秘密のともだち
目の前に突然現れた、窓から射し込む夕焼けに染まった廊下の中央で――先が見通せないほど真っ直ぐ続いているので、果たして本当の意味で中心かは把握できないものの一応中央と仮定して、前髪パッツンの中学生相見友子はあんぐりと口を開いていた。
一週間の内一日だけ六時限目がない曜日、折角だから友達の籠山美緒を誘って帰ろうと思った矢先、美緒は「ごめんちょっと用事がー!」と慌てた様子で教室を出て行ったので、興味本位のみで彼女の後を追いかけていったところは覚えている。
追いかけた先で階段を駆け上っていくのまでは良かったが「そのまま屋上に行くつもりか!」と多少ワクワクしながら屋上に出て行った現場を取り押さえようとしたのだが、屋上に着く手前の階段に足を掛けた途端、周囲に見える全ての景色が円状にぐにゃりと曲がり気付けば淡い紅色にも似た夕焼けの廊下に迷い込んでいたのだ。
当然ながら美緒はどこにもいないし、そもそも人がいるようにも思えなかった。気配がないというのは嘘でそもそもそんなものを感じるほど鋭い感覚なんて持っていない。つまり気配ではなく足音や声など、廊下やそこに面して並んでいる教室から一切聞こえてこないのだ。ぞくりとするほどの静寂だけがここにある。
誰もいない。『この世界には』誰もいない。
ただ階段を昇ろうとしただけだ。それだけで世界から人は消えて、暖かい夕焼けの廊下に取り残された。寒気もない。暑くもない。本当にここには何も『無い』というのは、十代半ばの人生といえど初めてのことだ。空気すらも停まっているのではないかと怪訝に思う。
「なに、ここ?」
声は聞こえるから音がしない世界というわけではない。つまり空気は動いているし、一言喋っただけで自分の喉から舌、唇にやっと感覚が戻ってきた。全てが停まっている訳ではなく、どうやらここは『誰もいない』だけということだろう。もちろん十分に異常事態だと友子は唾を飲み込む。飲み込んだ音すらやたら大きく聞こえてくるし、それ以外の音は一切しないし、何より誰もいない校舎というのは実に不気味だった。
「これ、マジのマジで怪奇現象とかいうやつでは……?」
可能性はある。あるが。
「いやいやいやいやいや、なんで」
疑問が口からまろびでては、文字通り校舎という『』ガ』ワ以外何もない廊下の空気に霧散していく。
「いや怖い怖い、なにこれ?」
声すらも空気に溶けてしまったかのように、まるで反響していない。このままここにいたら身体も溶けてしまうのでは、という嫌な想像まで浮かんできた友子は何とかしようと手近な教室の扉を開く。
「わっ」
開いた扉の先から、まるで緊張感の無い驚きの声が聞こえてくる。
「へ?」
「あ、あれ? どちらさま……ですか?」
眼鏡を掛けたおさげの少女だ。夕焼けの射し込む教室の後ろにある席に座って本を広げている。教科書か小説か漫画か、または別の雑誌かまでは分からなかったが友子にとってどうでもよかった。
「ひ、ひ、ひ、人がいたー!」
「わわっ」
眼鏡の少女は声にまたも驚いたのか、持っていた本をぽとりと机に落としてしまう。
「え、人がいたの! ここ!」
「え、えっと、まぁ……」
「あの、同じ制服だよね! 同じ学校だよね! ここどこ! なに教室なの!」
「わ、わぁ、そのぉ……」
困ったような顔をしながら、彼女はぐんぐんと近付いてくる彼女に向けておずおずと両手を前に止めようとするが、ささやかすぎる抵抗は友子には意味がなく、ついに机の前にまで来てしまった。
「もしかしてあなたも閉じ込められたとか、そんな感じ?」
「や、えっと、閉じ込めるとかそういう意図は無かったのですが……ど、どうしてここに来られたのですか? 見た感じ魔術を使ってるわけでも……あ、いえ、何でもありません」
「今なんかすっごいヒント言わなかった!」
「やっ、いってませ……うう、美緒よりぐいぐい来ます……!」
「美緒?」
覚えのある名前が飛び出してきて、友子は益々彼女へ向かって顔を寄せてくる。
「ち、近……」
「今美緒って言った? もしかして籠山美緒のこと? ねぇなんで美緒知ってるの! あれ、同じクラスだっけ?」
「あ、や、そういうわけじゃなくて」
「あ、同じクラスじゃないのかー。学年が同じなんだよね! わたし相見友子! よろしく!」
「勢いがすごい……」
「良かったら名前教えてよ!」
「あうっ、その、土御門美鈴って言います」
「つちみかどみれい……ん~、聞いたことない名前だなぁ。同じ学年ならだいたい覚えたつもりなんだけど」
「おぼえたって、なにをですか?」
「名前。誰が友達になるかわからないじゃん? だからぜーんぶ覚えた」
「すご……」
「でもつちみかどって名前……えっと、もしかして学年が違ったりする?」
「や、同じ学年、です……美緒と、ええと、籠山美緒さんと同じ、ですから」
「やっぱそっかー、美緒と同じってことはあたしと一緒だ!」
ぱっと顔を明るくして友子は美鈴の前にある椅子へと座る。
「で、ここはどんな仕掛けで?」
「あ、はい、魔術を使って仮想空間を――」
「?」
