取らぬ狸の【後編】

(嗚呼、お労しや)

 その妖怪にとって少女の手の動きは特別速いものではない。電撃を喰らい随分と痛みを負ってしまったが、それでもなお狸の妖怪にはまだ余裕がある。本来それだけ力の差がある者同士だが、それでも目の前の少女が必死になって魔術を覚え、使い、努力をしている姿は永劫の時と勘違いする程に生きている団三郎にとってひどく眩しいものだった。

『呪い』によって操られている眼前の少女。彼女はただの女子高校生ではない。魔術協会に所属する腕の立つ魔術師の一人だ。団三郎はそんな彼女にかつて救われたことがある。

 妖怪・沢渡団三郎として人間に関わらず、さりとて妖怪としての威厳を保つべく怪異として存在していた時、人間を侮っていたわけではないが己の知名度を見誤ってしまい、魔術協会に所属しない複数の魔術師によって捕らえられたことがある。力のある妖怪といえど対応策が無いわけではない。ましてや団三郎ほどの妖怪ならば魔術師が実験材料として欲しがるのは当たり前なのだが、今までの団三郎は己の腕だけで魔術師、かつては陰陽師達を追い払ってきた自負があった。それがまた裏目に出たのだろう。

 妖怪と人間の間には互いに不干渉であるべきという取り決めがある。しかし協会に属さない野良の魔術師は時にそれを無視して勝手な行動を取ることもあった。それらに捕まってしまった時、団三郎は長い生をここで終えても良いかという気持ちになったのだが――

 一人の少女が、魔術師が、自分を助けた。

 一見してただの女子高生にしか見えない彼女は、野良の魔術師達相手に上手く立ち回り、魔術で手元の材料を利用して武器を作成し次々に攻撃と絶妙な間合いを取りながら、見事団三郎を救ってみせたのだ。

 助けられた団三郎は「なぜ助けた?」と問う。不思議だった。いくら腕の立つ魔術師といえど一体多数というのは無謀が過ぎるというものだ。

「私は嫌いなものは嫌いって言うタイプなので」

 そんなことで、と団三郎は驚きと笑いを隠せなかった。余りにも身勝手、されども心地よかった。自分と比べてまだ僅かしか生きていないだろう少女なのに、どうしてか団三郎は心の隅で下と見くびっていたこの人間がとても大きく見えたのだ。

 ――ああ、あれは気分が良かった。

 長い永い沢渡団三郎の生でも、まさに痛快と言える出来事だっただろう。だからその後もその少女と会い、時には影ながら協力をしてきたのだ。恐らく今後の人生でも出会うことのない、それだけ気分の良い少女だったのだから。

(ならば、この命と引き替えにでも貴方様の術を取り払ってみせましょう! これが沢渡団三郎の見せ場なり!)

 わざと自分を掴ませて接触し、その隙に少女へかけられた呪いのような魔術を解く。団三郎が今この瞬間に可能な妖術はそれしかない――

(まぁ、長く生きましたしな)

「簡単に命を捨てないでェ!」

 驚くべき事に。人間の何倍も何十倍もの刻を生きてきた妖怪が、またも本当に驚くことが起きた。

「間に合ったぁ!」

 先ほど見たときはただの人間の少女と侮っていた。

 魔術も使えぬ、そこらの人間の少女。どうしてあの土御門家の末裔と一緒にいるのかは不明だったが、その少女が自分と彼女との間に『入り込んで』諸共に攻撃を受け流していたのだ。

「てい!」

 彼女は――籠山美緒という名だったが、彼女の動きは鮮烈の一言だった。膨大な魔力による肉体強化と華麗な動き、それらを補うだけの積み重なった技術を感じた団三郎は思わず呆気にとられてしまう。

(それもそうだが、まさかワシの身体強化に人間がついてきたと!)

