口を開けた。
「…熱いから気をつけろ」
「龍也やさし〜♡」
「いつもこっちの食堂を使っているのか?」
「うん、こうやって閉まるギリギリに来れば残り物くれるから気に入ってるんだ〜。この時間に来れば他の生徒もいないし、大目に見てもらってる」
「…そうか」
いつもと変わらない、屈託のない天真爛漫な笑顔に肩の力が抜けていく。婚約者という関係が解消されても、幼なじみという関係が消えることはない。篤生に嫌がらせをしていたことは忘れても許せてもいないけれど、何となく憎めないのは彼の天性の性格ゆえなのだろうか。
「こっちの食堂にいるなんて珍しいね。しかももう閉まる時間なのに」
「篤生に会っていたんだ。発情期が近いらしくて…看病をしようとしたが、フェロモンが出たら迷惑になると言われてすぐに戻ってきた」
「そーいえば今日2年は健診の日だっけ…」
「あぁ。薬もしっかり飲んだらしいから、もうさほど心配はしていない」
「……薬?ふうん、“変なの”」
「?」
頬杖をついたままごく自然と俺の水を飲む千枝の、その腕に光っているバングルを見て「そういえば」と口を開いた。オムライスを口にして、飲み込んでから続きを口にする。
「最近、紘とは話してないのか?」
「誰?ヒロって。千枝知らなーい」
「…千枝は、差別するような人間ではないとわかってる。なんであいつから離れようとするんだ?」
話していながらまるで自分に話しているようで、スプーンが止まってしまう。千枝がもう一度口を開くので、そこへ先程よりも少し多く盛ったオムライスを運んだ。
「千枝さんサラダでよかった?残り物のスープも貰ってきたよ」
「…ありがと」
答えは聞けないうちに、千枝が侍らせている7人いるアルファたちに周りを固められる。それぞれトレーには主食とは別に小皿に残りものであろう揚げ物や野菜なんかが乗っていて、悪い子達ではないんだよな、と笑みを溢して再びオムライスに手を伸ばした。
「お!小野それオムライス!?」
「あぁ。チーズを増やしてもらった」
「いいな〜一口くれ!」
「煌牙、不躾なことは辞めろ」
「あっ、僕もオムライスなので一口どうぞ」
そう言ってスプーン1杯分のオムライスを煌牙の口に運んだ朝陽は、「美味しそうで同じのにしちゃいました」とトレーごと身体を寄せた。まだ入学して2ヶ月も経っておらず、最初の頃はよく結人に怒られて泣いていたのに最近はその回数も減ってきた。「いっぱい食べないと元気も出ないぞ」とソースの付いた頬を指で擦ると、照れくさそうにうつむいて笑う。
「そういえば、昨日…生徒会長が話しかけてくれました。転んじゃった時にもう一人の…ちょっと顔の怖い人が手を貸してくれて。いい人ですね」
「あぁ、本当に優しくていい人なんだ。それと、顔の怖い人はアイラインが濃くてそう見えるだけで実際は怖くない」
「二階堂メイク上手いのになんであんなアイメイク濃いんだろうな?素材だけでも十分イケメンなのによ」
「メイクは武装よ。性格が出るの」
「千枝さんは意外とナチュラルだよね」
「意外とってなんだよ!千枝さんは元が天使みたいに美しいからナチュラルにして素材を活かしてるんだよ」
四方八方から色んな話が聞こえてきて、思わず口角を緩ませてスプーンを口に運んだ。無心で食べていたらもうオムライスが無くなりかけていて、帰りにカフェテリアに寄ってデザートを買うか…と考えながら水を飲む。
「…さっきの続きだけど、龍也も同じ立場になったらわかるはずだよ」
「……」
「運命だと信じて、この人なら自分の人生の幸せになってくれるって…そう確信してた人が、実はベータだったって、番にはなれないって、そう言ってきたらどう思う?困惑するし、信じたくないし、…嘘だって、相手を責めたくもなる。現実は変わらないって知ってても、認めたくないの。そんなものなんだよ、アルファやオメガが憧れる“運命”っていうのは。殆どは運命なんかじゃない。ただの奇跡の集まりだ」
「…運命じゃないからと諦めたのか?千枝らしくない」
