第53話 不安の雛

「傷の具合はどう? リセッタさん」


 奇襲や戦闘からは程遠い、ファラミレム城。騎士寮の一部屋に、人は集まっていた。


「リセッタが無事でよかった。……もっとも僕の出番はなかったわけだけど」

「せっかく駆けつけてくれたのに、ごめんなさい」

「いや、そう言う意味じゃない。流石は『奇跡の祈術師』だ、とそう思っただけさ」


 自分のことのように、誇らしげに表情を緩めて見せる。その顔を見るだけで、胸が暖かくなる。

 なんともいえない気持ちに浸っていると、リセッタがベッドから身体を起こして口を開いた。


「なんともありません、リラ殿。……その、レイラは……?」


 不安げにリラに問うと、拳をぎゅっと握る。

 自身を差し置いて部下を心配する。その心息は讃えるべきだ。しかし、リセッタ自身も大切にすべきだとリラは思った。


「大丈夫です。フレイユさん……フレイユが術を施してくれたので、それほどひどくはありません。安静が必要ですが、しばらくすればすぐ任務に出れますよ」


 その不安を取り除くとはいかないまでも、なるべく安心させるようにリラは口調を和らげた。効果があったのかはわからないが、胸を撫で下ろしたリセッタが、深くため息をついた。


「私が及ばないばかりに、ディレ……お前がいなければ今頃は」

「たらればの話はやめてください。それに、ディレも謝って欲しいわけじゃないと思います。……ね?」

「……リセッタが大丈夫ならいい。お礼はリラに言って……」


 リラのすぐ隣に立つディレが、その瞳をリラに向ける。

 強い意思の乗ったその視線に、リラは笑いかける。


「ありがとう。でも、これはそういう話じゃないから……リセッタさん、凹んで剣を振れないなんて似合わないことはやめてくださいね?」


 その笑顔を、緩やかにリセッタに向けると、リラはアルバーンに視線を向ける。


「アル、私、看守長に呼ばれてるから行ってくるけど、いい?」

「看守長? 全く、王宮の人間はリラを賢者か何かと勘違いしているんじゃ……」

「嫉妬は嬉しいけどそうじゃないでしょ? ディレ、行くよ」

「……ん」


 ディレの腕を引きリラは部屋を出た。鎌カツンと扉の縁に当たり、少し驚くディレの表情に心が和む。

 やはり、リラは寂しかったのだろう。アルバーンに軽口が言えたことすら嬉しかった。何かとリラのことを考えている国王に、少し相談するべきかもしれない。

 寂しくて戦えませんでは示しがつかない。


「リラ……?」

「……?」

「しわ……」


 心配そうにディレに顔を覗き込まれ、足を止める。紅玉のような瞳が、リラを見つめる。人形のように整えられた、丹精で可愛らしい顔立ち。

『終結の英雄』が愛娘、、と称して愛でたくなるのも納得だ。


「あ……」


 ディレに言われて眉間をつねると、確かに皺になっていた。

 顔に出るほど何かに悩んでいたのだろうか? それとも、自身の寂しがり屋は、そこまで深刻だったのだろうか?


「悩んでる……?」

「ううん、そうじゃないの……?」

「……?」

「いや……そうかも」


 悩む、とは違うが、気になっていることある。今朝、ミアに言われた一言だ。

 昨日の一件を終えて、リセッタの怪我や、周辺地域の再確認をアルバーンと組んでしたいたため、色々とバタバタしていた。

 そのため私室に帰ったリラは、すぐに寝入ってしまった。

 正しくは、山積みの書類に絶望して泣き寝入りしたようなものだが。


『おはようございます、ノクトルナ様。ご用事が済み次第、看守長の執務室へお寄り下さい。「相談があります」とのことです』


 確かに、アルバーンの言っていた通り、最近王宮の人間呼び出されることが多くなったと感じる。

 賢者のような扱い、と言われてもしっくりこないが、それでも知識人として相談に乗ることは多い。もっとも、リラ自身はそんな大層なことをしているつもりではないのだが、実際、それでことが上手く行くことが多い。


『破滅の魔女』


 そう呼ばれていたリラだが、或いはその影響なのかもしれない。


 遥か昔、魔女が蔑称として根付く以前、『魔女』という単語は、魔法に秀で多くの知識を有した、賢者そのものだったと本で読んだことがある。

 今となってはそれも過去の話、そんな夢物語を覚えている人間は、よほどの本好きか、或いは魔法に熱心な勤勉な術師だろう。


 頼られるのは悪い気はしないが、根底の無意識な理由というものが、リラの足取りを重くする。

 とはいえ、ここでへこたれては何にもならない。


「最近色々あるから、なんでだろうって。でも、大丈夫、心配してくれてありがと」

「……ん」

「でも、本当に何だろう? 看守長さんとは、形式的にしか会ったことないけど」


 再び歩き出しながら、首を傾げる。王宮に存在する地下監獄。よほどの大罪を犯さない限り、投獄されることは少なく、死刑か終身刑のどちらかでしか使用されることはない。一般的な裁きを受けた咎人が収容されるのは、王都に別に存在する、『フェアー収容所』だ。


 ———しかし、フランケルの一件により、例外が生まれてしまった。

 リセッタやディレが王城に戻った際に感じた無人感、その原因は、フランケルの術により洗脳された王宮の人間が一箇所に押し込められていたことにある。


 牢獄に一人一人という形ではなく、思考も行動も奪われた、まるで人形のような状態の人々が、地下監獄エリアそのものに放り込まれていた。

 リラが術を解呪し、正気を取り戻した人々は、今は無事に王宮の役目についている。

 リラに仕えているミアもその一人だった。


 確かにリラが関わったことがあるが、看守長に呼び出されるほどのことをした覚えはない。はたまた、気づかぬうちに何かをしでかしたのだろうか?


