第42話 払う絶望
視界が晴れ、映り込んだ景色、それは目を疑うものだった。
巨大な影に倒れ伏すフランケルと、それを前足で払う黒竜。その瞳は、以前目にしたときよりも、獰猛で卑しい光を放っていた。
『『以外と軽いものだ』』
「なっ――――? 黒竜が……」
「喋った……⁉」
目の前で起こった出来事と、ありえない現象への整合性が取れず、混乱する騎士二人。二人に守られるようにして、ようやく立ち上がったリラですら、言葉を失っている。
『『羽虫が騒ぐな、目障りだ』』
「ッ……!」
口を動かさずそう吐き捨てた黒竜が、鋭利すぎる鍵爪を振るう。それを擦れ擦れで躱したディレは、背後のリラを見やる。恐怖に顔を歪めた彼女は、ディレを見つめて言う。
「違う、あれはフランケル……! 黒竜じゃない!」
恐らく、正解だ。彼の気配は転がる肉体からではなく、目の前の黒竜から僅かに感じられる。やはり、黒竜か。
どうやら逃してはくれないらしい、逃げるつもりもないディレには関係ないが。
『『どうしたッ! 今更やめるのか!』』
攻撃を交わされた黒竜が苛立ちを隠さず再度爪を振るう。近い、躱せないと判断したディレは、即座に鎌を使って受ける。
ガツンと、聞いたことの無い金属音がディレの鼓膜を打つ。力ずくでねじ伏せようとしてくる腕を、鎌を廻して弾く。が、余波で自身も飛ばされる。
「……ッ」
「ディレ……!」
床に叩きつけられたディレを見て、悲壮の声を上げるリラ。飛び出しそうになった身体を、慌ててリセッタが引き留める。
「ダメです! 今は彼女に任せるしかない」
「でも……!」
いつもは冷静な彼女が、らしくなく取り乱す。それほどまでに、相手にしているものは強大で、最悪だった。だが、それは二人の騎士も同じだ、飛び出していきたい。
しかし、ディレの足手まといになるのが目に見えている。もどかしい、そんな感情はとっくに通りすぎていた。
『『グルルウゥゥゥゥラァ‼』』
黒竜が吠え、その口元から、蒼い炎が吐き出される。出鱈目な速度でディレに迫るそれを、せめて後ろには流さまいと鎌で絶つ。
しかし、絡みつくような炎は、武器を振るったディレを焼いた。
「クッ――――」
高熱に炙られ、爛れた皮膚がディレの動きを鈍らせる。顔にまで到達しなかった、まだマシだ。目をやられては、どうしようもない。
「こ……のッ……!」
一方的に攻撃され、何もできないことに苛立ち、敵を刻むために踏み込む。
10メートルはあろう巨体に、刃を叩きつける。トラウマを切り捨てる一撃は、無残にも固い鱗に弾かれる。
「かふッ……!」
邪魔な羽虫を払うが如く、振り抜かれた鍵爪に腹を割かれる。
何事もなかったかのように、平然とそれを見つめる黒竜、余計にディレを怒らせる。
「ッ…………‼」
もう、やるしかない。鎌を握り直し、息を吸ったディレ、そして跳躍する。
あの鱗の硬さは既に知っている。守りを捨て、隙を作るしか勝機はない。
「セァァアアア!」
『『ッ……!』』
鬼気迫る表情で突進するディレに何かを感じた黒竜、しかし鈍りはしなかった。
大きさにしては早すぎる速度で腕を振り、振りかぶられた鎌にぶつける。爪を弾き、再度振る。空中で回転し、また振る、防がれる、それでも振る。振って振って振る。
まるで虫が羽根を鳴らすが如く、火花が散る。だが、連撃の命中を恐れた黒竜が、一際強く鎌を弾き、身体を振るった。
強靭な黒尾が、ディレに叩きつけられる。
「グッ……んッ!」
身体ごと飛ばされて、反対側の壁にぶつかる———寸前に足を延ばし、また跳躍をする。大きな身体を動かした代償に、反応が遅れる黒竜。その隙を逃さずディレが一撃を叩きこむ。
『『グアァァアア⁉』』
翼の根本、深く食い込んだ鎌の刃が、噴き出した鮮血に染まる。
苦鳴を上げた黒竜、しかし、その余韻すらも与えずにディレが追撃を加える。
一撃、また一撃と竜の背を刻む。その度に吹き上がる飛沫が、鎌をディレを濡らす。
だが、そのまま喰らい続けるだけの黒竜ではない。
攻撃に夢中になっている敵を、あらぬ方向から翼で殴る。
