毒親食わば皿親

ラッキー平山

毒親食わば皿親

 仏壇には死んだ母親の写真がいまだに飾られている。そして弟は、写真の前に置かれている湯飲みに入ったお茶を、毎日欠かさず入れかえている。相手に感謝ばかりで恨みはないからだ。誰かとちがい。


 あまり見ないことにしているが、今夜は部屋の前を通るとき、ふと目が行ってしまった。母の部屋は生前そのままで、ドアをあけはなしてある。しわのない若いころの端正な顔が白黒で微笑する。その目。俺そっくりの目。それを見て、心にむらむらとわいたひとしずく。

 岩をもうがつそれは、長い年月もなく一瞬で俺の底をなくす。流れ出る俺のすべて。といって骨でも内臓でもない。形はなく、ただ反応しかない、その重苦しいしずくが、飛び散って声になる。


「毒親食わば皿親まで。殺したいときに親はなし」


 また気の利いたこと言ってやる。

「後悔したいなら、先にたたずむ行方もしらぬ。ファンタズム。ファントム屑。それお前」




 部屋に入り、写真を裏返そうとして出した手が、コンクリになって動かない。生きてなけりゃ、痛くもなかったのに。言いたくもなかったのに。口は災いのおまえ。

 ふと目の前に指先を見た。


 今までのすべての元凶が、まとめて俺だと指してくる。へし折っても、へし折っても、化け物はウニのように指が無限にある。





 行く先も言わず外に出る。夜中の街は嫌いだから、山のほうへ行く。目上の星空。ネガポジ反転した世界地図みたい。白い待ち針の寄せ集め。歩き続けろ。行方は縫い込まれた宇宙の震えで決まる。

 ひとりでに母への思いが口に出る。


「俺はおまえの穴倉からわいて出た寄生虫だから、これからは自由にする。監禁されたら妄想する。狂うまで」



 道が細まり傾斜するが、歩みは止まらない。怒りも妄想も。


「言葉は腕力。恨みだけで済むなら苦労はない。社会に出て、動物みたく食いちぎればいい。そしてワケわかんないまま、銃で駆除されりゃいい」



 ふと天から声が降りてくる。春雨のようにしとしと。

「それが、あんたの息子です。そして、こんな害獣を作ったフランケン親が君らだ。

 神がもしいたら、どっちかを救うだろう。もしいなけりゃ、誰か人間が好きなほうを選んで助けるだろう」


 ジャンケン弱いだろ。

 大丈夫、俺はもっと弱い。



 歩け。歩け。もう道はない。この先は樹海。これ以上、いったいどこへ。見ろ、満天の星空だ。まばゆく白い待ち針の集団。行け、進め。行方は縫い込まれた宇宙の震えで決まるから。


 だが、その宇宙が膨張してるんだぞ。



 また口をついて出る。もう見えぬものへ向かい、地の底、つまり地獄へ向けて、ゴミのようにこぼれ落ちる。


「人間みんな、欲しいものは決まっている。もうわかってるだろ。いい加減、疲れねえかお互い」



 すべての落としどころを、裁判長に決めてもらいたくないだろ。刑務所はゴメンなんで、出ていきます(と子供のころ言いたかった)。ここもそうだし、まして本物はもっとな(と嫌味のひとつも添えて)。




「ない袖は振れない」が、あんたらの口癖だったし、俺もずーっと、愛は金銭と同じと思っていた。

「一文無しは、なにも買えない。だから愛なしは、なにもあげられない」



 その叫びに似た観念が脳裏を突き刺したとき、煙のように目の前に現れたのは、母親その人。あの写真そのままに着飾ってニヤつくお前に、俺は核爆発のように罵声を浴びせる。ずっと出来なかった子供らしさを、あんたの子供だという確たる証を、この場で赤子になってお漏らししまくる。病気のように、自殺のように、すべてを背負う特攻のように。


「ないないないから何もやれない、なら一生それでやってろ! 運よく誰かからもらえた俺を、ねたみ殺せる権利は、おまえにはない! あばよ!」



 すると母親、その場で赤子になってお漏らししまくった、病気のように、自殺のように、すべてを壊す特攻のように。

 だが、その手には乗らない。


「そう泣くな。落ち着いたらアメ玉くらいはやるから。ご夫婦、一個ずつな」



 それでも赤子は泣き止まない。宇宙の膨張は止まり、収縮が始まる。俺の行方に我が街の光が、我が家の白い明かりが見える。弟が待っている。



「悪いな」

 煙のように消え行くお母さまに、ポケットに突っ込む両手と皮肉な笑み、それら暁の灼熱になる全てを、まとめて投げつける。

「俺はもう子供じゃないんで、まったく何も可愛くないんだ」


 毒親食わば皿親まで。

 殺したいときに、いつでも親はある。

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