第27話 氷雨の勇気

 諦めかけていた僕だったが、思いなおした。

 刃が迫る寸前に、近くにあった机を掴み、それを思いっきり男に叩きつけた。すると思ったより威力があり、男の身体は車にはねとばされたように宙を舞った。

 スカジャンの男、彼は左手を押さえて「いってぇ……」と呻いている。

 折れていた。

 僕が思いっきり机をぶつけた個所は、関節が逆の方向に曲がり折れ曲がっていた。漫画やゲームなんかで人が吹き飛ぶ描写が軽々しくされるが、よく考えたら、あそこにいる男ぐらいのダメージを喰らってしまうのは当然だ。車に轢かれるのと同じぐらいの衝撃を与えられるのだ。骨だって折れる。

 だけど……そんな、ことはどうでもいい。

 あの男のダメージ何て、どうでもいいことだ。


「あの……! 昨日、人を殺したって言いましたね⁉ その人の名前を教えてくれませんか⁉」


 ———昨日殺した車いすの奴。

 さっき男はそう言っていた。

 車いすに座った人間なんて、そこらへんにいくらでもいる。足の不自由な老人だって、怪我したサッカー部だって車いすに乗って生活している。

 だから、特定はできない。

 だから、聞く。

 彼女じゃないと祈りながら———。

 異世界転生した人間同士を戦わせる戦争———とやらに、彼女が参加していなかったと祈りながら———。

 僕と一緒に車に轢かれた彼女が、巻き込まれていない、と祈りながら———。

 だが、そんな僕の願い虚しく男は———、


「ああ、義経って名前だったよ」


 ———昨日殺した車いすの奴の名前を口にした。


「よし……つね……」


 薄々……そうなんじゃないかと思っていた。

 クウに話を聞かされてから、スカジャンの男から転生戦争の話を聞かされてから。

 僕が全く覚えていないだけで、僕は異世界転生をしていたのだ。

 だったら———彼女は?

 同じタイミングで車に轢かれた彼女はどうなのだ?

 最初はそんなわけはないと考えを打ち消した。何故なら彼女は傷を負っていたからだ。

 僕が引かれて五体満足だったのは、異世界転生をしたからだ。車に轢かれたダメージを受けたにしても、何らかの治療を受けて、クウと共に冒険をし、それで帰ってきた。その冒険の間にこちらの時間が経過していないという矛盾は発生しているが、世界を移動しているのだ。異世界もこちらと同じように時間が経過しているとは限らないし、世界ごと移動できるなにかしらの方法があるのなら、時間軸も移動できる方法もあるのだろう。

 あくまで想像だがそう仮定するしかない。だって僕はあのタイミングで異世界転生をしてるとしか考えられないのだから。状況がそう物語っている。

 そして、義経。

 傷を負ったから異世界転生をしていない。だから、車に轢かれたダメージがそのまま残っているのだと思いたかった。

 だけど、違った。

 僕も異世界転生したのなら、その場にいた彼女も、やはり異世界に転生していたのだ。

 だから———あのスカジャンの男に、


「なんだ? お前の大切な奴だったのか? もしかして、彼女とか妹とかか?」


 殺されてしまったのか。


「大切な……友達だった!」


 男に向かって、思いっきり机を投げつける。

 怒りに任せての行動だった。ここまで、友達が殺されて、義経が死んだと聞かされて僕が怒るとは思わなかった。


「———そいつはすまねえことをしたなぁ!」


 男は剣を振り、机を真っ二つに切り裂く。

 あっけなく、僕の攻撃が破られた。


「だけど、やる気になってくれて嬉しいぜ! 木霊よ! 我が傷癒きずいやせ———木薬タ・イル!」


 男が呪文らしきものを唱えると、折れた左腕の関節に魔力らしき光が灯る。そして気持ち悪く蠢く。頭をもがれてのたうち回る害虫のように、ただただ本能に従うまま腕が動いたと思ったら、真っすぐになった。

 関節が修復されていた。

 元の腕に戻っていた。

 傷を癒せ、と命令した。魔力へ。その呪い言葉を唱えて、超常の魔法を発動させたのか。

 仕組みを理解すると、男は闘争本能をむき出しにして、


「じゃあ、本気で戦おうか! 正々堂々と‼ 最初の勝ち星を俺にくれよぉ! 聖霊よ! 我が剣に宿り、その姿を刃と化せ———、」


 男の持つ剣が、また煌々とした光を宿し始める。

 そして、集った光が伸び———面を作る。


「———聖大剣サ・クレイモア!」


 面は———刀身。

 光は硬い質量を持ち、魔法の大剣を作り出した。


「いくぞオラァ‼」


 ———まずい。

 光の刀身は三メートル近くはある。

 絶対に、勝てない。

 僕の攻撃手段は謎の強化に任せた超身体能力で殴りつけるしかない。それ以外の異能を僕は持っていない。だから、ああいう長物を持ちだされると絶望的に敗北を予感してしまう。

