第23話 調律者
僕が屋上の床にはダメージを与えていたからだ。荼毘に対する怒りをすでにぶつけていたからだ。そうしたダメージが蓄積し、崩壊という結果をもたらした。
「あぁ……荼毘……」
そう、荼毘だ。
彼女は、動いていなかった。
僕の前にいた彼女———そして獣耳の少女に、振り下ろされる大斧に背を向けていた彼女。
「荼毘ッ‼」
彼女はただのシミになっていた。
屋上の瓦礫にこびりついているだけのシミ。車に轢かれた蛙のように———。
上から強烈な力で圧縮され、身体の中の血が弾け飛び、原型を留める留めないの話ではない。元々人間だったのか、生物だったのか、三次元で立体的に存在していたモノかどうかすら怪しい。
気味の悪い赤いペンキを塗りたくったような、そんな見るだけで生理的な嫌悪感、恐怖が沸き上がってくる存在になっていた。
「荼毘!」
彼女は———死んだ。
こんな唐突に、あっさり。
僕の感情の整理がつくこともなく、何の前触れもなく異常な乱入者によって屠られた。
「お~い……おい、おい、馬鹿! これやりすぎだろうがメスガキがぁ! 力加減間違えすぎだろ! どうして人一人殺すのに校舎崩壊させる必要があんだよ⁉」
トッと着地音が聞こえたと思ったら、スカジャンを着た男が新たに現れる。
茫然と見上げる。
赤い髪を逆立てた、いかにも怪しい世界の男という風貌。
彼は乱暴な言葉遣いと態度で獣耳の少女を責め立てる。「何やってんだ馬鹿」と罵倒しながら叩き、蹴り、その度に獣耳の少女は喜びの声を上げる。
———何なんだ、あんたら?
そんな疑問を心の中でポツリと呟く。あくまで心の中で、声に出せる気力はなかった。
心が疲れていた。
向日葵に対する所業を知り、荼毘に対して怒り、と思ったらその本人があっさりと残酷な死を迎えて。
もうどうにでもなれ、という気持ちになっていた。
「……さて」
スカジャンの男がある程度獣耳の少女に制裁を加え、満足したところでくるりと僕に向き直る。
「お前の世界からついてきた
スカジャンの男は一歩一歩こちらに歩み寄りながら———、
「聖霊よ。我が手に刃を———」
と、唱える。
え———?
信じられない現象が、超常の現象が僕の目の前で起きた。
空中に光る魔法陣のような物が出現し、そこから剣が現れたのだ。
西洋式の大きな両刃剣。
剣と魔法を舞台にしたファンタジー創作物でよく見るような剣だ。
その剣がスッと僕の首元に添えられる。
「———聖剣・ジークフリード。こっちの世界の叙事詩では英雄当人の名前なんだが、何がどうあってか、〝俺の世界〟では最強の剣の名前になっている。だから、勘弁してくれや。聖剣・ジークフリードで葬られるってことは栄誉なんだぜ? 最高の聖属性の加護が付与されていて、一瞬でその体を聖属性魔法が焼き尽くす。死の苦しみなんてないはずだ。間抜けに聞こえるが……これが俺なりの慈悲だ」
「えぇ……っと?」
———????
このスカジャンを着た男は、一体何を言っているんだ?
「おい」
「え?」
スカジャンの男が乱暴に顎をクイッと上げる。何かを急かすように。
「この戦いは俺の勝ちだ。だろ? だから、俺は最後の言葉を言えって言ってるのに。ずっとボーっとしてんじゃねぇよ。何かねぇのか?
———??
ダメだ。何を言っているのか、やっぱりわからない。
「……おい、なにずっと呆けているんだ……もしかして……」
僕が沈黙していると、スカジャンの男はピクリと体を起こし、視線を右往左往させる。表情にこそ出していないが、なんだか慌てている様子だ。
「……もしかして、お前
「
「……やっべ」
僕の答えを聞くと男は顔を青くして目をカッと見開いた。
「あぁ……お前、死んだことはあるか? 死んでこことは違う別の世界に行ったことは?」
「え……?」
何だかその問いかけは引っ掛かる。
思考を巡らせていると、男が額に手を当てて質問を追加する。
「死んで転生した記憶はあるか?」
それに関してあるかないかと言われたら———、
「ない……です」
「あっっっちゃ~~~~………! まじか……やっちまったな」
男は額にただ添えていただけの掌を強く押し込め、顎を上に向かせ、手の力で天を仰いだ。
「おい、メスガキ。俺ゃやっちまったぞ」
背後を振り返り、獣の耳の少女へ話しかける。
「はにゃ? 何ですか? ご主人たま」
一方、彼女は自分には関係ない話題が展開されていると思ってか、瓦礫を積み木がわりに積み上げ、ヘンなオブジェを作って遊んでいた。
「人違いだ。こいつは転生者じゃなかった。間違えた奴を攻撃しちまったんだ」
「あっちゃ~……やっちゃいましたね♡ ご主人たま」
「ああ、やっちまった。あれぇ? こいつだと思ったんだけどなぁ……気配を感じたし、すげえ音が校舎の上から聞こえたし、てっきりここで転生戦争をしてるもんだと……」
「ありゃりゃ」
男と少女が話し込みはじめる。
察するにどうやら、僕が何かしらの攻撃対象と思い込み、奇襲を仕掛けたらしいがそうではないと気が付いた様子だ。
「……転生?」
呟く。
男と少女はずっと漫才みたいなやり取りをし続けている。男は何故勘違いをしたのか少女に説明をし、少女はニコニコしながらその言い訳を聞き、慰めようとするがそこまですると男は「調子に乗るな」と少女の手を振り払いプロレス技をキメている。完全に、僕のことを忘れ去っているようで自分たちの世界を作っている。
