第12話 罰と地下鉄


 墓地のそばにある「旧新シナゴーグ」は、現在はユダヤ博物館となっている。スペインシナゴーグよりよほど古いためか、内装はより質素で、それだけにより厳粛な空気に触れる心地がする。無論偶像崇拝を思わせるものは微塵もない。

 プラハの街にはほかにも幾つかシナゴーグがのこされている。両大戦と、ナチスの支配と共産党支配を経ても、これらが破壊されずに残ったのは奇跡と云うべきかもしれない。一つには、戦闘を経ずしてナチスがチェコを併合したためであり、いま一つは恐らく、ナチスにしろ共産党にしろ美しい街並みを眼前にして、敢えてその美の精華を火中に投じ得なかったためなのだろう。

 如何なる主義・思想をも超える彼らの文化財への態度は、欧州人の美徳と云ってよさそうだ。無論彼らにも宗教改革時代には新教徒による偶像破却運動があったし、さらに遡ればギリシア・ローマ芸術の損壊もあった訳だが、それらの歴史があるからこそ欧州人はこの倫理を深化させたのだろう。

 そうしてつながれた文化財の保存のバトンは、今我々に託されている。「世界遺産」登録は多分にビジネスの香りがするとは云え、総じて有益と云ってよいと思う。

 仮令たとえ現在の、或いは未来の思想にてらして相容れない価値観の所産であったとしても、嘗て人類がとした文化の遺物を護り伝えることは、屹度我々の、次代への責任であるのだ。



 ユダヤ人居住区の周辺には、カフカも友人たちと過ごしたであろうカフェや居酒屋ホスポダが多い。東方ユダヤ人の間で話されていたイディッシュ語の劇団と交流があったのもこの辺りだろう。彼の勤めていた労働災害保険事務所があった地も、ほど近い。近辺をぐるっと歩いてた「王の道」へと逢着ゆきついた。そこで目に入ったのがトルデルネーキだ。

 プラハ名物トルデルネーキはバウムクーヘンやケバブのように、パン生地をくるくる回しながら焼いていく菓子で、観光コース上にかぞえ切れないほどの店が存在する。できあがりはコルネのようで、そのままプレーンで食してもいのだが、それでは罰として如何いかにも軽い。チョコレートと生クリームを乗せ、さらにイチゴを山盛り盛って貰ってこそ罰となろう。受け取ると、ずっしり重い。たっぷりホイップされたクリームは油断すると崩れ落ちそうだ。落ちないうちにと頬張れば、舌から喉まで蕩かすほどの甘さが脳天を突き抜ける。

 甘さもそうだが、量としても優に一食分に足る破壊力だ。今日は昼食は不要だろう。


 膨れた腹を抱え、地下鉄の改札を通る。改札と云っても前述の通り、チケットを通す訳ではなく、開始日時を打刻する装置を横目に素通りするだけだ。昨日打刻した72時間有効のチケットは財布の中にしまいっぱなしになっている。

 地下鉄のエスカレータは長く深く、宛然まるで地の底へ迎え入れられるかのようだ。有事にはシェルターとしての活用が想定されているためで、冷戦時代の名残であるらしい。エスカレータが長い分スピードは日本のものより速く、いささか乱暴な運転と思える。まるで荷物として運ばれているかのような、武骨で無機質な印象が背中を寒くする。人が人として扱われなくなる近未来小説のような国家が曾て此の地に実在していたのだ。カフカが不可思議な役所を描いたりチャペックが『ロボット』を創造したのはそれより以前まえのことだが、彼らはこの未来を予見していたのではとさえ思えてしまう。


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