 あのスカジャンの男をぶちのめさなければいけないのに———。

 圧倒的にリーチ差がある。

 これじゃあ———ダメだ。


「ああああああああああああああッ!」


 拳を握りしめてがむしゃらに突っ込む。

 勝てはしない。

 辿り着く前に切り捨てられて終わる。 

 だけど、突っ込むしかない。僕は突っ込まなければならない。

 たとえ、その行動の結果がどうなろうと———義経を殺したあの男を許しちゃいけない。


「殺りあおうや! チート能力者同士よぉ!」

「あああああああああああああああああっ!」


 男は本当に嬉しそうに、嬉しそうに笑い、僕を光の大剣で切り捨てようと踏み込み、剣を振り下ろす。

 僕が何かをして迎え撃とうとしていると思っているのだろう。

 ———あ、やっぱりダメだ。

 スカジャンの男から、三メートル以内に入った、入ってしまった。

 射程圏内だ。

 僕の攻撃の射程圏内はあと五、六歩足りない。

 負けた。

 ちょっと考えたらわかる。リーチの差は絶対だ。

剣道三倍段という言葉がある。空手や柔道のような武具を使わない武道よりも、剣道の方が実践では圧倒的に有利であるという言葉だ。空手を極めた者でも剣道を極めた者に勝つにはその三倍の段位が必要になるという意味の。

 そんな言葉を、今になって思い出す。

 男の剣の射程圏内に入って、負けを確信した瞬間に———思い出した。

 遅っそいなぁ……。

 あっけなく、このまま死ぬのか。既に一度死んだらしいけど。

 まぁ、いいか……。

 義経の仇は討てなかったけど、僕の全力は尽くした。

 天国の義経も許してく———、


「あ———⁉」


 男が呻く。

 動きがピタリと止まる。

 おかしな止まり方———ビクンと全身を震わせて、剣を振りかぶったまま、動きを制止させ、


「———なッ⁉」


 困惑の表情———そして、そのままぐらりと前に倒れゆく。

 まるで、脚を引っかけられたような———。

 男の視線が下へ向く。


「ッんだ⁉ テメェ⁉」


 引っかけ、られていた。

 彼女に、


「————ッ!」


 狐月氷雨に。

 涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、彼女は男の足首を掴み、その動きを止めていた。

 予想外の妨害により男は完全にバランスを崩し、剣を振り上げたまま倒れ、


「ああ——————————————ッ‼」


 僕はその頬を———思いっきり殴り飛ばした。


「がっはあああああああああああああああ⁉」


 クリーンヒット————と言うやつだ。

 完全に僕から意識が逸れたところで僕の接近を許した。そしてその無防備な顔面を晒してしまった。

 そこを殴りぬいた。

 男の身体は教室の窓を割った。それでも勢いは止まずに廊下の窓も割って、外へと放り出される。そのまま下へと落ちて僕の視界から消えてしまった。


「———まずい!」


 一気に冷静になった。

 男の身体は校舎の三階から放り出されたのだ。

 あのままだと死んでしまう。

 僕の予想が正しければ、あのスカジャンの男は身体能力自体は———普通だ。この世界で生きている人間の範疇を超えていない。僕のように素の身体能力の向上がない。空中から剣を取り出したり、だから一々呪文を唱えて魔法で剣を強化したり、傷を癒してたりしている。

 だから、校舎の三階なんて場所から落ちたら死んでしまう。

 急いで廊下に出て、真下の地面を見下ろす。


「いってぇ……!」


 思ったより、男は無事だった。

 大きくなった魔法の大剣は消え去り、両足からはわずかだが血が流れているが、生きていて手をじめんにつきながら五体満足の姿を見せていた。

 彼の足元の地面には大きな傷がつけられていた。

 そして、彼は手がしびれているのか手をヒラヒラと振っていた。


「やりやがったなぁ……!」


 そして、こちらを見上げて嬉しそうに笑う。すぐに足の傷も魔法で癒して……。

 ———来る。

 すぐに———来る。

 魔法を使えるんだ、飛べてもおかしくない。

 今は彼とは距離があるが、一瞬で詰めてくる。いや、接近したらまずいとわかっているのだから、今度は炎とか雷とかそういった魔法らしい魔法で長距離から攻撃してくるかもしれない。

 そうなると、ここにいるのはマズい———僕は焼かれる。校舎ごと。

 校舎ごと……?


