西へ 第三節

「あの、すみません。このバンドのCDってどこにありますか?」


 レジでパソコン操作をしていた店内で一人だけの店員に、スマートフォンの画面を見せながら聞く。

 表記が少々特殊だから、読み方だけで伝えても伝わらないことがあるからだ。


「えっと……探してみますね」


 ジーパンにパーカーというラフな格好の上から、CDショップのロゴが入った長いエプロンを付けている店員は、腕まくりをして見せてからパソコンを操作し始めた。


 マウスを滑らせてキーボードを叩くその動作はかなり慣れている様子だった。

 嫌な顔一つせず、真剣な様子でパソコンを操作する店員の顔を見る。


 大きな眼鏡で顔の大部分が隠れてしまっているけれど、凄く綺麗な整った顔立ちをしている。

 ただ、パーツの一つ一つが、男とも女とも取れる形をしていて、体のラインもどちらとも取れるラインをしているから、どちらの性別なのか見分けがつかない。


 綺麗に染められたシルバーの髪が肩に届くか届かないかの長さのボブなのもまた絶妙だ。


「う~ん。このバンドって、バンド名の別表記があったりしますか?」


 声も、高めの男とも低めの女とも取れる不思議な声をしている。

 なんだか、凄くミステリアスな人だなと思った。


「別表記は無い筈です」


「なるほど。でしたら、ウチでは取り扱いが無いですね」


 淡々と、店員は現実を突き付けてくる。


「そっか……昔はあったんだけどな…………」


 つい、嫌な言葉が口から飛び出した。


 自分の好きなバンドのCDがショップに並べられてなかっただけでイラつくだなんて、それはあくまでも私自身の感情の問題だ。

 なのに、私はそのイラつきをせっかく調べてくれた店員にぶつけてしまった。

 そんなことしても何にもならないって分かってるのに。


 初対面の他人に悪意をぶつけてしまった自分の短絡的な感情が嫌になる。


「ああ。オネーサン、この店久しぶりだったんですね」


 嫌な顔はされなかった。

 むしろ、納得したとでもいうような表情で、店員は私の顔をまじまじと見た。


「この店、昔は良かったですよね。有名どころはほどほどで、万人受けなんてクソくらえって感じの品揃えしていて。でも、オーナーが変わってから面白味の無い店舗になっちゃいました」


 ミステリアスな見た目とは異なり、性別の分からない店員はおしゃべりだった。


 私と同じで、昔のこのCDショップの品揃えが好きだったこと。

 自分の好きなバンドのCDがここでしか買えなかったこと。


 このCDショップの取り扱う商品のセンスが好きすぎて、バイトとして働き始めたこと。

 ところが、今から二年ほど前に大人の事情でオーナーが変わって、売れ筋の商品しか陳列しなくなったこと。


 もうすぐで、ショップ自体がなくなってしまうこと。


「オネーサンだけじゃないですよ。みんな、昔のこの店が好きだったんです。その証拠にほら、店内にお客さんはオネーサンだけで、ボクはそのオネーサンと世間話をしている」


 おしゃべりでミステリアスな店員は、初対面の私にたくさんのことを語ってくれた。

 表情の一つ一つは微かなものだったけれど、楽しそうに笑いながら。

 けれど、店員は何かに気が付いたようにふと笑うのを辞めた。


「あぁ、ごめんなさい。オネーサン聞き上手だから、気持ちよくなって沢山話しちゃいました」


 申し訳なさそうに謝る店員の表情はふにゃふにゃとしていて、少しドキッとしてしまった。

 そこで私は、銀髪のこのミステリアスな店員が女性なのだと気が付いた。


「私も……聞いていて楽しかったですから」


 社交辞令半分、本音半分の言葉を返す。


 話し手の声量、声のトーン、声質などの影響もあるだろうけれど、このミステリアスな女性の声は聞いていて心地よかったし、このCDショップの変化の原因が気になっていたってのも確かだから、その気になっている部分の話を聞けて、純粋に楽しかった。


「そう言ってもらえると、ボクも救われます」


 小さくふにゃっと笑う女性に小さく頭を下げ、踵を返す。

 背後からは、キーボードを叩く音が再び聞こえ始め、私が歩を進めるごとにその音は少しずつ小さくなっていった。


 CDショップを出た私は、どうしようかと考える。

 特に目的があって来たワケではないから、なんとなく散策しようと思い至った。

 本屋、ゲームセンター、服屋、雑貨屋。以前に訪れた事がある場所を、記憶をなぞるように巡る。


 あぁ、こんな店もあったな。

 あれ、ここはこんな店だっただろうか?