「ごめんなさい間違えました! えっとえっと、その、なんかこう、こうして、ああなってるんです」
「説明が雑ぅ!」
たはー、と両手で美鈴を指差す友子。
「面白いね、土御門さん!」
「えっと、ありがとうございます……?」
「なら一緒に出口探そうよ。あ、もしかして出口知ってたりする? てか学校なのに出口迷うとかなにそれおっかしー!」
「あはは……」
やや困り顔で愛想笑いをしてきたものの、友子はこの土御門と名乗った少女に悪い印象を持っていなかった。というよりも隠し事はしていても人をだますタイプではないだろうという気がする。
「謎空間置き去り仲間ってことだね」
「なかま?」
「だってこんな変なトコに来てから誰にも会ってないし、ぶっちゃけわたしたちだけでしょ?」
「あー……そうですね。他に人はいないと思います」
「だよねー」
ここはたった二人しかいない、よく分からない場所にもかかわらず見覚えがあり、されど見たことのない校舎の中だ。誰がどうしてどうやってこんな建物を作ったのか、きっと自分の頭でいくら考えても無駄だろう。無駄だから友子はそこについて考えるのは辞めることにする。今はここから出られるのかどうか、それだけを知っておくべきではないか――
「――も、どうでもいいや! とにかく探検だ!」
「ええ、た、探検?」
「よっしゃ行ってみよう!」
「こんな状況なのにメンタルが凄い……」
手近な教室のドアを思い切り開く。あまりの躊躇のなさに後ろの美鈴が声を失っていたがそれに気付くことはなく、友子は教室の中へと踏み入った。
とはいえ予想していた通り誰かがいる様子はない。教室と椅子は不自然なほど綺麗に並んでいる。まるで3Dモデリングで試しに作ってみた教室のサンプルイメージのようで、まったく人間味というものが感じられなかったのは友子にとって初めての経験だ。人がどれだけ綺麗に整えようとここまで寸分違わずピッタリに並べられることもないだろうし、何よりこの机と椅子、黒板、チョーク、黒板消しには使用痕は一切無く、さらには床も汚れ一つない、これ以上に無いぐらい新品同様の状態だった。いや、新品同様のほうがまだ人が設置しただけの痕が残るかもしれない。やはりまるで見えざる何者かの手によって創造させられたかのような教室だ。
また窓の外に目を向けると、これまた不自然さが際立って仕方なかった。少なくとも教室の出入り口から見える窓枠の中は夕焼けの空しか映っていない――映っていない? と友子は心の中で首を傾げる。それではまるで窓枠の中は映像を映しただけみたいではないか、と。
「ゲームの世界……でももうちょっとリアリティあるよね。不自然きわまりない!」
「うぐっ」
「どしたの?」
「な、なんでもありません……」
なぜか右手で胸を押さえてちょっと俯く美鈴だったが、友子はそれに気付かず教室内をちょろちょろと歩き回る。
「まぁでも、とりあえず」
友子は一番後ろから一つ前の席へ横向きに座り、後ろの机をぽんぽんと右手で叩く。
「こっちこっち、座って座って」
「え?」
美鈴は首を傾げていると、友子は腰を浮かして後ろの椅子をちょんと指で押す。
「ここに座るの、ほら!」
美鈴は立ち止まり、左右を見回してから友子の瞳に視線を合わせて、ゆっくりと恐る恐るその椅子に近付き、椅子の背もたれから再度友子へと目を移す。彼女は「ほら」と促してくるので、その椅子にそ……っと腰を掛け、右の人差し指で自分の三つ編みに触れる。
「椅子に座るの、怖いっぽい!」
「ええっと、そういう……怖い、そっか、怖いのかも。だってここは」
「だって?」
「あ、えっと……」
真っ直ぐな両目に耐えきれないといった様子で、美鈴は顔を背けた。
「まだ堅いなー。そんなんじゃここを脱出できんぞい」
友子が上着のポケットに手を突っ込んでもぞもぞとするが、すぐさま両手を挙げてぱっと開く。
「なんかあるかなと思ったけど、なーんもなかった。ホントに何も持ってないからさー、なんか夜になったらヤバイ気がするよね?」
「夜は――」
教室の外は異様なまでに夕焼け一色だ。夕焼けの空に浮かぶような教室。校舎の廊下は無限に続き、そこに果ては無い。
「そも、果てを設定していないのですから」
「ん? 今何か言った?」
「いえ、また後で」
「そっかー。んでんで、一つ聞きたいんだけどさ! 美緒と友達っしょ!」
「み、美緒、ですか。えっと、その、相見さんは」
「友子でいいよ」
「と、友子さんは、美緒と、と、友達でしょうか?」
「違うね」
「違うんですかッ」
「親友ってやつだね。断言する。ちょっと切っても切れない仲なんだなぁ」
「そ、そうですか」
返答する少女がそっと胸の前で手を握って、視線を斜め下に落としながらムズ痒いように口元をむにゅむにゅと動かしている。
「ね、美鈴はどうなのさ? 美緒とはどゆ関係?」
「……友達、そう、友達、だと思います」
「? 友達じゃないかもしれないってこと?」
「えっ……!」
その問い返しは良くなかったかなと、友子はようやく自分の失態に気付いたものの、本当にそれが良いのが悪いのかは保留にする。
(だってそんな顔してたら、ねぇ?)
