第12話 クウ


 ———〈limit break〉


 誰だ? 声か? 音か?

 その切符を目で認識した瞬間、何か頭に電流のようなものが走った。

 風景が、どこかのある風景が頭の中で浮かび上がる。いや、無理やり書き込まれているような感覚だ。今まではなかった記憶が無理やり書き込まれていく。


 ———瓦礫と噴煙と……大きな銃。


 なんだ、これ? なんだ、あれ?


 一体何なんだ、この光景……。


 ゲームの画面のような、ドキュメンタリー番組のような、夢の中のような。そんな光景。

 日本から出たことがない、僕は絶対に見たことがない光景。

 見たことがない〝はず〟の光景。

 誰かが僕を見てにこりと笑う。

 ———黒い、大きな銃を持った……銀髪の女の子……。

 暗い夕焼け空と、遠くには砂漠が広がり、ただただ燃える瓦礫の中に一人の少女が立っていた。

 君は……、


「……おい、何イタい事言ってんだ? 優しくなれないのが何だって?」


 男の声で現実に引き戻される。

 今の脳内に走った光景は何なのか、考える間もなく、ボーズ頭の仲間の一人が足の裏を僕の顔面目掛けて振り下ろしてくる。

 もう防ぐ体力もなかった僕だったが、反射的に意識が腕を顔の前に引き戻そうとする。


 ペキ。


「……あれ?」


 ボロボロに蹴られて、もう僕は指一本も動かす気力も体力もなかった……はずだった。

 だけど、僕の腕は一瞬で顔の前まで動いて、男の蹴りを防御した。

 握りしめている。


「……が?」


 男の、足を———。

 彼の顔面から、脂汗が噴き出る。


「ああああああああああああああああああ‼ いでえええええええええええええ‼」


 男の足は瓢箪ひょうたんのような形になって……いた?

 足先と踵が膨らみ、土踏まずのあたりが小さくなっている。

 人間の足って、こんな形になるんだっけ……?

 茫然と自分の手を見つめる。

 男の足を握りつぶした自分の右手を。

 何かわからないが。とにかく、何かが起きている。

 とりあえず立ち上がろうと足に力を込める。


「このッ!」


 別の男が殴りかかってきているのにも気づかずに僕は体を起こす。

 すると、ガンッと頭が丁度殴りかかって来ていた男の顎に当たった。


「がぺっ」


 変な声だ。

 それが———遥か上空から聞こえた。

 その後、バキッと激しい音がして上を見上げると、僕の頭の上にぽっかりと風穴が空いていた。


「な、何が……」

「ぐっど、もーにんぐでございます。ご主人」


 すぐ隣から声が聞こえた。

 横を見る。

 銀色の髪をした、恐ろしくなるほどの美しい容姿を持った少女がそこにいた。


「ろんぐたいむのうしーでもございます。あなた様に会えなくなり既に1034日が経過し、〝コレ〟はとても寂しい思いをしておりました」


 無表情でその少女は続ける。


「な、なんだ⁉ お前は⁉ おかしな格好をしやがって⁉ コスプレか⁉」


 その突然現れた銀髪の少女は、現代の人間には見えなかった。

 ぴっちりとした菫色のタイツのような衣装に身を包んでいる。そのため無駄な肉のないスレンダーな体がはっきりとわかる。


「おかしな格好とは、失礼るーどな連中でございます。これはアシリア公国軍で正式採用されている戦闘服だといいますのに。そうでございましょう? ご主人?」

「え、あ……え?」


 全く状況が良くわからない。

 まず、僕の身体がおかしくなった。多分、身体能力高くなってしまって、そのせいでボーズ頭の仲間二人に怪我をさせてしまった。

 それだけでも、頭が混乱しそうな状況だというのに、それだけではなく見ず知らずのよくわからない格好の少女がいきなり現れ、何か僕に親し気に話しかけてくる。


「そう、だね……」


 とりあえず、返事だけでもしておいた。

 全く状況がわからないが、とりあえず……。

 すると少女は何か納得したのか、僕に向かって頷き、ジリッとボーズ頭に向けて一歩踏み出した。


「この何なんだよお前らは……ッ!」


 ボーズ頭が少し、両肩を上げた。

 怒っているように見えた。

 これが時代劇だったら、「やっちまえ」と言って一斉に襲い掛かってくるんだろう。

 そんな雰囲気をボーズ頭から感じた。


 が———、


「……ッ‼ 逃げろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼ みんな、にげろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」


 ボーズ頭はクルッと体を反転させると、観察小屋の狭い窓に体を飛び込ませ、湖に飛び込んだ。

 そして他の仲間たちも一斉に蜘蛛の子を散らすように、小屋から逃げ出していく。


「え……?」


 こういう、感じ? 

