第七話 四つの国と誓いの協定
今朝方には、降り続いていた雨も止んだ。
空には厚い雲がかかっているが、時折、太陽の光が顔をのぞかせている。
自身に当てがわれた部屋の前。縁側に一人で座っていた雫音は、考えていた。
この世界のこと。これからのこと。
けれどいくら考えたところで、いい考えは浮かばなかった。
雫音は何も知らないからだ。
「(こんなことになるなら、あの子たちに詳しい話を聞いておけばよかったな)」
クラスメイトの女の子たちの顔を思い浮かべた雫音だったが、その考えを直ぐに一蹴した。自分から話しかけている姿など、想像できなかったから。
「……ちょっといい?」
雫音のどんより沈んだ心とは反するように、小鳥のさえずりが聞こえる長閑な時間。
鼓膜を震わせたのは、聞き馴染みのない少年の声だった。
「千蔭に頼まれて、これ……持ってきた」
雫音は顔を右に向ける。そこにいたのは、昨夜の宴会の席で、雫音の膳を運んできてくれた少年だった。珍しい白髪に、藍緑色の猫目が特徴的な男の子。
「これって……」
差し出されたのは、雫音のスクールバッグだった。まさか共にこの世界にきているとは思っていなかったので、雫音は目を瞬かせる。
「森の中に、落ちてたって。武器とかが入ってないか、中は一応、確認させてもらったって。……それじゃあおれ、もう行くから」
少年は雫音と目も合わさずに、ボソボソと俯き気味のまま話す。そして、これで用事は済んだと言わんばかりに、この場を立ち去ろうとする。
「ま、待ってください」
雫音は少年を引き止めた。すでに背を向けていた少年は、雫音の声に反応して小さく肩を震わせると、再びこちらに顔だけを向ける。
「……何?」
「あの……話を、聞きたくて」
「……」
少年は黙ったまま、斜め下に向けていた目線を更に下げて、自身の足元をジッと見つめている。
――突然声を掛けてしまって、迷惑だっただろうか。
雫音は断られる空気を察した。
けれど、少年から返ってきた答えは、意外なものだった。
「おれが話せることなら……いいけど」
そう言って踵を返してくれた少年は、雫音の隣、二人分ほど空いた場所に腰を下ろす。
「あ、ありがとう、ございます」
「……別に、いいよ」
「……あの、貴方の名前を聞いてもいいですか?」
「おれ? おれは、
「天寧、さん」
「さんなんて、付けなくてもいいよ。堅苦しい話し方も、しなくいていい」
「……それじゃあ、天寧くんで。その、天寧くんは、千蔭さんと同じように、この国の忍び隊に入ってるんですよね?」
「うん、そうだよ」
千蔭が忍び隊という部隊に所属している隊長であることは、此処で過ごすようになって直ぐに、与人から聞いていた。
千蔭と似たような格好をしていたので、天寧もそうではないかと思っていたのだ。やはり雫音の予想は的中していたらしい。
「千蔭は、幼馴染みたいなもの……だから。千蔭が忍び隊に入ることになったから、成り行きで、おれも入っただけ」
「そうなんですね」
「うん。……それで、他に聞きたいことは?」
天寧はそろりと顔を上げて、窺うような目で雫音を見る。
「その……この世界のことを、教えてもらいたくて」
「この世界のこと?」
「はい。私は無知で、この世界にどんな国があるのかとか、情勢がどうなっているのかとか……そういったことに疎いので。教えてもらえませんか?」
雫音からの質問に、天寧は何かを確認するように、一瞬頭上に目配せした。けれど、それはほんの一瞬、瞬く間のことで、雫音がその仕草に気づくことはなかった。
「いいけど……おれじゃなくて、与人様に聞いた方がいいんじゃないの?」
――会ったばかりの自分より、話す機会も多い与人に聞いた方がいいのではないか。
天寧はそう言いたいのだろう。
「それも考えましたけど……与人さんが部屋を訪ねてくる時は、いつも部屋の前に、控えている方がいる、ので……」
「……あぁ、八雲のことか」
皆まで言わずとも、天寧には分かったようだ。自身の同僚に当たる男の名前を口にして、納得したと言いたげに頷いた。
八雲とは、雫音が牢の中で目覚めた時、一番初めに対峙した男だ。
彼は千蔭のように笑顔で取り繕うこともなく、疑いのまなざしを一切隠す様子もなく、雫音に直接ぶつけてくる。
雫音が少しでも与人に余計なことを口走ったものなら、直ぐに首を掻っ切られるかもしれない。冗談ではなく、本気で。それくらいの殺伐とした圧力を感じるのだ。
「うん、いいよ。教えてあげる」
雫音の言い分に納得してくれたらしい天寧は、話し出す。
「まず、この
「その、本当に何も知らなくて……此処は、風之国っていうんですよね?」
「そう。日ノ本は今、四つの国に分断されてる。風之国、緑之国、花之国、そして、火之国」
「風と、緑と、花と、火?」
「うん、そう。外来からの影響も受けたりして、それぞれの国で文化はかなり異なってる。例えば此処、風之国は、昔ながらの風習も大切にしながら、外来からの文化も少しずつ取り入れてる。そして先祖代々、隠密活動に長けた者を育成・輩出している家が多い、とか」
天寧は、雫音にも理解しやすいようにざっくりと、掻い摘んだ説明をしてくれる。
「花之国なんかは、西洋の雰囲気をそのまま取り入れてるし、緑之国は、自然と調和した生活を大切にしてる。それに、まじないを扱える者が多くいるっていう噂もある」
「それじゃあ、火之国は?」
「あそこは……荒くれ者が集う国、だよ」
天寧は、眉を顰めてそれだけ言う。
火之国についての詳しい説明はないらしい。
「つい最近まで領地争いの戦をしていたんだけど、各地で干ばつがあって、それどころじゃなくなったんだ。だから今は、四つの国で協定を結んでる」
「協定?」
「謀反を企てる国には、他の三つの国が協力して、火種となった国を鎮圧する。牽制みたいなものだよ」
天寧はそこまで言うと、チラリと天井を見てから、腰を上げた。
「ごめん。おれ、もう行かなきゃ」
「あ、はい。天寧くん、色々と教えてくれて、ありがとうございました」
「別に、いいよ。……じゃあね」
雫音は膝をついたまま、深々と頭を下げてお礼を言う。
恭しい態度をとられることに慣れていないらしい天寧は、困ったように眉を下げた。
そして、雫音が顔を上げた、次の瞬間。
この場に小さな風を吹かせた天寧は、一瞬で姿を消してしまった。
「……忍者って、すごい」
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