第16話 修正 ~Revise~
その衝撃音と共に———トラックが止まった。
僕の体を跳ね飛ばし———、
「あーゆーおーらい? でございます。ご主人」
———てはいなかった。
「クウ?」
クウだった。
忽然と姿を現した彼女が、トラックの車体を受け止めていた。
片手で。
「はい、またご主人がトラックに轢かれる気配を感じましたので、慌てて飛び出してきました。ケガはありませんか?」
「またって……まぁ、人生に二度もトラックに轢かれるようなこと、起きてたまるかって感じだけど……でも、助かったよ。ありがとう」
「のーぷろぶれむ。でございます」
苦笑する。
やめてくれと言ったのに、なんだかんだで彼女は敬語のままだった。多分、そっちの口調の方がクウは慣れているのだろう。
二度も言って無理にタメ口を聞かせるのも、それはそれで気を遣わせているような気がするので、もう何も言わず自然と切り替わるのを待とう。
「お、おい! あんたら大丈夫か⁉」
トラックの運転手が降りて来る。
「ばあさんが倒れたのを見て、慌ててブレーキ踏んだんだが……間に合わなくて当たったたと思ったんだが……どうなったんだか……」
運転手は完全に混乱していた。
目は見開かれ、額にはびっしりと脂汗がこびりつき、一見して慌てふためいている様子だった。「とにかくあんたらに怪我がなくて良かった」と無傷の僕と……クウに目線をやる。
そして運転手は少し黙る。
人的被害がなかったことにひとまず安心し胸を撫でおろしていたが、〝なぜ〟人的被害が出なかったのか、気が付いてしまったからだ。
クウの右手がトラックにめり込んでいた。
運転手の顔が青くなる。
「あの……そちらこそ大丈夫ですか? いきなり止まったからむち打ちとか」
「あ……あぁ、大丈夫だよ。サンキューな
「はい、お気をつけて……」
そそくさと運転手は運転席に戻り、こちらを一瞥もせずに発車していった。
心なしか、急いでいるようにも見えた。
さっきのタイミングは気を付けようがないよな……と運転手に同情しつつ、クウに向き直った。
「あの、もう少し穏やかに助ける方法なかった? その、もう少し普通に、こんな明らかに人間じゃないですよって助け方じゃなくて……そりゃ無茶言っているのはわかっているけど」
「のーぷろぶれむ。でございます。もしも何かあったら記憶と記録を消すことができますので」
「記憶……ってさっきのおじさんの?」
「はい」
「どうやって?」
「めからびーむ、で記憶を焼き切ります」
クウは無表情で目の横でピースサインを作る。
「目からビームって……」
昨夜の光景を思い起こす。
あの不良たちの動画データを消させるために僕が彼女に指示を出したら、彼女はその後何をしたか……。
目からビームを出して記憶を焼き切るって……つまりはそういうことだろう……。
「ダメだよ。もっと穏便な方法じゃないと」
「らじゃーだっと。でございます。では穏便な方法であのトラックを追いかけて、先ほどの運転手の方の記憶を消しましょうか?」
トラックが走っていった方向を指さす。
何もわかってない。
「ダメだって、言ってるでしょ? 何があっても人殺しはダメだ———」
もうトラックは角を曲がって見えなくなった。それをクウが追いかけるとすると僕の見えないところでまた、どんな一騒動を起こすかもわからない。
「人殺しはダメですか?」
「———ああ、だから昨日のようなことはもう二度と、」
「ご主人も人を殺しましたよ?」
「え?」
心が凍った。
「僕が、人を?」
「ええ」
クウは無表情で肯定する。
「それは異世界で? あっちの世界で?」
「ええ」
記憶が———ない。
だけど、やったのかもしれない……なぜなら異世界がどんなところか僕にはわからないからだ。
「それに、今も」
———今?
