五日目 金曜日

第20話 罰とベルヴェデーレ宮殿


 全身いましめられているような鈍痛とともに目覚めた。昨夜毒薬を飲んだのは此のからだではないのに、毒が感染力を持って此方こちらにまでまわったかと疑ってしまう。仕事の後はたいてい何かしらの不調に苦しめられる。だが人の命を一つ奪った代償としては寧ろ軽いぐらいだと云うべきだろう。

 ホテルのビュッフェは素通りし、街に出てカフェを探すことにした。罰が必要なのだ。頭痛と倦怠感を抱えたまま、ふらふらと歩きだす。


 最初に飛び込んだカフェで、アプフェルシュトゥルーデルを頼んだ。刻んだリンゴをパイ生地でくるんで焼いたスイーツで、アップルパイに近い。ドイツをはじめとする周辺国でも見られるが、ウィーンが本家であるらしい。ウィーンからハプスブルク帝国の勢力圏に広がったのだろう。さらに遡ればトルコ最強の激甘スイーツ、バクラヴァが原型との説もあって、云われてみれば形状にそのおもかげがあるようにも思う。

 となれば甘さに関しては折り紙つきだ。ふんだんにかかった粉砂糖、さらにはホイップクリームが皿を埋め尽くしている姿も禍々しい。覚悟を決めて、ナイフを入れる。断面からシロップ漬けのリンゴがたっぷり零れ落ち、甘い匂いに鼻をくすぐられた。

 さくさくの生地に、リンゴはしっとり。舌のうえで抹雪あわゆきのように滑らかに溶けるホイップを、親の仇であるかのように次々口へ運ぶ。自身に課した罰なるが上は欠片ひとつ残しはしない。



 夕方のフライトまでは時間がある。今日はすこし足を延ばして、昨日廻れなかった名所を見て回ることにした。

 此処でも移動はトラムが便利だ。プラハと同様、時間制のチケットに打刻し懐中に忍ばせておけば、その時間内は何度乗り降りしようと自由。降りる駅を正確に知らなくとも、思いたったら其処で降り、気が済んだらた乗ればい。同じチケットで地下鉄にも乗れると云うのもプラハ同様だ。


 地下鉄とトラムを乗り継いでベルヴェデーレ宮殿へ。複数路線が交差する路上駅で、番号を確かめながら乗車すると、鉄錆が匂いそうな年代物の車輛が明るい町並みをっくり進む。やがて坂を上りはじめた辺りで宮殿の壁が見えてくる。十人ほどの旅行者に交じって私も降りた。

 門を入って直ぐ目にするのは宮殿を横から望む、やや地味な姿だ。宮殿と庭園の優雅な眺めで魅了するには優れた戦略とは云い難いが、訪問者たちの目的が宮殿の外の景色より、なかに収蔵された美術品であるなら、これで良いのだろう。


 ナポレオン戦争後のウィーン会議で華やかな饗宴の舞台となったこの宮殿は、今は美術館となって様々な名品が展示されている。中でも世紀末象徴派の作品群が自慢らしく、クリムトの『接吻』が目を惹く。その耽美で退廃的な作風は中欧から欧州各地へ伝染し一世を風靡したが、あたかも栄華を誇ったウィーンとハプスブルク王家が十八世紀から二百年をかけ緩やかに衰退していった、儚い凋落に感応しているかのようだ。

 外へ出て、正面から宮殿の全景を望んだ。前にひろがる泉に空の青が映る。庭園の緑は今を盛りと萌えあがり、青と緑とで左右正対称の白い宮殿を荘厳しょうごんする。ベルヴェデーレとは、美しい眺めの意だ。


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