第48話 終幕の夜想曲
荘厳な雰囲気の漂う空間。これ程の場に遭遇したのは幼い頃の結婚式以来だ。確か一族の誰かの物だったはず。
久しい空気を吸いながら、リラは玉座の間に響く王の声を聴いた。
「うむ、では始めるか」
玉座に座る国王がそう呟くと、そそくさと周囲の側近が動き始める。そして、脇に居た参謀らしき人物が、眼下に跪く騎士と術師の群れを眺めながら言った。
「これより、騎士、及び術師叙任式を開式する――――」
引き締まる声色で、一層厳かな空気が周囲に広がり、背筋を伸ばす騎士の鎧が揺れる。
満足気に頷いた参謀の横で、国王――――ファラミレム・ネロ・ヴォルムート十三世は、おもむろに玉座から立ち上がった。王位の襟を正し、右手に握る杖を側近に手渡す。
赤いカーペットが敷かれ、先日の戦闘により、壁が崩壊し妙に風通しのいい玉座の間。鮮血を思わせるその布地の上に最敬礼と共に跪くのは、リラとディレの二人。二人を境にするように、術師と騎士の一団が綺麗に整列している。
「リラ・ノクトルナ……いや、リラ・
「――――え?」
危なげなく玉座に立つ国王が、頭を垂れる少女に向けて口を開く。
述べられた言葉は、清々しく一体に広がり、呼ばれた名前が周囲の人間を戸惑わせる。
当然、リラも驚いて顔を上げる。本来許可なく面を上げるのは、失礼に値する。そんな常識すらも忘れて、リラはその名に驚愕する。
なぜなら
「そう驚くことではない、其方は、術によって功績をあげた。ならば、その習わし通り名乗るがいい。
なぜならその
呪術を大成したあのフランケルにすら、与えられることの無かったものだ。
それが、自分に?
衝撃の事実に耳を疑う。しかし、静かに場を静観する騎士も術師も、先ほどの驚愕以来、反応の音沙汰がない。
それが逆に不思議で、不気味だった。
「あの――――!」
流石のリラでも、これだけは反応せずにはいられなかった。思わず口が言の葉を紡ぐ。しかし、それを国王は許さなかった。
「――――そして、其方を
「なッ――――⁉」
またも衝撃と驚愕がリラを襲う。しかし、今度は騎士も術師も動じなかった。それどころか、当然のように頭を垂れている。
まさか、フレイユの言葉は間違いではなかった?
更衣室を去る直前、フレイユが術師達を盛り上げるために発した
それがまさか、こんな伏線になろうとは。
「さあ、前へ出よ」
「……!」
脳を二度殴りつけられたような、奇妙な感覚を胸中に飼いながらも、リラは国王に応じて立ち上がる。慣れないローブの袖を振るい、なるべく自然に前に出る。
叙任の儀式、騎士ならば剣を、術師ならば己が手を、王に捧げ、忠誠を誓う。
その道を歩む者ならば、例え憎き相手と交わしたとて、破ることは許されない。
ある種の呪い、ある種の正義。
「腕を……」
「はい」
利き手を差しだし、国王の胸の前で静止させる。それを受け、王が胸に引き寄せる。
数秒、腕を抱くように祈った国王は、リラの腕を反し、そっと放す。
「其方を、リラ・ヴァリタ・ノクトルナを我が術師に任ずる」
その口元に微笑を浮かべながらそう宣言した国王は、誇らしげにリラを見つめた。
それを受けて、形式的に最敬礼をする。左の拳を腰に、右の拳を胸に当てる。騎士と変わらぬその手法が、国王と、彼が治める国を守る集団だということを再認識させる。
「……この国の人たちは、責任をもって私が守ります。
「――――うむ、頼んだ。下がってよい」
叙任が終わり、リラはローブを翻して元の位置に戻る。変わらず跪くディレは、少しだけ顔を上げると、リラの顔を伺ってきた。微笑かけながら頷く。
心配には及ばない、リラはもう国王を恨んではいない。ただ、少しの皮肉は言わせて欲しいものだ。恐らく、国王はそれを許してくれた。だが、もうこれまでだ。
彼もまた、リラの守るべき人の一人なのだから。
「次いで、フィリア、前へ」
呼ばれたディレがすっくと立ちあがる。去り際にリラをちらと見たが、頷きかけると安心した王に玉座に足を向けた。
◇◇◇
国王の前に立ったディレは、場違いにもリラのことを考えていた。
いや、決して場違いでもないのだが、叙任式という正式な場で考え事とはあまり褒められないだろう。
心中で頭を振って、目の前のことに集中する。今は、リラと同じ場に立つため必要な儀式だ。彼女の隣にいるには、同じ立場である方が都合がいい。
傍に居られるのなら、いつでも助けることができる。
「フィリア、剣を」
言いながら、視線で腰に吊るされた剣を指す。
何故剣を、とディレ自身も思ったものだが、どうやら騎士団の規律として、騎士であるのならば、本来の得物はなんであれ、剣を一振り持つのがしきたりらしい。
正直、鎌に剣が仕込まれているディレは、煩わしい二本目でしかないのだが。
「………」
そんな文句は口に出さずに、言われた通り剣を抜く。
シャランと鈴の音のような音が響いて、磨かれたその刀身が露わになる。