「それも運命だって受け入れることにしたんだよ。…結ばれるだけが運命じゃない。本当に運命の相手なら、きっといつか…また一緒になれる。それがたとえ、今世じゃなくても。だから、試すことにしたんだ」
「…どうしたんですか?」
「何でもなーい」
そうか、と消え入りそうな声で呟き、空になったお皿にスプーンを置いた。残り物だと譲ってもらった少し冷めた揚げ物を食べながら、お腹に溜まりそうもない量のサラダとスープを完食しそうな千枝に「半分いるか?」と食べかけの揚げ物を差し出してみる。
「え〜…龍也がくれるなら食べようかな。あー」
「あー……仕事があるから食事制限をしているんだろうが、しっかり食べないと身体を悪くする」
「んふ、龍也は優しいね」
今度こそ空になったお皿を重ねる。「明日もこっちで一緒に食べたいです」と言う朝陽に、「わかった」とその頭を撫でて立ち上がった。
「…そうだ、千枝」
「ん?」
「発情期は何なら食べられる?スープとかの方が良いかと思ったんだが…それだけじゃお腹にたまらないだろ?同じオメガの話が聞きたい」
「他人のことなんてわかんないよ。オメガだって千差万別なんだし……何、あいつ今発情期なの?」
「あぁ。薬を飲んで今は部屋で休んでるんだが…フェロモンが出てしまうからと追い出されて。でもやっぱり心配だから、なにかテイクアウトして届けようかと思っているんだ」
隣に座っていた結人の肩へ頭を預けていた千枝が、「まって」と顔を上げる。結人と顔を見合わせて首を傾げたかと思ったら、今度はその後ろに座っていた煌牙までもが「それって変じゃね?」と話し、「何が?」と困惑を隠しきれずに声にしてしまった。
「…いや、だって…発情期がきたから薬を飲んで休んでるんだよね?」
「そう話していたが…何か変なのか?」
「普通、オメガが発情期で服用する薬は“フェロモンを抑える薬”だ。それを服用すれば、大抵のオメガはフェロモン値も安定し日常生活を送れる。…無論、発情を薬で強制的に抑えているから副作用として体調を崩す人もいるが…逆にアルファも近寄らせられない程にフェロモンが増えるだなんて、聞いたこともない」
「……ねぇ、龍也」
どくん、と心臓が大きく動くのがわかる。胃がもたれるような嫌な感覚が広がっていき、チーズを増やさなければよかったかもしれない、いや、そもそも揚げ物を譲ってもらわなければよかったかも。なんて考えながら落ちそうになる食器をぐっと強く掴んだ。
「それって、発情期じゃないんじゃない?」
ーーー
「りゅう〜!」
「……早いな」
「授業早めに終わったんだ〜」
何食べようか?なんて笑いながらごく自然に俺の手を取って食堂に入っていく篤生。食堂はいつも通り生徒も多く居て騒がしいくらいで、俺たちへ目を向ける生徒なんて一人もいなかった。
「発情期は、もう平気そうだな」
「うん!もうすっごい元気!」
嘘。
オメガの発情期は短くても5日は続く。
始まってまだ三日目の今日に「元気」なんて、そんなの、篤生の発情期がよほど軽くないとありえない。
……篤生に対して、否定的なことは考えたくない。
それでも、
「……そっか」
「なんか、元気ない…?」
「大丈夫だ。何を食べる?俺が払おう」
「いいよいいよ」
「いや、俺が払いたいだけなんだ」
「そう?優しいね〜」
先に席を取ろうと今度は俺が手を取って食堂を突っ切る。落ち着けと自分に言い聞かせながらその手をぎゅっと握ると、後ろをついてくる篤生から小さく笑った声が聞こえてきた。
「そういえば来月、校外学習があるってね。麓の町に行くらしいよ〜俺久しぶりだからすっっごい楽しみ」
「麓の町…俺は行ったことがないな」
「まじで!?」
「あぁ。一緒に行って案内してくれるか?」
「おぉ〜おれが案内係?」
………考えたくない。
「……楽しみだな」
誰がなんと言おうが、
篤生は俺の、運命の存在だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます