第50話 喰らう悪夢
「巡回、全て完了致しました!」
「よし、これであとは
月明かりが照らす中、草木の香りが鼻腔をくすぐる森の中。
地上の月かと見紛うほどに、月光を受けて照り輝く一段は、
王国騎士団 『鋼の乙女』
女性らしさをその身の鎧で包み隠し、男性に劣らない頼もしさを漂わせている。
腰に吊るされた得物は、曇り一つなく磨き上げられ、いついかなる場合でも緩むことの無い意思が覗える。
その統一された一団で、異色を放ちながらも、馴染んでいるのは、
「……以上はない、リセ……副団長」
「呼び捨てでいい……というわけにはいかないんだ、まあ王宮ではどう呼んでも構わない。今だけは我慢してくれ――――それはそれとして、皆集まったな。これより、帰還する、警戒は怠るなよ」
「「「「っは!」」」」
踵を打ち鳴らし、揃えられた敬礼をする女騎士達。例にもれず、ディレも同じことする。とはいえ、六人の中で一番ぎこちないのは言うまでもない。
だが、これでも慣れた方なのだ。最初は踵と敬礼の順番を間違え、タイミングがズレ、他の誰とも揃わなかった。
「あの、副団長……」
「どうした、セイリン」
「お言葉ですが、先ほどから森が騒がしく感じます、モンスターの以上はありませんが、何か、おかしいです」
兜越しにでも伝わる、彼女の不安そうな声色が、他の五人の背筋を伸ばす。
ガチャリと、鎧を鳴らす者も居た。
「……お前がいうのならそうだろう、各員、抜剣の上警戒を――――」
「――――ッ⁉ リセッタッ‼」
「のあッ⁉」
リセッタが再度口を開いた、その瞬間だった。気配を感じたディレは、とっさにリセッタに飛びつく。
リセッタの頭があったはずの空間を、何かが
「何がッ!」
「副団長‼」
口々に声を発し、突然の強襲に動揺する。いや、動揺ではなく心配か、しかし、彼女らは他人の心配などしている暇はない。なぜなら――――
「――――ガリアッ……上ッ!」
「ッ……⁉」
ディレに鋭く名を呼ばれた騎士が、とっさに顔を跳ね上げる。その視界に収まるのは、悪寒が走るほどの夥しい数の眼光をこちらに向ける……
「……
とっさに躱し、間一髪、その大顎に兜が砕かれずに済む。しかし、大蜘蛛は尻部から垂らした糸を吸い上げるようにしてその姿を消す。
状況を理解した騎士達は、一斉に抜剣をする。
鈴の音のような快音が、怪しげな夜の森に響き渡る。
ディレも、庇ったリセッタから離れ、その手に握る
飛びついた際に、身体を打ったらしいリセッタが、辛そうに身体を持ち上げているが、
「気にするな、礼を言うよディレ。私はもう大丈夫だ」
「……無理はしないで、皆に指示を。アイツは任せて」
「……すまない。聞け! 奴はどこから出るかわからない、ディレを中心に、陣形をとれ! 下手に剣を振って隙をつくるなッ!」
立ち上がって叫んだリセッタの声を背に、全員が無言で頷く。
陣形の中心のディレは、木々の間を注意深く見て、気配を探る。
キラーバイト、通称人食い蜘蛛。騎士団に入った際、王都周辺に巣くうモンスターの解説をされた際に聞いた。
森に入った人間を、頭上から襲いその頭を喰らう。大きく発達したその強靭な大顎に嚙みつかれたら最期、数回に分けて頭蓋を砕かれ、苦痛の末に蜘蛛の餌となる。
だが、おかしい。この蜘蛛は、欠点として移動が遅いはずだ、しかし、先ほどの個体は
大きな顎を持つ代わりに、それを支える身体も小さくはなく、大した素早さも持ちえないはずだ。それ故に暗殺じみた狩りをする。
明らかな異常だった。ディレにですら、おかしいと感じた。
「リセッタ……」
「ディレ、お前も感じたか。しかし、ありえない、一体何が?」
眉を顰め、声を落としてリセッタが囁く。声を上げないのは、他の騎士達を不安にさせないためだろう。今更ながらに、彼女が副団長であることを思い出す。
ただ、それとこれとは話が違う。たとえ知らせはしなくとも、実際の異常に対処しなければならないのは変わらない。
「うあッ!?」
一つ、悲鳴が上がり、鮮血が吹き上がった。鎧と地面を赤く濡らし、その場にくず折れる、剣は明後日の方向へと飛んでいき、乾いた音を立てる。
「レイラッ!」
最悪の状況を瞬時に想像し、リセッタが悲痛の叫びを上げる。
しかし幸い、噛み砕かれたのは彼女の肩だった。兜には傷一つない。
それでも、苦痛に呻くのは同じだ。近くの騎士が駆け寄り、肩をもつ。
その前に、細剣を構えたセイリンが立つ。
「まずいな、これでは時間の問題か。……何か策はないか、私はどうにも頭が硬い」
「……囮、一人いれば十分だけど、それなら逃げられる」
「……お前は逃げない、とでも言うんだろう?」
「……なら、リセッタも」
「当然だ」
完結に作戦を立てると、リセッタは残りの騎士に駆け寄る。途中、上からの襲撃に、剣を振るうも、素早い大蜘蛛には掠りもせず風切り音だけが響く。
