第8話 乾杯とタタラーク


 仕事を考慮し早めの夕食を、丘の中腹のレストランで頂く。夏季、プラハの日は長い。緯度が日本より高い上、夏時間を採用しているため、何時いつまでも陽がしずまないのではと不安になるほどだ。

 陽光を燦々と浴びるオープンエアの席に座ると、今からとるのが昼食ひるなのか夕食よるなのかさえ分からなくなってしまう。

 ビールは再びウルケルだ。ヴルタヴァ川の悠久の流れと、その先にひろがるプラハ市街を望んで乾杯する。の国にも乾杯の作法はあるものらしい。チェコではまずジョッキをぶつけ合った後、一度テーブルにも当て音を立ててから飲む。掛け声は「ナズドラーヴィ!」、意味は「健康に!」と云ったところ。

 ボヘミアングラスのジョッキは重厚な手触りだ。ヴェネツィアングラスとならび称されるボヘミアングラスだが、精緻なカットの高級品から日用使いの普及品まで、ラインナップは幅広い。無論私の手にあるのは後者の方だ。それでも数百年の研鑽を経て今に伝わるグラスの価値は、ずっしりと重い。


 半分ほど飲んだところで前菜のタタラークが運ばれてきた。タタラークとはビーフタルタルのことで、生肉のつややかな輝きを見ればこれはもう、美味でない訳がない。

 トーストされたバケットと、生大蒜にんにくも付いてくる。光沢からして兇悪な生大蒜を如何どうするのかと云うと、バケットを擂粉木すりこぎ代わりに、此奴こいつを擦りつけるのだ。すると見る見る生大蒜は磨り減って、バケットの上にクリーム状に塗られていく。こんがり焼けたバケットと大蒜だけで十分視覚的嗅覚的に心臓ハートち抜かれてしまうが、その上にビーフタルタルを載せ齧れば味覚までもが揃って責める。それはまるで自儘で驕慢な女王に詰め寄られるかのようで、私は為す術なく平伏ひれふし、とりことなってしまった。前菜と云わずこれだけで食事を済ませてしまいたいほど次々お替りに手が伸びる。

 ビールもすぐ飲み切ってしまった。浴びるほど飲みたくなる状況だが今夜は仕事があるためなみだを飲んで切り上げ、二杯目はコフォラにした。コフォラとはコーラに近い炭酸飲料で、炭酸は弱めな一方ほのかにハーブの香りがする分、好みは分かれるかも知れない。社会主義国家だった頃に外国のコーラが入ってこなかった代替として開発された飲料が、現在も愛飲されているらしい。


 メインはガチョウのロースト。チェコではペチェナー・フサと呼ばれ、紫キャベツの酢漬けの上に乗っている。皮がパリパリで香ばしい。此処でもお馴染みのクネドリキが付いてくるが、パンはビーフタルタルでもう十分だ。

 さらに、シュニッツェルが出てきた。ウィーンスタイルの薄いシュニッツェルではなく、とんかつサイズの厚さで食べ応えは十二分。レモンをかけて食べる。


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