第44話 魔女の憤怒

 静かすぎる玉座の間、そこに響き渡る、少女の声。囁くように細くて、確実に心を抉るその声は、哀しさと寂しさが入り混じっている。


「なっ、何を言う⁉ 君は魔女なんかじゃない! 一体どうしたんだ⁉」


 動揺を隠しきれない騎士団長は、手足を縛られながらも必死に訴える。鬱陶しい鎖を取り払おうとその身を捩る、しかし、鎖は解けなかった。


「私、この人が国王だってわかった時……思わず手が出そうになった。だって……そうでしょ?……この人がお父様とお母様を殺した」


 震える声で語りだす、未だ表情を見せてはくれない。しかし、流石に今は見る必要はなかった。この霞んだは、涙を流しているからに他ならない。


「ディレ、私屋敷で話したよね? 汚名返上なんてしなくていいって。私ね、あの村に入れてもらったばっかりの頃は、ずっと復讐だけを考えてた。いつか、国王を同じ目に合わせるって」


 腕を持ち上げて顔に当てる、下ろされた裾は、ぽつぽつと涙で濡れていた。彼女の言葉を聞いて、その場の誰もが最悪の未来を想像する。「だから」と彼女は続ける。


「汚名はそのままでいい。でも、私にはできない。誰かを傷つけることは、もうしたくない。だから――――」

「――――スペル・エッジ」


 無詠唱の術が行使され、彼女の手に、紫紺の魔力でできたナイフが握られる。ダメだ、彼女にそれを持たせては。ディレは知っている、彼女は、決して他人を傷つけることはできないと。復讐を果たせない彼女がとる行動、それは、


 それは


「私はここで消える。その方が、いいでしょ? 『破滅の魔女』は騎士によって倒される、それでもいい。……私は、この人を助けられない。助けたくない……」


 優しく、誰にでも慈悲と慈愛を与える、まるで女神のような心を持つリラ。他者の為なら、その身を賭してまで守ろうとする。しかし、そんな彼女が、いや、彼女だからこそ、抵抗する。自身が消えることで、助けられない口実を作る。


 あの人から聞いた話だが、魂に干渉する術は、かけられた側は実に不安定な状態に陥る。行使者として、明快な意思があるわけではない魂は、他人の身体の中で崩れ始める。


 彼女は、それを狙っている。


 実に遠回りで、面倒くさいやり方だ。もっと確実で、自身が安全なやり方などいくらでもある。しかし、リラは優しすぎる。

 この愚直すぎる方法は、いわば諸刃の剣のようなもの、魂の持ち主が強固な意思を持っていれば、生き残ることは可能だ。国王ともあろうものが、貧弱な意思力では困る。


 つまり、どう転がろうと、彼女の目的は達せられない。ただ、彼女が罪を償うために消えるだけ。それではなんの意味もない。それでは、あまりにも彼女が報われない。彼女の強みと弱点は、共通して、『優しさ』だった。


「リラッ!」


 そうはさせないと彼女の名を叫ぶ。しかし、できることはそれだけで、それ以外に何もない。ディレは今、何もするなと言われている。今一番しなければならないことを、絶対にするなと止められている。


「ごめんね? でも、もういいの」


 ダメだ、ダメだ、ダメだ。それだけは、絶対に、ダメだ。


 背を向けるリラがこちらを向く、涙で濡らした頬を晒して、取り払った三角帽から瞳を覗かせる。悲壮、悲哀、水色の感情をない交ぜにした瞳が、真っ直ぐにディレを見ていた。

 歪められた笑顔は、せめてもの贐として自身に仕える自動人形に送られる。そんな笑顔、見たくない。それは、彼女のするべき顔ではない。なのに、何もできない自分がもどかしい、忠実に命令を遂行する身体が許せない。いっそ、誰かと入れ替われたら……それはあの男の焼き直しだ。


 目の前でそれを見ているというのに、何もできないことに苦悩する自動人形。その優しさ、、、を見て、泣きながらに魔女は嗤う。


「ありがとう、ディレ……じゃあね」


 一滴ひとしずくの涙を流したリラは、握る魔力のナイフを首に突く。透き通った、鋭い切っ先が、彼女の柔肌を無慈悲に裂く。震える彼女の腕は、既に覚悟を決めていた。


 ぐっと、その腕に力が入る――――その寸前だった。足元の男、、、、が割って入ったのは。


「其方は、ライルの娘か……?」


 弱々しく投げられたあらぬ方向からの問いに、自害を決め込んだリラの手が止まった。意識を持っていかれたのか、魔力のナイフが零れ落ち、霧散した。同時に、騎士達を縛っていた鎖も崩れ去る。


