第18話 俺たちの過去
「ここは本当に静かな場所なんですよ」
そう言って向日葵に案内されたのは図書室だった。
誰もいない。司書の先生すらいない、少しだけ埃っぽい部屋だ。掃除をしていないのか?
「場所が場所だからあんまり人が来ないんですよ」
この学校の図書室は生徒たちが主に活動する鉄筋コンクリート製の校舎から離れた、渡り廊下でつながった木造の校舎の中にある。
こちらの木造の校舎。どうやら旧校舎だったらしく空き教室がたくさんある。現在は物置になっているが図書室だけは移動させる先の場所が確保できなかったのか、それとも他の事情があるのか、古びた木の匂いが立ち込める旧校舎の中にある。
旧校舎は教室から少し距離がある。位置的には校舎の真反対にある場所だ。だから、ここまで来るのに、少し歩かなくてはいけない。
休み時間という少ない時間、授業で頭をオーバーヒートするまで使っている学生たちにとって、無駄な時間は少しでも使いたくはない。一刻も早くゆっくりできる場所でなるべくのんびりしたい。
そういう生徒たちにとって移動にかなりの時間を費やさなくてはならない図書室は休むコスパが悪い。
だから、人気がなく、あまりに閑古鳥が鳴くので図書室の先生すら奥の書庫でパソコンをいじり、ろくに貸出カウンターにも立たないといったありさまだ。
「だからいいんですよ」と向日葵は言い、
「ここはヒマのプライベートルームなんです。ここだと誰にも聞かれずに、誰にも聞かれたくない話ができます」
唇に指をあてて、精一杯ウィンクする。
それが強がりだと言うのは、指先の震えでわった。
「それで……何から話そうか……向日葵。とりあえず、座っていいかな?」
「どうぞ」
公共の図書室をプライベートルームと言い張る向日葵に乗っかり、招かれた客を装う。
許可を貰ったので椅子に座り、向日葵の方を向く。
「向日葵、君はずっとあんなことをされていたのか?」
いじめのことだ。
彼女はびくりと肩を震わせた。
昨日はいろいろあった。だから、最初から整理しなくてはいけない。
元の元から。事の始まりから。なぜ、僕があそこに行かなくてはいけなくなったのか。なぜあの不良少年たちが死ぬことになったのか。そのきっかけから。
向日葵は気が重そうに瞳を伏せる。
「……はい」
「いつからだ? 僕がこの街を去るときは、君は女の子とばかりつるんでいたよね? それがあんな男の子と一緒に……」
僕がこの街を去った時、中学校の時の話だ。
その時は向日葵は氷雨と相変らずつるみ続け、氷雨が例え友達としての優先度を下げていると気づいているとしても、最高位に荼毘を添えていると知ったとしても、向日葵は変わらず氷雨にまとわり続けていた。
だから、彼女はいじめられていた。
荼毘の友達の女の子にいじめられていた。
荼毘と向日葵は趣味が違う。おしゃれのレベルも全然違う。共通点がない。なのに一緒にい続けるのは互いにとって苦痛だ。
荼毘は積極的に友達グループという〝群れ〟の中から向日葵を排除しようとし、向日葵は氷雨と一緒にいたいという一心でどんなにひどい扱いをされていても荼毘のグループについていった。
パシりにされても、からかわれて笑い者にされていても、仲間外れにされていても……それら全部イジりの一環だとして、はたから見ると歪んでいるが、当事者たちは楽しんでいるのだと言い張って友達関係を続けてきた。
僕は、彼女たちの関係は一線を越えていないと思った。
荼毘は向日葵の背中に「バカ」という張り紙をしたり、氷雨たちと遊びに行ったことを、後日誘わなかった向日葵に伝えて仲間外れにされたことを笑い者にしたことも、かなり見ていて不愉快だったが、〝イジり〟の一つだと思って口を出さなかった。
友達間でその程度のブラックめいた冗談の言い合いというのは、程度の差こそあれ誰だってやる。僕だって子供の頃の話ではあるけれども、僕たちとはぐれて泣いてしまった義経を、からかって笑ってしまったことはある。
だから、中学校の時はイジりといじめの区別がつかなくて干渉しなかった。
一線を越えていないと思っていた。
「向日葵……昨日のあれは一線を越えている。向日葵はずっと荼毘からひどい扱いを受けていたとしてもイジりだって言い張ってきた。だけど昨日のは明らかにおかしい。いじめだよ」
「いじめじゃないです!」
いきなり彼女が声を張り上げたので僕は目を見開いて驚いてしまった。
