第18話 シュニッツェル


 ホテルでダヌシュカさんと再会し、夕食へ。仕事の打ち合わせは無事済んだらしいが、スーツに眼鏡に、凛然きりっとした表情はいまも何處かしら仕事モードだ。

 初夏の空気が心地いいので、オープンエアの席を探すが、考えることは皆同じのようで、何處も混んでいる。一体欧州人はオープンエア好きだ。屋内は禁煙が徹底されているためと云う事情もあるのだろうが、私の見る限り、非喫煙者であっても外を好む向きは多い。真冬でもコートを着込んでテラス席でさわいでいるほどだから、いわんや初夏に於いてを、である。ようやく席の空いている店を見つけて座り、メニューを開いた。

 チェコ以来、ビール気分が続いている。オーストリアもチェコに劣らずビール好きを以て鳴らす国だ。ドイツやベルギーあたりも加えた此の一帯は、政治的にはべて嘗ての神聖ローマ帝国やその後継たるハプスブルク帝国の勢力圏であり、人と文化の交流も年中であったから、所与の自然環境もひとしなみにビール造りの好適地と来れば、揃ってビール産業とビール党が栄えるのも当然だろう。

 そこでオーダーしたのはウィーン産の代表格、オッタクリンガーだ。ウィーンの地に醸造所を構え、生産が始まったのは二百年近くも遡る。丁度いほろ苦さで杯が進みそうだが、今日は仕事だ。一杯で我慢する。


 早めの食事にしたので空はまだ昼と云ってもいぐらいで、街は愈々喧騒の度を増すようだ。周囲の座を占めるのは、些か年紀としを召されたカップル、男盛りの友人同士、尽きない話で笑いさざめく令夫人マダムたち。各自てんでに喋って種々の声が入り乱れるが、不思議と煩くは感じない。すぐ前の通りを東洋人の団体客がよぎって行った。んな小さなレストランに彼らが立ち寄ることはないだろう。大儲けの機会は逸しているが、そんな店だからこそ愛する常客もあるのだと思う。

 料理は勿論シュニッツェル。叩いて薄く伸ばした仔牛肉を揚げた、名にし負うウィーン名物だ。皿一面を覆うほどのサイズが圧巻だが、レモンと塩とでアクセントをつければどんどんいける。熟々つくづくこのあと仕事だと云うのが恨めしい。しかしその仕事がなければそもそもオッタクリンガーともシュニッツェルとも出会うことがなかったのであるから、受け容れなくてはなるまい。

 人の上には禍福がともに訪れるものだ。両者の重量がひとしくなるよう運命を差配する何者かが、何處かにるのではと感じる時がある。うであるならば、愛する家族を奪われた依頼者の禍いは今夜、加害者ターゲットの死を以てあがなわれるのかも知れない。

 無論、手を下す私の罪がそれで薄められると云うつもりはない。因果応報が正しい此の世のことわりならば、私こそが最もむごたらしい死を迎えるべきだろう。死を望んで云うのではない。だ全ての殺人者の上に因果応報が実現すればんなにいだろうと、夢想して云うだけだ。その時私自身も同じ法によって罰を受けねばならぬなら、私は従容として死におもむこう。


 さて、仕事だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る