第6話 ストラホフ修道院とミクラーシュ教会


 トラムを乗り継ぎ、辿り着いたのはストラホフ修道院。十二世紀に建てられたこの修道院の中には、世界一美しいとも云われる図書館がある。残念ながら中までは入れず格子で区切られた先の図書室を覗くしかないのだが、それでもそのたたずまいは、たしかに見惚れてしまうほど美しい。

 図書室には勿体ないほどの、贅沢に天井を埋め尽くすフレスコ画。そのキリストや聖人たちの見守る下界に視線を移せば、二階分ほどの高さの書棚に無数の蔵書が収まっている。へやの木の床を踏み鳴らして歩く修道士の幻が泛んだ。数百年も前に亡くなった修道士だ。彼は何に悩み、何を解くために、の本を手にしたのだろうか。そして彼は如何なる答えを、或いは救いを得たのだろうか。


 隣の、かつて本館であったろう回廊状の建物には、修道院の蒐集品や遺物が展示されている。

 修道院なら厳粛な宗教画ばかりがならぶと想像されるかも知れないが、実態は異なる。二階に上がり、ず目に入るのは後期ゴシック風の肖像画。金地に浮かび上がる貌はヤン・ファン・アイクを思わせる静謐な姿で、これならば信仰を邪魔することはないだろう。しばらく進むとクラナッハの妖艶なユディットが現れる。此方こちらも主題は旧約聖書の挿話ではあるし、敵将の生首と共に描かれるユディットの倒錯的な美しさが修道士たちに如何なる反応を惹起したかは敢えて問うまい。だがさらに進むと其処にはギリシア神話の神々やミューズたちが一糸纏わぬ姿で生を謳歌している絵が次々現れる。どうやら我々は、厳格な修道士像を画一的にイメージするのを改めるべきようだ。



 修道院を出、歩いて丘を下ると、聖ミクラーシュ教会が見えてくる。その優雅な姿はプラハのバロック建築中の名品とされるに相応しい。堂内に入ると聖人像群が我々を見下ろして出迎え、その頭上ではフレスコ画がイェスと聖母の行跡をいわう。

 豪奢なパイプオルガンは、モーツァルトの手で奏でられたこともあるそうだ。ウィーンでは必ずしも相応しい評価を得られなかった天才を、プラハ市民はたびたび招いて歓迎した。当時も今も、プラハの街には音楽が融け込んでいて、毎夜教会や音楽堂でコンサートが開かれている。音楽家が生計を立てるのには好適の地と云えよう。


 なお、チェコ語でミクラーシュとは聖ニコラスのことで、サンタクロースのモデルともなったこの聖人はチェコでも勿論敬愛されているのだが、実は子供たちにはやや畏れられてもいるらしい。と云うのも、クリスマスシーズンの聖ミクラーシュの日、ミクラーシュと天使と悪魔とがトリオで街と家々を練り歩き、良い子には天使からご褒美のお菓子を、そうでない子には悪魔から罰として炭を与えられるイベントがあるのだ。ミクラーシュの判定を兢々として待つ悪童たちの、いまれざる魂に幸いあれ。きっとんな極悪人の魂にも、そんな時期はあったのだ。

 その行事を想い起こしたうえで改めて目を上げると、我々を見下ろす聖ミクラーシュ像がいかめしく見えてくるから不思議だ。


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