第22話 崩壊
狐月氷雨がその長い髪をバッサリと切り落としたのは、丁度テニス部に入るぐらいの頃だったと思う。
スポーツをすることになったのだから、長い髪は鬱陶しく、切るというには真っ当な理由だったと思う。
だけど、僕は長い髪をなびかせる狐月氷雨が好きだった。
ニヒルな笑みを浮かべて、勉強もスポーツもそこら辺の男の子より出来る彼女の一番女の子らしい特徴だったからだ。男の子顔負けとそのビジュアルのギャップが、僕を彼女を異性として意識させる、というよりかは彼女を唯一無二の存在たらしめて魅力的に映っていた。
それが、どうしてこうなったのか。
「来たわね……カッパ野郎」
夕陽が焼く屋上の上。
僕たち三人は対峙していた。
「氷雨……それに、荼毘」
僕と氷雨ともう一人は、荼毘だった。
荼毘は僕に今にも噛みつかんばかりに睨みつけ、歯をむき出しにしている。
恨みを———そのままむき出しにしているなと感じた。
昨日、クウが殺した連中は荼毘と親しかった男の子たちだったのだろう。向日葵の話によると高校生になって荼毘が男の子と付き合い始めてから向日葵に対するいじめが過熱したというし、もしかしたらあのリーダー格だったボーズ頭が荼毘の彼氏その人だったのかもしれない。
話しがあると氷雨から言われ、僕は放課後になるまで待った。
向日葵から話を聞かされて、直ぐにでも氷雨をぶん殴りたかったが、授業が始まり、僕はあくまでも学生で、社会的な人間であるため、学校が決めたタイムスケジュールにこの体と心を拘束されてしまう。
穏やかではないざわざわした気持ちのまま席に座り、授業を受けさせられ、時間を設けさせられた。
心を整理する時間を。
衝動的に沸き上がった怒りは、時間が経過すると必然的に冷めていく。
どんな理由があろうとも怒りというものは時間が経過してしまえば冷めてしまうものだ。怒り続けるというのは思ったよりも難しい。
「氷雨。向日葵から僕がいなくなった間のことを聞いた。まず聞かせて欲しい。何でこうなった? なんでここまで向日葵に酷いことができた? どうして、そんなことをしなければいけなくなった?」
時間が経って熱を失った怒りは、ただの正義感に変わる。
冷静に物事を整理して、各々の行動の正当性を問いただし、何処が間違いだったかを指摘し、物事を解決に導こう。
そんな穏やかな思考に変わってしまう。
それが社会的な人間というものだ。
それが嫌にもどかしい。
何も考えずに、ただ怒りの赴くまま目に映る全てを破壊できたら、どんなにスッキリするだろうか。
僕は何も知らない。
もしかしたら氷雨も、荼毘すらも悪くはない可能性だってある。向日葵がああもひどく虐げられたのは昨日死んだボーズ頭唯一人が悪く、氷雨も荼毘も脅迫されて嫌々付き添っていたのかもしれない。
だけど、それはないと心でわかる。
ただの直感だ。
だが、明らかにこの二人は〝悪〟であり、事情も問わずに断罪して良い対象だ。そうすべきだ。
何故なら、丸め込まれてしまうから。
悪い奴というのは大抵狡猾なものなのだから。
「三蔵———」
氷雨がその口を開く。
これからどんな申し開きが始まるのかと、わずかばかり期待した。
「殺人
「……は?」
いきなり何を言いだしているのかわからず、思考が停止しそうになった。
そんな僕に対して、氷雨は焦れた様に声を荒げる。
「だからぁ! あんた、昨日のあれはあんたが変な殺し屋かなんかに頼んで殺させたんでしょ⁉ 田中とか安西とかが銃ぶっぱなされて死んだのは、元々はあんたのせいなんでしょ?」
氷雨は僕を決して見ようとしない。
荼毘をチラチラと見て、声量こそ大きいものの声を震わせ嫌々言っているという感じだ。
「違う……けど……なんでそんなことを言いだすんだ?」
「だからぁ! 話しがあるって言ったじゃん……! そういうことでしょ⁉ 昨日のアレっていうのは、あんたが向日葵に対してあたしたちがやったことを虐めと思って逆恨みをして、殺し屋に頼んで田中を殺させたんでしょ⁉」
「何を……言っている……?」
逆恨み……?
向日葵にした所業を、死ぬ正当性がない。死ぬにはひどすぎる行為だったとでも言いたいのか?
「だってそうでしょ⁉ 田中たちは普通の男の子たちだったんだよ⁉ あんな殺され方をするなんてひどすぎる……!」
「氷雨ェ!」
僕は大気が震えんばかりに声を張り、ずんずんと彼女へ歩み寄る。
氷雨はずっと僕を見ようとせず、顔を逸らし、荼毘の方をずっと見ていた。
僕が彼女の胸倉をつかむ直前まで、荼毘の様子を伺い、「……って」と言葉すら付け加えた。
———ひどすぎる……って。言ってたよ。
それが、氷雨の最後の言葉の全文なのだろう。
言ってた?
誰が?
「氷雨ェ! どうしてこうなった⁉ どうしてそうなっちゃったんだよォ!」
彼女の胸倉を掴み上げる。
氷雨はギュッと目を閉じて怯え切った様子だ。
僕が怒りをぶつけるべき相手は、一番力を込めて殴り飛ばさなければいけない。一番ワルいやつは目の前の奴じゃない。
「氷雨! お前、ずっと見てたのか? 向日葵が壊されていくのを、黙って見ていたって言うのか⁉」
「だ、だってしょうがないじゃない! そういうノリだったんだもの!」
「ノリ……?」
そういう……問題か?
