第13話 始まりを見ていた者たち

 キィ……キィ……。


 きしむ車いすが湖沿いの道を行く。

 眼帯を付けた少女が乗る椅子を、真っ黒い影に包まれた人影が押している。


「そろったか……ようこそ、クウ。おいよ」


 遠くに見える公園の観察小屋を見つめ、義経はそうつぶやいた。

 破壊された壁の穴から銀髪の少女と、彼女に向き合う少年が見える。


「———争おう。世界を救うために。ままならない世界を転生させるために」


 義経の口角がグッと上がった。


「———わしがおいを殺してやる」


 トッ……と小さな足音が聞こえ、バッとその方向を向いた。

 警戒していたところに物音が聞こえたので、普段とは考えられないほど機敏に義経の首は動いた。

 湖沿いの柵の上だ。

 この義経のいる道路は湖に沿って作られている。なので万が一にでも車が落ちないように湖側には人より高いアルミ製の頑丈な柵が設置してある。

 その上に———垂れた犬耳を付けた少女が立っていた。

 あどけない顔立ちで、マントで体のほとんどを覆い隠しているが、背が小さく、その端々から見える手足も細い。


「異世界人か。お主の世界はどんな世界かの?」


 義経には一目でわかった。

 その少女がこの世界の人間ではないことが。

 何故なら、その少女の臀部には大きな尻尾が生えていたのだから。

 まぁ、誰だって気が付く。そんなマントを押しのけてでも生えている毛皮に包まれた犬のような尻尾がフリフリと動いていたら、異質な世界の人間であると予想ぐらいは立てられる。

 少女は無言で手をかざし、手のひらを義経に向ける。


「炎霊よ。彼の者に業火の罰を———、」


 少女の背中に赤い火の粉のような光が立ち上ったと思ったら、それが彼女の手に収束し、火の玉を作り出す。


「———炎弾マ・レット


 撃ち放たれる。

 炎の玉が義経めがけて飛来し、彼女は「すこしおせ」と車いすを押す陰に指示を出して前進し、最小限の動きで炎の弾丸を避ける。

 先ほど義経がいた場所に大きな黒焦げができて煙を上げている。


「魔法か。スタンダードな剣と魔法の世界という感じかの。お主の主人が救った世界は。この世界に連れて戻ってきた従者も、獣人とは……」


 チラリと柵の上に視線をやる義経。


「……?」


 そこには既に誰もいない。

 義経は呆れたように嘆息し、


「なんじゃ、もう終わりか? ちょっかいをかけるだけとは……やはりお主の主人たる帰還者も。相当つまらん奴のようじゃの」

「————そのつまらん奴にてめーは負けんだよ」


 声は背後から聞こえた。

 振り返る。

 犬耳の少女だ。

 先ほどまでの無表情とは違い、左右の犬歯を見せつけて、凄惨に笑っている。


「—————ッ! 影よ」


 義経が慌てて指示を飛ばす。

 するとズゾゾゾゾと義経と少女の間に影の人形が生まれ、幾重にも生まれたその影は両手を広げて義経を庇おうとする。

 肉の壁だ。

 いや、影人間で作られているのだから影の壁か。

 主人に指示されるがままに必死で守ろうとする影人間たちだが、


「そんな盾作っても———」


 獣の少女は、武器を持っていた。

 巨大な円盤状の———直径が四人掛けの机ほどにもある大きな———両斧まさかり


「全ッ然ッッッ———薄っぺらいんだよねェェェ‼」


 一閃。


 獣の少女は影の盾ごと義経に向けて斧を横薙ぎに振り回した。


「————ッ」


 ガシャン、と音がさく裂する。

 とてつもない力で放たれた斬撃は、例え不思議な影の物体で盾を形成しようと、車いすに座っていようと関係なく全てを両断する。

 義経の身体は胸の真ん中あたりで、上と下の二つのパーツに両断された。車いすごと。

 べちゃりと虚ろな目をした義経の〝上部〟が地面に転がり、口から逆流した血が流れ出ていく。

 獣の少女はそれを見下ろし、くるんとその場でターンした。


「これでまず一人……戦争が始まって、最初の大戦果! 偉いぞユリスちゃん☆」


 笑顔で両こぶしをあごの下に当て、全身で喜びを表現する。

 先ほどまで持っていた巨大な斧は一回転している間にいつのまにやらどこかに消えてしまった。

 パチパチパチ……。

 近くの民家に植えてある木の影から、拍手の音がする。


「フッフッフッ……よくやったな、偉いぞ。ユリス」


 スカジャンを来た赤い髪を逆立てたガラの悪い男だ。

 落ち葉を踏み鳴らし獣の少女に近寄っていくと、獣の少女はパアッと顔を明るくした。


「ご主人たま!」


 獣の少女はスカジャンの男に飛びつくと、彼の身体を抱きしめ思いっきりその胸に頬を擦り付けた。


「ご主人たま! 褒めてください! ユリスやりました! 殺っちゃいました☆ ご主人たまがこの世界〝でも〟救世主になるためのお手伝いをユリスやってのけ、」


 パンッ!


