西へ 第四節

「びっくりしたぁ。ミツキちゃん、だいぶ見た目が変わったから一瞬誰か分からなかったよ~」


「高校の時よりも痩せたし、髪色も違うし、制服姿でもないのに本当によく分かったね」


「分かるよ。だってミツキちゃんだもん」


「あはは。何それ」


 回答になっていない回答に苦笑いを返す。

 その感覚が随分と懐かしくて、胸の奥が少しだけモヤモヤとした。


 朝日吉乃は高校一年と二年で同じクラスだった元同級生だ。

 そして、当時の私がより多く青春の時間を共にしたうちの一人だ。

 この大垣に何度か訪れたのだって、その青春の時間の一部。


 そんな懐かしい人物との再会に、私はどう立ち振る舞えば良いか分からなくなる。

 社交辞令ではこういう時にどういう言葉をかけるのが正解なのだろう。

 それが、イマイチ分からない。

 どうすれば、私は吉乃と噛み合うことができるのだろう。

 私の歯車が浮いてしまわないように調整することができるのだろう。


 解らない。私には、それがどうしても解らない。

 だからこそ、私と吉乃は赤の他人として再開を果たしている。


 正解が分からずに悶々としていると、吉乃が小さく笑った。


「ミツキちゃんはやっぱりミツキちゃんのままだね」


 吉乃は不思議な表情でそういった。

 悲しさを噛み締めているようにも、微笑んでいるようにも見える表情。

 その表情を何と表現するのが正しいのか、イマイチ分からない。

 郷愁……哀愁…………だめだ、やっぱり上手い表現が見つけられない。

 あぁ。だからなんだろうな。


 相対する相手の表情を正しく読み解くことすらできない人間に、人間関係の正しい立ち振る舞いを理解することができる筈がない。

 世界との正しい噛み合い方を理解することができる筈がない。


 だからこそ、いま吉乃の表情を正しく読み解く事の出来ない私は、いつまでたっても世界から浮いたままなのだ。

 いや、世界から浮いているからこそ、吉乃の表情を正しく読み解くことができないのだろうか?


 卵が先か鶏が先か。

 それも分からない。


 きっと、卵が先で鶏も先なのだと、なんとなくそれっぽい事を心の中で呟いて、口からは「何それ」という笑い交じりの言葉を零しておく。


「ほら。やっぱりミツキちゃんだ」


 私の雑な返答に、吉乃は何故か嬉しそうに笑った。

 その眩しい表情を真っすぐに見つめることができなくて、やり場を探すように吉乃から目を逸らすと、知らない女性と目が合った。


 目が合った女性に心当たりはない。初めて見る女性だ。

 ユニクロのチラシに載っているコーディネートをそのまま身に着けたような服装の、顔の堀が浅い印象の薄い女性。


 本当の本当に、心当たりはなかった。

 けれど、私と目が合った女性は少しだけ迷惑そうな表情をしていて、そこで私は悟った。

 その女性と会ったことは今までで一度もないハズだけれど、その女性が誰なのかを悟ることはできた。


「あ、ごめん…………友達と一緒のところ邪魔しちゃって」


 ちゃんと申し訳なさそうな声を出せているだろうか。

 少しだけ不安だったけれど、女性は先程とは違って迷惑そうな表情はしておらず、どちらかと言えば満足げな表情になっているから、きっと私の声はちゃんと申し訳なさそうに聞こえたのだろう。