 僕の体に謎の身体能力の向上が見られて、謎の味方と思われる少女が現れた。

 そこから僕と謎の少女が二人で不良たち相手に無双する展開になると思ったが……彼らは本能的に恐怖を感じとり、一目散に逃げて行った。

 当然か……。

 僕は自らの掌を見つめた。


「ヒッ、ヒッ、ヒィィィィ……!」


 僕が足を潰してしまった男はまともに走ることも、歩くことすらできずに床を這いつくばって逃げようとしている。

 あんな人間離れした現象を目にしてしまったら、普通に生きている人は本能的に恐怖を感じる。 

 隣にいる少女は美人だけど、こんな煙のように登場されたら、この状況が何だと考えるよりも先に逃げ出したくなる。


「……?」


 本当に何なんだろうこの娘は……。

 僕を見てキョトンと首を傾げているけど……。

 あ、それよりも。


「動画‼」


 思い出した。

 不良たちがいなくなったので、僕は上着を脱いで向日葵にかけてやる。

かけてやりながら、あの不良たちを捕まえる必要があったことを思い出す。


「どーが?」


 少女はよくわからないと更に首の傾きを激しくした。


「あいつら、向日葵のいけない動画を撮ってる! それをネットにアップするとか言ってて、捕まえないと‼ 動画を消させないと‼」


 だけど、全員散り散りになってしまった……。

 今から一人一人捕まえるのは物理的に不可能。

 僕の身体能力は今超人的になっているかもしれないが、一人一人追い付いて捕まえるには、不良たちの数が多くて、あまりにも逃げている範囲がバラバラであるため、追いかけて手づかみで捉えるのは無理だ。

 どうすればと思っていると、銀髪の少女がポンッと手を鳴らした。


「ああ、動画! でりーとすれよろしいんでございますね? ご主人」

「あ、ああ———」


 できるのか? 

 なんだか、自信を持った目で見つめてきているけど。


「———やれるか? クウ?」


「おふこーすでございますです」 


 銀髪の少女が一礼した。

 …………今、僕何を言った?


 ———名前を、言わなかったか?


 自分の口を突いて出た言葉が信じられず、手で押さえていると、銀髪の少女は両手を広げた。


「GTXモード起動。目標設定、ポインターロック……セーフティ解除」


 少女の口が何やら呪文のような言葉を唱えていると……その手の形が変質していく。

 五本の指が生えた掌が折りたたまれていき、上腕部が開く。


 変形だ。 


 普通の腕かと思ったらその中から———黒い銃砲が現れた。

 先端に六つの穴のついた連射砲———。


「ガトリング……」


 少女の両腕がガトリング砲に変わる瞬間を、この肉眼で捉えてしまった。

 とても現実離れした———信じられない光景を———。

 これからも———見ることになる。


「———FIREファイア


 少女の口が小さく動き、


 ダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダダッッッ‼‼‼


 両腕から無数の弾丸が飛んでいく。

 六つの銃口が付けられた砲身が高速回転し、キンキンと肘から飛び出た薬莢が床に当たってはダンスを踊るように跳ねまわる。

 目の前で両手がガトリング砲に変形させた少女が銃弾を放っている。銃弾が発射されるたびにチカチカと銃口が光り、唖然とした僕の顔を照らしていく。

 少女は目をせわしなく動かしながら、腕を少しだけ動かし、狙いを変えていく。

 銃身の延長線上へ視線を走らせる。

 ガトリング砲の照準は———あの男の子たちに向けられていた。

 少女の銃口の先では高速で飛来する無数の弾丸が全身に命中し、肉塊に変えられている人間の姿が———、


「やめ———ッ!」

終了だん。でございます」


 シュウゥ……と音を立ててガトリング砲の回転が止まり、少女が腕を再び変形させて人間のものへと戻していく。

 終わった……のか? 

 中でガトリング砲がさく裂したことにより、公園の観察小屋の壁は破壊されて、今にも崩壊しそうだ。

 その穴の先で小さな細かい肉の破片が地面に飛散っている。


「うぷっ」


 吐き気がこみ上げる。

 人間が、一瞬で〝そうじゃない物〟にかわってしまった。


「殺したのか?」


 銀髪の少女へ向けて尋ねる。


「はい、でりーとさせていただきました。ご主人の憂いの元である携帯端末ごと」

「殺すことはなかった!」

「……はい?」


 わからない、と首を傾げられる。


「僕は携帯の動画を削除して、もう二度と向日葵に近づかないようにして欲しかっただけだ! それなのに……あんな無残な姿にするほどのこと……!」


 して、ないのか……?