「したことがあるか……?」
だから———僕は十分に考える余裕があった。
自分のことを考える余裕が。
男の問いかけによって、掘り起こされる記憶。
言葉がフラッシュバックする。
———〝死〟という言葉をトリガーに、似たようなことを言われた記憶が。
『———一度死んだことがあるあなたなら、この世界を書き換えることができるって、そういう意味で言ってるんです』
バスで会った金髪のお姉さんの言葉と———、
『いえ、ご主人はこちらの世界の三年前。車に轢かれて頭を強く打ち、即死しております』
朝、聞いたクウの言葉———、
「僕は三年前に車に轢かれて異世界に転生している……?」
「あぁ……! すまんかった! すまんかった! 少年、マジでゴメン!」
気が付くと男が腰をかがめ、僕の肩をバンバンと叩いて頭を下げていた。
「……え?」
「転生したことのない全く関係のない奴を狙っちまった。お兄ちゃん間違えちまったよ。ホンマゴメン。リアリィソーリー!」
パンッと手を当てて精一杯謝って見せているが、言葉がふざけているので全く誠意は感じられない。
「あ、あの……あなたも……転生したことがあ、」
「あのさ、少年……」
僕は自分の疑問を解消させようと問いかけようとした。
だが、スカジャンの男はそんなことに全く気が付いた様子なく、足元にある赤い血と肉で描かれたシミを指さす。
「これって……お前の
「さーばー……って何ですか?」
男に、いろいろと聞きたいことがふつふつと湧き出ていたが、彼の方から質問が飛んできたので、いったん胸にしまっておく。
「
「違いますけど……」
男がとんでもないことを言っていたが、とりあえず質問に答える。
反射的に。
「あぁ……! やっぱりかぁ……!」
その間に、考えを巡らせる。
転生戦争……
異常な世界———それについ最近、昨日触れたばかりだ。
クウ。
彼女とこのスカジャンの男と獣耳の少女は似ている、気がする。
「……なぁ、少年。もしかしてこの女の子って彼女だったりする?」
「いえ……違いますけど、それとは全く逆のような存在で……」
「いや、待て! みなまで言うな! 全てがわかったぞ少年! 俺が勘違いした屋上で響いた大きな音はお前とこの女の子が喧嘩した音だ! 絶対そうだ! つまり、少年とこの少女は喧嘩……つまりは痴話げんかをしていて、もめちゃったんだな。そこにあの馬鹿が突っ込んで、ただの痴話げんかを滅茶苦茶にしてしまったと……あぁ! マジすまんかった! おい、ユリスゥ! 頼みたいんだが、いいかぁ⁉」
「あいあい、ご主人たま」
————いや、似ていないか。
クウとはこの二人は何か、似ているんだが……似ていない。共通点はあるにはあるが、どこか根本的な部分が決定的に異なっている気がする。
ユリスと呼ばれた獣耳の少女はその場で一回転をすると、空中に手をかざした。
何か、そこに力を溜めているように————。
そう言えば、昔やったRPGで魔法を使うキャラはああいう仕草で魔法を使っていた。
ファンタジーを舞台にした、剣と魔法のRPG
「
するとエメラルドの光が、ユリスの首元で炸裂する。
爆発のようにすら見えたその光の氾濫は、眩い強烈な発光現象。
それを発しているのは———首にかかったペンダント型のブローチ。
クウがつけていたモノと同じ———。
「————ッ⁉」
そんなことを考えている間に、僕の視界では衝撃的な現象が展開し始める。
崩れた瓦礫がふわふわと宙を舞い、僕の頭上へと移動し———くっついた。
次から次へと。壊れたはずの瓦礫がくっつき続ける。そして、刻まれていた亀裂が消滅していき、元の天井という一つのパーツへと復元されていく。
それと同じような現象がこの、教室の至る場所で起こっていた。
屋上の真下の三階のどこかのクラスが使っている教室。ユリスという名の少女が大斧を振り下ろして、天井ごと壊してしまった黒板や机などが、時間が巻き戻るかのように修復されていく。
カァ~、カァ~、カァ~。
カラスが鳴く。
窓の外を通過し、屋上で留まっていた。
訪れている静寂———。
既に———。
「ほら、これで元通り!」
スカジャンの男が手を広げ、教室の中を仰ぎ見る。
普通の———日常の一部である学校の教室がそこにはあった。
何事もなかったかのような姿。そこに夕焼けが差し込んでいる。
「え……えぇ、一体何……あたしに一体何が……?」
そして、荼毘も。
瓦礫と一緒に再生された荼毘が混乱した様子でキョロキョロと見渡して、僕を見てギョッとする。
「ヒッ……! ヒィィィィ……!」
僕を見て恐怖に顔を引きつらせ、悲鳴を上げて教室を飛び出していった。
「何だぁ? あの娘、お前の彼女じゃなかったのか……ん、おいどうした? 人の顔を見つめて」
荼毘が走り去ってしまった。そのことはもはやどうでもいい。
「あなた今……人を……」
———生き返らせた。
朝、クウがやったことと同様に。一つの生命を逆行させた。不可逆であるはずの死から生へと転じさせた。
「あぁ……そっか……お前の記憶は書き換えられねぇんだったな……じゃあ……」
スカジャンの男が剣を振りかぶる。
「ちょっと———死んでくれや」
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