「というわけでそっちに飛んでって、ダンさん!」

「とぶ?」

 首根っこを掴まされ、団三郎は思いきり投げられる。

「ひょおおおおぉぉー!」

「だ、大丈夫です!」

 風がするりと抜けていく感覚。そしてふわりと包まれる感触。魔術によるクッションだろうか、美緒に思い切り投げられたにも関わらず痛みどころか傷一つ負わずに済んでいる。

「美緒、その人は誰かの魔術によって身体の制御を奪われています……! 動きを止めてくれれば私がなんとかできると思います!」

「おっけ! って、この人……!」

 操られている少女が拳を振るってくる。それを紙一重で避けた美緒は少女の腕を掴んで回し、勢いを活かしたまま背負い投げをした。

「あ、やりすぎた」

「怪我、治します!」

「ぐっ、私の怪我より魔術を……!」

 美緒に投げ飛ばされながらも意識だけは保っているのか、少女は駆け寄ってくる美鈴にそう言う。美鈴は頷く代わりに魔術を唱え、透明な力の塊を対象の額に突き付けた。

「……ッ!」

 ハッとしてその少女が顔を上げる。それから自分の手を目の前で動かし、拳を握り、開く。一つ一つの動作は身体の意志が自分に戻っているかを確認するためだ。

「戻ってる……」

「ほっ、ワシが命懸けでやろうとしたことを、こうも容易くとは」

「いえ、容易くではありません」

 自分より年上だろう少女の方に上着を掛ける美鈴。

「ダンさんが使う魔術構成を視て、なんとか真似しただけです」

「化け物ですかな?」

「ええっ……」

 呻き声を上げて助けた少女がその場に座り込む。美緒が慌てて手を差し伸べようとするも、少女は「必要ありません」と拒否をしてきたので、美緒は手を伸ばしかけたところで硬直する。

「あの、確かみそぎさん、でしたよね?」

 固まったままでもいられないので美緒がそう尋ねると、名前を呼ばれた少女は大きな溜息を吐いた。

「そうです。宗近みそぎ。助けてくださって感謝します」

「あ、はい」

「いきなり名前呼びは解せませんが」

「ごめんなさい名字忘れました!」

「……」

 マジか、という様子を隠す気もない顔でみそぎは眉をひそめたのだった。


 宗近みそぎと呼ばれた少女は、少なくとも美緒が住んでいる家の周辺では見かけない学校の制服を着ている普通の高校生に思えた。けれどダンの言うことによると、かつて彼女に助けられたことがあり、それ以来彼女の役に立とうとアレコレしているらしい。アレコレの詳しい部分ははぐらかされた。

「お恥ずかしながら手前一つの尻尾でなんとかお助けしようと思った次第なんですなぁ」

「それは感謝するけど、あのままだったら殺されてたでしょう?」

「おや、妖怪を心配なさるので?」

「……さすがに助けにきたモノを邪険に扱うほど、冷たい人間になったつもりはないですよ」

 みそぎは視線を逸らしながらそう言ってのける。照れも何も感じさせない表情だったが、決して嘘を吐いているようには思えずに美緒はこっそりと笑った。

「魔術師のミスは命を失う可能性がありますが、まさにミスしました。妖怪側の許可が降りている指名手配の妖怪を追っていたら返り討ちに遭うなんて……」

「指名手配の妖怪なんているんだ……」

「いますよ。割と。そこの土御門美鈴さんならよく知っているでしょ?」

 なんとなく聞き返しただけの美緒はそう返答されて、つい美鈴に視線を向ける。

「え、ええ、います。結構古くて手強い妖怪が多いと聞き及んでいます」

「そう、くっそ手強いやつ。そのせいでダンには迷惑を掛けました」

「いいえ、無事ならばそれで」

 ははは、とダンは直立歩行しながらひとしきり大きく笑う。

「ところでお三方はお知り合いで?」

「ええ、そうですよ。以前ちょっとした事件でそこの二人と知り合ったんです。まぁそれ以降ほぼ用事無いから会うこともありませんでしたし、特に会いたいとも思ってませんが」

「ひどい! 丁寧な言葉遣いなのに美鈴と全然違う!」

「み、美緒、宗近さんも悪気があるわけじゃないから……」

「……さすがに魔術師の家系として格上の土御門家の娘にフォローされるのは問題がありますね」

 それでもあからさまに「面倒臭い」という空気を消さず、みそぎは一瞬だけ何かを考えたように眉をひそめた。それに気付いた美緒は首を傾げる。

(そういえばみそぎさんって私達のこと、どこまで知ってるのかな)

 もし、彼女が『色々と知っている』のならば。

(あ、私達の関係を知ってる可能性高いんだった!)

 はっとした美緒が、彼女に爆弾発言を言わせないように手を伸ばそうとしたものの、それよりもみそぎが口を動かすほうが幾分か速かった。

「土御門美鈴と籠山美緒、この二人は夫婦ですよ」

「ほっ!」

 ダンの尻尾がピョーンと跳ね上がる。

「んななな、中学生では……夫婦ぅ!」

「え、あ、はい」

 あっさりと。

 すごく自然に、だけれどお僅かに頬を紅潮させながら美鈴は肯定する。

「結婚しています」

 さらに少しだけ美緒に寄り添うかのように歩を動かして、美緒もまた受け容れるように照れながら、二人で隠すように後ろで人差し指同士が触れ合った。

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