「氷雨!」


 彼女をここから非難させなければ! 巻き込むわけにはいかない!

 振り返る。

 だが、ピタリと思いなおす。

 いや、僕がどこかに行った方がいいのか? あの男の狙いはあくまで僕だ。僕がこの校舎からいなくなれば彼は僕だけを追ってくるはず。

 どうした方がベストだ?

 一旦、男の動向を確認しておこうと再び校舎下の地面に目をやる。すぐにでも魔法をつかってやって来るかと思ったが、彼は先ほどまでの戦いの高揚感に酔いしれた表情は申しておらず、怪訝そうにこちらを見上げているだけだ。


 ドォンッ……‼


「何だ⁉」


 男のすぐそばの地面に、クレーターが作られた。


「イタタタ……あは♡ ユリスちゃんやられちゃったにゃ♡」


 獣耳の少女だ。地面に叩きつけられたと同時に背中に生えていた魔法の羽は消え去り、土埃で汚れた顔に手を当てて笑っている。


「あぁ⁉ あっさりやられやが……って……」


 男が空を見上げる。

 すると口を開いて、血の気が失せているような表情を作った。

 何か———上にある? 

 身を乗り出して上を見上げる。

 見えない。

 何かは———ある。

 校舎の上空に光る何かはある。

 空に、空気に強い光が差し込んでいる。

 何かがあってそれが強烈な光を放っているのだ。

 だが、僕のいる位置は場所が悪くちょうど校舎の建物がその〝何か〟との間に入り込んで視界を遮っている。

 何があるんだろう……?

 教室側に回れば、男が、ユリスが見ているモノがわかるのだが。

 あの二人が冷や汗を流しながら見ているモノがわかるのだが。


「おい、少年!」

「え、あ、はい!」


 突然、名前を呼ばれ慌てて返事をする。思ってもみなかったことだから、やけに丁寧な声色になってしまった。


「お前‼ 名前はなんて言うんだ⁉」

「え……」 


 何でこのタイミングで聞いてくるんだろう……?


「後野! 後野三蔵です!」

「そうかぁ! 俺ぁ豪來信一ごうらいしんいちってんだ! 覚えておいてくれ!」

「あ、はい……!」


 何でだ?

 何でこのタイミング?

 男は、豪來さんはそんな僕の心情を理解してくれているのか、肩をすくめる。


「俺はどうやら運がなかったらしい! それともお前がめちゃくちゃ運があったのか。そりゃわかんねぇが……ここまでっていうのは確か見たいだ! だから、覚えておいてくれよ! 俺とユリスのことを! こんな優しさのねぇ残酷な現実世界を、優しい馬鹿ばっかのファルミアっていう魔法世界に変えようとした俺たちのことをよぉ!」

「え……あ、はい」


 僕の返事は多分、豪來さんには聞こえていない。 

 だが、豪來さんはこちらにサムズアップを突き出し、


「じゃあな! 最後に見せたお前のガッツ。良かったぜ!」


 ドォンッッッ‼


 潰れた。

 空から突然降ってきたモノによって彼のいた〝場所〟が潰れた。


「———え?」


 潰したのは———巨大な拳。


 鉄でできた巨人の拳が、豪來さんとユリスという少女がいた場所に振り下ろされていた。

 まるでSFアニメのロボットのような拳が———。

 僕が茫然としていると、その輝く銀色の拳は変色していく。全体が突然さび付くように黒色へと変化し、ボロボロと崩れ去る。

 やがて、物質が風化するように、それを早送りしているかのように黒くなった拳は風に溶けて崩れ———消える。

 そこに残るは二つの血痕。

 大きな、地面にこびりついた二つの血のシミ。

 吐き気は……不思議とこみ上げなかった。

 ただ、ただ、むなしさだけが胸中にこみ上げてきた。


Reviseりばいす、でございます」


 後ろから彼女の声が聴こえてきた。

 振り返る。

 翼を広げて、舞い降りる———天使。 


「クウ」


 機械仕掛けの翼を持つ———天使がそこにいた。

 校舎下の地面が修復されていく。

 そこについた血痕が消えていく。


「ご主人、我々の二度目の勝利で御座います」


 そう言ってほほ笑んだ。

 外から部活をしている生徒たちの喧騒が聴こえる。

 放課後の教室は、いつも通りの静寂を取り戻していた。

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