クウの視線が倒れているおばあちゃんに向けられていた。
「……おばあちゃん?」
その体は僕が思っているより遠くにいた。
僕が突き飛ばした地点から、三メートルは優に離れていた。
そして、おばあちゃんの倒れている地点の傍には家の外壁があり———血がこびりついていた。
「おばあちゃん!」
慌てて駈け寄る。
おばあちゃんの頭には大きな裂傷がありどくどくと血が流れ……目を見開いてピクリとも動いていなかった。
息をしていない。
「あ、あぁ……そんな……そんなぁ……!」
動揺する。
全身から汗が噴き出る。
「おばあちゃん———!」
死んでる。
僕が殺した。
助けようとして、助けられなかった。
忘れていたのだ。
昨夜、クウが突然現れてすっかり記憶から抜けてしまっていたが、〝僕自身〟も超人的な力を手に入れていたということに。人の足を粘土のように握りつぶしたり、六十キロはあるであろう男子高校生の身体をまるで風船のように頭で打ちあげたり、少しの力で全てを破壊できる身体能力を持っているのだ。
持ってしまっているのだ———。
そのことをすっかりと忘れ去ってしまい、〝必死〟でおばあちゃんを助けてしまった。
だが、それでも少しは力加減を考えていたつもりだった。
トラックに轢かれる恐怖と迅速におばあちゃんをその軌道からずらさなければと、慌てていた部分はある。
だが、だけれども、それでも……僕は相手が高齢の方だから、万が一もないように肩を抱いて、なるべく怪我がないように……と意識をしていた……!
ダメだった。足りなかった。
結果が全てだ。
僕は、この世界で人を殺した。
「う……あぁ……どうすれば……もう取り返しがつかない。どうすれば……あぁ……」
声を漏らしながら必死で考える。
もう、どうしようもできないことを必死で———。
「ご主人。みす。でございますか?」
「え?」
「あなたがその方を殺したことは〝みす〟でございますか?」
淡々とクウが尋ねる。
「そうだよ……! 僕はこの人を助けようとしたんだ……だけど、自分の力の強さをすっかり忘れて……あぁ……! なんてことを……!」
「
———書き換える?
「どういうこと? クウ」
「取り返しのつかないことを、取り返したいですか?」
どういうことだって聞いているのに、変わらず要領の得ないことを言ってくれる。
取り返しのつかないこと———このカクンと首を垂らしているおばあちゃんのことか?
「やりなおせるのなら、時間が巻き戻るのなら巻き戻して欲しい。今度こそ、間違えずにこの人を助けたい」
僕は望みを加えて言った。
このクウという謎の少女にそんな力があればいいな、という望みを。一縷の望みを、勝手にクウに託した。
「そうですか———」
クウは変わらず平坦な様子で、
「あいがていっと。でございます」
……? 何言ってる? クウが大抵変な言葉を言っている時はへっぽこな発音で英語を言っている時だ。英語の成績が悪い僕でもそれくらいはわかる。
あいがていっと? ai gate itto? いや、
わかった? 何を?
そう思考を巡らせている間に、クウは行動を起こしている。
彼女が両手を広げると、首の付け根ぐらいに付けられていたエメラルドの色をしたブローチが煌々と輝きを放ち始める。
「———
ぽつりとクウが何かを呟き、彼女の胸から放たれた光が僕の腕の中にいるおばあちゃんを照らす。
そして———信じられない現象が起きた。
僕はその現象を見て、パニック状態になった。思わず「わっ」と声を上げてしまった。
おばあちゃんが———その肉体が一瞬で砕け散ったのだ。
一粒一粒の砂の塊として分解され、おばあちゃんの肉体だったもの。いや、ものだったただの粉末が僕の手の中で弾けた。
「ご主人、コレはこの世界で時間を戻すことはできません。できませんが———生命を戻す権限は付与されてきています」
「生命を……戻す?」
「一度滅んでしまった肉体を分子レベルまで分解し、再構成する」
今、宙を舞っている細かい砂———それはおばあちゃんの肉体を作り上げていた細胞の分子の一粒一粒。
おばあちゃんの肉体を形成していた分子はやがて再び集まっていき、脚を形成していく。老人のしわがれた裸の足が出現し、アスファルトの地面にゆっくりと落ちていく。その落下の間に表面をエナメルと合成皮革でできたスニーカーが包んでいき、その上を綿でできたズボンが包んでいく……そのように上半身も分子の粒から肉を持った人間の身体が形成されて衣服が形成され、体を包み、最後には———、
「あら? わたしゃいったい……」
パチクリと目を瞬かせているおばあちゃんがそこに立っていた。
僕はあんぐりと口を開けてしまっていた。
生命が———蘇った。
「あら? あら? わたしの自転車があんなところに……」
僕のことなんて気が付きもせずに車道の真ん中に倒れている自転車に駆け寄り、それを起す。その後、おばあちゃんは僕をチラリと見て、何となく気まずいのでやっておきます程度の会釈をして、チャリンチャリンとベルを鳴らして走り去ってしまった。
ここで何が起きていたのか、全くわかっていない様子で。
普通の日常へと、何事もなかったかのようにおばあちゃんは戻っていった。
「クウ……お前人を蘇らせることができるのか?」
「
胸に手を当てる。
そこには綺麗なエメラルドのブローチが収まっていた。
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