第52話 拒絶の否定

「———ッ!」


 森に着いたリラは、そこにいるはずのリセッタとディレを探した。

 彼女らの戦闘により、荒れた地面や折れた木々などを辿る。

 そしてその先で剣戟の音を聞き、駆けつけると。


「なッ———!?」


 ディレが、上を向いていた。


 正確には、気色の悪い大蜘蛛が、その鋭い顎をこれでもかと開いたところだった。

 まるで、勝利を確信したかのような、隙だらけの一撃。

 だからこそ、間に合った。


「「マグ・チェスト炎の箱!!」」


 簡略された終句だけを詠唱し、術を行使する。ディレの頭にその大顎が喰らいつく寸前、大蜘蛛を炎が包み込む。


「ギシャアァァア!?」


 自身を吊るしていたはずの糸ごと、焼き焦がされて地面に転がり落ちた。

 ブスブスと身体が炭化する音が、その炎の火力を物語る。


「ディレッ! 大丈夫!?」


 思わず駆け寄る。硬直しているディレの身体を上から下まで見る。どうやら目立った外傷はなさそうだ。消耗していることに間違いはないが。


「リラ……殿……?」

「……? リセッタさん!? まさかアレに!?」


 リラを呼ぶ声がして、振り向けば、地面に伏すリセッタが苦しげにこちらを見ていた。その周囲の地面が赤く染まり、鉄っぽい匂いが充満している。


「大丈夫ですか! 今、術を———」

「ディレ……奴が……!」

「———ッ!」


 駆け寄って手当てをしようとしゃがみ込む、しかし、伸ばした手をリセッタに遮られた。それどころか、瞳で訴えていた、来るなと。

 リセッタの言葉の真意を理解したのか、ディレは弾かれたようにリラに駆け寄り、突き飛ばした。


「きゃッ!?」

「くそッ……」


 悪態をついたディレが、右手の鎌を一閃する。すると、何もないかったはずの空中から、パラパラと半透明な糸くずが散る。

 よく見れば、それは蜘蛛の糸だった。いつの間にか忍び寄っていたのか。


「リラ……蜘蛛、一体じゃない。だから、リセッタを……」

「———わかった、でもディレは?」

「リセッタが大丈夫になるまで……なんとかする」


 呟くようにそう告げると、ディレは刃の付け根にある取手を握り、回す。

 ガキンという金属音と共に、鎌の形が変わる。

 取手が柄に変わり、刃が鍔へと。そして、ディレは鎌の柄だった場所を、抜き捨てる。


 月明かりに照らされて、怪しく輝く刀身が露わになる。

 それは、鎌よりも美しさを増し、そして鋭さを増した、東側の武器。

 紅黒の大太刀が、少女の冷たげな雰囲気を加速させる。


 そして、ディレはナイトメアを振るった。


 その一閃で、森中の木々の枝が落ちる。ディレが持っている技の一つ、疾風の空刃だ。彼女はダンジョンを守護している時、最終的に戦闘すら行わずに、侵入者を拒んでいた。

 逆を言えば、敵を見る前に刻むことのできる絶技。


 案の定、枝はを失った木々の上から、数体の蜘蛛がボトボトと落下した。

 傷は———かなり浅い。

 恐らくそれこそがリラが必要とされた要因、フランケルの強化術だ。

 呪術の解呪は、現状リラにしかできない。


「……ッ」


 一度だけ振り向いたディレが、信頼の眼差しをリラに向ける。

 そうして、ディレは敵に飛び込んでいった。


 それを見届けたリラはリセッタに向き直る。

 簡略詠唱を小さく歌い上げて、リセッタに回復促進の術をかける。その上で、彼女の周囲に結界を張る。レネゲイズの村に張っていた結界の縮小版だ。とはいえ、本来必要な手順をすっ飛ばしているので、長くは持たない。


