第26話 あいつは私とは違う
私は尿を垂れ流して床に這いつくばっていた。
動かない、動けない。
恐怖が全身を支配し、ビクビクと教室の床で這いつくばっていることしかできない。
動かなきゃいけないのに。どうしても———動くことができない。
「じゃあな———少年」
謎のチンピラに、友達が殺されようとしているのに。
「ウ……ウゥ……!」
私———狐月氷雨は、いつも動けないでいた。
いつもこうだ。
教室の隅で倒れることしかできない。
ほんの些細なことで私はたちまち動けなくなる。
いきなり獣耳を付けたコスプレロリが登場して荼毘を殺したと思ったら、その荼毘を蘇らせた。壊した教室を復元した。
そして、その主人みたいなチンピラが出てきて何もないところから剣を取り出して、三蔵に、私の友達を殺そうとしている。
死んだとか、転生したとか、そう言った話をしていて一旦やめるかな、と思ったがやっぱり殺さなきゃいけないと剣を振り下ろしている。
ダメだ———と思った。
友達を助けなきゃとがむしゃらに、心では思った。
だけど、身体が付いていかなかった。
どうしても怖くて足がすくんで、震えて動かなくて……それでも無理やり動かそうとして踏ん張ったらその場に持たれて倒れ込んでしまった。
床にうつぶせで———私は這いつくばっている。
這いつくばって気が付いたが、私は失禁していた。
完全に恐怖で全身の筋肉が緩み、尿が漏れて床に水溜まりを作っていた。そこに私は倒れてしまっていた。
臭い。
惨めだ。
情けない……!
いつも……こうだ。私はいつも……〝こう〟なんだ……。
私はカッコつけて、斜に構えていて……ひねくれていて。
何でもできるような振りをしていて、何にもできないことを隠している。
「ウゥ……ウゥ……‼」
拳を握りしめる。
助けたい……!
友達を助けたい……!
危機に陥っている友達を助けたい……‼
今度こそ……今度こそ……!
前は助けることができなかった。手を差し伸べもしなかった。あの〝娘〟が悪いんだ。こっちは振り払おうとしたのに、無理やりついてきたあの〝娘〟が悪いんだ。自分は悪くないと正当化させた。
向日葵が壊されていくのを、私は助けられなかった。
違う———助けなかった。
怖くて、動けなかったのだ。
あの時も———。
———あいつ歌上手いからフェラさせたらすっげえ気持ちいいだろうな。
こんなゲスな言葉を、私はいつまで胸に刻み続けているんだろう。
田中がファミレスで下品に笑いながらそんなことを言った。そして、彼女の荼毘が笑ったから私も笑わなければと思って、笑った。
笑ってしまった。
いつからだろうか。荼毘の隣が針のむしろのように居心地が悪くなったのは。
いつからだろうか。自分の意志と関係なく言葉を発し、自分の意志と関係なく笑い始めたのは。
いつからだろうか。〝狐月氷雨〟としてではなく、『荼毘の友達』として行動の一つ一つに気を配り始めたのは。
私はただ———カッコよくなりたかっただけなのに。
私はただ———誰からも尊敬されるようになりたかっただけなのに。
普通だった私を———普通じゃない私に変えたかっただけなのに。
私は特別じゃなかった。
あの四人の中で、私だけ特別じゃなかった。
義経は頭が良くて学年でいつもトップの成績を収めていて、リーダーシップがあった。義経に従っておけば間違えない。彼女は将来政治家にでもなれば上手くいくだろう。そう言った不思議なカリスマ性があった。
三蔵は誰よりも優しくて人のために行動できる人だ。いじめられていた見知らぬ子供の中に入っていって自分より体格の大きな上級生に立ち向かっていく。漫画やアニメみたいな創作物ではよく見る場面だけど、実際にできる人間は少ない。あんなの創作物だから描かれていることで現実はそんなことはできはしない。自分の身がどうしても可愛くていろいろな言い訳を重ねていくうちに、ただ見ているだけで状況が終わる。だけど、彼には〝それ〟ができる。できたから———義経を救うことができた。彼は将来ヒーローになるだろう。
あの二人とは違う。奇跡のような存在のあの二人とは違う普通の存在。私と近しい存在。
———La~♪ La~♪ La~♪
歌声が響く。
下手糞な歌声が。
だけど———わかる。
気持ちがこもっているのがわかる。
上手い下手のような小手先の技術ではない、心がこもっているのを感じる。
純粋に歌が好きだという気持ちを感じた。
見せかけだけの技術では動かせない、聞いている相手の心を動かせる。向日葵の歌はそんな歌声だった。
特別な———才能だった。
私とは違う。
だから、遠ざけた。
彼女を遠ざけなければいけないと思った。
そうしないと私は……惨めになるから。
カッコつけているだけで、全てから逃げているからっぽの自分と向き合わなければいけなくなるから。
それでも向日葵はくっついてきた。
だから、言い訳をした。
こっちは遠ざけているのに、くっついてくる向日葵〝が〟悪いのだと言い訳をした。
その結果が———あのざまだ。
自分を正当化しているうちに、全てが手遅れになって向日葵は壊れた。
今度こそ、失敗しない。
今度こそ———何も考えずに、友達を。
顔を上げて、前を見る。
友達へと振り下ろされる刃を見つめ、こんな惨めな私でも———盾にぐらいはなれると、証明しなければと、決意を固めて全身に力を込める。
……あ、怖い。やっぱ無理だ。
一目で入ってきた光景の恐怖で一瞬で筋肉が弛緩する。
戦いの緊張……刃の恐怖……興奮する男のどう猛さ。
全てが何も持たない普通の少女であるところの私を、やっぱり何もできない子供であると再認識させるのに十分な要素だった。
その一瞬の怯えが、すくみが、全てを手遅れにさせた。
刃は三蔵の頭、髪の毛一本分まで迫っている。
今から走っていったところで間に合わない。
やっぱり私は無力で———、
ガアァァァンッッッ‼
大きく、鈍い音が響く。
状況が———変わった。
三蔵は斬りすてられ———なかった。
「ふぅ———……! ふぅ————……!」
立っていた。
立ち上がって肩を上下させ、全身で息を吸い、吐いていた。
興奮している様子で……。
「あの……一ついいですか……⁉」
三蔵は左手に机を持っていた。その足を掴んで、まるで発泡スチロールか何かのように軽やかに持ち上げている。片手で持つには相当重いはずなのに。
先ほどは、それをハンマー代わりに男に叩きつけたのだ。
恐ろしい筋力で叩きつけられたのか、男は三メートル近く吹き飛び、三蔵の傍から私のすぐ傍まで移動させられ、「いってぇ……」と左肩を押さえて呻いている。
その男へ向けて———三蔵は問いかける。
「昨日戦った奴って……眼帯を付けた女の子でしたか……⁉」
怒りの形相で疑問をぶつける。
その顔に———私は恐怖をするべきだったのだろう。
だけど、私と関係なく進むこの状況を見て、私の胸中に浮かぶ感情は、ただのひたすらの———虚しさだった。
やっぱり、あいつは……あいつも特別なんだ。
私とは違う……。
私のような凡人は何もできない。
ここで背景として、気が付かれないように溶け込んでいる方がいいんだ……。
私はチンピラ風の男にも、三蔵にも気づかれないように静かに頭を伏せた。
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