 そういえばここのドコモショップでスマホを買い替えた事があったっけ。


 フードコードに入り浸って何も買わずにウォーターサーバーの水だけで何時間も過ごしたことがあったなぁ。


 枕の専門店で買いもしないのに枕を選んだこともあったし、イベントブースで名前も知らない芸人のステージを見た事もあった。


 特設の物産展で団子を買って食べた事もあったっけ。


 何度も何度も来たことがあるというワケではない。

 最後に来たのは数年も前のことだ。

 それでも私は、このショッピングモールの景色を私が思っている以上に覚えているようだった。


「そんなに印象的なことがあったワケではないんだけどねぇ」


 不思議なものだ。

 何か強烈なエピソードがあれば、その記憶をずっとずっと覚えているのは道理なのだと思う。


 けれど、私はこのショッピングモールで、ずっと覚えていられるような強烈な体験をした事は無い。

 少なくとも、私にそんな覚えはない。


 けれど、私は私が思っている以上に、このショッピングモールの景色をかなり覚えていた。

 人の数の少なさだって、五月蠅くはない騒がしさだって。


「あぁ……一人じゃなかったからかも…………」


 思い至った心当たりはそのくらいだった。

 このショッピングモールでの記憶は、私一人だけの記憶ではなかったからだ。


 いや、このショッピングモールだけじゃない。

 大垣駅に来た時の記憶の全てが、大垣駅の周辺の記憶の全てが、私一人だけの記憶ではない。


 もし私が映画やドラマの主人公だったら、この後きっと、再会を果たすのだ。

 大垣に住んでいるワケでもない私がかつて何度かこの街に来ていた、その理由となる人物と。


 今日大垣駅で降りた事も、このショッピングモールに来たことも、ここで数年前の記憶を思い返して懐かしさを感じていたことも、すべてが伏線として役割を果たすのだ。


 けれど、私は映画やドラマの主人公ではない。

 ましてや、漫画や小説の主人公でもないのだから、何をどうしたところでドラマティックな展開に巻き込まれることは無いだろう。


 だって、神様なんて大層な人でなしで、この世界に私が嚙み合うことができていないのにそれを見て見ぬふりして、挙句は私から生きた心地を奪って、奪ったまま返してくれやしないのだから。

 そんな私に神様がスポットライトを当てる筈がない。


 なんて風に、私はすっかり油断しきっていた。


「あれ、もしかして……ミツキちゃん?」


 そろそろ別の場所に移動しようかとショッピングモールを出たところだった。

 不意にすれ違った女性に声をかけられた。 


 私の名前は別段珍しいものでもない。

 だから、名前を呼ばれたのが自分だという確信はなかった。


 なかったけれど、あまりにも唐突な出来事だったから、私はつい足を止めてしまう。

 足を止めて、振り返ってみて、私は固まった。

 自分で分かるくらいには、石になったみたいにカッチカチに。


 声をかけられたのは、私で間違いなかった。


「もしかして……吉乃?」


 大垣駅で降りた事が、ここに来たことが、数年前の記憶を思い返したことが、すべて伏線として役割を果たした。

 私は映画やドラマの主人公でも、漫画や小説の主人公でもないのに、バラまかれた伏線たちは随分と早く回収された。


 一五〇センチに僅かに満たない身長に、ちょっとしたことで折れてしまいそうな細い手足。

 たくさん食べるのに私よりも薄いお腹。

 美容室で丁寧にケアをしてもらっている緩いパーマは、以前よりもずっと明るい茶色になっている。


 前髪で隠した広いおでこ。

 少し寄り目気味の、コンプレックスだと語っていた三白眼。

 日本人の平均よりも少しだけ高くて、小さい鼻。

 こぢんまりとした唇。


 秋色のロングスカートに、白いオーバーサイズのセーターを身に着けているあたり、服の趣味は変わってないみたい。

 動きやすさを重視して、靴はコンバースのスニーカーを選んでいる。

 ふわふわとした見た目に反して、心は随分と少年のようだ。


 本当に失礼なくらいに私は相手の女性を隅から隅まで見た。

 そして、間違いないと確信した。

 現に女性は私の問いに対し、「そうだよ」と笑いながら返した。


 

 そう、振り返った先には、数年ぶりに再会する元同級生が立っていた。

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