「ここで大人しくしててください、後は、私とディレに任せて」

「リラ殿……しかし……!」

「しかしじゃありません。……その怪我でまともに剣は触れないでしょう? ……大丈夫です、私は戦えます」

「———無理はなさらずに」


 リラがリセッタを見つめると、半ば諦めたように頷いた。それでも彼女は、右手に剣を握っている。それだけで、騎士として十分すぎる。

 応援が来たというのに、任せておけない心配性は、どうにかすべきではあるが。


「———ッ!」


 諭されてくれたリセッタを尻目に、リラは走り出す。

 先ほど確認した限りでは、蜘蛛は精々五、六匹だ。元々の機動力はそこまでないため、解呪できれば討伐も難しくはない。

 しかし、無駄に統率が取れているため、下手に纏まって動かない。

 一匹一匹相手をしていては、確実に隙をつかれる。


「ディレ! 大丈夫?」


 丁度蜘蛛を弾き飛ばしたディレが、跳躍して距離をとった。その着地点の隣に、リラは駆け寄る。


「ん……大丈夫。でも、硬い、、

「うん、だから、一気に解呪したい。できる?」

「……惹きつけられるけど、リラが……」


 大まかな説明で、互いに理解し合う。

 言外にリラを案じたディレが、躊躇するようにリラを見つめる。

 それでもリラは揺るがなかった。


 ディレは、蜘蛛を相手する間、リラを気にしてはいられない。リラに矛先が向けば危うい。

 だが、今のリラに自身を捨てる気は毛頭ない。なぜならリラは、仮にも団長だ。

 皆の前に立ち、それを示す立場。


 どうしてリラが後ろを向ける。


「大丈夫、私を信じて」


 ディレを見ずに、リラは言う。

 それが覚悟の表れであり、安心させるためでなく、信じさせるためだと言う意志を伝えるために。


「———わかった。……でも、無理、しないで」

「こ〜ら、生意気言うんじゃありません。———だから、行くよ?」

「———ん」


 二人共に、地面を蹴る。


「「ウィンド・ブーツ」」


 飛翔術を使い、リラは突風を残してその場を離れる。それとは逆に、ディレは敵の目前に飛び込む。

 踏み込んだ、その隙を逃すまいと、蜘蛛が一斉に襲いかかる。

 それを刀で薙ぎ払い、全ての視線を一身で受け止める。


「「「「キシャアア!」」」」


 空から、大地から、死の大顎が迫り来る。

 薙ぎ、斬り払い、叩きつける。

 傷すらつかないその身体に、疾風の斬撃を浴びせ続ける。


「———ッ!」


 六匹全ての意識がディレに向き、その全てが地に足をつける。

 確信を得たディレは、飛び上がり、空刃を地面に投げつける。


「ギャシュ———!?」


 思わぬ行動に意表をつかれたのか、一瞬、動きが止まる。それを逃さなかったリラが、準備を済ませた術を放つ。


「「ディスペル・カ———」」

「……? リラッ———!!」


 終句を告げる、リラの背後、完全な死角に、ソレは歓喜の奇声を上げる。


「ギシュァァァアア!」


 リラが火炎により焼き払った大蜘蛛だ。まさか、七匹目!?


「なっ———!」


 空中で焦るディレは、体勢を変えて落下する。

 まずい、術の発動中は、隙だらけもいいところだ。そんな時に、何故?

 最悪だ、観察不足だった、どうしたら?


 そんなどうしようもない思慮が、ディレの選択を鈍らせる。

 振ればいい、その刀を。空刃を叩きつければ、足止めぐらいはできる。

 しかし、この距離では、まともに狙えない。


 リラに、当たる。


 しかし、それは杞憂と言うものだった。


「「フリーズ・フロア凍りゆく床」」

「———あ……?」


 最悪を予想してしまったディレには、あまりにも驚愕がすぎた。

 解呪の術を唱えるはずだった唇が、別の術を詠唱し、そして、焦がれた蜘蛛は凍りつく。それはまるで、いつかの魔晶石による氷の様だった。

 足止めだけにそれを使い、対話のために身を賭した。

 あの時、リラが自身の身を案じて魔晶石を保持すれば、きっと今はなかった。


 そうだった、リラは、ディレが助けてばかりなどではなかった。

 逆だ、逆だった。

 ディレはリラに助けられた。


 リラはディレの英雄だ。


「ギ……ギギ?」


 蜘蛛の脚が凍り、体液が鈍くなる。


 そして、今一度術が放たれる。


「罪はなくとも、咎はある。私がそれを裁く、ノクトルナの名において」


 その背中が、その髪が、そのローブが、


 三角帽に光る、王国術師のブローチが、彼女の偉大さを知らしめる。


「「ディスペル・カース!!」」


 収束していた魔力が、爆散し、解放されて、放たれた。

 紫紺の色をした光の粒が、蜘蛛を取り巻き、その身体に刻まれた術式を解く。

 そうして、可笑しさを宿した怪物は、最後の紡ぎによって葬られる。


「「彼方が思慮する存在は、何を以て乙となる。すべき理解を捨て去れば、残るは咎の暗闇よ。嘆け、恨め、その全てを、否定せよ」」


「「ディニアル・オブ・ミーニング」」


 意味の否定。存在が有るその意味自体を否定し、拒絶し、虚空へと捨て去る。

 永遠に続く闇の中で、もがき苦しめる術。

 リラが、複数ある禁術、、の、その一つを用いるのは、実に十年ぶりだった。


 魔力に包まれたはずの怪物が、彼方へと消え去った。


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