頬を薄紅色に染めているのは夕焼けか、あるいは――
(――うん、決めた!)
「よっしゃ! じゃあ今日から美鈴もあたいの親友だっぜ!」
「?」
「親友だぞ!」
「……親友? 私が?」
「そ、何かあったらわたしに相談しなさいな。聞けることならなーんでも聞くからさ。ま、解決するかどうかは別ってことでね?」
「親友って、そういうものなんですか?」
「美鈴にはいないの、そういう人。お悩みぶちまけちゃえる人っていうの」
「あっ……姉みたいな人はいますから、そういう意味ではその人がそうかも、です」
(おー、やっぱ美緒は『そういう関係』じゃないんだなー。そっかそっかー)
うんうんと頷いていると、美鈴が首を傾げる。
「ま、美鈴は悪い子じゃないって断言できるからね。嘘吐けないみたいだし」
「うっ……と、友子さんも嘘は吐いてないみたいですね」
「おやおや、実はとんでもない極悪人かもよ?」
「――ふふ、わかります。友子さんはとても良い人です」
「おっ……」
彼女の柔らかい笑みに、思わず吸い込まれるような錯覚を覚える。
(――かっわ。うっわー、これは美緒の気持ちが分かるかも)
「でも」
少しだけトーンが変わった声に、友子は目をぱちくりと瞬きさせる。
「そろそろお帰りの時間です」
「――あー、非現実的過ぎてあんまり意識してなかったんだけど、やっぱりここって」
「本当は私ともうひとりの場所なんですけど、色々と空間拡張を行っていたら友子さんを巻き込んでしまったみたいです。ごめんなさい、私が未熟だったんです」
「……そっか、なんか複雑そうだから詳しいことは聞かないことにするね」
「ありがとうございます」
「美緒にも言わないほうがいいよね?」
「そ、それは、そうですね……」
「だよね! だってここ、ふたりの世界なんでしょ?」
「……! ひゃ、へぁ、そ、そういう……はうぅっ……!」
「あっははは、めっちゃくちゃ顔紅くして面白すぎる! あははははは!」
「ううっ、そ、そういうのはよく分からなくて……ううっ……」
友子が右手を差し出してくるので、美鈴もつい同じく右手を前に差し出すと。
友子は思いきり右手の平でパァンと音をさせて、彼女の手を叩く。
「よっし、友達! じゃあまた会お、美鈴!」
派手な音がした割には痛くない右手をお互いに振りながら、友子の視界は一瞬反転する。
――その直前、土御門美鈴が何事かを呟いたみたいだった。だけれども何を呟いたかは聞こえなかった。恐らく聞かせるつもりもなく、教えるつもりもなく、だけれども彼女なりの言葉がそこにあった――
(――そんな気がする)
次に目を開いた時、そこに広がっているのはよく知っている教室であり、そして誰かが駆けてくる音だった。教室に慌てた様子で入ってきたのはよく見知っている少女で、同じクラスメイトで、心の底から親友と言える子だ。
「友子! あれ、なんで友子がここに!」
「なんだよー、あたいがここにいちゃいけねぇってえんかい?」
「何その喋り方……いや、そういうわけじゃないんだけど、なんつーか変なことなかった?」
「なんも?」
その少女は何かを察してここに来たのかもしれないが、友子には彼女が何を感じたのかはさっぱり理解できない。そもそも目の前の少女にあんな可愛い子といつの間に知り合っていたのかすら知らなかったのだから。
「え、そう? ならいいけど……」
(ま、隠し事じゃなくて『秘密』っていうんなら仕方ないよねー)
自分も同じだし、と心の中で付け加える。
「おい親友」
「親友って、突然どしたの?」
「今から恋バナしよーぜぃ!」
「はぁ!」
思わず肩に腕を回してその少女を捕らえ、友子はあの不思議な空間にいた少女と同じぐらいに照れている籠山美緒の顔を見て。
声を大にして笑ったのだった。
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