「ガッ…………⁉ ぐぅ――――」
思い切り天井に叩きつけられたディレ、砕けた大理石が背中を割く。
ボロボロの状態で、天井に埋まったまま動けない。それを好機と見たのか、黒竜が拳を突き出した。無抵抗のディレに大きすぎる拳が叩きつけられる。
「ぐあッ――――!」
まるでサンドバッグのように、二度、三度、先ほどの仕返しとばかりに殴りつけられる。その度に、砕けて
四度目を喰らった時、あまりの衝撃に天井が一部崩れ落ちた。それと共にどさりと床に力なく落下する。
全身が悲鳴を上げる。口の端から漏れるのは多分血液だろう。ビリビリの袖で血を拭い、フラフラの状態で立ち上がる。握っていたはずの鎌は、いつの間にか足元に転がっている。拾いあげようとしゃがむと、割かれた腹の傷が大げさなくらい主張する。
「くッ……がふっ⁉」
途端込み上げた嘔吐感にせき込む、血反吐を吐いて鎌を握る。
満身創痍、そういって差し支えなかった。
『『フ、フフハ! ハハハハハ! 素晴らしい、これだけでも十分すぎる』』
傷を負いながらも、歓喜の声を上げる黒竜。いや、フランケルか、だが、もうどうでもいいことだ。敵ということに変わりはない。
何か、何かないのか?
『『貴様を壊した後は、リラ、お前を消してやる。私に歯向かったことを後悔しろッッッ!』』
圧倒的すぎる力を振るい、我が手の未来を語る。そんな奴に、負けてたまるか。
もう、最初程の機動力はディレにはなかった。……黙っていたが、ディレはそもそもリラが攫われた時の傷すら、治していなかった。ある程度の処置は屋敷のメイドが施してくれたが、内部の傷まではどうしようもない。
リラに頼めばいいと高をくくっていた。今、とてもそんな状況ではない。
リラなら、何かわかるのではないか、頼らないと誓ったばかりなのに、やはり彼女を当てにする思考が許せない。けれど、今はもう、それしか残っていなかった。
「……レ!」
「………?」
何かの声が聞こえ、次いで黒竜が吠える。
『『怖気づいたかッ! なら爆ぜろ!』』
大口を開けた黒竜が、その奥から蒼光を煌めかせる。戦闘中だというのに、思考に耽ったリラを糾弾するように、その炎は無慈悲に噴き出す。
「ディレッ……! 避けてッ‼‼」
泣きそうな程声を上げて叫ぶリラ、しかし、ディレに届いたのが遅すぎた。
莫大な熱量の業火が、動かぬ人形を焼き尽くさんと迫った。
「――――ピアッシング・スラストッ!」
その間隙、僅か数秒に白銀の刀身をねじ込んだ者が、ディレを焼く筈だった未来を切り伏せた。
「アルッ――――!」
振り抜いた剣を構えながら、ディレの目の前に降り立った騎士は軽く微笑む。
「遅くなってすまない、屋敷は崩壊しているし、御父上に場所を聞いてもなかなか追いつけなくてね」
マントを傍目かせて、握る剣の切っ先を目の前の黒竜に向ける。王国最強の剣が、王国の敵と対峙する。
「アルバーン……」
ボタボタと血を流しているディレを見て、アルバーンは言う。
「僕も自信がない、10秒は持たせる。それまでに彼女に!」
簡潔に伝えたアルバーンは、闖入者にぎらついた瞳を剥ける黒竜に向き直る。
『『お前は……!』』
「……大体の見当はつく、だが僕は後悔していない。貴方を斬ったのは紛れもないこの僕だ」
『『ッッッッ…………! 死ねぇッ!』』
彼にとっては二度目の、全てを飲み込む炎がアルバーンを襲う。それを、マントを焦がしながら辛くも交わし、接近する。近づかせまいと腕を振るう黒竜の懐に入り、剣を突き上げる。
ガキンと耳障りな音を立てて剣が弾かれる。
それでも彼は動きを止めず、懸命に攻撃を交わしている。
「リラッ!」
ただ見ている訳にはいかない。彼のつくる数秒の時間が、全てを左右する。
アルバーンを追うリラの視線を遮って、何をするべきか問いかける。
「ディレッ……待って、今考える」
「……!」
取り乱していた時の不安げな表情は既に消え去っている。彼が来たからか、或いは、ディレが無事だからか、下らない嫉妬はかなぐり捨て、彼女の応えをひたすらに待つ。
