第23話 永世中立国


 ドナウ川に沿って東のかた、空港へと向かった。滔々と流れる水は東欧諸国を貫流して黒海へ注ぐ。川の西端の側にあるオーストリアは、ドナウ川を通して東欧諸国の玄関口にあると云えそうだ。それは裏を返せば西欧への玄関口と云うことでもあり、つまりは東西欧州の結節点なのだ。此の地を本拠としたハプスブルク家が欧州に覇を唱えることができた理由の一つに、そのことを挙げてもいだろう。

 この地の利は、現在もオーストリアに生きている。第二次大戦後、オーストリアは永世中立国となった。

 自ら望んでなったのではない。

 第二次大戦でいち早くドイツに併合されたオーストリアは、ドイツが連合国にくだった後も十年間、米ソを含む四カ国による分割統治の下に置かれたのち、漸く独立を回復した。永世中立は、東西両陣営の綱引きの末の政治的な妥協点だ。

 だがそれを悪と断ずるのは短慮かも知れない。東西冷戦の間、オーストリアは時には両陣営の緊張の調整弁となり、東欧からの亡命者の駆け込み先ともなった。国際力学と大国間の思惑故に押しつけられた永世中立は、結果的に世界の安定に寄与したと云えそうだ。それはオーストリアの国益を利することにもなったろう。

 善意と理想から出た運動が世界を災厄に落とし込むこともあれば、利己的で傲慢な政策が地上に平安を齎すこともある。まことに此の世は一筋縄ではいかない。


 その一筋縄でない一例を、同じオーストリアの上に私は見てしまう。第一次大戦後のことである。

 第一次大戦の結果、三つの大帝国が消滅し、代わりに幾つもの民主主義国家が生まれた。帝政から民主共和制への移行を我々は、人類社会の進歩と呼ぶべきなのだろう。

 だがハプスブルク帝国の瓦解と各民族の自立、民主国家の成立が二十年後の、第一次大戦を遥かに上回る惨禍を用意したように思えてならない。

 民族自決の潮流は、一方でユダヤ人たちにも権利拡張の夢を与え、他方で中欧・東欧国家の中核民族のユダヤ人に対する敵意をかつてないほど増幅させた。

 また副産物として、長らく雌伏していたシオニズム(ユダヤ人国家への帰還)が実現可能な目標として再認識され、やがてはナチスドイツを代表とする反ユダヤ主義の嵐の前に、生き残るための切実な目標となった。

 それらの先にホロコーストがあったのだとすれば、人は、それさえも人類社会の進歩のため必要な犠牲だったと云うのだろうか。イワン・フョードロヴィチ・カラマーゾフならば屹度、「どんな進歩だってそんな箆棒べらぼうな値段はしない」と叫ぶに違いない。


 そしてその犠牲は、別の形を取って今も現在進行形で続いている。


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