「……国…王」


 背後で寝転がっている衛兵の、その中に宿る国王を見て、リラが息を漏らす。彼女に向けられた灰色の瞳は、申し訳なさで揺れていた。ゆっくりと起き上がった国王は、床に尻を付いた状態でリラを見上げる。


「いや、リラ・ノクトルナか。……ニーウィッドにフライン、お前も居たのか、クルスよ」

「はっ、陛下こそ、ご無事で」

「すまなかった、騎士達よ。儂が奴に隙を見せたばかりに……!」


 悔しそうに顔を歪める、握る拳は、焼け爛れ、ズタズタだった。恐らく、本来の魂であった衛兵が、フランケルに抵抗した時にできた傷だろう。彼の非道さがそれだけでわかる。


「いえ、が気づかなければならなかった。陛下の責任ではありません」


 頭を下げ、腰の剣に手をかける。抜くのではなく、強く、強く押さえつけている。自身の力不足を悔やみ、拳を震わせる。リセッタとセイリンも同様だった。最敬礼をしながらも、ロクな戦闘は一切できていないことを悔やむ。


 しかし、それは彼らの責任ではない。全ては元凶、フランケルにある。


 それでも騎士として、プライドが許さないのだろう。

「よい、面を上げるのだ」と、彼らに赦しを与える国王。しかし、リラにとっては彼はそんな立場にはない。


 だが、リラが抱いたそんな感情も、次の瞬間には漱がれた。


「リラ・ノクトルナよ、許してくれとは言わない。だが、謝らせてはくれぬか?」


 目の前に佇む一人の少女に、一国の王が頭を下げた。それは、本来ありえないことで、リラは目を見開いた。驚愕に口を開き、そして閉じる。


「あの時、儂は怒りに身を任せ、許されざる行いをした。守るべき民を、あの男と同じ一族だからという理不尽な理由で、消し去った。決して許されることではない」


 瞳を閉じて、当時の自分を顧みるようにして、国王は言う。


 しかし、国王の謝罪を、そのままリラは飲み込むことができなかった。積もり積もった感情を、爆発させる。


「なら何故⁉ お祖父様だけを罰しなかったんですか……! お父様もお母様も、屋敷の人々も、何も悪くなかったのにッッ!」

「その通りだ、あの時は本当にどうかしていた」


 意味がわからなかった。国王は、何故にリラに謝罪する。少なくとも、彼にとっては正義として行った処刑。それを、あたかも大いなる過ちのように頭を下げる。謝るなら、最初からしなければよかった。そんな当然の怒りが、リラを憤慨させる。


「言い訳にしかならない、それはわかっている。だが、聞いてほしい」


 疑念と憤怒を燃やしながらも、冷静なリラは何も言わない。固く結んだ口元を、小刻みに震わせる。それを肯定と受け取った国王は、彼の言う“言い訳”を語りだす。


「あの時、儂は何か黒い感情に支配されていた。心の奥で何かが言っておったのだ、『ノクトルナ』を消せ、と」


 何を言い出すかと思えば、見苦しい戯言だった。流石のディレも黙っていられず、何か申そうと口を開く。しかし、それは次のリラの言葉によって遮られる。


「———もう少し、マシな嘘を吐いたらどうですか? あなたは……罪のない村の人まで巻き込んで私を殺そうとした!! アルに、リセッタさんに、過ちを押し付けようとした! それを、そんな嘘で片付ける⁈ 大概にしてください――――私はあなたを赦しはしない」


 爆発したリラが国王を攻め立てる。普段の穏やか雰囲気は一欠片も存在しなく、怒りに顔を歪めた彼女は、まるで別人のようだ。


「……? 待ってくれ、村とは何の話、、、だ?」

「———は?」


 国王の爆弾に、その場の誰もが硬直する。頬を引き攣らせたリラが、肩を震わせて吠えた。


「仮にも国王が、言い逃れの為にとぼけるんですか?」


 今にも術を放ちそうなほどに、その小さな身体を震わせて、ふざけた態度の咎人を糾弾する。しかし、当の本人はその態度を崩さなかった。


「待て、待って欲しい。本当に知らないんだ、騎士団は何処に向かったと?」


 必死に首を振り、自身の無知を訴える。しかし、そんなものは側から見れば子供のイヤイヤにしか見えなかった。だが、彼の瞳は、嘘をついているようには見えない。何か違うと感じたディレは、怒れるリラに問うた。