「私は使えない……でも、あの時二人でなら……魔力は私の物を……」
顔を伏せ、瞳を瞑るリラ、その目の前では、苦鳴をもらしながらも時間を稼いでいるアルバーンの姿がある。次第に交わしきれず、被弾しているのが目に映る。早くしなければ、彼も危ない。
夕日に照らされたリラ、眩しそうに眼を細める。
セイリンとリセッタが無言で見守る中、ぶつぶつと何かを紡いでいた口が止まる。
「……ディレ、もしかしたら!」
被っていた三角帽をはね上げて、ディレの瞳を見る。目の前の双眸を見ながら、彼女の話を聞く。
語られた方法は、本当に無謀かもしれないようなものだった。一度、試せばそれで終わる、だが、それが不可能なら、次の瞬間にはディレは吹き飛ばされているだろう。
だが、やる価値はある。
「アルッ!」
「――――ッ!」
いつの間にか握っていた長剣の切っ先がへし折れている騎士団長、リラの声を聴いて黒竜から距離をとる。
「策はッ⁉」
「今からやる……」
息を切らして、ディレと同じく口元に血の後をつけている。流石は騎士団長だ、10秒、それよりも多いくらいの時間を稼いでくれた。
「もう一度、アレ、やって……」
ディレの隣に立つようにして、黒竜を睨むアルバーン。こちらに顔を向けずとも、話を聞いているのはディレには分かった。
「わかった……君は?」
「……任せて」
今、ここで喋っては意味がない。そこは、飲み込んでもらう他ない。しかし察しのいい騎士団長は、それだけで理解したように首肯した。
「ピアッシングッッ・スラストッ……!」
踏み込んだアルバーンが、残る力を振り絞って彼の秘儀を放つ。欠け落ち、使い物にならなくなった
それを当然のように爪で応戦する黒竜。しかし、それこそが狙いだった。
弾かれた長剣が、磨かれた刀身を夕日に晒す。すると、黒竜だけを射抜く光の矢が、紅く、隙だらけの瞳を射った。
『『グオォォオオ⁈』』
眩む視界を払わんと無為に腕を振るう黒竜。
「「……スペル・ホール‼」」
その瞬間、ディレが叫ぶ。彼女の中に流れる、リラから渡された魔力が、言の葉を使って変換される。
途端、ディレの視線の先、黒竜の周囲が、歪んだ。
『『グアァァァアアア⁉』』
苦しそうに悲鳴を上げる黒竜。その身体が、次第に沈んでいく。
ディレの放った術、それは、全てを拘束する魔力の歪み。全てを飲み込む空間の穴だ。
リラの使う拘束術は、魔力の鎖で縛ると同時に、無意識の行動を封じる重力場を発生させている。それは優しいリラの術だからだ。
だが、
自身の使える限界の魔力を、全て今の術に注ぎ込んだ。
あの歪んだ空間の中は、相当の重力がかかっているはずだ。あの中で立ち上がれる者は存在しない。
だが、そのせいでディレもフラフラだった。ギリギリ動ける量の魔力しか残っていない。しかし、それで十分だ。
「ディレ! 胸を狙え! 竜の胸は最も硬い、だが、その分衝撃には脆い!」
「ッ……!」
振り向かずに頷いて、鎌を持ち直す。
半月を描いているエッジの根元、そこにある柄を持ち、ガキンと
最後に、今まで握っていた鎌としての柄の部分を、
そこから現れたのは、紅黒の刀身の“大太刀”だった。
それを腰へと構え、片足を後ろに引く。
「ありったけを叩きこんでやれ!」
リセッタの最後の言葉を合図に、ディレは踏み込んだ。
『『グアァァアアア⁉ ガアァァァアアア‼‼』』
未だ未知の重さに苦しむ黒竜、そのがら空きの胸元に、細身の刃を叩きつけた。
「「
残る魔力を総動員して、握る大太刀を振り狂う。雨のように降り注ぐ、四十四の閃撃、これまでディレを打ちのめしてきた絶望を、切り捨てる技。
そのすべてが、硬い胸元を切り刻み、その鱗を粉砕する。ボロボロと零れ落ちた破片の隙間、そこから覗く皮膚に向かってディレは最後の一閃を叩きこんだ。
「セァァァアアアッッッッ‼‼」
紅く閃く一撃が、黒竜の胸元を吹き飛ばした。
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