「私たちもう高校生だから、セックスとか普通にヤれる年頃だから。経験は早い方がいいってノリになって、それでヤったの。それに向日葵も笑っていたし」
「それを、その笑顔を真に受けたのか? 本当に彼女は楽しいと思ってやっていたのか?」
「…………」
「どうなんだ⁉」
「…………」
氷雨は黙る。
ただ、怯えた子供のように泣きそうな顔で目を逸らし続けるだけだ。
「氷雨、どうしてこうなった? なんで向日葵にあんな酷いことができた? 向日葵は氷雨の……たった一人の親友なんじゃないのか?」
「それは……!」
「関係ない話にいつまで時間使ってんのよ!」
横から荼毘が口を挟む。
彼女はいい加減焦れたという様子で顔を真っ赤にして激昂していた。
「後野三蔵! ここにあんたを呼び出したのは向日葵のことじゃない。あんなガキの事なんてどうでもいいから!」
「何……?」
「あんたが
「償う……って?」
「ここから飛び降りて自殺しろ!」
屋上の手すりの向こう、グラウンドを指さした。
「人一人の命奪ったんだ! 死んで償うのが当然でしょう⁉ それとも何⁉ 返してくれるの? まーくんの命を返してくれるの⁉ そしたら、いいわよ死ななくて……!」
今度は、荼毘が涙を流し始めた。
そして膝から崩れ落ち、
「返してよ……あんなんでも私の大切な人だったんだから……将来を誓い合った大切な人だったんだから。そりゃちょっとは酷いところはあったけれども……殺すことないじゃない……!」
「殺すことはない……?」
僕は氷雨の首元を掴んでいた手を放し、荼毘へと歩み寄る。
「荼毘。君は知っているのか? あの男が向日葵に何をしたのか? 向日葵は〝花火〟をあそこに突っ込まれたんだぞ! 膣の中で火薬を弾けさせたんだぞ! 死にかけたんだぞ! 一生残る後遺症まで与えられたんだぞ! それなのに、それをちょっとの酷いことで済ませるのか⁉ 死ぬほどではない罪と———そう言い切るのか⁉」
彼女の首をねじ切ってやろうかと思ったが、今は本当にできるのでやめておいた。
そこまでの理性は働いていた。
荼毘は顔を上げる。
涙を流しきった、その顔を。
「でも、死んでないじゃん」
そして、馬鹿にするように———笑った。
——————————————ドッッッ‼‼‼
屋上が———割れた。
僕が、割った。
拳を思いっきり屋上の床に叩きつけたら、その衝撃でボッコリとクレーターが作られ、僕の手から放射状にヒビが広がった。
「あぁ……わわわ……ッ⁉」
完全に崩壊こそしなかったものの、床全体にひびが入り今にも崩れそうだ。氷雨が腰を抜かして戸惑っている。
荼毘は———、
「あぁ……ああ……後野……? あんた……これ、何……っ?」
死んでいなかった。
僕は彼女の鼻先をかすめて、拳を床に叩きつけた。彼女はかすめた鼻先から少しだけの血を流しているが、それ以外は全くの無傷。無事だ。
殺せなかった。
殺しきれなかった。
殺すべきだった。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼」
オレンジの空へ向かって慟哭する。
どうしても———どうしてもできない。
どうしても良識が、常識が邪魔をする。
殺してはダメだという〝普通〟の考えが邪魔をする。ストレートに怒りをぶつけさせてくれない。
〝普通〟に考えて、個人の判断で殺すのはダメだ。この女も、もう死んでしまったあの男も、生きて罪を償わせるべきだという常識が先に立ってしまう。
いや……よく考えろ……?
本当に……?
本当にこいつらは生きて罪を償うべきか?
こいつらがのうのうと70歳とか100歳まで生きて、その程度の時間で返しきれるほどの罪なのか?
向日葵が受けた痛みってのはその程度の軽い罪で済まされる痛みなのか?
そんなわけ———、
「—————隙あり……だにゃあ‼」
え———?
夕焼けの夜空にシルエットが現れる。
小さな女の子だ。
突然現れ———大きな斧を振りかぶっている。
振り下ろされる。
「え?」
僕は反射的に行動した。
あまりに唐突な出来事に全ての思案を放棄し、とにかく危険を回避しなければという動物的本能が脳を支配し、とりあえず———横に動いた。
少女が振り下ろす斧の軌道に入らないように———。
グシャ————。
「え?」
斧がコンクリートの床に叩きつけられた轟音。も、響いた。
だけど僕の耳にはそれよりも強烈に生々しく聞こえた音がある。
肉が割け、潰れる音だ。
「わわ……⁉」
「しまったにゃ!」
大斧を振り下ろしたのは小さな女の子だった。獣耳を付けたとても普通の人間には見えない女の子。
そんな子が、自分の身体よりも遥かに大きな鉄の塊であるところの斧なんてものを校舎の屋上に力一杯振り下ろしたものだから、鉄筋コンクリートの床が耐えきれずに崩壊していく。
ボロボロと獣耳の少女が斧を叩きつけた場所から崩壊は放射状に広がり、崩れていく足元に氷雨の身体が飲み込まれていく。
獣耳の少女は屋上が崩れるとまでは思っていなかったのか、彼女も慌手た様子でそのまま崩壊に巻き込まれ、すぐ下の教室に落ち、「わちゃ⁉」と変な声を上げる。
僕も崩壊には巻き込まれた。
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