「リラ……この人……」

「嘘は言ってない……?」


 そこでリラも気づいたのか、眉を顰める。納得はできないが、理解はしたというような顔をして、リラは黙りこくる。それを見て説明を欲した国王に、セイリンが語った。


「陛下は、我々騎士団に『破滅の魔女』の討伐を命じられました。従って我々は辺境の村、レネゲイズへと向かいました」

「……本当なのか?」

「間違いありません、に直々に命ぜられましたので」


 首を捻る国王は、やはり不思議そうな顔で面々を見つめた。


「……記憶にない、以前の儂ならいざ知れず、今の儂はノクトルナを恨んではおらん。むろん、あの男を除いてだが」


 何もかもがズレている現状に、混乱するリラ。困惑を湛えた瞳は、国王を片時も臨さずに見つめている。

 記憶がない、それは何を以てなのだろうか? 騎士に命を下したのは、確実に国王自身だろう。ここでつまらない嘘を吐く騎士はいない。となれば、やはり嘘は言っていないのだろうか。


 真意が読めないディレは、その場を静観することに徹する。どうせ、何を言っても彼ら以上の言葉など紡げないだろう。なら、場をかき乱さない方がマシだ。


「……今は、黒い感情はないんですか?」


 少し棘のある口調で、リラが訊く。短く首肯した国王「わかってくれたか」とほっとしたように目元を緩める。しかしリラはその言葉には応えず、ぶつぶつと何かを言い出した。彼女の推理が巡らされ始める。


「……今はない……負の感情? ……ノクトルナの悔恨じゃないなら……」


 見守る三騎士とは違い、独り言を始めたリラを怪訝そうに伺う国王。本来は彼のものではない瞳が、不思議そうにリラを見つめる。少しすると、リラが俯けていた顔を上げた。


「多分……あの男フランケルの呪い、だと思います。恐らく、あの人があなたの家臣に成り代わったときにかけられたんだと思います」

「……つくづくあの男は搔きまわしてくるのだな。――――だとしても、儂のやったことに変わりはない、か」


 推測の上の真実を伝えたリラは、離れた場所で意識を刈り取られたくだんの元凶を睨む。何もかもが許せない、まさか、リラが呪った国王ですら、あの男の手駒だったとは。

 自分のやっていたことが全て間違いに思える程に、彼の手は回りすぎていた。アレは、もはや呪術師なんて範疇には収まらない。害悪な怪物と同等、否、それ以上の最悪の存在だ。国王を運んできたゴブリンが、どれだけマシだったか。


「やはり、謝らせて欲しい。ノクトルナ、いや、君には大きすぎる迷惑をかけた。最低な責任転嫁をした。全ては儂の弱さにある、すまなかった」


 立ち上がることのできない国王は、地面に腰かけた状態から、精一杯頭を下げた。限界の位置まで達すると、そこから上げることはない。

 言葉を、待っていた。リラの言葉を。決して赦しではない、罵声でも、恨み言でも、慰みでも、何を言われても国王は受け止めるつもり。それを察したリラは、深くため息を吐いた。


「顔を上げて下さい」

「…………」


 ゆっくりと頭を上げて、頭上のリラの顔を見つめる。それを受けて、リラは言う。


「私も、謝られていい側じゃない。国王、あなたなら知っているはず――――ですから、これでお相子です」


 ほんの少し、口元を緩めたリラは、そういって国王に手を差しだした。戸惑いながらも理解した国王は、ぎこちない動きでリラの手を握る。柔らかく透き通るような白さを持つ手と、爛れて傷ついた手が重なる。


「アル、国王の身体を」

「……わかった」


 見守っていたアルバーンに指示を出す。床に転がっていた国王の身体の元に駆けていき、身体をおぶって数秒で戻ってきた。

 ゆっくりと国王、もとい衛兵の脇に横たわらせたる。


 そうして、リラは息を吸い、詠唱を紡ぎ始めた。




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