第16話 車窓


 と、プラハへ向かうらしい高速列車とすれ違った。音も衝撃もたいして感じなかったのは二重窓の力か、整備が良いおかげか。この路線はオーストリア国鉄とチェコ国鉄の双方が乗り入れ、共同で管理しているのだが、共に技術力には歴史と定評のある国だ。

 通過駅には遠足にでも行くのか、小学生の集団が立っている。此方こちらへ向かって手を振る子供たち。どの国も変わらぬ光景だ。何時いつまでも変わらないであってほしいと願う。


 窓から見るレールは畑の中を走る間は単調な直線だったのが、駅が近くなると途端に動きがせわしくなる。二本のレールが四本になり、また六本へと増え、かと思えばまた交わり、やがてわかれたレールは別の方向へと消えていく。まるで人の出会いと別れを見るかのように。

 ふるい車輛が三台、草の伸びた空き地に忘れ去られている。横一面に派手な色の落書きを施されて。社会主義政権時代の生き証人であるその車輛への、若者たちからのはなむけであるかのようだ。そのうちレールがまた一つ、草花の中に消えていく。


 やがて二つめの停車駅に着いた。無個性のビルが整然と並ぶ街の姿は如何にも無個性だ。半世紀にわたる社会主義の統治はこの街を殺風景に変えてしまったらしい。だが人類と社会の進歩革新を信奉する彼らの使命感を以てしても、プラハの文化遺産は破壊し得なかった。その事実は、圧倒的な美の前には思想も信条もないと証すかのようだ。


 再び走り出した列車の窓から見える工場群は比較的新しく、最近築かれたものと見える。上下段に自動車を載せた貨物列車がゆっくり走り、レールのそばでは雛菊が揺れている。ウィーンまでの道程みちのりはもう半ばを越えた。

 プラハとウィーンとの間の列車を、カフカも胸をゆるがせ往復した筈だ。ウィーンに住む愛人との逢瀬のために。彼女は人妻だった。そしてカフカは、自身三度目の婚約中だった(うち二度は同じ女性との婚約で、二度とも破棄している)。書くために絶対的に孤独を必要としたカフカは、他方では伴侶を渇望して已まない孤独人でもあった。



 車内にはモニタ画面があり、速度や次の停車駅の情報が示されている。ウィーンまでの旅は約四時間、途中で停車する駅の数は片手に足りない。

 スナックを載せたワゴンが通り過ぎたあと車内放送が、食堂車が営業していると告げた。

「行きますか?」と訊ねるダヌシュカさんはもう立ち上がっている。座席に荷物を置いたまま食堂車へ向かった。

 豪華な食堂車ではない。カウンターと十ほどの座席が配置された明るい車内は、ちょっと小綺麗なフードコートといった風情だ。メニューにはチェコ料理やオーストリア料理もあるが、ライトな車内の雰囲気に合わせサンドウィッチを択んだ。イギリス生まれの機能的な料理は、チェコのフレビーチェクを思い出させる。

 窓の外には、山一つを崩すかの勢いで斜面が削られている石切り場が遠く見える。青い空には綿菓子をちぎったような雲。一面緑の絨毯をるかのように現れる、黒い太陽光パネルの一群。

 貨物車が大量に置かれて、まるで車輛の墓場のようだ。何時いつから置かれてあるのか、草が繁って足下をすっかり覆っている。ぽつぽつと咲くのは、内気そうな白と赤の花。主人から忘れ去られたような貨物車たちも、いつかまた貨物を積んで走る日を夢見ながら眠っているのだろうか。


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