 何はともあれ、正直言って私も助かったと思っている。

 懐かしい人物との再会にどう立ち振る舞えばよいかが分からなかった。

 けれど、女性のおかげで私は話を切り上げる口実ができた。

 なんとなく気まずい時間から、これで逃げることができる。


 正直、私はホッとした。

 けれど、かつて青春の時間の多くを共にした相手に対して気まずさを感じ、話を早々に切り上げることができた事に対してホッとしたのだというその事実に、私は吐き気がした。


 薄情とも言える私自身の思考に、感情に、嫌気が差したのだ。

 そんな感情を抱いてしまう私自身が、そんな思考を巡らせてしまう私自身が、私自身のそんな醜さが、どうしようもなく気持ち悪い。


 私のこの醜い思考は、感情は、私にしか感じられないものなのだろうか。

 もしかして、私が気付いていないだけで外に漏れ出てしまっているのではないだろうか。

 不安になって、私は吉乃の顔を見た。

 吉乃はと言うと、不思議そうな顔で首を傾げている。

 その仕草の意味は何なのだろうか。私には、解らない。


 吉乃が何を考えていて、どのような感情を抱いていて、私をどのような色で捉えているのか、理解することができない。

 私には、その読解力がない。


 読み取るべき答えが分からなくて、まるで足元が途端に抜け落ちてしまったかのような錯覚に襲われる。

 暗く深い奈落へと落ちていくような感覚に襲われる。


 寄りかかるべき壁が見つからず、縋る藁すら見つけられない。

 立つための足場を見失った私は、強い眩暈に襲われた。

 吉乃は次にどのような言葉を発するのだろうか。

 じゃあねと短く挨拶をして、手を振って去って行くのだろうか。


 ぐるぐると浅い思考が頭を巡る。

 考える必要のない事ばかりを考えてしまって、目の前の景色が見えているのに見えなくなる。

 きっと、視野が狭くなるというのはこういう状態を示すのだろうと、また浅い思考を重ねる。


「____ん? ミツキちゃん!」


 不意に、控えめに肩を揺さぶられた。

 私の名前を呼ぶ大きな声がして、私の意識は浅い思考の循環から勢いよく引っ張り上げられた。


 目の前に、不思議そうな表情で私を真っすぐに見つめる、吉乃がいた。

 吉乃の友達と思われる女性の姿は、いつの間にか無くなっていた。


「……え?」


 状況が理解できなくて、間抜けな声が口から零れ出る。

 そんな私の反応を見てなのか、吉乃が小さく笑った。

 それは、馬鹿にするような笑いではなくて、なんといえばいいのか分からないけれど、何故か少しだけ暖かいと思えるような小さな笑みだった。


「ミツキちゃん、何か考えごとしてたでしょ」


 きっと、私が浅い思考に溺れている時、その様相が表情に出ていたのだろう。

 考え事をしていたことを、吉乃に指摘されてしまった。


「いや……まぁ」


 正々堂々と会話の途中で考え事をしていたと主張する勇気を私は持ち合わせていない。

 ただ、私のそんな曖昧な返事に、吉乃は満足げに笑った。


「ミツキちゃん。この後って時間ある?」


 時間ならある。有り余るほど時間があるからこそ、ふと旅行に行こうと思い立ったワケだし、そんな思い付きに従ってこうして大垣にまで来ているのだから。

 だから私は、少しだけ迷いながらも「うん」と頷いて見せた。


「本当?!」


 吉乃はさっきよりもずっと眩しい笑顔になった。

 彼女が何を考えているのか、どのような感情を抱いているのか、私には分からない。

 ただ、吉乃は昔もプラスの方向に感情の起伏が激しかった。

 私や友達の言葉によくいろいろな表情の笑顔を見せてくれていた。


 嗚呼。そんなところも吉乃は吉乃のままだ。

 昔と変わらない。


「こんな事で嘘なんか吐かないよ」


 宥めるように言うと、吉乃は「じゃあさじゃあさ」と子供がはしゃぐみたいに提案をしてきた。

 その提案は、私が想定していないものだった。


「じゃあさ、今から遊ぼうよ!」


 あまりにも唐突なその誘いに、私は固まる。

 遊ぼうよ。

 そんな言葉、随分と久しぶりに聞いた。


 真っすぐな言葉を投げかけられたという意味でもそうだし、そもそも誰かに何かを誘われる事すら随分と久しぶりだった。

 それこそ、高校時代ぶりだろう。


 ただ、久しぶりに投げかけられた言葉だからだろうか、今から遊ぼうと言われて悪い気はしなかった。

 むしろ、胸の奥の方がうずうずとした。


 昔は、誰かに何かを誘われてもそのうずうずを感じた事は無かった。

 少なくとも、私の頭に残っている記憶の限りでは。


「でも……一緒にいた友達はいいの?」


 ふと、吉乃の友達と思われる見知らぬ女性の事を思い出した。

 私が浅い思考に溺れている間に姿を見失って、今も辺りに姿は見えないが、どこに行ったのだろうか。


 あの少しだけ迷惑そうにしている表情が、脳裏に焼き付いている。

 私が苦手な類の表情だったからだろう。


 確かに、あの女性と吉乃の時間を邪魔したのは私だ。

 吉乃から私に話しかけてきたのは事実だけれど、吉乃があの女性と一緒にいる事に気が付き、軽い挨拶だけをしてさっさと分かれてしまえばよかったのだけれど、私は気付くのが遅れてしまった。


 もしかしたら、女性は私に対して嫌悪の感情を募らせて、私の顔も見たくないと先にどこかへ行っているのかもしれない。

 けれど、私のそんな思考を杞憂だとでも言うように、吉乃は「気にしないで」と笑う。


「あの子には今度改めて埋め合わせをするのを条件に、先に帰ってもらったから」


「それ、大丈夫なの?」


「大丈夫だよ。気まぐれで振り回し合うのが許される関係だから」


 気まぐれで振り回し合うのが許される関係。

 それがどういう関係なのか、私には分からない。

 人付き合いにおいて、それが許される事は本当にあるのだろうか。


 イマイチ、本当に大丈夫かどうかが分からない。

 ただ、吉乃は本当に平気そうな表情をしている。ならきっと大丈夫なのだろう。


「だったら……うん。いいよ、遊ぼう」


 少しだけ迷いながらも、私はそう返事をした。

 何を迷ったのかと言えば、吉乃の誘いを本当に受けていいのかと、本当にその返答であっているのかと、少しだけ不安になったのだ。

 



 だから、返事の言葉は少しだけ喉につっかえて出た。

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