「リラが何かするわけない」

「……ディレ」


 前を向きながらも、下手くそに励ましの言葉をかけるディレ。

 そこに、言いようのない愛らしさを感じて、リラは俯けていた顔を上げた。


「ありがと……うん。そうだね」


 それからしばらく歩いて、地下への階段に足をかける。

 スケルトンになっているの螺旋階段の奥は、篝火だけがチラチラと輝く薄暗い空間になっていた。


 ◇◇◇


「お待ちしておりました、術師団長。そちらは……フィリア殿ですね」


 無精髭を生やした、いかにもという雰囲気を纏った中年の男が、リラとディレを出迎えた。

 国王親衛隊や、騎士団とも違う専用のデザインの鎧と、剣を身に纏い、腕には看守長である証の腕章をくぐらせている。


「それで、相談というのは……?」


 執務室に案内された二人は、手で促されたソファへと腰掛ける。

 ミシッと嫌な音がしたが、看守長は気にしていないようだった。硬い座りごこちのそれは、元より大した作りをしていなかった。木製なのはさておき、あるべきクッションすら無いのはどうなのだろうか。


「そうです、それなんですが……おっと、今一度名乗っておきましょうか、ドルンク・ファウゼルと申します」

「リラ・ヴァリタ・ノクトルナです」

「……ディレクタ・フィリア」


 髭を撫でながら名乗ったドルンクは、リラとディレの名を聞いて、頷きながら腰を上げた。


「聞いております。少しお待ちください、問題のヤツ、、を連れてくるので」


 そういうと、二人を残してドルンクは出ていってしまった。


 ヤツ、とは一体何なのだろうか? 牢獄なのだから、人であることは確かだろう。しかし、リラに相談するべきこととは何だ? そもそもこの地下監獄に収容されるような人間を、易々と出してしまっていいのだろうか?


「……?」


 すぐにわかるはずの疑問に首を捻っていたリラ の横で、ディレが鼻ひくつかせた。

 スンスンと嗅ぐように、鼻頭を揺らす。


「どうし———」


 ———たの? そう続くはずだった言葉が、戻ってきたドルンクに遮られる。


「いやあ、お待たせしてすみません。コイツが全然入ってくれなくってね」


 そう頭を掻きながら、右手に何かをぶら下げながら、向かいのソファに腰掛けた。

 ソファに挟まれるようにして置かれている、茶色い長机にソレを置く。

 ゴトン、と重たい音と共に降ろされたそれは、鳥籠だった。

 いや、正確には鳥籠のようなもの、そして、それをそう呼んでもいいのかわからないものだった。


 何故ならその中には———


「———黒竜ッ!?」


 ディレが戦慄するように叫び、側にかけてあった鎌をを咄嗟に手に取ろうとする。

 リラも思わず魔力を収束させた。

 しかし、その中でもなお動かなかったのは、ドルンクだけだった。


「いやあ、コイツはそう危ないヤツじゃ無いんですよ」

「「……?」」


 二人同時に首を傾げる、その仕草がツボだったのか、少し頬を緩めたドルンクが、籠に指を入れて、黒竜の雛、、、、を撫でる。


「すっかり怯えちまって、こうして触れても縮こまるだけなんですよ」

「……そう、ですか」


 すっかり拍子抜けしてしまったリラは、胸を撫で下ろしながら魔力を解放する。

 光の粒が、行き場を失い霧散した。

 隣のディレは今だに立ったままだ。それを見てドルンクは着席を促す。


「てなわけで、どうやらフランケルがコイツを餌に母親———黒竜バハムートを支配下に置いてたわけで、地下牢に放り込まれてたコイツをどうするか、相談したいんですよ」


 詰まるところ、あの黒竜の子供。母親は既に亡き今、この黒竜を育てる存在はいない。忌むべき五大巨獣の一体、それを潰えさせることできるというなら、このまま捨て去るのも手だ。

 実際、王に仕える以上は、それ以外の選択肢はない。


 しかしだ、リラを、『奇跡の祈術師』とそう呼ぶのなら話は違う。


 この黒竜は、やっと飛ぶことを覚えた程の時間しか生きていない。

 そんな赤子を、それも母親を亡くした竜を、放っておくことなどリラにはできない。


「ドルンクさんはどう思いますか?」

「おいおい団長さん、聞いたのこっちだってのに……正直、殺しちまうってのは違うと思う、こんな怯え切ったヤツを、それだけで殺すのは違う、そう思うんですよ」


 未だ籠の隅で翼を縮めている黒竜。いつの間にかディレすらも、剣気を霧散させて、黒竜を見つめていた。


「私も同じです、この子に罪はない。母親の方が、人を殺しすぎてしまった。それだけです。ですので、この子はまだ少し預かっていていただけませんか?」


 自身の意思を告げると、リラは立ち上がる。ドルンクは困惑したように頷いた。


「それは構いませんが……一体何を?」

「国王に許可を貰ってきます。罪のない者をこれ以上殺す王には、させませんから」

「……全く、恐ろしい人だ」


 執務室を去っていくリラの背中を見て、ドルンクがそう呟く。それを聞き逃さなかったディレが、ドルンクに寄った。


「ドルンク……リラは……」

「わかってますよ、あの歳でああも頼もしいのが、凄いって話っすよ」

「…………それならいい」


 自身の不満を解消したディレもまた執務室を出る。それを、半ば呆然としながら見送ると、ため息と共にドルンクは再度呟く。


「武器も掴まずその剣気……とんでもないのが国の味方についたもんだ……」

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