「私とディレが囮になる、そのうちに逃げろ。……恐らくあれは、
呪いの個体、それは、フランケルが怪物に施した最悪の術。怪物に強化と操作の術を施し、一つの駒にする。
しかし、その主人がいなくなった今、呪術が解除されるまで、モンスターは暴れ続ける。
恐らく、異常なまでの速さは、それが理由だ。
「しかし、お二人を残して我々だけ背中を見せるわけにはッ!」
セイリンを筆頭に、各々の心中を副団長に告げる。しかし、首を振るリセッタは、鎧を鳴らして続けた。
「応援を呼んできてほしい、最悪の場合、奴を野放しにすることになる。———術師団長を呼んできてくれ」
鋭く、重い一言。それが、無力に喘ぐ騎士の心を穿つ。
そして、それだけができることだと理解する。
「……どうか、お気をつけて」
一言と共に頷いたセイリンが、他の騎士に撤退を促す。
悔しそうなその雰囲気を、リセッタが剣を振り切り裂く。
「喰いたければ私を喰えッ! お前の相手は私だッ」
足を縺れさせながらも森を走っていく騎士を尻目に、リセッタが何処かに潜む蜘蛛に向けてそう言い放った。
当然、人語を解するわけではない、しかしそれでも、リセッタの挑発は上手くいった。
「キシャァアア‼」
耳障りな鳴き声を上げて、リセッタの頭上にその巨体を現す。
黒光りする大顎、それを操る頭部には、大きく分かれた四つの複眼が乗っている。
直視すれば吐き気すら催すその醜悪な姿を見て、リセッタは怯まなかった。
「セァァアア!」
予期していた出現に合わせて、抜きはらっていた剣を振り上げる。
ガツンと、顎と刃がぶつかり合う。しかし――――
「ック……!」
開ききった大顎に、剣なぞという挟みやすいものを出せば、当然その顎は閉じられる。それは、洗練された一振りですら覆すほどの強度、咬合力だった。
強すぎる締め付けが、剣にギチギチと悲鳴を上げさせる。
「このッ、放せ‼」
無理やりに剣を引き抜こうと、リセッタが腕を振るう。しかし掴んだ獲物を簡単に離すなど、無意味を通りこしてもはや無能。
凶暴化しているとはいえ、知能が落ちているわけではない。
「リセッタッ! 離れて……!」
「ッ……!」
武器を無くした騎士程、安心に欠けるものはない。そう判断したディレは、愛鎌を握りこんで土草を蹴る。
空中で振りかぶった大鎌を、その身体の中心めがけて振り抜く。
「シャァア!」
しかし、それすらも予想済みというように、大蜘蛛は剣を離して自身を引き上げる。
空中を薙ぐ刃が、その先の木々を揺らす。
やはり速い、これでは埒が明かない。森の木々を全て焼き払えれば各段やりやすくはなるが、そんな荒業は本当に最終手段だ。それに、ディレもリセッタも魔法は使えない。
「面倒だな、いっそ森を燃やすか?」
「……できないでしょ、一番知ってるのはリセッタ」
「……冗談が通じないのは相変わらずだ、まあ確かに、笑っていられる状況ではない」
常に上に視界を置き、背後も隙も許さない。しかし、先ほどのディレを警戒してか、気配が薄くなった。
逃げたか、いや、それなら残る気配に説明がつかない。やはり潜んでいる。
「……?」
「どうした?」
「近い、けど、見えない――――⁉」
「なあッ⁉」
おかしさに振り向いた刹那、リセッタが地に着いた。鮮血が視界を覆い、メキャメキャと壊れる音が鼓膜を穿つ。
嫌な予感と共に見れば、リセッタが地に伏していた。
いや違う。
「――――リセッタ⁉」
「ぐあ……!? く、来るなッ! お前は距離を取れ——くそッ!」
地面を掴み、必死に逃れようと体を捩るが、ソレからは逃げられない。
いつの間にか、大蜘蛛は地面に降り、リセッタの脚を喰らっていた。
砕け散った鎧から、赤がじわじわと溢れ出す。
苦痛に顔を歪めながらもそう叫んだリセッタは、震える腕で剣を蜘蛛に叩きつける。
しかし、蜘蛛の脚が邪魔をして、本体には届かない。
「……ッ!」
いつまでもそうさせている訳にはいかない、ディレは鎌を握って再度踏み出す。
しかし———
「……!? ディレッ上だッ!」
「———ッん!?」
踏み出したはずの右足を踏み外し、跳ね上がるように上を向く。
丁度、
「なッ———!?」
なんで、蜘蛛が!?
たった一つの疑問、しかし脳はそれに支配され、思考は意味をなさなくなる。
絶望が目の前に広がっているのに、身体はまるで言うことを聞かない。
なぜ、なぜ、それだけが広がる。
蜘蛛は、リセッタを喰らっているはずだった。今、それを助けるはずだった。
それなのに、一体何故?
唯一、一番必要のなかった所だけが動き、視界が真っ暗になった。
———自分は、臆病だったのだろうか?
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