第十一話 後悔と苛立ちと、
「(いっつもああして座ってるだけで、暇じゃないのかねぇ。……何考えてんだろ)」
身を潜めた千蔭は、縁側に腰掛けている雫音を見つめていた。要は、監視のようなものだ。
どれだけ調べてみても一切素性の分からない、怪しい少女。与人は風之国を救ってくれた恩人だと言ってすっかり心を許している様子だが、忍びである千蔭は、そう易々と絆されるわけにはいかなかった。
「(本当に生気のない顔してるな。……まぁ過去に何があったとしても、俺には関係のないことだけど)」
動くことのない表情筋に、千蔭は雫音のことを、人形のようだと思っていた。
そして、出会い頭に雫音が言っていた言葉。
自ら命を断とうとしていたという雫音のことを、千蔭は少なからず嫌悪していた。
けれど昨日、喫茶店でパンケーキを頬張っていた雫音の表情を目にした時。口許を緩めて笑っていた雫音を見て、千蔭は少しだけ、嬉しさのようなものを感じていた。
「(いつもあんな風に、笑ってればいいのに)」
そう思った。
全てを諦めたような顔をしている彼女にとって、少しでも心許せる存在が、生きたいと思える何かが、あればいいのに、と。
そんなことを考えている自分に、らしくないと驚きながらも、思うだけならば許されるだろうと、そう結論付けて。
パラパラと優しい音を奏でる雨音に耳を澄ませながら、視線の先にいる少女のことを、考えていた。
***
「傷、痛む?」
「いえ……その、少しだけ」
あの後。雫音を抱えて部屋に戻り、手当てをすると言う与人を制したのは、千蔭だった。
「この子の手当ては俺がするから、与人様は自分の部屋に戻っててよ」
「だが……」
「というか、勝手に抜け出すとか本当に勘弁してよ。さっきもこの子の所にこっそり行こうとしてたんでしょ? まだ本調子じゃないくせに」
「……バレていたのか」
「当たり前」
「すまない……」
「手当てを終えたら、与人様に報告に行くからさ」
「……分かった。雫音殿、オレは一旦部屋に戻っていますので、また後ほど」
そんな会話を経て、今この部屋にいるのは、雫音と千蔭の二人だけだ。
「犯人を誘き出すためとはいえ、また地下牢なんかに閉じ込めちゃって、ごめんね」
「いえ。……でも千蔭さんは、私を疑ってたんじゃないんですか?」
――てっきり千蔭も、自分を犯人だと思っているのだと。
そう考えていた雫音だったが、今の口ぶりからして、そうではないらしい。
「……疑ってるよ。でも、与人様の茶に何か仕込んだのがアンタじゃないってことくらいは、初めから分かってた」
千蔭は雫音の足裏に、消毒液を染みこませた脱脂綿を当てがう。その手は止めぬまま、話し続ける。
「それに、与人様がアンタのことを信じるっていうんだから、部下の俺が信じないわけにもいかないでしょ? ……って言っても、与人様は生粋のお人好しだからさ。俺が疑うことを完全に止めることは、できないんだけどね」
千蔭は脱脂綿を置くと、塗り薬を塗ってから、今度は包帯を手に取って雫音の足裏に巻き付けていく。慣れた手つきだ。
「それじゃあ、今度は俺から質問するけどさ。あの時、何で自分はやってないって言わなかったの?」
「それは……」
「八雲は、完全にアンタが犯人だと思い込んでたよ」
「……。……分かりません」
「分からない?」
雫音の返答に、千蔭は片眉を上げて、訝しそうな顔をする。
「それじゃあこのまま、殺されてもよかったわけ?」
「……それも、仕方のないことだったかなって」
雫音の返しに、千蔭は顔を顰める。
「……やっぱり俺、アンタのこと嫌いだわ」
苛ただし気に吐き捨てて、立ち上がる。傷の手当てはすでに終わっていた。
そのまま部屋から出て行くと思った千蔭だったが、何故か障子戸の前で足を止める。
「でも、与人様を守ってくれたことは、感謝してる。……ありがとね」
振り向きもしないまま、小さな声で感謝の言葉を伝えてから、今度こそ部屋を出て行ったのだった。
***
雛菊が言っていた“書簡”は、雛菊が立っていた地面に落ちていた。そこに綴られていた文面を読んだ与人と千蔭は、苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「ったく、連中が考えそうなことだよ……」
「あぁ、そうだな」
どうやら火之国は、孤立して居場所のなくなった雫音を、自分たちの国に迎え入れようとしていたらしい。
“雨女神様”の噂はすでに諸国まで広がっているようで、それを独占している風之国に対して、火之国は不満を抱いているらしかった。
「だけどこのままじゃ、火之国だけじゃなく、他の国も……」
「あぁ。……雨が降らずに困っているのは、どこの国も同じだろうからな」
そう言った与人は、難しい顔をして、考え込んでいる。
「……とりあえず、あの子は手当てをして直ぐ、疲れて眠っちゃったよ」
「そうか。それなら雫音殿と話をするのは、また明日だな。千蔭も今日は、もう休め」
夜も遅いということで、この話は一旦終いとなった。与人の部屋から退室した千蔭は、月の光のない暗い廊下を歩いていく。
――いつの間にか、また雨が降り出していたようだ。息を吸い込めば、湿った空気が肺の中に満ちていく。
「……っ、はぁ。苛々する……」
千蔭は、思い出していた。身を挺して与人を庇った雫音の姿を、必死に痛みを我慢しながら走っていた雫音の表情を。
そして、真犯人を誘き出すために、ただ黙ってそれを見ていた、自分自身のことを。
息を吐き出して脱力した千蔭は、足を止めた。自身の目元を腕で覆って、目を閉じる。
けれど、瞼の裏には、いつまでも、いつまでも……暗い牢の中で膝を抱えて、泣きそうな顔をしていた雫音の顔が、鮮明に浮かび上がってきて――千蔭の胸を、ざわつかせていた。
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