 本当にあいつらは〝こんな目〟に合うほどひどいことをしていないのか?

 半裸で僕の上着を握りしめている向日葵を見つめる。


「ご主人。コレにはよくわかりません。これはご主人の望んだことではないのですか?」

「望んだこと?」

「この世界を優しい世界にしたい。そうでございますでしょう?」

「どうして、それを?」 


 確かにそれを強く望んだ後にこの子が出現したが、何か、その願望と関係があるのか?


「おふこーす、あいのう。で、ございます。コレはあなたの従僕であり、パートナーであり、半身でもあるのですから。あなたのその望みを叶えるためにこの世界にいんしたのですから」


 淡々と彼女はしゃべる。

 ダメだ。

言っていることが抽象的すぎて僕にはよくわからない。


「いったい何者なんだ? 君は?」


 とりあえず、素性をはっきりとさせようと彼女の正体について尋ねた。


これは機械生命体———WR―16「クウ」。クウ・シロノでございます。お忘れですか?」

「クウ……シロノ……」


 茫然とその名前を呟く。

 くう……白野しろの……いや、「う」が前の音と混ざっているだけで、実際は……。


「ご主人。お忘れですか? あちらの世界での妻の名前を」

「妻⁉」


 それに、あちらの世界って何⁉

 仰天している僕に対してクウは一気に距離を詰め、僕の手を取る。


「ようやくまた巡り合え、クウは大変うれしゅうございます。ご主人……サンゾー様」


 彼女は一気に顔を近づけ、僕の唇に自分の唇を合わせた。


「————ッ⁉」


 驚愕で頭が真っ白になる。

 チュプとした感触が、温かく湿り気を帯びた唇の感触と、甘い唾液を乗せた舌が僕の口内を侵食していく……!

 ファーストキスなのに、懐かしい感触……! 

 懐かしい……?

 あ……。

 僕の頭に再び、どこか遠い知らない場所の光景が蘇ってきた。

 どこか遠くの砂漠の中の、滅んでしまった街の風景……。

 僕は彼女の肩に手を置いて、優しくその体を引きはがした。


「サンゾー様……?」

「僕は……君に会ったことがある?」


 そう思うと、彼女の顔に見覚えがあるような気がしてきた。


「ええ、あちらの世界で」

「あちらの世界って……なんの世界? この現実世界とは違うの?」

「ええ、こちらの言葉で言うと異世界。あちらの言葉で言うとりあるわーるど。その世界からコレはやってまいりました。あなたのために」


 りあるわーるど……ってそのまま現実世界ってことじゃないか。

 まぁ、異世界人にとってはこっちが異世界だし、自分の世界は自分の現実世界として受け止めているよな……。

 そんなことを考えている場合じゃない。


「僕のために?」

「はい、あなたの世界のために。コレの世界を救った時と同様に、この世界も救うために。救世主であるご主人様の手助けとして」

「……ごめん、やっぱりなんのことかわからない」

「やはり、全てをお忘れの様ですね。頭でも強く打ちましたか?」

「いや……」


 首を振る。

 三年前ならともかく、ここ最近は特にケガもなく健康的に過ごしてきた。

 記憶が欠落するほど、体を壊したことはないはず……。ちゃんと今までこの地球に根を張って、寝るとき以外は欠落のない、全く持って普通の男子高校生としての日々を送ってきたはずだ。

 なのにどうして、あんな砂漠と廃墟という光景を懐かしいと思ってしまうのか。

 なのにどうして、この少女の顔を見ると安心してしまうのか。


「———了承しました。何らかの事情があり、私の転移にも時間がかかったことから、ある程度のことを事を推測させていただきまして……ご主人がコレの現実世界に来た時のことを全てお忘れと仮定させていただきます」


 ぺこりと一礼をして、クウが一歩だけ距離を取る。


「———そして、全てを説明させていただきます。この〝世界転生〟という戦いについて」


 サァッと冷たい風が吹いた。


「世界……転生……?」

「はい、この世界転生させるのです。あなた自身の力で———救世主様」


 彼女の、クウの銀色の瞳は真珠のように澄んでいた。

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