業物、かの神匠、グレン・ヘファトスの物と比べれば、見劣りはするものの、一介の騎士のものにしては十分すぎる程の出来だ。
それを国王に手渡して、姿勢を正す。
剣を受け取った国王は、剣を両手で握り、自信の胸元に引き付ける。
次に、剣の腹をディレの左肩に乗せて、二度叩く。そのまま剣を高く掲げる。
事前に作法を聞かされていたディレは、それを恭しく受け取ると、剣を鞘に落とした。
「ディレクタ・フィリア、其方を
「………」
敬礼をして、首肯する国王を見届けてから、玉座からリラの隣へ戻った。
「――――これにて、二人の叙任を終わる。皆、面を上げるがよい」
王の命令に従い、下げ続けていた顔を上げた騎士と術師。解けた緊張がその場の空気に溶けていき、一気に空気が変わった。
「……とは言ったが、すまない。もう一つすべきことがある」
「「「「「……?」」」」」
当然のように疑問符を浮かべる騎士と術師。騎士の先頭に居るアルバーンとリセッタは満足気に目元を緩めている。
対するフレイユは、首を傾げる術師達の前で、不敵に口の端を曲げていた。
悪戯っぽその笑みに、違和感を覚えたディレはリラの顔を伺う。
隣で表情を固めたリラもまた、首を傾げていた。
「リラ、その場でよい。立ってくれぬか?」
「はい……?」
不思議そうに立ち上がり、国王の次の言葉を待つ。
一人だけ立たされたリラに、全ての視線が集まる。居心地悪そうに肩を上げるリラに、国王が言葉を投げる。
「リラ、儂は長らく誤解していた。何度も言うが、すまぬことをした。安心して欲しい、この場の者は其方の事情を知っておる。故に儂に不信感を抱いている者もおるだろう。構わん、それは儂の落ち度だ」
そこで一旦言葉を区切ると、瞳を伏せて再度語る。
「其方に罪はない。もちろん、儂の知らぬことはあるだろう。だが、それは其方が自分でケリを着けると信じておる。であるが故に、ニーウィッド、フィリアの意思も尊重し、儂は決めた」
意を決したように拳を握った国王。
まるでその瞬間を心待ちにしていたかのように、アルバーンが居住まいを正し、フレイユがローブの襟を正す。
「其方の勇気、そしてその実力を見て、『破滅の魔女』の蔑称は撤回する。そして、新たに
「――――ッ?」
予期できるはずの無い状況に、驚きを隠せないリラ。見開いた瞳は、片時もブレずに国王をただ見つめている。
そんなリラを見て、ディレは少しだけ口元を緩める。
何故なら、国王の言葉は、すなわち――――
「――――『
――――すなわち、ディレの目的が、果たされるからだ。
何度目かの驚愕が広間に響き、向けられていた視線が国王へと移る。自慢げに頬を緩める国王は、続けてリラに拍手を向けた。
「『終結の英雄』彼女亡き今、其方が頼りだ。ニーウィッドと共に国を任せる。魔女は滅びた」
ぱんぱんと響く拍手、それが徐々に勢いを増し、数が増え、そして波が出来上がる。
英雄の誕生を祝う盛大な拍手が、広間を覆いつくした。
「「「「~~~~~~~!」」」」
「え、いや……!」
オドオドと、彼女らしくない挙動を披露しながらも、照れくさそうに頬を赤らめる。
それを囃し立てるように、拍手が強まる。
その中には、アルバーンやリセッタ、フレイユまでもが混ざっている。
ひとしきり鳴り終えると、リラの言葉を待つように静寂が訪れる。
言葉に困ったように、被っていた三角棒を引っ張る。ただでさえ見えずらい表情が、完全に伺えなくなる。
その暗闇の中で、リラは口を開いた。
「……えっと……その……」
緊張、ではなく羞恥。そんな口調で、しかし確実に、言葉を紡いだ。
「ありがとう……ございます。私……歓迎されると思って無くて……」
『破滅の魔女』蔑称で呼ばれていた彼女。当然、歓迎を期待することはないだろう。
それ以前に、王宮の床を踏める時点で、違和感があったに違いない。
しかし、彼女の思っている程に、彼女は疎まれていなかった。
意思というものは、誰の手でも簡単に弄ぶことができる。それも、
しかし、広まるのはそれだけではない。心の中に同居する、疑問や違和感、それらも付随して、人々に伝搬する。
だからこそ、彼女は、魔女は受け入れられた。
そして、彼女の優しさを以てすれば、この状況は容易だ。
それを一番理解しているのは、ディレだ。
だからこそ、彼女を受け入れてくれることを願った。
紛い物の人形を、受け入れてくれたから。
「……正直、私に見合ってるとは思いません。……けど、見合うように努力します。――――私はもう、魔女じゃないから」
ここ一番に微笑んだリラがその首を巡らせると、今まで気づきもしなかったその可憐さに、誰もが目を奪われる。
そうして、最悪と謳われた少女は、最高と評価された。
未だ上ったばかりの太陽が、祝福するように照り輝いていた。
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