 突然、獣の少女の頬が張られる。

 スカジャンの男がやった。

 獣の少女はアスファルトの地面に倒れ伏し、頬に手を当てて虚ろな瞳でスカジャンの男を見上げる。


「ご主人……たま……?」

「獣臭ぇ体こすりつけて来るんじゃねぇよ、犬っころが!」


 そして男は無情にもその顔面を蹴り上げた。


「キャン♡」


 だが———少女は頬を赤くし、恍惚とした表情でその蹴りを受け入れ、ゴロゴロと地面を転がる。

 男は更に、少女に近づきその頭を掴み上げると地面に叩きつけた。


「テメェは人間様とは違う頭の割い獣人なんだからよぉ。人間様に気安く触ってんじゃねぇよ。毛むくじゃらで変な匂いがすんだよ」


 獣の少女の耳を、犬のように毛が生えて垂れた耳を弄びながら男は言う。


「申し訳ありません、ご主人たま♡ この世界で活躍できたからいいかなぁ~♡ ってユリス考えちゃいました♡ ご主人たまのお体に触れることはこの奴隷の身の上であるユリスにとって考えることすらおこがましいこと♡ 申し訳ありませんでした♡」


 顔面をぶつけられて鼻血を流しながら……やっぱり嬉しそうに顔を赤くして獣の少女は言う。


「ったく、クソワン公が。後でたっぷりお仕置きしてやるから覚悟しとけよ」

「————ッ♡」


 彼の言葉を耳にした瞬間、獣の少女の尻尾がものすごい勢いで左右に振られ始めれる。


「ったく」


 スカジャンの男の語調は荒い。

怒ったように嘆息するが、嬉しそうに舌を出して尻尾を振る獣の少女を見下ろす目はどこか笑っているように見える。


「さて———」


 だが、その視線もすぐに別の物へ、別の〝者〟へと向けられる。

 遠くの、公園の観察小屋だ。


「———次はあいつだな。ようやく十人そろったな」

「はい♡ 異世界からの転生者がこの世界を〝救世〟するための世界戦争がようやく始まるんですね♡ 長かったぁ……ようやくこの日が来ましたね♡」

「つっても、俺らはこの世界にやって来てまだ一ヶ月ぐらいしか経ってないけどな……いや、お前がこの世界初めてで……俺に関しては帰ってきたって表現の方が正しいか」

「ですね♡」


 獣の少女は立ち上がり、スカジャンの男に再び頭を擦り付ける。

 男は彼女の行動が、かまってほしくてわざと怒らせるような行動をとっているのだとわかっているため、心底見下しているような目を彼女に向ける。

 そして、ガッと彼女を拳の裏で殴り飛ばす。

 彼女の魂胆はわかっているが、あえてそれに乗る。

 獣の少女は案の定、赤い顔で「あん♡」と言って吹き飛んでいく。


「世界戦争……ね。せっかくこの元の世界に帰って来て、あっちの世界で得たチート能力で楽に暮らしてたってのに。また戦わなきゃいけねぇと思うとうんざりだったが……まぁ、こっちの世界をあっちの世界に染め上げられるのは悪い事じゃねぇか」


 ジッと獣の少女に視線を落とす。


「ご、ご主人たま。それって! ユリスとのあっちでの生活がとっても楽しかったってことですか⁉ あっちの世界で過ごした日々が愛おしいってことですか⁉」

「違えよ。犬っころが! 勘違いすんな」


 スカジャンがドカッ! っと蹴り上げ、獣の少女が「キャイン♡」と鳴く。


「あっちの世界が恋しくてやるんじゃねぇ。この世界があまりにも糞過ぎんだから、やってやんだよ」

「イタタ……流石はご主人たま。この世界の人のために戦うなんて。流石は勇者さまです~~~♡」

「……馬鹿にしてんだろ?」


 獣の少女は何も言わず、期待を込めた瞳で男を見上げるだけだ。

 だが、スカジャンの男は今度は何もせずに、遠くへ視線を戻した。


「別にこの世界の人間のためとかじゃねぇよ。俺はただ、この世界を変えたいから変える。それだけだ———お前はどうだ?」


 観察小屋の穴から見える銀髪の少女とその前にいる高校生。


「最後の調律者チューナーさんよぉ———」

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