「あれは、ヒマはいじめられてないです……いじめられるほど……ヒマは弱い人間じゃないです……」
「強いとか、弱いとか、そんなのは関係ないだろう? あれはいじめだよ」
「いじめの基準って何ですか? 楽しんでないことですか? やられている方が辛いと思っていたらいじめですか? だったら、ヒマの場合は違います。ヒマは昨日愉しんでいました。友達と遊んでいて愉しんでいたんです」
向日葵は、にへらと笑った。
力なく。
彼女としては精いっぱいの笑いのつもりだろうが、ひきつっていて、それがただの強がりだということが痛いほど伝わってくる。
なにが、なにが……彼女をそこまで……。
「向日葵、思い込まなくていい……女の子だけだったらまだしも……それでもひどかったけど、あんな男の子たちの中にいちゃ……彼らが君のことを気づかってくれるわけがない」
あんなガラの悪そうな男の子が向日葵を友達と思うわけがない。
「違います。あの人たちも、友達……だったんです……向日葵の大切な友達……」
スカートのすそをギュッと掴んで向日葵は言う。
どうしてそこまで思い詰めているのか、僕にはわからない。
「向日葵……はっきり言う。僕から見たら昨日の光景はいじめにしか見えなかった。だけど、君はあれをイジりだって、遊びの一環だって言うんだな?」
「はい」
「だけど、前は僕が中学にいたころはあんなことは起きてなかったよね? あんな向日葵を女性として辱めるような真似は」
「…………」
下着姿で首輪を付けられて犬として扱う。
街中で裸で恥ずかしい歌を歌わせる。
どちらも鬼畜の所業だ。
人間が人間にやっていい事じゃない。
やった人間は地獄に落ちるべき所業だ。
歌が好きな向日葵によりにもよって……。
「…………ッ、」
悔しさがこみあげてきてグッと拳を握りしめる。
「向日葵。僕がいなくなって何があった? どうしてあんな連中と一緒にいることになったんだ? どうして荼毘と距離をとらなかった? 氷雨と距離を取らなかった? あんな目に合わせるような連中とどうして一緒にいた? あれを愉しんでいたと君は言ったけど、本当にそうか? 僕の目を見てくれ、向日葵」
瞳を伏せていた向日葵がびくりと大きく肩を震わせた後、ふるふると小さく震えながら僕の目を見つめる。
泣いていた。
彼女の目の端には涙が溜まっていた。
「どうして……」
向日葵はふるふると唇を震わせる。
「本当に……どうして……こうなっちゃったんでしょうね……」
そして、またにへらとわらった。
ちからのない、ほんとうに……疲れ切ったような笑みを。
「向日葵……」
「ヒマはずっと一緒に居たかっただけだったんデス……あの時の約束を果たしたかっただけだったんデス」
———約束、か。
あの、義経のおばあちゃんの家で交わしたあの約束。
「ずっと、みんな一緒に友達でい続けたかっただけだったんデス。それだけだったのに……どうしてこうなっちゃったんでしょうね……」
「向日葵……」
彼女は、僕たちとは違う。
僕と義経とは違う。
「やっぱり、氷雨を見捨てるべきだったんでしょうか……?」
彼女だけ氷雨を見捨てなかった。
変わっていく氷雨を見捨てなかった。
嫌な方向へ。
「僕と、僕と義経は氷雨が荼毘と友達になってから距離を置き始めた……」
僕は少しづつ思い出し始めていた。
中学一年の半年間。
入学してから秋までの間。
たったそれだけの期間で、僕たちの関係は激変した。
「氷雨は、僕たちの中で一番顔が良かった」
彼女は正直、芸能人のように美人だった。
CMで出てくる子役よりも顔がいいと思うほど、氷雨は容姿が良く、それだけでモテていた。だから多くの同級生に告白されていたが、「私に見合うだけの男がいねー」と言って悉く断っていた。
僕はその彼女の言葉を信じてはいなかった。
彼女は僕たち幼馴染の関係が心地よくて、それでずっと一緒にいるのだと思っていた。
「だから、中学に上がってみんなの注目を集めていた」
「だから、その時に言われた〝普通〟をあいつは真に受けてしまった」
———普通。
僕は多分、その言葉のせいで
「やっぱり、きっかけはアレだったんだろうな……」
こんなになってしまったきっかけというのは———、
「テニス部……デスね」
向日葵がぽつりとつぶやく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます